AIM-2
A
基本的に、僕は学校では空気のような存在だ。
だから、黒川さん以外の他の生徒に話しかけられることはほとんどない。あったとしても、書類の提出を求められたり、当番について説明されたりするなど、事務的な用件がほとんどだ。
僕はそのような立場に追い込まれたわけでも、望んでそうなったわけでもない。
ただ入学当初から、積極的に人と交流を持たなかった。それだけのことだ。その結果、周囲に誰も人が集まらなくなった。それだけの話だ。
いや、別に僕はそのことを特に気にしていなかった。特に不利益を被るわけでもなかったし。
それに毎朝黒川さんが話しかけてくれる。それははっきり言えば社交辞令だが、僕にとってはうれしい言葉だった。世界との繋がりを確かめられる。
ただ、望むことなく、そのような立場に追い込まれてしまった人の話も聞こえてくる。
みんなと話したいのに、伸ばしたその手は拒絶され、逆に害意を含む手がこちらに向かって容赦なく降り注ぐ。
いじめ。弱者に対する暴力。
学校という場所が学生の集団から構成される場である以上、強いものと弱いものが現れるのは自然の摂理だ。
幸い、このクラスにそんな人間はいない。少なくとも僕からみる範囲では。みんながそれぞれを思いやり、優しい世界を作り上げている、ような気がする。
聞こえてくるのは、外からの噂だ。
この教室とは違う場所、別のクラスでのお話。それが噂として、様々な人の耳と口を介して、ここまで伝わってくるのだ。
「聞いた?東くんの話……」
「うん、今度は万引きにつき合わされて、」
「うわ、ヤバ……それやってる方は何も言われてないわけ?」
「それがさぁ」
特に意識を傾けているわけじゃないけど、そんな話し声が聞こえてくる。
彼らはそれを語るだけだ。別に何かをしようとか、そんなことを言い出す人はいない。
もっともそれは僕も同じだった。僕に勇気がないと言われればそれまでだが、それに対して行動しようという気は起きなかった。
今の僕が気にかけなければならないのは、手の中に収まる小さな箱、そしてその中に収まる二人の存在だった。
朝の時間なので、今はまだ端末を出して覗くことが出来る。
[チアキはもう来ている?]
[アキは元気?]
画面に映っているのはイチカからのメッセージ。
アンセムの気配以外に、彼女が外の世界に対して感じられる物はないらしい。
だから彼女は、外のことを頻繁に聞いてくる。僕の周りに異常はないか、学校で危険な事は起こってないか、アンセムに絡んだことも聞いては来るけど、やはりメッセージの多くは、彼女が僕の身体を借りて作り出した、友達の状況だ。
ここのところ、イチカに戦闘以外で身体を貸すことはしていなかった。
ミサの存在があったから。下手に身体を貸すことには警戒していたのだ。何を言われるか分からないし、何をしだすか分からない。
しかし何とも不思議なことに、ミサからのメッセージはまるでエンジンを急停止させた車のように、勢いが落ちていった。
一日、二日、日を追うごとに、ミサからのメッセージは減っていき、今朝に至っては何も来てなかった。
ようやくミサも理解してくれたのか、それとも余りにこちらの手応えがないのでしゃべり疲れたのか。まぁ僕の方ではその理由は分からない。
これで少しはイチカに対しても気を回せる。そう思った僕は、自分の方からその提案をしていた。
[今日の放課後、外に出てみない?]
送信してから、数秒の間があった。僕の入力した言葉のその意味を、彼女が認識するのにかかった時間だろう。そして
[うん!ありがとう!!]
赤いメッセージウインドウにぱっと現れた。
たった数文字ででも、彼女の嬉しさが存分に伝わってくるメッセージだった。
そして放課後。
ホームルームが終わると、僕はさっさと教室を出ていった。黒川さんがこちらを見ていた気がするがもう気にしない。
そして変身に使ういつもの場所。廊下の進んだその奥にある階段の脇、そこを目指した。
この校舎は、南北に長く伸びていて、南から順にクラスの番号が割り振られている。そして階段が一番北側と南側、
この北側の階段というのは出口から遠いこともあって、ほとんど使われない。避難用に設けてあるのだろうが、
この階段の、ちょうど一階部分の裏側にある空間、ここが変身の際の隠れ場所だった。滅多なことでは人が来ない。
だから僕は、それを警戒すべきだった。気付くことが出来なかった。
画面に表示されたインストールアイコンが、イチカをインストールするときのそれとは異なることに。
そして気付いたときにはもう遅かった。
ミサの意識が、ミサの肉体を構成するデータが、僕の中に入り込んでくる。僕はそれを受け入れることしかできなかった。
I
アヤト!それは私のじゃない!
メッセージを送ったが、もう遅かった。
デバイスの中から、ミサが出ていく、それが感覚で伝わってくる。
あぁ、また私は現実に出て行く機会を失ってしまった。
喪失感、無力感、落胆……そんな気持ちがデータの中でわき起こる。
しかし、その感情をどうやってこの何もない空間で表現すればいいのか。
結局私の心が、この思考をしている自分が、さらに落ち込むという結果だけが残る。
M
アイコンすり替え作戦、大成功!
やーっとアタシが出てこれた。戦いの時以外に出てくるのはどのくらいぶりだったかなー。
意識が入ったのに合わせて、アタシの身体も変化していく。髪がさらさらと伸びていき、おっぱいやおしりがぼんとふくらんで、おなかはきゅっとしまる。ちょっといたいようなくすぐったいような感覚が全身を走る。
それといっしょに、服の方も変わっていった。
上に来ていた白いシャツは身体に合った大きさになる。ズボンはシュルシュルと短くなって、おしりのちょっと下辺りでぷわっと開き、スカートになる。
肌に密着している下着は、おっきくなったおっぱいとおしりをきゅっと包み込む形になる。これはちょっと痛かったけど、すぐに慣れた。
さぁ、これで「アタシ」の出来上がり。
したいことはいーっぱいある。それを考えると身体がうずうずしてくる。
あのゾクッとくる、冷たくて寒い感覚は今はない。
でも、空気がアタシの肌に触れる度に、ひやっとする感覚が全身に広がってくる。
誰か、男の人を捜さなきゃ。
でもまずはこの場所ーアヤト君が隠れ場所にしたっぽい、階段の下の空間ーからは出ていくのが先だね。
どんという音と共に、アタシの身体に何かがぶつかった。
一瞬で服越しの感触とはいえ、アタシの身体にあったかい感触が伝わってきた。
おっと、それに浸っている場合じゃない。アタシは目の前を見て自分に言い聞かせた。
アタシの前で、一人の男の子が
「だ、だいじょうぶ?」とりあえず声をかけてみた。
「は、はい」男の子は軽く首を振って顔を起こした。縁の太いメガネをかけた、どこか弱々しい感じのする顔だった。
起きあがろうとするその子の身体を、アタシはそっと手を伸ばして支えた。
「!?っ、だ、大丈夫ですから!」彼はアタシの手に触れられて、まな板の上の魚のようにびくんと跳ねた。その勢いで、再び後方に倒れそうになってしまう。
「危ない!」アタシは彼の身体を思いっきり抱き留めた。
彼はアタシより背丈も小さかった。抱きしめた彼の身体は、アタシの体の中に埋もれてしまうかのようだった。
そして、何よりその感触、全身に伝わってきたその男の子の感触。アタシは思わず口に出していた。
「キミ、あったかいね!」
抱きしめていて伝わってくるその感触は、もうずっと放したくなくなるような、そんな感触だった。
彼の方からは反応は無かった。アタシはいったん力を緩め、彼の頭を放した。彼の顔はアタシのおっぱいのふくらみの中に完全に埋もれてしまっていた。もしかして、これじゃ息も出来なかったのかな?
彼は顔全体がぼんやりとしてしまっていた。
「おーい、だいじょぶー?」アタシが声をかけると、
「……あ、あぁ、ああ!ご、ごめんなさい」彼は弱々しいけど力強くそういった。
そして、ふらつきつつも駆け足で、人の多い廊下の方へと歩いていった。
アタシはそれを目で追いかけるだけだったが、やがて彼の後をゆっくりと付けていった。
あんなあったかいもの、簡単に手放せるわけがない。もう一度彼の隙を見つけて、今度はたっぷりとあっためてもらうんだ。
生徒たちが点々と立っている廊下の中を、彼は流れるように進んでいった。
そして、その流れが一人の手によって、声によって断たれた。
「よう、ダーイキ」
背の高い三人組、その内の一人が彼の肩に手を置いて声をかけた。
「高岡くん、松原くん、黒田くん……」男の子が弱々しく、その三人組の名前を口にする。
「どこ行ってたんだよ?」「今日も帰り、付き合ってくれよな~」
三人が中央の小さな男の子を取り囲み、各々声をかけている。
三人ともそれなりにがっしりしていて、顔立ちもそこそこ整っていて、あっためてもらったら、かなりあったかそうだ。
でも、その三人が浮かべる笑顔。楽しいから笑っているんだけど、何かが違う。
全然、あったかくない。それどころか冷たさすら覚える。
声をかけられた方の男の子ー名前はダイキというらしいーは、ちょうどこちらに背中を向けていたが、その三人の言葉にこくりと頷くと、三人と共にこっちに向かって歩き出した。
その顔には、海の底を映したかのように暗くて沈んだ表情が浮かんでいた。
三人が笑うと、唇をほんの少しだけ上げて、無理に笑いを作っている。
それでも、表情の暗さは変わらない。
そしてその周りにいる男の子、女の子。その中には、その四人の方にちらちらと目を向ける人もいた。
でも、みーんなそこには関わろうとしない。
考えるより先に、アタシの身体が動いていた。
男の子四人とアタシがすれ違うその瞬間
「ゴメン、アタシこの子と用事あるんだ!さ、一緒に行こう」
それだけいって、ダイキの右手をつかみ、そのまま廊下を走り抜けた。
「お、おい待てよ!」「どこ行くんだ!」「てかお前誰だよ!」
三人の声が聞こえるが、無視無視。
右手でがっしり掴んだダイキくんの腕、彼なりに一生懸命抵抗はしてるみたいだけど、気にしない気にしない。