AIM-1
A
最近、デバイスの中を覗くのが億劫になってきた。
手のひらサイズの薄い箱。上面にディスプレイが付いていて、そこに様々な情報が表示される。
しかし僕のデバイスが映すのは、情報としては特にその中では、意志を持つ二つのデータが、言葉を通して論争を繰り返しているからだ。
[あったかいのほしい!戦えないんなら男の人でもいいからさぁ]
[あなたは少し、我慢と言うことを覚えなさい!]
どういう原理や経緯なのか未だに分からないが、僕のデバイスの中、インストールされたアプリケーション「Bird Cage」の中で、自分の意志の元でメッセージを発している二人の存在。
そんな二人が、メッセージの中で激しいやりとりを繰り返している。
……いや、正確には片方が一方的にメッセージを繰り出しまくっているのだ。ミサによるメッセージは黄色の枠で表示される。一覧画面はほぼ黄一色に染まっていた。
そんな中で点々とする、赤いイチカからのメッセージ。
[この身体はアヤトのもの、アナタのじゃないの。何度言えば分かるの?]
(僕から見れば)正論に近いことを言っているイチカに対し、
[いいじゃん、戦いの時以外は感覚を共有してるわけじゃなし、アヤトくんは何もしないで、アタシが勝手にいろいろやってるだけなんだから]
何を言われてものれんに腕押し状態で、僕にひたすら同じお願いを続けるミサ。
最近のアップデートで、緊急時以外のメッセージ通知をオフにすることが出来るようになった。
これによって、アンセムが現れたときなど緊急時以外、メッセージの着信通知は鳴らないようになった。
が、緊急であるかどうかの判断は、この中にいるエゴ二人の意志によって決定される。
この権利を利用して、遠慮なく通知アリの緊急メッセージを送ってくるのだ。特にミサが。
その多くが[寒い!冷たい!][あったかくなりたい!]というものだ。[一回だけ!一回だけだから!][アヤトくんに迷惑はかけないからさぁ]といった変化球まで。
そんなに僕の身体を使って暴れたいのか、男相手に……したいのか、
さらにイチカもこのミサの発言に対し[そんな言葉に乗っちゃダメ!]と、これまた緊急のメッセージとして送ってくるのだから、たまったものじゃない。
僕は考えるだけで頭が痛くなった。
ミサがやってきてから、数週間が経過していた。
梅雨もそろそろ明けて、いよいよ夏の到来を感じさせる時期だった。
アンセムの出現は続いていた。
この街の中に、数日あるいは数週間の間隔を空け、人間の身体に侵入し、それを意のままに操る。
その場所にも、出現頻度にも、特に法則性があるようには見えなかった。この数週間で三回ほど戦い、倒した。
その様子からして、イチカやミサ同様に、自分の意志を持つ「エゴ」だった。自らがアンセムの一部であることを認める一方で、アンセムとは異なる「自分」というものを認識している、それがエゴだ。
そしてそいつらは、銀色の鎧ーその形状はそれぞれによって大きく異なったーで身を包み、僕を、僕の中に入ってきたエゴたちに襲いかかってきた。
幸いなのは、最初の学校における騒動のようなものが起きていないということだ。
イチカや姉の話によれば、アンセムを構成するエゴの数は限られているらしく、
一体何が目的なのか。何のためにこの世界に現れるのか。何を狙っているのか。
全てを知っていそうな人間で思いつくのは今のところただ一人、
しかし、そんな姉からの連絡はかなりのスローペースだ。こちらからメッセージを送っても、帰ってくるのはメッセージ(プラス、アップデートプログラムなど)の入ったメモリが、物理的な形式で送られてくる。
次第に僕の方からのメッセージ送信も、そんな姉からの送付ペースに合わせるようになっていた。約一週間の一通くらいのペースで、こちらの状況や疑問に思ったことなどをまとめて報告している。
そしてそれに対する返事も、数日おいた後にやってくる。
考えてみれば、イチカが来るまではまではずっとお互いにメール形式でやりとりしていた。今はこちらから「Bird Cage」を通してメッセージを送り、数日おいてから物理的な形式でメッセージを受け取る、そんな状態に変わってしまった。
そのことを姉に聞いてみたら
「アンセムに悟られないためだ」「奴らはネットワークのどこに潜んでいるか分からない。私から流す情報を」という、まぁ何とか理解できそうな理由が帰ってきた。
こんな風に答えを教えてくれる質問もあるにはあるが、何も教えてくれない疑問もそれと同じくらいある。
そもそもエゴとは、アンセムとは、一体僕は何と戦っているのか。それについてのはっきりした答えはない。
そういえば、この前のメッセージに一つだけ、気になる反応を見せたことがあった。いや、一つのメッセージいろいろな情報が詰まっているので、気にならない文面など基本的にはないのだが。でも目に入ったそれは、いつもの送られてくるメッセージの中では浮いているように見えた。
それは、ミサの存在に対する反応だった。
ミサの存在は、最初の戦いが終わった後すぐに姉に報告した。新しいエゴがデバイスの中に入り込んだこと、彼女はどうやらイチカと同じようなものであること、など。流石に彼女が僕の身体に入って……といったことまでは書かなかったが。
そしていつものように、数日経過してメッセージ入りのメモリを送ってきた。
「今回送った服は、イチカにもミサにも、それぞれ変化後の体型に合うような衣服に変化するようにしてある」という追伸に、さらに付け加える形で
「ミサに、レイという存在のことを覚えているか、それだけを確認してほしい」
と書かれていた。
姉にとっては気になることなのだろうか。イチカはレイの存在を生まれたときに
ちなみにミサの返答はこうだった。
[レイ?Rei?]
[あー、そういえば見たことある気がするなぁ]
[アタシが最初にみた、字とか数字とかずらっといっぱい並んでる中に、そんな名前があったかもしれなーい]
ということだった。要はイチカとそれほど変わらない認識なんだろう。
次に送った姉へのメッセージで、そのことは伝えておいた。
その後の返事では、特にこの話題に触れられることはなかった。
そんなミサは、イチカと比べて陽気というか、破天荒というか、はっちゃけた存在だった。
ことあるごとに[あったかいのがほしい]といってインストールアイコンを繰り出し、僕の身体を使おうとする。
彼女の言う「あったかいの」とは、主に二つある。
一つは、人間の男性を対象としたものだ。男性の身体に抱きよって・・・その、言葉に出来ない行為をすることで、「あったかさ」を得られるらしい。
もう一つは、アンセムとの戦闘だ。彼女と僕の意識が一つになることで発動する戦闘モード、それ自体が、またそれを用いて戦うことが、彼女にとって「あったかいもの」になるらしい。
前者は僕にとってなるべく、いや絶対に避けたい事態だ。いくら僕の意識がないとはいえ、この身体を人間の男性に捧げるというのは抵抗しかない。
後者の方がはるかにマシ、というか選択肢はそれしかなかった。
ミサの戦闘能力はなかなかの物だった。イチカが拳を使った近接戦を主体とするのに対し、彼女は弓と矢を武器にしていた。
ミサ(と僕)は、敵からなるべく距離をおいて戦った。その方が弓と矢の特性がしっかり生かせる。
ミサ曰く、アンセムによって生み出されたエゴの身体は、冷たくて寒くていやな感じだそうで、自分の好みから言っても相手と距離をおいて戦うのがいいらしい。
それに戦いの時は、僕の意識も身体に残り、僕の意志で身体を動かすことも出来る。
だから戦いの後も、身体に残ろうと抵抗するミサの意志を必死に抑えながら、デバイスの画面に視線を向け、ミサをデバイスの中に戻すことに成功したのだ。
これならばミサの欲求も満たせるし、僕も身体をアレなことにされずに済む。
しかしだんだんとイライラを募らせる存在があった。
それがもう一人のエゴ、イチカだった。
ミサが言葉を弾丸のように放って僕に欲求をぶつけてくるのと対象に、イチカの言葉数はだんだんと減っていった。もっともこれはミサからのメッセージが増えているせいで割合的にそう見えるだけなのかもしれないが。
最初の頃はミサに対して厳しい言葉をぶつけていた。大人しくしていろだの、身体を勝手に使うことは許されないだの。
でもミサにはまるで効果がないことが分かると、だんだんと言葉数も少なくなっていった。
ミサのワガママに短文で注意を入れたり、ミサの勢いに圧されそうな僕を戒めたり。
ちょっと前までは、イチカも外に出たいというアピールを繰り返していたものだ。
それが今やだんまり状態だ。
まさに無言の怒りが、デバイス越しに伝わってくるような気がした。
そして僕は、それに対して何も出来ないでいる。
……ダメだ、考えれば考えるほど頭の痛みが強くなる。
I
何とも余計なものがやってきたものだと思う。いったい何なのだ、このミサとかいうエゴは。
彼女はやたら出しゃばって、アヤトの身体を使いたがる。人間として世界の中に存在することを強く望んでいる。
というか、だだをこねるという方が近い。
隙あらば彼女は、アヤトの身体に入り、現実世界で自由に動こうとする。
さらに彼女はアンセムが出現したときも、自分が出て戦うことを望む。
彼女曰く、戦いもまた「あったかいもの」であるかららしい。
戦闘モードでは、私とアヤトの意識が一体化している。言うなれば、私が表にでている状態でもアヤトの意志で身体を動かせるということ。
そのアヤトの意志が、彼女への交代、彼女にこの身体を譲り渡すことを許してしまうのだ。
アヤトの気持ちは分からないでもない。
ミサが求めるあったかいもの、戦い以外のもう一つとは、男の人と・・・その、言語化困難なことをすることだ。
不満足なミサにそちらの行動をとられるよりは、戦いに出てきてもらって欲求を満たしてくれる方が、アヤトにとっては健全で安心なはずだ。
でも、私は?
私だって、もっと人間として行動することを、世界の中で生きていくことを望んでいる。
だからアヤトの許可をもらって、赤坂(←適当に付けたはずが、いつの間にかこの名字)イチカとして、チアキやアキといった友達と交流するのは、最高の楽しみだった。
アンセムと戦う際に外に出られるだって、それはそれで人間としての感覚を堪能できる。
エゴやイドとの戦いの中でも、それは同じだ。
いや、消すか消されるか、そんなスリルのある感覚が、より人間としての実感を得られるという点では、こっちの方がよい体験かもしれない。
ミサはそれすら私から奪っていくのだろうか。
じゃあ、私はどうなるの?
……やっぱりイヤだ。このままの状態が続くなんて。
私も、世界に出たい。アヤトの身体を借りて、人間として動き回りたい。
これは私のわがままかもしれない。ミサと同じだ。
ちょっと前なら、私もアヤトに多くのメッセージを送って、アピールを続けただろう。
でもミサがあまりに躊躇なく自分の欲望を言葉にするので、私の方はそれを言葉にしづらくなってしまった。
私が人間だったら、ここでため息をついたり、頭が痛くなったりするんだろうな。でも今はそれすら出来ない。
ただ、ミサに反論したり、そんなミサに尖った言葉を返さないアヤトに、怒りと敵意を丸出しにしたメッセージを送ることしかできない。
最初はそれを一生懸命やっていたが、いくらやっても効果がないのが分かるにつれ、バカバカしくなっていった。
今は短い言葉でミサを、アヤトを戒めるだけだ。
そして私の周りは、何も見えず何も聞こえず、何も感じることの出来ない世界が広がり続けている。
M
やっほー、ミサだよ。
今いるのは、何も見えなくて、何も聞こえない、何もさわれない、そんな場所。
あるのは言葉だけ。今アタシがこうしていろいろ思ったり考えたりしている、そんな言葉だけ。
寒かったり冷たかったりするわけじゃないけど、あったかさもない。
やっぱり、人間の体がいい。
自分の目で物を見て、自分の耳で音を聞く。そして自分の肌であったかさを感じる。
うん、やっぱつまんなーい。
いくらアイコンを送っても、戦いの時以外は外に呼んでくれない。
何とかアヤトくんの隙をついて、身体に入り込む方法はないものかなー。
とりあえずアタシは、この何もない場所の中で、その時がくるのを待つ以外にやることはなかった。
ふとアタシの中に、一つの言葉が浮かんだ。
押しても駄目なら、引いてみる。
そっか、無理矢理に押しつけても何もいいことはない。
男の人は、アタシの方から押していってもなかなかあっためてはくれない。ゆっくりと声をかけ、身体をさわってもらえるように言葉を使って、そしてあっためてもらうんだ。
アタシはアヤトくんに、インストールアイコンを触ってもらう方法を考え始めた。