暖かい吐息
日本は、とりわけ寒い国ではない。
しかし地域による最高気温と最低気温の差は、目を見張るものがある。
そんな日本にある北の国、北海道は寒い地域に分類される。
――……――
国内一位の豪雪を誇る北海道。
そこに女子高生が一人いた。
モフモフのマフラーを首に巻いている女子高生は、公共バスのベンチにて、歯を食いしばり寒さに耐えている。
四日前から雪がちまちま振っており、外は白銀。そのためベンチは凍てついており、吐く息は真っ白でどんよりしているのだ。
雪が降り積もり、空は雲で覆われている。
どれも濁った白色で、物静かな印象だ。
ただしそれは、女子高生が苦手とする印象でもあった。
「バス、こない……」
女子高生は両手を口に当てて、肺から絞りだす息で、寒さを抑えようとする。
手袋越しにあたる息は温もりをおびている。
効果は薄いけど暖かさがあって、しないよりかはマシだ。
でも手が震える。
血液が凍っているみたいで、思うように動かない。
「うぐっ……なんでこの地方は雪が積もるの? 愛媛じゃありえないのに」
怨めしくスマートフォンを取り出して、デジタル表記の数字を見た。
バスが到着する時間は、まだまだ先だ。
日本屈指の雪国である北海道。
土地と名産品は腐るほどあるが、ここは山のなかであって、考えられないほどバスの通りが少ない。市街地と比べたら交通のインフラがあまり進んでいないのだ。利用者は長いことバスを待つことになる。それでもってダイヤルは死んででも守るバス会社なわけで、どれほど祈っていてもダイヤル通りであることが伺える。
一人寂しく震えている人間がいても、運転手にはわからない。
とりあえず女子高生は、バスが来るまで空想に浸ることにした。
すると、家にある暖房器具ばかり頭を通りすぎる。
「あう……まるでマッチ売りの少女みたい」
マッチ売りの少女ってどこ産の童話だったか。フランス? イギリス? それともデンマーク? 女子高生の脳内で国旗が浮かんでは四散し現れる。
今マッチを擦れば、肉まんとかストーブやらを思い出すだろう。そして最終的に……そこまで考えて首を大きく横に振った。
「……縁起でもない、やめだやめだ! あたしは電気ストーブに当たりながら肉まんを食べるまで死なないぞ」
強く拳を握りしめて生存を誓う。
この寒さを超えれば、暖房器具の恩恵と冷凍食品の旨みを味わえるから。
その時だ。
ザッザ、雪を踏みつける音が聞こえた。
誰かが近づいてくる。
女子高生は足音がする方を向いた。
そして白い世界から来た人は、容姿的に珍しかった。
年上の女性。
それも外国人。
肌は白くて髪は銀色。
とても雪景色に似合う風格の女性だ。
女子高生はこの地域では見かけない人に内心驚く。
こんな片田舎の町に、こんな特徴的な女性がいるとは思ってなかった。外国人の瞳は青色でまさしく異国の人で、物目ずらしいから、とても綺麗な絵を見たときみたく眺めてしまう。
「あのー……ワタシ、顔になにかついていますか?」
異国の女性から、流暢な日本語がすらすらとでてきた。
「え? あ! すいません、ここら辺じゃちょっと珍しいなーって……ははは」
唐突の挨拶にたじろいでしまう女子高生。
薄笑いを浮かべてお茶を濁す。
「メズラシイ? ああ、そうですよね。最近引っ越してきました、エリヴィラです。どうぞよろしくお願いします」
深々と会釈をする白人の女性。
名はエリヴィラ。
すかさず隣に座ってきた。
「え……こ、こちらこそ? エリヴィラさん。えっと……春子です」
なぜ自己紹介を?
と疑問に思いながらも、春子は会釈を返した。
「おー、ハルコさんって言うのですね。もしかして漢字は春風のハルに子供のコでしょうか?」
「そ、そうですけど……」
ずいずいと顔を近づけてきたエリヴィラに、肯定の言葉を出した春子。
それに合わせてエリヴィラは、笑顔で返答してきた。
「春子……春子ちゃん! 素晴らしい名前ですねー、ワタシ感動しました!」
なぜだか青い瞳を輝かせるエリヴィラ。
彼女の勢いに春子は、苦く笑って距離をとる。
「はは……あ、ありがとうございます。あははは……」
「んー、元気がないですね。なにかありましたか?」
思うに――変な人に絡まれて身動きができない――なんて口が裂けても言えない。
言えるはずがないから、春子は慌てながら取り繕う。
「なにもないですよ、えぇなにも! ところでエリヴィラさんはどこからきたのですか?」
「ワタシ? ワタシは青森から来ました」
「え、アオモリ? 青森って、日本の?」
「そうですよー、ワタシは青森育ちなのです。見た目は白人に見えますけど、中身は日本人ですよ」
春子のなかで進んでいた時間が死んだ。
数刻おいてから、春子は早とちりに気づく。
見た目からロシアあたりの、寒い国出身だと推理していたが、そうじゃなかったらしい。
異国の雑談で、場を取り繕うとしたけれど、失敗であった。
「そ、そうなのですね」
「もしかして春子ちゃん。ロシア人あたりかなーて思った?」
ピンポイントに言い当ててくるエリヴィラ。
豆鉄砲を喰らった顔をする春子を、指で突く。
「当たりです……ごめんなさい」
「良いですよー別に。ワタシにとってはいつものことですから。それに結構気に入っているのですよ」
「そう、なんですか」
「そうですよー。日本人だけど白人に見えるって、使いようで便利なのです。とくにセールスマン相手だとテキトーに喋っただけで逃げていきますから」
なんとなく春子は、慌てふためくセールスマンを想像して、クスリと笑った。
「おー、笑ってくれました。よかったよかった」
エリヴィラは満足したように笑みを見せる。
白い肌と整った顔立ちから形成される笑顔、そんな笑顔を、春子は見入ってしまう。
まるで絵画じみた笑顔だ。
目線を、むりやりもぎ取ってしまうみたいである。
「あの、エリヴィラさん。エリヴィラさんはなんで引っ越してきたのですか? 仕事……ですか?」
春子は、質問を投げた。
この近辺はお世辞など通じないぐらい過疎化しており、市内にコンビニが一件しか建っていない程だ。せいぜい市内にあるちょっとしたお仕事で来るぐらいだろう。そう春子は考えたのだ。
「鋭いですねー春子ちゃん。ワタシ、こう見えて看護師なのですよ。この付近にある病院に知り合いがいて、その紹介でこっちに移ったのですよ」
「看護師なのですね。エリヴィラさん、凄いです! 憧れるなぁ…………ヘックチ!」
春子は鼻と口を押さえて、くしゃみをする。
身体の芯が冷えてしまったのだろうか、不本意ながらも顔を伏せて咳き込んだ。
「ワァッツ! 大丈夫ですか春子ちゃん!」
春子を心配しているのだろう、エリヴィラが慌てふためいているのがわかる。
銀髪を揺らして春子の顔を覗く。
顔色はあまりよくはなかった。
身体の冷やし過ぎだ。
「エリヴィラさん、大丈夫……じゃないです。うう、寒っ!」
「春子ちゃん。手、見せて?」
春子は、震える手を差し出した。
エリヴィラは手袋を外して、春子の手をとる。春子の冷たい手袋を外して、寒空にさらけ出した肌を、しんっと見据える。
手から手に、体温が伝わる。
雪のような肌からは、不釣り合いな暖かさがある。
とても柔らかく、優しみがあふれる暖かさだ。
「あ、あの……エリヴィラさん?」
雪のような人は春子の言葉に反応して言葉を返した。
「ワタシが温めてあげる」
「え?」
突然、エリヴィラは春子の手に、はぁー……はぁー……と暖かい息を当てる。
息は暖かく、冷えている手に温もりが戻ってきた。
白い肌と青い瞳。
そんなエリヴィラを見ていると、春子は身体が火照りだした。
「エ、エリヴィラさん……」
「どうですか、温まりましたか?」
身体が温かくなった証拠か、春子の頬が桃みたいな赤みを浮き上がらせる。
そして笑顔であるエリヴィラの、青く深い瞳を見つめる。
目に吸い込まれそうで、胸の鼓動が早くなっていく。
「……はい。その、とっても」
「よかった。魔法が効いたみたいねー」
エリヴィラさんの暖かな吐息には、人を虜にする魔法でもあるのだろう。そう童話みたいなことを、春子は火照った頭で思うのだった。