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魂のゆくえ

作者:

 爺ちゃんが危篤でもって後2、3日らしいと親父から連絡が来たのは珍しく残暑の無い夏の台風の日の昼休みだった。

「だって病状は安定してきてたんじゃないの?」

「うーん、肺がな、もうあかんらしいねん。まぁもう歳やからな」

 確かに納得のいく話ではあった。爺ちゃんは今年で齢90歳で、15から始めた煙草を止められずもう75年も煙草を吸い続けていたのだ。75年。ちょっとした数字だ。

 医者からも度々、肺悪なってるデと言われて、何回か禁煙を試みた事はあった。しかし駄目なのだ。一度、本当に肺の機能が低下し、何だかよく分からないが酸素注入器みたいな器具を付けられた事があった。その時は流石に本人も怖くなったのか煙草を止めた。

「煙草は止めた。酸素の方が美味しいデ」

 なんて言っていたが、1ヶ月後には再び煙草を吸い始め、酸素注入器を付けながら煙草を吸うという奇妙な光景を演出して家族を驚かせた、結果的にこれが一番長く続いた禁煙だった。


 爺ちゃんの容態が悪くなりだしたのは同じ年の春だった。

その頃親父は長年勤めていた会社を定年退職したばかりで、さてこれから何をしようかなんて考えていた矢先のことだった。

 ただ爺ちゃんの入院は珍しいことではなかった。ここ10年くらい、体調が少しでも悪くなると救急車を呼び、ちょっと入院しては直ぐ退院してということの繰り返しであった。俺の通っていた高校は爺ちゃんの家の近くにあり、校舎の窓から正面玄関が見えた。

 だからよく同級生に「また救急車が来てるぞ」なんてからかわれた。場合によっては爺ちゃんの付き添いをするため母親も来てたりすることもあり、俺はそんな光景を見る度にやり切れなくなり授業をふけて屋上で煙草を吸った。


 そんな事もあるので「爺ちゃんが入院したらしい」と親父から聞いた時も正直あぁまたかと思った。おそらく家族の誰もが思っただろう。

 親父も「とりあえずちょっと様子見てくるわ」なんて悠長なことを言っていたのだが、病院から帰ってきた時には「どうも今回はちょっと難儀らしい」と事の深刻さを伝えた。初めて家族内にも緊張が走った。


 そこから家族が代わる代わる病院へ足を運び、爺ちゃんの様子を見た。夏に入る頃には容態が少し回復してきた。しかし本人の希望もあり、もう住んでいた家には戻らないことになった。


 婆ちゃんが亡くなったのは震災の年だった。

 ちょうど今から20年前だ。婆ちゃんが亡くなった時、俺は9歳だった。学校から帰ってきて妹と遊んでいると親父から電話があり「明日、爺ちゃんの家に行くぞ。用意をしとけ」とだけ伝えた。俺も妹も大喜びで荷物をまとめた。漫画の本、黄色い車の玩具、たくさんリュックサックに詰めたのを覚えている。じきに親父が帰ってきた。

「あんな、婆ちゃんがな、亡くなったんや。せやから お葬式に行くんや。お別れや。今までありがとうってお別れしに行くんや。だから夕飯を食べて今日は早く寝なさい」

 その時なんて答えたのかはあまり覚えていない。多分「そうか」とか「分かった」とか当たり障りない事を言ったんだと思う。でも心の中はいっぱいいっぱいだった。何だか分からない感情が膨らみ心をパンパンにしていた。ちょうど荷造りの終わったリュックサックのように。

 その日の夕飯はみんな言葉数が少なかった。まだ幼く死の意味を理解していなかった妹もどことなく微妙な空気を感じ取ってか静かだった。

「死んじゃったんだね」と一言呟いた時、耐え切れなくなり俺の感情は爆発した。涙が止まらなかった。

 親父が席を立ち俺の隣まできて慰めてくれた。でも涙は止まらなかった。俺の涙は冬のにわか雨のごとく母親のお気に入りのテーブルクロスを濡らした。


 婆ちゃんは優しかった。


 爺ちゃんの家は宝塚にある。震災の直後で道路は混雑していた。西宮あたりで車は全く動かなくなった。俺達は仕方なく車を適当な駐車場に入れ、最寄りの駅から阪急電車に乗った。

 葬式は爺ちゃんの家で行われた。俺達が着いた時には親戚はほぼ全員揃っていた。いつもは明るい叔父さんもこの日は流石に暗く、黙って換気扇の下で煙草を吸っていた。よく遊んでもらっていた従兄弟も真っ黒の学ランを着て、なんだかいつもと違う雰囲気だった。


 婆ちゃんの葬式は滞り無く終わった。俺はもう泣かなかった。葬式の合間に家から持ってきていた黄色い車の玩具で遊んだ。それから20年、俺は学校を出て働き、今では本物の車に乗っている。そして爺ちゃんはその間20年、ずっと1人で暮らしていた。


 爺ちゃんの入院している病院は比較的家から近く、連絡を受けた翌日に時間を合わせて親父と様子を見に行くことにした。朝起きると台風は一過しており、気持ちいい晴れの天気だった。病院までは駅からのバスで行く。予定より早く駅に着いてしまったため、ロータリーの陰で煙草を吸おうと思っていると、先約がいた。

 親父だった。

「突然だったからびっくりしたよ」

「うん、せやけど正直家には帰れんってなった時に心のどっかで覚悟はしてたわ」

「寂しくなるね」

「阿保、まだ死んどらん」

 バスは15分くらいで病院に着いた。病院の廊下は入り組んでいた。何処の病院もそうなのだろうか。少なくとも俺の今まで行ったことのある病院の廊下は何処も複雑に入り組んでいた気がする。

「看護師さんの部屋の隣の部屋やねん。硝子張りになっとって何かあったらすぐ飛んで来れるようになっとるねん」

 親父は慣れた様子で病院の廊下を行く。病室には爺ちゃんを含め3人の患者がいた。爺ちゃんは部屋の一番入り口に近いベットに寝ていた。爺ちゃんは酸素注入器に繋がれて眠っていた。前に使っていた酸素注入器みたいな簡易的なものでなく、本格的な器具だった。器具の中の酸素はまるでジャグジー風呂の様に激しく波を立てていた。

「これな、この酸素注入器の最大出力らしいねん。でも数値はそんなに上がってないねん。せやからやっぱり肺が大分弱ってるんやろうなぁ」

 俺達はベットの横に座って爺ちゃんの様子を見た。親父が爺ちゃんの手を握る。隣に座っている俺は何故か爺ちゃんの足を握った。驚く程に冷たかった。

「血がな、もう身体の先まで巡ってないんやろう。」

 おそらく親父の言う通りなのだろう。俺は少しでも温度を手繰り寄せようと爺ちゃんの足を握りしめる。

爺ちゃんは必死で酸素を吸い込んでいた。時折苦しそうにもがきながらも必死で酸素を吸い込んでいた。でもそこに爺ちゃんの魂みたいなものはもう居ない気がした。身体だけが必死で何かを訴え、もう少しもう少しと頑張っているように見えた。


 爺ちゃんの魂はどこにいるのだろう?きっともう天国の受付で並んでいるのではないか。受付のお姉さんに文句でも言っているのではないか。

 爺ちゃんは昔から文句言いだった。正月にホテルのお節料理の配達が遅れて家族一同が待ちぼうけをくらった時、配達しに来たドライバーを怒鳴り散らしたことがある(次の年からは1番に配達されるようになった)トラブルを起こして病院を出入り禁止になったことも何度もある(全て煙草絡みのトラブルだ)


「いつまで待たせんねん。もう行く言うてるやろ!ワシもう90やぞ!」

「そう言われましても天国にも順番が…ここでお煙草はお止めください!」


 なんだか無性にそんな気がした。最期までヤンチャな爺ちゃんである。そしてそうあって欲しいと心から思う。


 病室から出る前に爺ちゃんに声をかけた。

「爺ちゃん、俺だよ。元気でな」

 でも多分聞こえてなかっただろう。魂はヤンチャの最中なんだから仕方ない。煙草片手に闘ってるのであろう。


 病院を出ると夏の空は高く、もう1日は折り返していた。

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― 新着の感想 ―
[一言] わけわからんのんばかりの中で、ちゃんと文学でした。私も励みになります。これからもがんばってください!
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