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第一話:転生☆しそこなった

 西暦300X年。


 地球はもはや人類に、いやほとんどの陸生恒温動物にとって生命を育む母としての愛を注いではくれない。


 日本で言えば、野山はシカやイノシシ、タヌキにサルなどの死骸で溢れかえり、それを栄養源にする虫の類いと微生物が支配する世界となった。それはまるで太古の原生林のような様相となり果て、適応できない生物は死に絶えた。大気には大量の胞子が飛び、富栄養化によって際限なく巨大化する昆虫が人類の生息域を侵し、彼らが運ぶ微生物と植物の種子や胞子によって狭い国土はあっという間に緑に沈んだ。


 このような事態を招いたのは、生命としては植物よりもはるかに原始的な部類に入るものたちだった。細胞壁をもたず、自己複製すらできない脆弱極まりない彼らだったが、ひとたび哺乳動物の体内に侵入すれば、宿主の体細胞の細胞核に侵入して爆発的に増殖した。個体数が一定以上に達すると、宿主の神経組織を乗っ取って「同種を襲わせる」という手段でもって新たな宿主を求めたのだ。


 始まりは、二十一世紀末頃、神奈川県の養豚場だったという。


 数日前から体調を崩していた豚が突然発狂したように暴れ出し、周囲に居た豚数頭と職員を負傷させた。


 豚は薬剤によって殺処分されたが、騒動の際飛び散った体液は飼料にも付着しており、それを食べた食用豚二百頭が、二週間後には全滅した。


 最初の一頭が何がしかの感染症にかかっていたことは間違いなかったが、近々自家製ハムのコンペ参加を計画していた経営者は、保健所への届け出を行わなかった。


 最初に死んだ豚に噛まれた職員は市立病院に入院していた。負傷した直後に病院に赴き、創傷の処置と抗生物質の投与を受けてはいたものの、その後一週間で発熱、おう吐を繰り返すようになり受傷後十日で意識不明となった。経過からしてこちらも感染症にかかったのだと推測されたが、彼の血液や排泄物をいくら調べても、その正体を突き止めることはできなかった。


 そうこうしているうちに、男性はのちに発見者によって「畑中暴走症」と名付けられた感染症を特徴づける症状を発症し、治療にあたっていた医師、看護師、隣の病室の患者や見舞客、暴走を止めようとした警備員など合計九人を殺害した。


 素手で四肢を引きちぎり、二人以上の屈強な警備員の制止を振り切るどころか投げ飛ばすほどの膂力を発揮したという。


 騒然となった病院に警官が駆け付けたのは、事態の発生から十五分後だったが、その時にはもう、患者は息絶えていた。


 事態を重く見た政府はすぐさま市を封鎖した。世界各国からその道の権威が集まり、異種間で感染した可能性の高い病原体の発見に尽力した。


 たまたまではあるが、初めにそれを発見したのは脳医学の権威である畑中だった。


 畑中は異常な興奮状態に陥り、およそ偉丈夫とは言えない体型だった最初の犠牲者に人外の膂力をもたらした原因を探るため、彼の脳を調べていた。


 死後冷凍保存されていたにも関わらず、開頭した瞬間にまるで爆発するように迸った脳漿及び脳の残骸の中に、大量のウィルス塊を発見したのだった。


 それは出血熱を引き起こすものによく似ていたが、それによって引き起こされる症状はまったく異なるものだった。


 市を封鎖したにも関わらず、続々と神奈川県内で感染が報告される中、畑中のチームは「暴走症」を次のように定義した。


 暴走症は、体液感染する新種のウィルスが原因で引き起こされる、発熱、おう吐、幻覚などの諸症状を経て、最終的に同種を標的にした抗いがたい殺害衝動を起こす。暴走後およそ十分~十五分で、患者の神経細胞は過剰な興奮によって焼き切れたように熱変性を起こし、死亡する。


 感染症研究センターには毎日のように検体が届いた。中には感染直後に別の「暴走」した患者に殺害されたものもあった。おかげで畑中たちは、ウィルスが人体に侵入後、どのような動態を示すのかをある程度把握できた。


 ウィルスは侵入直後から、宿主の体細胞内で増殖を開始する。創面の破断した血管から血流に入り、そこから少し移動した健康な細胞に寄生し、個体数を確保できるまではけして血中に戻らない。血液や受傷部分をいくら調べても正体を突き止めることができなかったのはそのためだった。


 個体数が一定数――といってもわずか一万個ほど――に達すると、彼らは血流からリンパ管に入ってある一点を目指す。それが脳だ。リンパ管に直接侵入することで全身的に激しい炎症反応を起こし、血液脳関門の機構を破たんさせてしまうのだ。


 容易く脳に侵入を果たしてさらに増殖したあと、どうやって殺害衝動を起こさせるのかを解明する前に、世界を震撼させる事態が起きてしまう。


 この時すでに日本全国でウィルスの感染が報告されていた。当然空港、港は閉鎖されていたのだが、ウィルスの運び屋は別にいたのだ。


 コナガ Plutella xylostella は、幼虫がアブラナ科の野菜の葉をエサにするガで、非常に増殖力が高いことで有名な害虫だ。日本ではキャベツの葉を緑色の幼虫が食している姿をよく見かけるが、新種のウィルスはこれの体内で増殖して家畜動物の飼料となる野菜に付着する他、成虫になると三千キロ以上移動して、子孫を残す。幼虫を捕食した鳥の体内でもウィルスは増殖するため、あっという間に日本国内に広がり、それはいつの間にかユーラシア大陸に拡散し、気がついた時には北米、ヨーロッパ、南米にも感染者が出ていた。


 こうなるともう、暴走症の拡大を止めることは不可能だった。いくつもの町が殺し合う患者たちと逃げまどう健常者たちの阿鼻叫喚に沈み、権力者や指導者の一部はシェルターでの生活を余儀なくされた。

幸い、寒冷地ではウィルスの活動性が低くなるため人類滅亡とまではいかなかったが、神奈川県大和市に端を発した暴走症の猛威によって、陸生恒温動物の五割が、人類に至っては七割強が死んだ。


 生き残った人類は、寒冷地に新たな居住区を建造し「ユートピア」と名付けた。無菌精製水に栄養分を加えたものと、LEDライトの灯りの下で栽培された野菜、大豆由来のパティやおからのパンが主食の理想郷で、発電システムの故障に怯えながら暮らしていた彼らに、あるとき救いの御手が遣わされた。


 それは遠い宇宙からやってきた異星人で、自分たちは「転生屋」だと名乗った。


 彼らは高度に発達した脳を持ちながら、自然の脅威に打ち勝つことができずに滅びようとしている星の生命体を救うことを目的に活動しているらしかった。


 彼らは言った。この星を捨てて、新たな世界で暮らしませんか、と。


 行先は自由に選べた。


 地球人など及びもつかない超高度な文明が発達した世界、文明は後退するが、人智を越えた不思議な力が存在する幻想的な世界、陸がほとんどなく、海の底で暮らす人魚が万物の霊長となった世界など、それはもう映画か小説のような夢の世界へ旅立つ――


 分厚いコンクリートで造られたドーム状の施設で暮らすことを余儀なくされていた人類は、諸手を挙げて歓迎した。拒む理由も力もなかった。







「キモカワさ~ん、お届け物ですよぉ」


 樹茂河玲(キモカワ レイ)は、間延びした配達員の声で起こされた。


 うつ伏せになったまま顔を上げると、灰色のカーテンの隙間から日の光――に似せた電燈の灯りが差し込んでいた。


 夜の筋トレをしていたら、急に胸が締め付けられるような痛みに襲われて、そのまま気を失ってしまったらしい。本当に死ぬほどの痛みだったが、どうやら死んではいないようだ。


「キモカワさ~ん?」


 声を出すことすら昨夜の痛みを誘発するのでは、と思われた。玲は「はい……今出ます」と、小さな声で応じてゆっくりと立ち上がった。大量に汗をかいたらしく、ヨガマットにはくっきりと玲の人型が残っていた。まるで、そこで人が死んで腐乱し、浸み込んだかのような跡だった。


 ドアの向こうに立つ配達員に聞こえたかどうかわからないが、すくなくともすりガラスの向こうには人影が残っている。


「お待たせしてすみません……」

「いいえぇ」


 ドアチェーンはかけたままでドアを開くと、赤い帽子に赤いベストの配達員が隙間から顔をのぞかせたが、赤帽子を深く被っているのと疑似太陽の光を背負っているため表情はよくわからなかった。ただ「こちらにサインをぉ」と言う男性の声には、険はないようだった。


「どうも~」


 受取証にサインして郵便物を受け取ると、配達員はさっさと腕を引っ込めて去って行った。玲は玲で、その背中を見送るようなことはせず、すぐにドアを閉めた。


 受け取った封筒の宛名や送り主すらも確認せず、居間へ戻った。


 少々汚れてしまったヨガマットを丸めて、空のダストボックスへ押し込んだ。


 ガスは解約済みのため、水しか出ないシャワーを浴びて身を清めた。1DKの部屋をくまなく見て回り、髪の毛の一本も残さず掃除をした。


 最後に鏡の前に立ち、しげしげと自分の顔や身体を観察する玲。


 今では数少ない日本人の血を引く自分の顔。


 艶やかな黒髪と、ほんの少しだけ青みがかった、黒より深い藍色に近い瞳。男性にしては大きな目と長い睫毛、力強い印象の眉の間から下方に向かって伸びる、男性らしい大きめの鼻。唇は健康的な桃色で、少し小さいが、ニッ、と笑うと意外と大きい歯が並んでいた。


 他にやることもないので鍛えた体には、無駄な体脂肪は付いていない。だからと言って、水に沈んでしまうような硬質の筋肉ではなく、しなやかなそれは野生の豹をイメージさせる。


「これで、見納め……だな」


 独語すると、鏡の前で合掌し、玲は居間へ向かった。


 足が折れるタイプのちゃぶ台を出して、その前に正座し、封筒の中身を取り出してそこへ広げた。


 玲の左手にはカッターナイフが握られている。


「いよいよ、か」


 赤帽子に赤ベスト。彼が運んできた郵便物は「転生許可証」だった。


 宇宙からやって来た自称絶滅霊長類救済組織「転生屋」が発行している、「死後の世界」への片道切符。


 謎のウィルス感染症によって、緩やかに滅んでいく地球での生活から人類を救い、異世界へ移住させてくれるという彼らが求めた代償は「現世の命」だった。


 地球人類よりはるかに進んだ文明を築いた彼らは、別次元に様々な異世界を生み出していて、そこに地球人類の様な滅びかけの霊長類の魂を転生させて救済しているそうだ。


 転生屋が言うには、命と魂は別のエネルギーを有しており、地球人類が死の瞬間に発散するエネルギーは、一人あたり平均で――彼らが使う単位で言うと――七億ライフ。これは、上手く精製すれば恒星一つくらい生み出せる量だとか。


 実は転生屋たちははるか昔から地球に飛来しており、これまでも実験的に地球人を転生させてきたそうだ。保有していたライフによって転生先発揮できる能力が決まるらしく、彼らは皆異世界で人外の力を得て第二の生を謳歌してきたらしい。


 ひょっとして、大量に人類を狩るためにウィルスを発生させたんじゃあないのか、などと詰め寄ったところで後の祭りだ。


 黄昏の星で絶望しきって暮らしていた玲たちには、彼らの誘いを突っぱねる力は残されていなかった。人類最後の砦ユートピアに横付けした玉ネギ型の宇宙船内には「転生受付窓口」が用意され、今日も地球人類が長蛇の列を作っている。


 玲も三日前になってようやく受付を済ませ、膨大なライフと引き換えに、夢のファンタジー生活へと続く片道切符を手に入れたのだった。


 あとは、右手の親指をカッターナイフでほんの少し傷つけ、転生許可証の指定の場所に血判をおすだけだ。


 そうすると許可証に仕込まれた毒が傷口から入り込み、玲の命は瞬間的に奪われる。


 次に目覚めるときは、理想的な姿で異世界に立っている――はずだった。







「どういうことなんだ!? 説明してくれ!!」


 玲は遺体とライフを回収しにやって来た転生屋の職員に詰め寄った。赤ベストの胸倉を掴もうとした手が職員の胸に肘までめり込んだ、と思ったらそのまま通り抜けて、背中から玲の手が飛び出した。


「おぅわわわぁああ!?」


 自ら引き起こした事象に慄き、叫び声を上げた玲を冷やかに見下ろし、職員が斜め掛けの鞄から金属探知機のような器具を取り出した。


「今、スキャンいたします……ああ、死因は狭心症の発作のようですね。要するにお客様は――」


 カッターナイフで指を切ったショックで心停止を起こしたんです。器具をしまいながら、プッ、と吹き出す職員。


 玲はその顔と床で冷たくなっている自分とを交互に見て、床にいる方の玲よりさらに顔を青ざめさせた。


「そ、それじゃ……俺の転生は?」

「失敗、でございますね」

「そ……んな」


 床に崩れ落ちて、そのまま床下に沈み込んでいく玲。


「泣かないでくださいませ」


 その様子を憐れに思ったのか。異星人は玲の肩に手を置こうとしてすり抜ける感触を楽しみながら言葉を続ける。


「これで少なくとも、死の恐怖からは解放されたわけですし」

「なんの慰めにもなってねえ!」


 ガバッ! と顔を上げた玲。半透明の目から半透明の涙が溢れ、頬を伝って顎から滴り落ちる直前で虚空に消えていった。それは、彼がこの世界にいささかの影響も及ぼせない存在――霊となったことを象徴しているようだった。


「そのように言われましても……ねえ?」


 私の責任じゃありませんし。これ以上ないくらい哀れっぽい玲の視線から目を逸らし、職員は乱されてもいない赤ベストの襟を正した。


「ともかく、当方といたしましてはご遺体の回収を――」

「待て! 俺の身体に触るなぁ!」

「…………」


 なんだよもー、と目を細める職員の顔面を玲の拳が通過していく。


「お客様……残念ですが、契約ですから」


 職員は冷徹に告げて屈み、床に横たわる玲の足をむんず、と掴んだ。


「待ってくれえ! 頼むからなんとかしてくれえ」

「もう! いい加減にしてくだ――あっ」


 勢いよく立ち上がった拍子に、職員の膝がちゃぶ台にぶつかった。そのショックで、転生許可証がゆかに滑り落ちた。


「おっと、許可証が……ん?」

「ううう……」


 霊らしく、恨みがましいうなり声を発し始めた玲を無視して、職員は床に落ちた許可証を拾って険しい表情を見せた。


「これは……そうか、う~ん。どうしよ」

「なんだよう……なんか問題(トラブル)か?」

「ええ……大問題です」


 眉間に手を当てて、職員は書類を持ったまま室内をうろつき始めた。


「こういうときはどうするんだっけ……?」「まてまて、前例がそもそも……」


 などと、独語しているような、内なる誰かと話をしているようなそぶりを見せる職員を、令の霊は訝しげに見つめていた。


「仕方ない。とにかく一度、来てもらいましょうか」


 なにかがまとまったらしい異星人が、玲に向かって手招きした。


「来てもらうって、どこへ?」


 宇宙人しかすがるもののない玲は、職員の手招きに従って空中を滑るように移動した。


「お客様が血判をきちんと押せていないので、予定していたライフをほとんど回収できていないんですよ。ご遺体に残っている分があれば、どうにか転生は成るかもしれませんからね。精密検査をしますので、一度私どもの宇宙船までお越しください」

「え? ライフ、残ってんの?」


 でもって、転生できるの!?

 にわかに表情を晴れさせた玲の霊だったが、職員の表情は逆に曇っていた。


「もともとかなりのライフをお持ちでしたから、残ゼロということはないでしょうね。ですが、その……」

「なんだよ、もったい付けずに言ってくれ!」


 あわや地球に浮遊霊として取り残されるところに降ってわいた希望にすがりたい玲は、実際に職員の腕にすがろうとしてまたしても空振りしていた。


「お客様のお望みだった、チーレム転生はご無理かと……」

「マジ……?」

「ともかく、まずは検査をしてみませんと」

「…………」


 職員は玄関前に待機させていた自走棺桶に、手早く玲の遺体を詰めて、アパートのドアを施錠した。

 玲の霊は、時速十五キロで移動する棺桶の後ろを自転車で追う職員の背後を漂いながら、宇宙船を目指した。




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