スターグラス
「まあ、君が方向音痴だってことは知ってるからいいんだけどね」
寒いだろうから待ち合わせはいつもの駅の三軒右隣にある喫茶店の中でという約束をしたのに、彼女は時間になっても来なかった。まさかと思って駅のすぐ左隣のコンビニに行くと、店内で立ち読みをしていた彼女がやはりいた。しかも、「征四郎おそ~い」とか。待ち合わせ場所ここでしょと言わんばかりだ。
「多分、『三軒右隣にある喫茶店』の内、『右隣』さえ覚えておけば『喫茶店』は思いだせるし、『三軒』を忘れてても他に喫茶店は無いから問題無いとか思った結果だろうねぇ」
本日のデート先のプラネタリウムに移動しながら嫌味をちくり。
彼女、物覚えは悪くない。それなのになぜか方向に関してはからきし駄目。記憶力もその方面だけは役に立たないようで、それはそれで興味深い。
「もー、征四郎小難しいことばっかり。せっかくのデートなんだから研究とか発明とかはいいじゃない」
「研究でも発明でもないぞ。いま言ったことは」
「小難しいってこと」
ぷんすか口を尖らせる。
「じゃあ。右手上げてみ」
飛びっきり簡単な話をした。ちらちらと私を見ていた彼女は、「ほい」とすぐに挙手。もっとも、挙がったのは左手だったが。唯一頭に残った待ち合わせ場所の『右隣』も、この調子なら役には立つまい。いくら方向音痴に地図を持たせても意味をなさない道理だ。
「あ、ごめん。いまのナシ。はい」
右手を挙げなおす彼女。こちらとしては、余りの調子の良さに返す言葉も無い。
「……あたしはねぇ、一つのことに集中するタイプなのよ。今だって、征四郎のこと考えてたから右も左も分からなくなったんだからね。さっきの待ち合わせだって、征四郎との久々のデートのことで頭が一杯だったから、ちょっと間違えただけじゃない」
彼女は、私が押し黙って冷たい視線を送っていたのが気に入らなかったらしい。真っ赤になって主張する。が、今の失敗や待ち合わせ場所の失態を私のせいにされてはたまらない。「私のこと?」と問い返した。
「うん。いつもそっけない服装なのに、きょうはおめかししてくれててうれしいなって。でも、ちょっと目が赤いし顔全体に疲れが張り付いてるみたいだし……。仕事、大変なのかなー、とか。デートに連れ出して悪かったかなぁ、とか」
上目使いで様子を伺ってくる。なるほど、それでこっちをちらちら見てたのか。私のことを思ってくれるのはうれしいし、相変わらずカワイイ所があるが、それで注意力が低下して右も左も分からなくなるのも困りものだ。取りあえず、何か考えてやらないと。
ひとまずこの場は、「いや。君と会えるんだから、悪いもんか」とこたえておいた。彼女はうれしそうに私の右腕にしがみついてきた。寒風すさぶ往来の中、とても、温かかった。
プラネタリウムは、彼女のお気に入り。
普段は彼女が私の顔を見ているのだが、プラネタリウムにいるときだけは立場が逆になる。
オリオンの三連星に御者のペンタゴン、雄牛の巨大な相角。
天井では今まさに夜空のロマンがきらびやかに投影されている。
彼女の星星を見上げる表情は真剣でまっすぐで、星明かりの下、輝いていた。
私といえば星も眺めずに、星ばかりを眺めている彼女を見つめている。そうしていると、不意に彼女が私のそばにいないような不安に駆られた。ここに来るまでの彼女のぬくもりは、すでに私の右腕には無い。少々照れ臭かったが右隣に座る彼女と手をつなごうと思った。
「右手を貸して」
左の耳元でささやいて、後悔した。左手を右手と言い間違えたのだ。
「はい」
星空に見とれたまま、彼女が間違えることなく右手を出した。言いなおそうか迷ったが、この方が自然に近寄れるのでそのまま彼女の右手を両手で包み、温めた。彼女は星を見上げたままの姿勢で、少し微笑んだ。私も少し微笑んで応えた時、方向音痴解消のアイデアが浮かんだが今はこのひとときを素直に楽しむことにした。
「スターグラス?」
あれからまたしばらくたってデートをしたとき、またも待ち合わせ場所を間違えた彼女にプレゼントを渡した。プラネタリウムで思いついた、方向音痴解消グッズだ。
「ただのサングラスじゃない」
私の発明に対し、彼女は予想通りの突っ込みを入れる。まあ掛けてみなよと勧めたところ、「わあっ」と喜色が広がった。
「すごい。昼間なのに星が見える。それも満天の星」
スターグラスを掛けたまま、ぐるりと空を見まわす。視界には、サングラスを掛けた時のように薄暗くなった世界に、空の青さに反応した部分のみ、季節と時間に応じた場所に星が光っているはずだ。
「ところで、北に向かって東は右と左どっち?」
「右に決まってるじゃない」
うっとりと星を見上げながら、さらりと正解を言ってみせた。予想通りだ。大好きな星が絡むと記憶や方角の感覚も鈍らないらしい。もともと星座とかに関する方向感覚はばっちりなのだから。これで、方向音痴も少し改善されるだろう。
「じゃ、きょうのデートコースに向かうぞ」
「うん!」
彼女が元気よくうなずいた瞬間、後悔した。
視線はスターグラスで見えないが、明らかに私のことを見てくれてないのだ。
その日のデートのあいだ中、やはり彼女はうわの空。スターグラス完成のために徹夜して真っ赤になった目も、心配してもらえることは無かった。
おしまい
ふらっと、瀬川です。
かなり昔に発表したことのある旧作品です。
方向音痴な人の言い訳を聞いてください、聞いてください。