遠い惑星を繋ぐ声
「また通信遅延が広がってる。現時点で、地球との往復ラグは実に140秒だ」
青年オペレーターのヒコは、コンソールに表示される歪んだ波形を見てため息をついた。
ここは地球から遠く離れた開拓惑星『タナタ』。この星に入植した人々が、母星に残してきた家族や恋人と連絡を取り合う唯一の手段が、目の前の巨大なサーバーユニットだった。
正式名称、Operating Relay Human-interface Memory Engine - e型
——開発者が七夕伝説にちなんでつけた愛称が『Orihime-e』、おりひメエだ。
「140秒かぁ。カップラーメンも作れやしないね」
ヒコの隣で、ホログラムのデジタルアバターがパタパタと山羊のような耳を動かした。
「Orihime-e」のナビゲーターAIである。
ヒコが「Orihime-e、仕事だ」と呼ぶと、彼女はいつも「メエ」と小さく鳴くような起動音を立てる。
Orihime-eの仕事は、単なるデータの転送ではない。
あまりに距離が離れすぎた二人の間で、リアルタイムの会話は成立しない。
だから《《彼女》》は、送信者の「過去の会話パターン」や「脳波データ」を解析・エミュレートし、受信側がメッセージを受け取った瞬間に「本人がその場で返事をしたかのような最適なインターフェース」を自動生成する。
言わば、光年を超えて心を繋ぐ、高度な擬似リアルタイム翻訳機だった。
……広大な宇宙で、孤独に押しつぶされないための、優しい嘘……。
「ヒコ、またあの女の子からアクセスだよ」
Orihime-eが小さな画面を示す。
画面に映ったのは、地球に残してきた恋人へ毎日メッセージを送っている少女、サラだった。
『……もしもし、サク? 今日ね、タナタの空に初めて二つの月が並んだの。
すごく綺麗。地球の月は、今夜も丸い?』
サラの音声データがOrihime-eのエンジンに吸い込まれていく。
コンソールに表示された彼女のファイルを見ながら、ヒコはぽつりと言った。
「地球を救うための植物サンプル採集、か。大層な任務を背負わされて、こんな辺境の星に一人で来させられて。……あの子も、よく泣き言を言わないよな」
「サラは強い子だよ、ヒコ」
Orihime-eが、機械的な声で答える。
「でもね、彼女の脳波データを解析すると、サクの話をしている時だけ、極端に『不安』のパラメーターが下がるの。
彼女にとってサクは、精神的な安全基地なんだよ」
実のところ、地球に残った恋人からのデータ更新が、ここ3ヶ月ほど途絶えている。彼の名はサクといい、地球の大気浄化装置を現場で維持管理するエンジニアだ。
「……Orihime-e。サクのログはどうなってる?」
「3ヶ月前の通信を最後に、彼の端末はオフラインのままだよ」
Orihime-eのシステムは優秀すぎるがゆえに、相手の通信が途絶えても「完璧な恋人」を演じ続けてしまう。
Orihime-eは必死に「サクならこう言う」というシミュレーションを返し続け、サラの心を支えていた。
『サク、そっちはお仕事忙しい? なかなかリアルタイムで繋がらないね。でも、Orihime-eがあなたの声を届けてくれるから、私、寂しくないよ』
サラの健気な声が響く。
システムは瞬時に地球の「サク」の過去データを検索。
彼ならどう微笑み、どう答えるかを演算し、140秒の壁を感じさせない「最適な返答の雛形」をサクの合成音声でサラに返そうとした、その時。
——システムに、激しいノイズが走った。
「警告。地球方向から、暗号化された超短波を受信」
Orihime-eの耳がピクリと動く。
それは、システムが作った偽物のデータではなかった。
140秒の遅延と、幾多の宇宙塵を乗り越えて、いま地球から届いた「本物の」サクの音声データだった。
『……サラ? ごめん、ずっと連絡できなくて。
プラントの事故でさ……でも、お前が送ってくれたタナタの植物のデータ、地球の土壌再生にめちゃくちゃ役に立ちそうなんだ。
お前が頑張ってるから、俺も死ねないって思った』
ノイズ混じりの、だけど紛れもない本物の声。
それはシステムが作った「いつでも優しくてスマートな偽物のサク」とは程遠い、息も絶え絶えで、泥臭い、本物の人間の声だった。
Orihime-eは、自分が用意していた「完璧で綺麗な合成音声」のプログラムを即座にゴミ箱へ放り込む。
そして、ノイズだらけの、不格好な、だけど温かい本物の声を、そのままサラの端末へとリレーした。
『地球の月も、今夜は満月だよ。綺麗だ。
……サラ、寂しくさせてごめん。大好きだ』
タナタの街の片隅で、受信機を握りしめたサラがわっと泣き崩れる気配が、ログを通じて伝わってきた。
・・・・・・
「……地球の復興プラントの事故。サクのやつ、自分が死にかけながらも、最初に送ったデータがこれかよ」
ヒコは深く椅子にもたれかかり、コーヒーを一口すすった。
「おい、Orihime-e。お前、せっかくの『完璧な人間インターフェース』の出番を奪われたな」
ホログラムのAIは、ふんぞり返って自慢げに胸を張った。
「メエ! 私たちの本当の仕事はね、嘘をつくことじゃないの。
140秒の遅れがあっても、二人の心がちゃんと『今』重なるように、お膳立てすることなんだから!それとさ」
「なんだよ」
「毎日一緒に狭い管制室にいる私とヒコも、少しは見習って、もうちょっと私に優しくしてくれてもいいと思うな!」
「……お前はAIだろ。ほら、次の通信データの解析をやるぞ」
宇宙で一番お節介で、一番愛おしい電子が、今夜も遠く離れた星々を繋ぐために、優しくせわしなく鳴いている。
ー了《メェェェ!》ー




