表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
芳しき毒を、あなたに。 ―図書室の地味な化学オタク、放課後は王子の「毒見役」を務める―  作者: 楠木 悠衣


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/1

第1話:その甘い蜜には棘がある

教室の隅。午後三時の斜光。

 私は、自分が「背景」であることに、それなりのプライドを持っている。

 

 女子高生という生き物は、恐ろしく耳が良い。誰が誰と付き合った、あのバッグは偽物だ、昨日の投稿の「いいね」が少ない。そんな、空気中に漂う微細な粒子のような情報を、彼女たちは肺いっぱいに吸い込んで、一喜一憂している。

 

 私、白石紬にとっては、そんな情報よりも、もっと解像度の高い「匂い」が重要だ。

 たとえば、隣の席の里奈さんがつけている香水。

 トップノートは爽やかなシトラス。でも、その奥に潜む微かな苦味は、ベルガモットの精油に含まれるフロクマリンの香り。光毒性があるから、あんなに手首に塗りたくって直射日光を浴びれば、肌が荒れちゃうのに。……なんて、余計なお世話は口が裂けても言わないけれど。


「紬ちゃん、またそんな小難しい本読んでるの? 暗いよー?」


クラスの華やかなグループが、私を通り過ぎる。

 私は「あはは、そうだよね」と、練習済みの、主張しすぎない「背景用スマイル」を返す。これでいい。私は、平穏な観察者でありたいのだ。


放課後。私はいつものように、学園の裏手にある旧温室へ向かった。

 そこは、誰も寄り付かない私の聖域。そこには、私が隠れて育てている「可愛い子たち」がいる。


「よしよし、今日も良い色。トリカブトの根っこ、だいぶ太くなってきたわね……」


土をいじっている時だけが、私の心が呼吸できる時間。

 美しいものには、必ず裏がある。綺麗な花には毒がある。その明快なルールが、複雑すぎる人間関係よりもずっと信頼できる。


その時だった。

 温室の影から、ひどく乱れた足音が聞こえてきた。


「はぁっ、……くそ、あの女……ッ」


現れたのは、この学園で知らない者はいない存在、九条蓮だった。

 完璧なまでの顔立ち。冷徹なまでのカリスマ性。彼が歩くだけで道が開くと言われる、文字通りの「王子」。

 けれど今の彼は、端正な顔を苦痛に歪め、喉元をかきむしっている。


私は反射的に立ち上がった。

 彼の制服の襟元から、微かに漂ってくる匂い。

 甘い。けれど、脳の芯を痺れさせるような、ねっとりとした芳香。


「……アコニチンじゃない。もっと、こう……金属的な」


私は無意識に、彼の腕を掴んでいた。

 

「え……?」


九条蓮が、驚いたように私を見る。その瞳は、毒の影響で瞳孔が不自然に開いていた。

 私は彼の手に握られている、飲みかけの紅茶のペットボトルを奪い取る。


「触るな……、君、誰だ……」

「黙っててください。死にたくないなら」


私はカバンから、いつも持ち歩いている小さな遮光瓶を取り出した。中身は、自家製の活性炭と、いくつかの生薬をブレンドした緊急用の吸着剤。


「それ、飲んで。……というか、吐き出した方が早いかな。失礼します」


私は彼を温室の水道まで引きずっていき、指を口に突っ込もうとした。

 王子様相手に何をしているんだ、という自意識が、一瞬だけ脳内で警鐘を鳴らす。でも、それ以上に私の「オタクの血」が騒いでいた。

 

 この匂い、この症状。

 間違いない。これは、ソラニン系のアルカロイドを濃縮し、さらに人工的な神経毒を混ぜたもの。


「ほら、吐いて!」

「……っ、げほっ、ごほっ……!」


しばらくして、彼は水道に突っ伏したまま、荒い息をついていた。

 最悪の事態は免れたようだ。私は、奪い取ったペットボトルを慎重に透かして見る。


「……面白い。ただの嫌がらせじゃないわね。心拍数を意図的に上げて、パニックを誘発させる配合。犯人は、あなたが公共の場で醜態をさらすところを見たかったのかしら」


私が分析に没頭していると、頭上から低い声が降ってきた。


「……君」


見上げると、顔色の戻った九条蓮が、鋭い眼差しで私を射抜いていた。

 あ、やばい。

 私、今、めちゃくちゃ喋った。背景のくせに。


「名前は」

「……白石、紬です。ただの、通りすがりの背景です」

「背景が、毒の種類を言い当てるのか」


彼はゆっくりと立ち上がり、私との距離を詰める。

 高い身長。制服越しに伝わる体温。そして、彼自身の体臭と混ざり合う、微かな毒の残り香。

 

「君、俺が何を飲まされたか、わかっているんだろう」

「……まあ、なんとなく。趣味なので」

「趣味、か。変わってるな」


彼はふっと、残酷なまでに美しい笑みを浮かべた。

 その指先が、私の頬に触れる。土で汚れた、私の冴えない頬に。


「決めた。白石紬。君を、俺の専属にする」

「はい? あの、何の話……」

「毒見役だよ。これから俺が口にするもの、触れるもの、全てを君が検閲しろ」


王子の命令は、絶対。

 私の静かな「背景」としての日常が、ガラガラと音を立てて崩れていくのが分かった。

 

 でも。

 彼の指先に残る毒の成分をどうやって分解しようか、頭のどこかで計算している自分がいる。

 ああ、これだから「オタク」って嫌だ。

 

 私は、諦めたようにため息をついた。


「……毒見の報酬は、高いですよ。九条先輩」


こうして、私の放課後は、甘くて危険な「毒」に彩られることになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ