7.過去も呪いももう要りません
小嶋俊樹さんは、写真で見る限りごく普通の男性でした。ごく普通の39歳。それ以上の言葉が浮かばない男性です。
しかし、会社の玄関から出てきた彼はどう見ても様子のおかしな人でした。
あ、こんにちは。初めての浮気調査にやる気満々の田中桃華です。普通の尾行のつもりで来ていたのですが……
「あの、小嶋俊樹さん……」
「名前を出すな。調査対象、マルタイとかで」
刑事さんみたいでカッコいいですね。いやいやそんなこと言ってる場合じゃありません。所長には見えてないのかな。
「マルタイさん、猫のようなものが3匹乗っかっていますが」
「へっ?」
やっぱり、所長にも見えていないようです。
「夕方とはいえまだ明るいからか。俺には見えない」
「黒が1匹、キジトラっていうんですかね、それが2匹、頭や肩に乗ったり足にまとわりついています。もちろんいい子じゃないです」
その割には小嶋さんの表情は明るく、ウキウキしているようにすら見えます。あんなに爪を立てられたり足を踏まれたりしてるのに。たまによろけたりしていますが、それ以上に喜びを感じているということでしょうか。
そして、彼は小洒落た居酒屋、バルとか言うんでしょう、私が一度も入ったことのないようなお店に入って行きました。
所長に促されるように、私たちもお店に入りました。
背の高いテーブルがいくつかと、カウンターのみの小さいけれどお洒落なお店でした。小嶋さんは1番奥のテーブル席に向かい、やはりやたらと高い椅子に腰をかけました。
私たちはカウンターに並んで座り、飲み物を頼むことにしました。
「桃華は何飲む?」
カップル設定ですから、そんな感じになったのでしょう。ここで「田中」はバーテンダーの方にも変な印象を与えてしまいます。
私は冷静です。親戚以外の男の人に名前を呼ばれるなんて、それも穏やかに。冷静、冷静……
「ひゃいっ、今日は軽いのにしておこうかな」
ちゃんとできました。最初以外は。
「じゃあ、今日はノンアルにしておこうか」
完全に笑いを堪えて咳で誤魔化そうとしている所長が、適当に注文してくれました。
本当はね、飲めるんですよ私。馬鹿みたいに酒を飲む両親の遺伝子を受け継ぎ、会社の飲み会で嫌がらせのようにどんどん飲まされましたが、全然平気でした。
嫌な思い出しかないので、プライベートではまったく飲みませんでしたし、聖女時代も教会にいましたから飲酒することはありませんでした。今日はお仕事ですのでやめておきますが、今度何か飲んでみようかな。
そんな風に思える日が来るなんて、人生わからないものですね。
ピンクのグラデーションのとても可愛いノンアルコールカクテルが、私の前に置かれました。所長はビールです。アルコールが入っているものかどうかはわかりませんでした。
そして乾杯をしました。手が震えました。こんなに可愛らしい飲み物で、デートで乾杯なんて初めてのことでしたから。
せっかくだから、飲む前にスマホで写真を撮ろうとバッグを漁っている時に、入り口からカランコロンという音が聞こえました。どうやら小嶋俊樹さんの待ち合わせのお相手がいらっしゃったようです。
「ちょうどいい、スマホ貸せ」
と私に耳打ちし、カクテルを持たせて写真を数枚撮りました。私の後ろをちょうど彼女が通るタイミングで。
そして、2人が合流したころにポケットからおもむろにペンを取り出してカチカチしていました。あれもカメラなのかもしれません。私は背を向けていましたので、2人の様子はわかりませんでした。
所長はさりげなく私の肩を抱き、耳打ちしてきました。流石大人の男で彼女持ちです。きっと傍から見たらイチャイチャしてるように見えるのでしょう。しかし実際に囁かれていたのは、
「店の奥のトイレに行くふりして、相手の女にも何か憑いてないか見てきてくれ。目を合わせるなよ」
「はい、了解です!」
私は、バッグを持ってお店の奥、つまり彼らの席のすぐ横を通ってトイレに向かいました。
一瞬立ち止まりそうになるのを堪え、歩き続けました。彼女にも同じく3匹の猫が憑いていて、合計6匹でしっちゃかめっちゃかになっていました。本人たちはなんで平気なの?
しかし、通り過ぎる瞬間に女性の不機嫌そうな声が聞こえてきました。
「まだ奥さん生きてんの?」
「肩が痛いとかは言ってるけど、あんなの本当に効くのかなぁ。むしろこっちの方が調子悪い気がするよ」
そりゃそうでしょうねぇ。憑いてるもののレベルが違いますよ?
もっと聞きたい気持ちを抑えて、私は女性用トイレに入りました。
化粧直しなんかして軽く時間を潰していると、例の彼女が入ってきました。口紅を塗り直しながら、私を値踏みするように見てきます。上から下まで舐めるように。絶対悪女です。確定です。化け猫3匹連れてるし。
そしてその悪女は急に話しかけてきました。
「ねぇ、そのネックレス、エメラルド?素敵ね」
「ありがとうございます。あなたの指輪も綺麗ですね」
「ありがと。今はこんなに小さいけど、もうすぐ大きいのが手に入るのよ」
「いいですね!」
私はボロが出る前にトイレを出て戻ることにした。
席に戻ると小嶋さんが会計をしているところでした。そして、その直前に所長も済ませていたようで、そのまま肩を抱いて外に連れ出されました。心臓に悪いです!
そして、店の左側の横道に入って待機しました。所長が言うには、右側にホテル街があるからそちらへ向かうだろうとのことでした。
予想通り、2人はラブホテルのある方へ腕を組んで歩いて行きました。罪悪感なんてまるっきり無いようで堂々としたものです。
え?私だって、ラブホテルくらいは知っていますよ。ゲームや漫画によく出てくるし、会社の同僚に無理やり連れ込まれそうになったこともありましたから。猛ダッシュで逃げることができました。酔わない体質で本当に良かったと思いました。はっきり言っていらない思い出です。抹消抹消。
トイレでターゲット女性と会話をしたことを伝えたため、私はホテル街の手前で待機となりました。後は所長がホテルに入る2人を写真に収めてくるのでしょう。
しばらくすると、所長からメッセージが届きました。こちら側に来るようにと。初めて足を踏み入れた地域でしたが、思ったよりホテル以外のお店もあるようでした。案内所?外国の方を案内するのでしょうか。
所長と合流し、すぐ近くの喫茶店に入りました。窓際に座ると所長が言いました。
「この斜め前にあるホテルに入って行った。後は出てくるところをまた収めたら終わりだ」
「普通に不倫でしたね」
「だが、夜もふけて俺にもしっかり見えるようになった。なんなんだあの2人は」
「3匹ずつ憑いてますね。俊樹さ……マルタイは調子が悪いと言っていました」
「聖女としての考えは?」
「あの子たちは今のところ、あの2人以外には興味がないようです。あ、彼女さん奥様のことまだ生きてるのなんて言っていました」
「呪いに猫を使ったのか……そんな方法あったかな」
「6匹もですか!?例えばルビーのネックレスに死の呪いを込めたとしても割に合わないと思います。あの人たちかなり危ない状態だと思うんですけど……」
「不倫するような奴らだ。頭がお花畑なんだろ」
「あ、彼女可愛い指輪をしていたんですが、もうすぐ大きいのに変わるとか言ってました」
「なるほど」
その後、2人は2時間ぴったりで外に出てきました。ばっちり写真も撮って、所長はお相手の女性の身元を知るために尾行を続けるということで、そこで解散となりました。確かに素人で顔を合わせている私はいない方がいいでしょう。
私は事務所に帰って、化粧を落としながら、
「楽しかったな」
と思わず呟いていました。デートってこんな感じなのかなと思いました。
私は聖女教育では、ひたすら浄化や治癒といった清らかな魔法しか習いませんでした。そもそも、魔力を持っているのは聖女だけとのことだったので、呪いについては何も知りません。
何か役立つことはないかとスマホで調べてみましたが、怖い話がたくさん出てくるのですぐやめちゃいました。役立たずですみませんと思いつつ。
翌日はすることがなくて、私はまた自分がトラックに轢かれたところに行ってみました。今は昼間だし、昨日大丈夫だったのでもう一度見てみたいと思ったのです。
うっすらとですがキラキラしたものがずっと降り続いてるのが見えます。吉沢さんのおばあさまは、今の事務所付近でこれと同じ様な気配を感じて、そのうち消えたと言っていました。
このキラキラも何年か経ったら消えてしまうのでしょうか。私はずっとここに立っていたらまた向こうに戻れるのかななんて、考えてしまいました。私にとって幸せってどっちだったんでしょう。
しばらくそこでキラキラしながらぼーっと立っていたら、反対側の見ない様にしていた方向から誰かが近づいてくるのがわかりました。
両親なわけはないので、私は単に信号を渡ってきた人だと気にしないでいたのですが、
「田中?」
と顔を覗き込まれて、思わず後退りしそうになりました。
以前の会社の先輩の1人、淀川さんでした。私と同じく社畜で、上司に逆らえず、後輩には八つ当たりの、私のもう2度と会いたくない人ランキング20位には余裕で入る人です。私は知り合い自体が少ないので、かなり入る確率高いランキングなんですけどね。それでも上位!
「田中、お前何やってんの?お前が行方不明になってから会社大変だっんだぞ」
そうらしいですね。
「あ……色々ありまして」
「マジで部長あたりが埋めたんじゃないかと思ってたけど、生きてたんだ。田中今何やってんの」
ああ、嫌だ。あなたに田中って呼ばれるたびに私の中の自信や自己肯定感が削られていくんです。
「知り合いの会社で働かせてもらってます。ではこれで」
と、立ち去ろうとする私を、
「あ、ちょいちょい。お前さぁ、恨みを晴らしたいとか誰かを殺したいとかない?どうせいるだろ。知り合いにいい呪い師がいるんだけど」
「まじないし……それが淀川さんの今のお仕事ですか」
「紹介すると礼もらえるってだけだよ。お前のせいで会社潰れたんだからちょっと付き合えよ」
どうしよう。今すぐ走って逃げ出したいところですが、この淀川さんからうっすらとですが、嫌な気配がします。本当に呪いに関わっているんじゃないかと思いました。
「ちょうど待ち合わせをしてるんですが、その知り合いを連れて行ってもいいですか?その人いつも誰かを恨んでいるんです!」
先程、ぼーっと立ってたのが功を奏したのか、待ち合わせをしていたことをすんなり信じてもらえました。
私は吉沢さんにメッセージを送りました。
しかし返事は、
「今依頼人に報告中。終わり次第行くから、怪しまれない様に話を伸ばして待ってて」
「どこにいくかわかりません!」
「そのスマホGPSついてるから大丈夫」
結局待ち合わせの相手が遅れると言うのでとりあえず私だけ行きます、ということになりました。
淀川さんはお前がくるのは当たり前なんて顔してますけど、会社潰れたの私のせいじゃないですからね。自業自得なんですよ。おまけに呪いだなんて。もうランキングトップ10入り確定です。もう「さん」なんかつけませんから!
そして連れて行かれたのは、なんと、なんと、以前勤めていた会社が入っていたビルでした!窓の少ない陰気なビルの4階、まさに元勤務先です。
それを見た途端、血の気が引いていくのを感じました。どうしよう、吉沢さんを待ちたい。行きたくない。
そんな私を見て、やっと気付いたのか鈍感淀川は、
「大丈夫だよ。今は別の会社が入ってる」
と言い、私は押されるようにエレベーターに乗せられてしまいました。
果たして、本当に内装はガラリと変わっていました。無機質なオフィスからゴテゴテした下品な成金事務所へと。入り口に巨大な金色の招き猫がいます。
そして筆文字の馬鹿でかい表札『滝野川龍宝鑑定所』。
嫌な思い出しかないところへ入るのは嫌でしたが、あまりにも様変わりしているので、そのこと自体は逆に平気でした。それよりも以前よりも数百倍嫌な空気が満ちている方が気になります。あのトンネルでのウサギの大群のような気配が遠くから飛んでくるような感じ。機関銃式波動砲が必要なんじゃないかという気持ちになりました。
ペンダントにした石を握り締め、「先生」を待ちました。そして、現れた呪い師の滝野川龍宝先生を見た途端、私の足は出口に向かっていました。
「ちょいちょい!」
淀川に止められましたが、いや無理!その滝野川というおっさんは、私には全身血まみれに見えました。なんらかの生き物の血がこびりついているのです。本人はなんともないように鷹揚に馬鹿でかい椅子に座り始めました。なんで平気なの?と思いましたが、よく見ると足腰の動きが悪いようです。顔色も余り良くないような?
どうしましょう。浄化してあげたほうが良いのでしょうか。気持ち的には、このビルごと吹っ飛ばしたいところです。そんなことを考えていると、後ろの入り口に気配を感じました。
吉沢さんの気配じゃないとこはすぐにわかりましたから、お客さんかな、今のうちに1度外に出ようと振り向くと、目の前で白地に黒斑の猫が私にシャーって言ってきました。そこにいたのは小嶋さんの不倫相手でした。彼女の猫が他人に興味を持ち始めているようです。これはまずいような……
その愛人さんは、私のことなんか覚えてないのでしょう。私の横を素通りして、
「先生、話が違うじゃない!あの女が死ぬどころか、私とダーリン、どんどん体調悪くなってるんだけど!」
と他人がいるのにすごいこと言ってます。
「ちゃんとルビーに生き血をかけましたかな」
「ええもちろん、7日続けたのよ。気分が悪くなったわ」
あの奥様がプレゼントされたルビーに猫の血をかけたってことでしょうか。なんてことを、7匹分も……ん?
小嶋さんと愛人さんには猫は3匹ずつ憑いています。あと1匹はどこへ行ったのでしょう。
肩を突かれました。淀川が私に合図を送ってきています。たぶん「取り込み中だから1度外に出よう」でしょう。
私は頷き、エレベーターのあるところまで戻りました。そして、一気に吐き出すように言ってやりました。
「呪いって、動物を殺して何かに込めるやり方なんですか。効くんですかそれ。あの人たち呪われてますけど。なんなら淀川さんも影響受けてそうですけど」
以前の私しか知らない淀川からは想像もつかないことだったのでしょう。勢いに押されて、
「なんだお前、霊感とかあったのかよ」
なんて言ってきました。
「詳しく教えてください。そうしたら、あなたの体調、しばらくはよくなるようにしてあげます」
「田中のくせに舐めた口聞くんじゃねぇよ」
「では、私はこれで。お大事に」
「待って、待って!俺最近悪夢がすごいんだよ。これって呪い関係あるかな」
「とりあえず、あの場所と先生と、今の女性はヤバいです。下におりましょう」
そう言った途端、エレベーターが開いた。そして中から吉沢さんが出てきました。
「あぁ、よかった。GPSで何階かまでは分からなくて全部回るところだったよ」
私と淀川は、登って来たばかりの吉沢さんを再びエレベーターに押し込んで外に出たのでした。




