6.無敵状態で浮気調査です
就職の面接に向かわないといけないのに、事務所にやって来た依頼人がゾワゾワするネックレスをつけているので、気になって外出できずにいます。田中桃華です。
ジャケットを羽織っている時は気付かなかったのですが、脱いだらすごい方でした。私も吉沢さんも思わず、その奥様の胸元を凝視してしまいました。
その真っ赤な石には間違いなく良くないものが憑いています。直接何かの生き物がというわけではなく、遠くから発せられる悪い気配がまとわりついている、そんな感じでした。
「えっ?これですか。夫からの贈り物で、それも急にこんなものを。ますます怪しいと思ったんです」
どうやら今回のご依頼はご主人の浮気調査のようです。
私はキッチンスペースでお茶のお代わりを入れているふりをしながら、吉沢さんにメッセージを送りました。
『あのネックレス、ヤバいのが憑いていますがどうしますか?ドラゴン波やったらもしかしたら割れちゃう可能性有りです』
吉沢所長はスマートに「ちょっと失礼します」と言ってから、スマホを確認してメッセージを返して来ました。
『高そうなルビーだから壊しちゃダメ。ちょっと悪いんだけど、一緒に話を聞いていて』
……今回の会社には縁がなかったということになりました。しかし、魔物の気配を見てしまったからには、聖女として放っておくわけにはいきません。
私は面接予定の会社に一身上の都合で欠席させてもらう旨を下手に下手にお伝えすることになりました。病欠にして再面接をお願いする手も考えましたが、なんとなく、また同じ事を繰り返しそうな気がしたのです。謝るのには慣れています。さようなら優良企業。
私はお客様のお茶を新しいものにかえて、所長の隣に座りました。
「こちらは助手の田中桃華です」
と、フルネームで紹介されました。いっそ芸名でもつけた方がいいのかなと思いました。山田とか佐藤とか。
そうしたら、苗字呼び捨てでもなんともないかもしれません。あとで相談しよう。
依頼の内容はいたって普通でした。もちろん、浮気調査の依頼なんて受けるのも見るのもするのも経験がないのですから、私の想像した感じのものと一致した、ということです。
依頼者の小嶋美咲さんは39歳。同じ歳のご主人俊樹さんの行動調査をご希望です。ある時から急に週に2回残業をするようになり、香水をつけだしたり、今まで奥様任せだった下着を自分で買って来たりするようになったそうです。
初めは乗り気だった妊活にも消極的になってきたそうです。
完全に黒ですね。聖女の勘ですけど。
吉沢さんはメモを取ったり質問をしたり、予算の確認をしています。私は奥様のネックレスに夢中で、ところどころ聞き逃していました。
「……で、毎年誕生日には花とケーキだけだったのに、急にそのネックレスをプレゼントされたんですね?」
「ええ。10周年に何もできなかったからとか言って。毎日つけてねって言われています。つけないと機嫌が悪くなるんです」
「少し見せていただいてもよろしいですか」
「ええどうぞ」
奥様はネックレスを外し、吉沢さんに渡しました。
「GPSとか何か仕込まれていないか確認させていただきます」
そう言って、奥様から受け取ったネックレスを私に渡してきました。えっ?
とりあえず受け取り、よーく見てみましたが、嫌な魔力を感じるものの、それ以上は分かりません。
「コホン、君のネックレスと何か違いが見つからないかな」
なるほど、吉沢さんのやらせたかったことがやっとわかりました。
私は自分のネックレスと一緒に両手に挟み、念じました。ローデス様に、しばらくこの子を押さえ込んでくださいとお願いしました。石がポカっと温かくなり、願いは聞き遂げられたと思いました。
吉沢さんの方が使いこなしてるじゃんと少しやきもちを焼いてしまいました。石に。更に、とても熱くなるので餅も焼けるなとくだらない事を考えてしまいました。お許しくださいローデス様。
普通のルビーのネックレスのようですと、奥様にお返しすると、
「これをつけてからやたらと肩が凝ったり嫌な夢を見たりするのよね」
とおっしゃっていました。多分数日は大丈夫だと思いますよと、伝えたい気持ちを抑え、私は吉沢さんに頷いてみせました。
依頼者の小嶋さんがお帰りになった後、吉沢さんは私に謝ってくれました。
「就活だったんだろ?悪かったな。その代わり今回も最終的にはあっちがらみの依頼になりそうだから、ギャラは払える」
タダで住むところを与えてくれている上に、たまに仕事をさせてくれて高いお給料を払ってくれる吉沢さんに、謝られてしまいました。
「いえいえいえ!とんでもないことでございます!この田中桃華、なんでもやらせていただきます!」
テンパる私に、吉沢さんは笑いながら、
「もしもの時はうちに就職すればいい。普通の探偵業でも裏の家業でも」
と言ってくれました。
考えたこともありませんでした。とにかく普通の会社に入って働かなくては、と思い込んでいました。
ブラックではない会社で、普通に働いて、普通に友人を作って、いつかは恋をして……
そうならないといけない、そんな風に考えていたように思えます。それが私の本当にやりたいこと?なんだかわからなくなってきました。
ぼんやりとし始めた私を見て、吉沢さんは慌てて、
「いや、無理にとは言わないから。好きなように就職活動頑張れ」
と、言い、私はまた就活中に戻されてしまいました。
とりあえず今回の依頼に集中です。浮気調査なんて初めてです。吉沢さんが言うには、残業の曜日が決まっているから、かなり楽な調査とのことです。その2日で終わるかもしれないそうです。ネックレスのことはそれらが解決してから考えるそうです。あの血生臭いネックレス、早くなんとかしてあげたいものです。石が可哀想です。そして、浮気調査は明日からと言うことで今日は解散になりました。
あ、そうだ。私は事務所を出ようとする吉沢さんを慌てて呼び止めました。
「あっ、吉沢さん。いえ、所長!」
どう呼ぶのが正解なのかわからないので、仕事中は所長、プライベートでは吉沢さんかなと勝手に判断しました。
「ん?」
「金庫の中なんですが、上の段に入っているもの、あっ、見てませんから!そのままで大丈夫ですか?ファイリングとかなら私得意ですけど。前の会社で死ぬほどやらされましたから」
そして実際死にましたよ、と社畜ブラックジョークをかましてみましたが、吉沢さんはスルーでした。笑っては不謹慎だと思ったのか単に面白くなかったのかは不明です。コミュニケーションってやはり難しいですね。
吉沢さんは金庫の前まで来て、私に開けていいか聞いてから中を確認しました。
「あぁ、これか」
そういって、上の段の書類と写真立てを取り出しました。その時、バランスを崩して写真立てが音を立てて床に落ちてしまいました。絨毯があったので割れなくて良かったです。
また見てしまいました。よく似ている2人の美女。
ん?やはり見覚えがあります。左側の目の下に小さなホクロが2つある女性。
「お母様?」
勝手に口から出てしまった言葉に、私と吉沢さんは同時に驚いてしまいました。
「いや、これは、ばあちゃんとその妹さん」
「あっ、すみません。そうじゃなくて、こちらの左側の女性、夢で見たユキノ様のお母様にそっくりなんです」
「…………」
長い沈黙がありました。それは吉沢さんが私を見つめたまま黙っていたからです。
そして、何かを決意したように話し出しました。
「ばあちゃんの妹、秋乃さんは若い頃に行方不明になったんだ。昔だから神隠しなんて言われてた」
「……」
今度は私が黙る番でした。口に出していいのか悩みました。そして、思い切って言ってみました。
「もしかしておばあさまのお名前はナツノさんですか?」
吉沢さんが取り乱すのを見たのは初めてでした。元々出会ったばかりで一緒にいる時間も少なかったのですが、いつも余裕のあるところしか見ていなかったので。
吉沢さんは私の両肩を掴み、
「どうしてそれを!他に何を知っている!」
と詰め寄りました。
しかし、私が怯えているのに気付き、すぐに手を離し、
「すまない」
と言い、部屋を出て行こうとしました。
「待ってください。私なら大丈夫です。どうせ吉沢さんにしか話せないんです。聞いてもらえませんか」
私たちは、応接セットに向かい合って座り、写真を見ながら話し合いました。
私の見た夢、あくまでも夢。幼いユキノ様が左目の下に2つのほくろがあるお母様に「ナツノ」さんの武勇伝をおねだりしていたこと。
そして事実として、私の先代「聖女様」は日本人であること。向こうで騎士様と恋に落ちてユキノ様を産んで、ユキノ様が小さいうちに亡くなったこと。現世に帰って家族に会いたいと泣いていたらしいこと。そして、向こうでは時の流れの早さが違うこと。
吉沢さんは、自分の力はおばあさまの夏乃さん譲りで、一族にたまに霊力のある者が産まれると教えてくれました。この探偵事務所もすでに亡くなっている夏乃さんから譲られたそうです。
本家はある県の神社にあるそうです。普通の大学生だった吉沢さんはたまに夏乃さんの手伝いをしていたけれど、最終的には夏乃さんの希望で事務所を継ぐことになったそうです。
大学時代のご友人に警察関係者や弁護士、税理士などが揃っているので安心して事務所経営ができているとおっしゃっていました。
はっきりとは言わないけど、きっと高学歴に違いありません。生まれ持っての除霊エリート。たまたま私の除霊能力が強かっただけで、知識も覚悟もまったく吉沢さんの足元にも及びません。私は自分の進む道にすらまだ悩んでいるのです。
話を戻しますと、夏乃さんは、最期まで行方不明となった秋乃さんのことを気にかけていたそうで、仕事のついでにいろんな土地を訪れては何かヒントがないか探していたところ、この事務所の近くで今まで体験したことのないパワーのようなものを感じたそうです。
「それでここに事務所を?」
「そう。自分の力が強くなるのを感じられるって言ってた」
そして、金庫の中身はおばあさまが所長時代の物のようでした。いつまでも妹さんの写真を大切に金庫に入れていたなんて、泣けてしまいます。
「とりあえず、秋乃さんは向こうで幸せだったんだな?」
「はい。それは間違い無いです。でも多分ですけど、たまたまちょっとホームシックになっちゃったのを娘さんであるユキノ様が見て、強く帰りたがっていると思い込んでしまったのではないかと思います。まっすぐな方でしたから」
「それで、次の聖女は仕事が終わったら即帰そうとしたと」
「……はい。私も向こうで幸せを掴むつもりでした」
私の返事に、吉沢さんはいつものように大笑いした。私も笑った。本気で笑った。自分が笑えることに驚きながら笑いが止まらなかった。そして叫んだ。
「くそぉっ!田中桃華、絶対に幸せになってやります!」
「おー、頑張れ頑張れ」
棒読みの応援を受け、今日のところは改めて解散となりました。
翌日、私がまた聖女時代の黒スーツに着替えようとしていたところに、吉沢さんからメッセージが届きました。
「目立たない感じのデート服で」
どういうこと!?一瞬フリーズしかけましたが、すぐに尾行をするために必要なんだと気付きました。
こちらに引っ越してから、私服はいくつか買いましたが、デート服ってどんなんでしょう。
私は働いている時、紺かグレーのスーツしか着ていませんでした。周りの人も男女共にそんな感じで、会社帰りにデートなんて人もいるようには見えませんでしたから見当もつきません。
そんなのバレたら何言われるかわからない、そんな職場でした。そもそも、残業でそんな暇ないし、残業が終わって帰る頃にはデートをしている人たちももう帰ってるんじゃないかという感じでした。
過ぎ去ってみると不思議ですね。あの会社のみんな、何に人生を捧げていたのでしょう。もしかしたら私に似た生い立ちの人が多くてドMに仕上げられていたのかもしれませんね。上層部のクソジジイたち以外は幸せになってるといいなと思います。聖女として。
とりあえず、持っている服で1番可愛いと思う服を着てみました。白いニットとグレーのパンツです。髪は下ろしました。メイクもしました。これでなんとかご勘弁いただきたい。
緊張しながら集合場所に着いた私を見つけた吉沢さんは、特になんの反応も示しませんでした。少なくとも「すごくダメ」ってわけじゃないってことですよね。良くはなくても。
しかし、まだターゲットの小嶋俊樹さんの退社時間には少し早そうです。それに関して聞くと、吉沢さんは「その前に行きたいところがある」と言って歩き出しました。
私の元勤務先の最寄駅へ向かい、大きな交差点に着きました。私は自分の手足が震えだしたのを自覚しました。
ただでさえ、辛いことばかりだった会社の近く。もうその会社はないとはいえ、心が黒い沼に沈んでいく感覚。そこは私がトラックに轢かれて一度は死んだはずの場所でした。
「田中桃華、あんたはここにいなかったか?」
吉沢さんは交差点の歩道部分のある一角に私を連れて行きました。
「あ、そうです。会社から駅への道で1番信号が少なくて済むルートなんで」
「ここ、何か感じないか」
言われてみると、私が魔物を浄化した後のようなキラキラした空気の良さを感じました。
一度事故で死んで、転生し、また戻ってきた場所です。少しはメザール王国と繋がっているのでしょうか。不思議と嫌な気分になりません。私は落ち着きを取り戻しました。
「この空気感が、昔あの事務所の近くの交差点でも感じることができたんだ。今はもうわからなくなってしまったが」
「では、秋乃さんはその交差点で事故に遭い聖女として転生なさったのでしょうか」
「あんたの話と併せるとそうなるな。ただ、あそこで事故の記録はないんだ。もちろん田中桃華、あんたのここでの事故の記録もだ」
「はぁ、私はしっかり跳ね飛ばされた記憶がありますけどね」
記録と一緒に記憶も消していただきたいものです。結構トラウマものなんですよ。
「で、あそこどう思う?」
吉沢さんは、今いるところから横断歩道を渡った反対側の歩道を指差して言いました。あー、なるほど。
「あそこ、嫌な感じです。何かがいるわけではなく普通に事故があったのかなって感じの」
「あそこで、君の両親が事故にあって2人同時に亡くなったんだよ」
ほえー。内容もショッキングではありますが、急に「君」とか言って急に優しい言い方をしてくれた吉沢さんに感動しました。
そんな吉沢さんに、私はキッパリ言い放ちました。
「悪霊化していなくてホッとしました。ドラゴン波もムダ撃ちはしたくないんで」
冷たい娘でしょうか。お墓参りもしていませんし。
一人暮らしを始めてからも、お金を無心されたり、電話で長々暴言を吐かれたり、頼れそうな他の身内も祖父母もいなかったので逃げることもできずにいたあの頃。
今思えば、逃げるのを勝手に諦めていただけでした。
26歳、とっくに大人で自分でなんでも決められる年頃です。仕事のこともそう。これからは嫌なことは全部ドラゴン波で吹っ飛ばすことができるんです。
あれ?私26歳でいいのかな。向こうで2年くらい経ってましたが。思わず口に出してしまいました。
「私って老けていますか?」
「急に何?今、ご両親の話、してたよね」
「あ、すみません。私の中で色々ありまして」
「時間の流れがってやつ?とりあえず戸籍通りでいいんじゃないの。特に老けてるようには見えないけど」
「そうですよね。すみません。あと、決めました。私のこと田中でも桃華でもお好きに呼んでください。ここに連れてきてくださってありがとうございました。吹っ切れました!」
「あ、そう?ま、無理しないように」
今はとてもそんな気にはならないけど、いつかあの場所も浄化してやりましょう。もっともっと私が強くなったら墓参りに行ってドラゴン波で、墓石を少しだけ壊してやりましょう。少しだけね。それで全て終わりにしよう、私はそう思いました。
さぁ、小嶋俊樹の不倫を暴きに行きましょう!
私は無敵状態になっていました。




