第35話:水飴勇者《スライムブレイバー》
冒険者ギルドのサブロビー、通常「リガルミンの酒場」では、人相の悪い荒くれたちが連日のように昼間からだらしなく飲んだくれていた。
彼らが酒を飲む理由は様々だ。
クエストをこなせば祝杯と称し勝利の一杯を飲み交わす。失敗したりして仲間が死ねば、追悼と称し明日への一杯を飲み交わす。
まあ、ようするに、この場所では昼夜問わず誰かが酒を飲み、管巻いているということだ。
そんな酒場の常連グループの1つ、火竜の尻尾団は、その日も特に理由もなく……強いて言うならば暇だからという理由で昼間から酒を飲み交わしていた。
「おいグラッド、聞いたかおめぇ、あの話?」
筋骨隆々の肉体を誇るいかにも戦士前とした男が、隣に座るスキンヘッドの男に赤らんだ顔で話しかける。
「あぁ、なんだァ? なんの話だァ?」
「最近、噂になってる野郎の話だ。例の水飴職人の話」
グラッドと呼ばれた禿頭男は「あァ、その話しか」と納得する。
「最近、噂のあの坊主だろ? 確かクリ……クリ……クリムカルメス?」
「クリフ・カリオスですな」
すると彼の隣に掛けている小柄なネズミ面の男がそう答えた。
「ああ、そうだ。それだそれ。スネイルズ、おめェよく覚えてンな」
「当然ですぞ。何せ近頃の冒険者界隈は奴の噂で持ちきりですからな」
スネイルズと呼ばれたネズミ顔男は小汚い顔にシシシと笑み浮かべて言う。
クリフ・カリオス――2ヶ月前に彗星のごとく現れたこの新参の冒険者は、なんと、いきなり危険の多い4階層以降、つまり中層以降の依頼を進んでこなしているのである。
「なんでも、そいつは錬金術師のくせに最弱のスライムしか扱えねぇんだとよ。だから水飴職人なんて呼ばれてるわけだが、にもかかわらず、毎度中層から無事に帰還しては財宝をわんさと持ち帰るらしい」
「それも、とびきり上玉の美少女を3人も従えてるらしくてよ。一体、何者なんだろな? 確かジェイドが〝落とした〟男もそんな感じの名だったと思うが……」
「いやいや、そいつぁ流石にねェだろ? ダンジョンホールに落とされて生きて帰れる奴ァいねェんだもの」
男たちはうんうんと頷き合う。
あの落とし穴は奈落に通じる――それは冒険者でなくても知っている、いわばこの世界の常識だった。
「だがよゥ、スネイルズ? そもそもだぜ? その話マジに本当なのかァ?」
「どういう意味ですかな?」
「つまりだぜ、スライムしか扱えねェヘボ錬金術師のそいつがよォ、俺たちですらも手こずるような中層で本当に活躍してんのかってェ話しだよ」
「確かにそりゃあ一理あんな。そのクリフって奴が実際に戦ってるとこを見た奴がいんのかって話だわな。もしかして、そいつが連れてるっていうその〝上玉軍団〟が代わりに戦ってたりしてな」
「それはないさ」
と、唐突に話に割り込んだのは、バーカウンターで1人で飲んでいる比較的身綺麗な青年だった。派手な花飾りの付いた帽子に傍に置かれたリュートを見ると、流浪の吟遊詩人とでもいうところか。
「兄ちゃん、そいつぁどういうこったい?」
「あくまでも噂なのだがね、その男に窮地を助けられ、彼が実際に戦うところを見た者がいるという話なんだ。助けられた者の話によれば、なんとクリフはスライムをまるで鎧のように〝纏って〟いたという話さ」
「ぷっ! お前、それマジで言ってんのか!?」
「流石にそれはありえませんな!」
「もし、その噂が本当だったらそいつァ、マジの勇者だぜ! 水飴職人どころか水飴勇者だ!」
「フフフ……確かにそうかもね。けど、もしそれが本当だとしたら実にロマンのある話じゃないかい?」
「違ぇねぇ!」と男たちは笑った。
こうして今日も酒場には陽気な空気が流れていった。
◆◆◆
「くちゅん!」
と、僕はくしゃみをした。
誰かが噂をしているなと鼻をかみながらそう思う。
「ククク……風邪でも引いたか、我が王?」
「それは大変です。すぐに薬を調合しなくては」
「セラといっしょに、あったまる? たいていのかぜ、それでなおるよ?」
暖炉のあるリビングで安楽椅子に掛ける僕は、わらわらと急に集まってきたしもべたちに「大丈夫だよ」と苦笑しながら告げる。
場所はエイネストの郊内にあるそこそこの広さ持つ屋敷、通称〝クリフ・カリオス邸〟。
これはギルドが斡旋している物件の中でも最上級のものだった。およそ2ヶ月かけ、深層のアイテムの換金を1つ残らず済ませた僕は、いっそ借家に住むのをやめてこの物件を買ったのだった。
正直、かなり裕福な家で育った僕にとって、これは驚嘆するほどの広さを有する物件ではない。でも、この屋敷は独身男と3匹のスライムが暮らすには十分すぎる広さがあった。
……いや、違う。正確には「2人」と「3匹」だ。
「おやおや、坊ちゃん人気者ですねぇ。マルテは妬いてしまいますよ」
そう答えたこは人間の女性――マルテばあや。
年は今年で60になるこのマルテは、僕が屋敷の管理や身の回りの世話をさせるために雇用した普通の侍女である。
いわゆるハウスキーパーというやつで、僕らが留守の間に屋敷の掃除をしたり、料理を作ってくれたりと、何かとお世話になっている。
実を言うと当初はルミナが「マスターのお世話はメイドである自分にお任せください」と言って色々しようとしてくれたのだけど、ダンジョン探索などでいっしょに家を開けるとその間の家事ができなくなることや、何より料理を作らせたところ暗黒物質を生成したので、彼女の地位はあくまで「戦闘メイド」にとどめ、大人しく人間のお手伝いさんを雇うに至ったというわけだ(ただしルミナの名誉のために言うと、スライムは食物の味見ができないのでメシマズなのは仕方ない)。
ちなみにマルテはセラたちがスライムであることを知る数ある人間の1人だ。
最初は誤魔化せると思っていたのだが「坊ちゃん、お嬢様がたのお召し物の洗濯はしなくてよろしいのですか?」と聞かれ、打ち明ける他になくなったのだった。
ただしマルテは信頼のおける女性だし、万が一井戸端会議などで「うちのお嬢さんがたは実はスライムで……」なんてことを漏らしたところで、痴呆が進んでいるんだなぁと憐れみの目を向けられるだけだろう。
ともあれ僕は財を成し、都市の中心部の程近くに屋敷を構えるまでに至った。
願わくばアレイスターの工房のような本格的な錬金設備を地上の屋敷にも再現したいという野望があるけど、それはおいおいでいいと思ってる。
僕はもう2度と深層には行かない。
けれどセラ、ルミナ、アンブラな3人とともにダンジョンの中層でコツコツ稼げば、家に工房を構えることは生きているうちに叶わない夢じゃないだろう。最深層ほどの価値はないにせよ、中層の魔物のドロップアイテムを安定して確保できるなら、それは普通の暮らし+αを得られるだけの十分な資金源になるからだ。
そんなわけで、僕は満足していた。
この、ささやかな屋敷を拠点とし、3人のしもべたちとともに無理ない範囲で冒険者業を営む。それでいいじゃないか、と心から思った。
青年クリフ・カリオスは「冒険」はこれにてお終い。
後はもうひたすら長いエピローグが、ひたすら続くだけだろう。
――例の紳士が訪ねて来たのは、そんなそとを思い始めた矢先のことだった。




