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恋のフローチャートは、彼女の指先で  作者: 深町 アオ


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本番環境へのデプロイ

 ガラス張りの会議室は、外のフロアより一段だけ空気が重かった。


 長机の向こう側には、クライアント側の担当者が三人。中央に部長クラスらしき人物、その左右を課長と若手が固めている。机の上には印刷した資料の束と、水の入ったグラスがきれいに並んでいた。


 プロジェクターに映っているのは、新システムのフローチャートと画面遷移図。

 その横で、佐伯悠人は、ゆっくりと息を整えた。


 隣には、氷見綾香。

 黒のジャケットに白いブラウス。髪はきっちりとひとつに束ねられ、表情は会議用の「業務仕様」に切り替わっている。さっき廊下で見せていた柔らかい空気は、もう欠片もない。


(ここから先は、本番環境だ)


 喉の奥が、少しだけ乾く。


 昨夜の「メンテナンス・モード」を思い出す。

 視界をアイマスクで強制的に遮断され、半ば強引にスリープに追い込まれたあの五分。

 何も見えない暗闇の中で、手を握られながら「大丈夫。あなたのロジックは通るわ」と静かに告げられた声。

 あの時間のおかげで、いま目の前の光景は、妙にくっきりと輪郭を結んでいる。


(テスト環境での最終整備は済んでる。あとは、落ちずに本番を回すだけだ)


 リモコンを握り直し、口を開く。


「では、今回ご提案する業務フローについて、改めてご説明させていただきます」


 自分の声が、思ったよりもしっかりと会議室に響いた。


 導入パート。

 現行業務のボトルネック。

 それを、どういう分岐と条件判定で解消するか。


 深夜のテスト環境で、氷見と何度も線を引き直したフローチャート。

 散らかっていた自分の案に、彼女の指先が一本ずつ道筋を通していった感覚を、悠人はスライドにトレースしていく。



 一通り説明を終えると、中央の部長が腕を組んだ。


「……ふむ。概ねの方向性は理解しました」


 低い声に、自然と背筋が伸びる。


「ただね」


 そこで、一拍置かれた。


「この承認フロー、本当にこんなに“後回し”してしまって大丈夫かな? 現場からの修正依頼が、ここに集中しない?」


 部長の指先が、印刷資料の分岐点をとん、と叩く。


 そこは、まさに氷見と議論を重ねた箇所だ。


(来た)


 喉の奥がきゅっと締まる。

 だが、すぐに昨夜の暗闇がよぎる。視界を奪われた代わりに整えられたロジックの感触が、背骨を支えていた。


『“全部できるようにする”っていうのは、だいたい破綻するのよ。

 ユーザーがやりたいことをひとつ決める。他は後回し』


(そうだ。あの理屈を、ここでそのまま翻訳すればいい)


「ご懸念の点、ありがとうございます」


 悠人は、できるだけ落ち着いた声で口を開いた。


「おっしゃる通り、従来のフローでは、ここに多くの例外パターンが積み上がっていました。

 今回、あえて“ひとつ優先順位を決める”設計にしているのは――」


 リモコンを操作し、フローチャートの拡大図に切り替える。


「現場の方々が、本来やりたい業務――“承認すべき案件を見極めること”に集中できるようにするためです。

 それ以外の例外パターンについては、後段のサブフローで“後回し”として明示的に切り出しています」


 ポインタで、別シートの簡略化されたサブフローを示す。


「つまり、“まとめて後回し”にしているのではなく、

 “後で集中して処理できるよう、意図的に別レーン化している”イメージです。

 その分、ここに来る案件の種類もログとして残りやすくなるので、運用開始後のルール見直しも行いやすいと考えています」


 言葉は、思ったより滑らかだった。

 昨夜、視界を奪われてまで叩き込まれたフレーズが、身体のどこかから勝手に立ち上がってくる。


 視界の端で、氷見が微動だにせず資料を見つめている。

 口を開く気配はない。


(“ここはあなたの担当パートだから。私が前に出たら、いつまでもテスト環境のままよ”)


 あの冷静な宣告が、今は不思議と心強い。



 プレゼンは続く。


「ここ、障害時のロールバックが見えにくいね」

「この承認条件、現場から逆に反発が出ない?」


 厳しい指摘も容赦なく飛んでくる。


 一つ一つに、悠人は深呼吸を挟んでから応じた。

 テスト環境で何度もシミュレーションした質問と返し。

 「ここは図に戻る」「ここはあえて黙る」――そんな細かなフローを頭の中でトレースしながら、慎重に言葉を選ぶ。


 そして、決定打のような質問が飛んだ。


「……正直に言うとね」


 部長が、資料から視線を上げる。


「君たちの会社にお願いするのは、今回が初めてなんだ。

 “机上ではきれいだけど、現場に落とした瞬間に破綻する”提案も、今までたくさん見てきた」


 真正面から、視線が突き刺さる。


「このフロー、本当に現場で回ると、自信を持って言える?」


 会議室の空気が、きゅっと締まった。


 リモコンを握る手に、力がこもる。

 その瞬間――


 机の下で、「コツン」と鋭い感触が走った。


 硬質なハイヒールの先端が、革靴の甲を、ほんの一瞬だけ小さくはじく。

 音というより、振動に近い。

 薄い革越しに伝わる、針のように細い刺激。


 痛い、と言い切るには足りない。

 でも、無視するには十分すぎる「注意喚起」だった。


 反射的に視線を落としそうになり、ぐっと堪える。


 ハイヒールは、すぐに足を引いて元の位置に戻る。

 押し付けるでもなく、傷をつけるでもなく――ただ一度だけ、明確なトリガーとして。


(――“行きなさい”)


 言葉にならない合図が、足元から背骨に向かって駆け上がる。

 昨夜の、視界を奪われた暗闇の中で感じた体温と声が、その刺激とぴたりと重なった。


「――はい。言えます」


 悠人は、部長の目をまっすぐに見返した。


「もちろん、完璧なフローなんて存在しません。

 運用の中で、必ず想定外のケースは出てくると思います」


 一呼吸おいて、続ける。


「ただ、その“想定外”が出てきたときに、

 “どこでロールバックするか”“どこでルールを見直すか”――そのための逃げ道とログの残し方を、今回の設計では最初から組み込んでいます」


 スライドを切り替え、例外処理のフローとモニタリング画面のモックアップを示す。


「正直に申し上げると、僕一人ではここまで整理できていませんでした。

 仕様設計担当と何度も“現場で迷子にならないフローとは何か”を議論して、

 あえて“全部をここに詰め込まない”形に落とし込んでいます。


 僕たちの提案は、“机上で完璧に見せること”ではなく、

 “現場で運用していく過程まで含めて責任を持てるフローをお渡しすること”だと考えています」


 会議室に、短い沈黙が落ちた。


 背中に汗がにじむ。

 でも、さっきヒールが触れた足元は、不思議と落ち着いている。

 トリガーはもう引かれた。あとは結果を待つだけだ。



「……なるほど」


 最初に口を開いたのは、若手の担当者だった。


「例外処理を“後回し”じゃなくて“別レーン化”してるって発想は、現場としても助かりますね。ログ取りやすいのはありがたいです」


「運用ルールの見直しを前提に組んでるのは、悪くない」


 課長も、資料をめくりながら頷く。


 中央の部長は、しばらくフローチャートを眺めていたが――

 やがて、ふう、と小さく息を吐いた。


「……わかった。少なくとも、“机上で飾って終わり”の提案じゃないことは伝わったよ」


 ゆっくりと資料を閉じる。


「細かい条件の詰めは、また別途打ち合わせさせてほしいけど――

 大枠のフローについては、この案で進める前提で社内に説明しようと思う」


「ありがとうございます」


 自然と頭が下がる。


「社内向けの説明資料も必要になる。

 今日と同じように、導入と締めは君が話してくれるといい」


 予想外の言葉に、悠人は一瞬言葉を失った。


「……はい。精一杯、努めさせていただきます」


 深く頭を下げると、視界の端で氷見がごくわずかに顎を引いた。

 それが評価なのか、単なる業務確認なのかは、表情からは読み取れない。



 会議室を出ると、外の廊下は、途端に「会社」に戻った。


 クライアントの担当者たちに頭を下げ、エレベーターホールで別れる。

 扉が閉まるまで、悠人は何度も「本日はありがとうございました」と繰り返した。


 エレベーターの表示灯が遠ざかっていく。


 その横で、氷見はごく自然な調子で、ほんの一言だけ落とした。


「……プレゼン資料、社内向けに体裁だけ直しておいて」


 淡々とした業務連絡。

 近くのデスクから社員が歩いてくる気配を感じながら、悠人も同じ温度で返す。


「了解です」


 それだけ。


 言葉は、鉄の掟の範囲内に収まっている。

 けれど、さっき机の下で感じたヒールの一撃と、部長の言葉を引き出せた手応えが、その短いやり取りの裏側で、静かに熱を帯び続けていた。


 二人はそのまま、少し距離を取って歩き出す。

 オフィスに戻るころには、いつもの「他人同士」の配置に戻っていた。



 自席に戻り、PCを立ち上げる。


 受信トレイには、すでに社内の通知がいくつか届いていた。

 その中に、見慣れた送信者名が紛れ込んでいる。


 氷見綾香。


 心拍数が、わずかに一段上がる。


 クリックすると、短いチャットが表示された。


《ミッション:クライアント打ち合わせ → ステータス:完了》

《本件に関する報酬の受領には、セキュリティレベル3以上の環境での専用端末への直接接続が必要です》

《※社内ネットワークからのリモートアクセスはサポート対象外です》


 文章だけ見れば、ただのふざけた業務メッセージだ。

 だが、昨夜のメンテナンス・モードと、机の下のヒールの衝撃を知っている身には、その意味するところがあまりにもわかりやすい。


(……専用端末、ね)


 思わず、口元が緩む。


 画面の前で深呼吸をひとつ。


 本番環境へのデプロイは、ひとまず成功した。

 次のフェーズ――よりセキュリティレベルの高い「環境」での処理――は、また今夜の話になるらしい。


 タスク管理ツールには、新しいチェックボックスがひとつ増えていた。


《社内向け説明資料の改訂》


 悠人はマウスを握り直し、まずは目の前のタスクに取り掛かることにした。

 ヒールの一撃と、短いチャットの文面を胸の奥にしまい込みながら。


お読みいただきありがとうございます。


もし「続きが気になる」「氷見さんが可愛い」と思っていただけたら、 ページ下部の【☆☆☆(評価)】や【ブックマーク】を押していただけると執筆の励みになります。


次回は明日の8時更新です。お楽しみに。

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