表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/39

第七章 選んだ気持ち

夕食の食卓に、味噌汁の湯気がゆらゆらと立ちのぼっていた。

一花は箸を持ちながら、黙々と白いご飯を口に運んでいた。母・友恵の視線が、ずっと彼女のスマホに注がれているのを感じていた。


「……一花」


唐突に名前を呼ばれ、肩がびくりと揺れた。


「なに?」

「そのスマホ、しばらくお母さんが預かるわ」


友恵の声は落ち着いていたが、逆らえない威圧感を帯びていた。

一花は反射的に両手でスマホを握りしめた。


「なんで……? ちゃんと勉強もしてるやん」

「してへん。テストの点も落ちてるし、夜中まで触ってるやろ。余計な連絡ばっかりや」

「余計ってなに! あれは私にとって大事な……」


思わず強く言い返すと、友恵の箸がピタリと止まった。


「大事? あの子のこと、大事やって言うん?」


鋭い目が一花を射抜いた。

父は黙って新聞を読んでいたが、顔を上げずにただ息を吐いた。


「……せや。大事やよ。恭平くんは、私のことちゃんと考えてくれてる」

「笑わせんといて。一人前に恋や愛とか口にして……まだ高校生やのに」

「高校生やったら、好きになったらあかんの? お母さんも昔はあったんちゃうん?」

「一緒にすんな!」


母の声が食卓に響いた。

父がようやく新聞を畳んで「まあまあ」と口を挟もうとしたが、友恵はそれを遮った。


「一花、あんた今のままやったら受験に差し支える。将来も潰すことになる。親として止めるんは当然やろ」

「将来将来って……私の今はどうなるん? 私が幸せかどうかは関係ないん?」


言葉が熱を帯び、涙が滲んだ。

けれど母は冷たく椀を置いた。


「幸せ? そんなもん、親の言うこと聞いてれば自然に手に入るもんや」


一花は絶望的な気持ちになった。

母は自分を心配しているのか、それともただ「管理」しているだけなのか。

「私の幸せを決めるのは、親じゃなくて私や!」

「スマホ取り上げたって、私の心までは縛れへんから!」

一花はそう言うとスマホを胸に大事に抱え、食事を残したまま自分の部屋へと駆け上がった。

「ちょっと、待ちなさい!まだ話終わってへん!」

友恵の声を無視して一花は部屋の扉を乱暴に閉めた。

その夜、一花は布団の中でスマホを抱きしめながら声を押し殺して泣いた。

---

翌日。放課後のチャイムが鳴り、クラスのざわめきが収まる頃。

一花は担任の田辺に呼ばれ、職員室に足を運んだ。


「滝野、ちょっと座りなさい」


机の上には進路指導の資料が広げられていた。

田辺は眼鏡を外し、ため息混じりに口を開いた。


「最近、学校でよく名前が出てるぞ。SNSも見たけど、あの……如月のことや」

「……」

「君のお母さんとも話をした。進路にも影響しかねんし、生活指導からも指摘が入ってる」


一花は唇を噛んだ。

「先生、私は悪いことしてへん。ただ好きになっただけや」

「好きになる気持ちは否定せんよ。でもな、世の中はそう簡単やない。周りからどう見られるか、将来どう響くか……考えなあかん」

「……周りの目のために、好きな人と別れろってこと?」

「そうは言わんが……結果的にそうなるんかもしれんな」


一花は椅子を蹴るように立ち上がった。

「嫌です。私は恭平くんと別れへん!」


田辺は驚いた顔をしたが、すぐに諭すように声を落とした。

「気持ちは分かる。けど、今は冷静になりなさい。感情で突っ走っても、傷つくのは自分や」


一花は震える声で答えた。

「もう傷ついてるよ……毎日が戦いなんや」


夜。

恭平はリビングのソファに腰を下ろし、スマホを見つめていた。


画面には、まだ消されていない投稿。

一花が自分のバイクの後ろに乗っている写真。

加工されたスタンプ。

コメント欄には、悪意のある言葉が並んでいた。


「如月くんって、見る目ないよな」

「一花って、あんな顔して男に媚びるタイプやったんや」

「美咲ちゃんの方が似合ってたのに」


恭平は画面を伏せ、片手で顔を覆った。


(俺のせいや……)


昼休みの一花の姿が、頭に浮かぶ。

俯いて、パンを食べる手が止まり、誰とも目を合わせようとしなかった。


(守るって言ったのに……)


その言葉が、胸に重くのしかかる。


「……お兄ちゃん」


智恵美が立っていた。

目には涙が浮かび、手には例のSNSが表示されたスマホが握られていた。


「お願いやから……一花さんと会わんといて! お兄ちゃんが炎上してるのん見とうない」


恭平は驚いたように顔を上げた。


「智恵美……」


「私、前のお兄ちゃんが好きやったんよ。笑ってくれて、優しくて……でも今は、ずっと苦しそうにしとるやん。家でも、黙ってスマホばっか見て……」


智恵美は兄の手を掴み、必死に訴えた。


「一花さんといると、お兄ちゃんが遠くなる気がする。うちのこと、もう見てくれへん気がする」


恭平は何も言わず、智恵美の頭を撫でそっと抱きしめた。

小さな肩が震えていた。


その背後から、兄・真宙の冷たい声が落ちた。


「お前のせいで家族まで白い目で見られるかもしれんのやで。ええ加減にせなあかんのとちゃうか」


空気が凍りついた。


恭平の拳が小さく震えた。

言い返したい言葉が喉元まで出かかったが、声にはならなかった。


母は台所で黙ったまま食器を洗っていた。

誰も、誰の目も見ようとしなかった。


家の中に、沈黙だけが満ちていた。


数日後の夜。

一花はようやく母の目を盗み、家を抜け出して公園に向かった。

街灯の下、待っていた恭平の顔は疲れ切っていた。


「恭平くん……」


「一花……大丈夫か?」


「友達にも見捨てられて、先生にも止められて……お母さんには危うくスマホまで取り上げられかけた」


一花の声は震えていたが、その瞳は真っすぐだった。


「……でもね、私は負けへんよ」


恭平は横顔を見つめた。


「負けへん……?」


「うん。もうこれ以上、大事なもん奪われたくない。誰に何言われても、うちは絶対に離れへん」


その言葉には、震えながらも確かな意志が宿っていた。


「うちは……私の気持ちを守りたい。恭平くんとおる時間も、笑った顔も、全部うちの宝物やから」


一花の言葉を聞き終えると、恭平は奥歯を噛みしめた。

拳を膝に押し当て、俯いたまま小さく息を吐く。


「……一花。やっぱり俺が動くわ」


「え?」


「噂を流したやつ、突き止めて黙らせたる。お前がこれ以上傷つけられるんは、もう我慢できひん」


そう言って立ち上がろうとした瞬間、一花が慌てて腕を掴んだ。

その力は細いのに、不思議と強かった。


「あかんて、恭平くん」


「なんで止めるんや! このままやったら、お前が一人で全部背負うことになるやろ!」


「……それでも、うちが決めたんや。守られるだけやったら、みんなの言葉に負けたことになる」


一花は必死に言葉を繋ぐ。

街灯の明かりに照らされたその横顔は、震えながらも真剣だった。


「だから……お願い。恭平くんまで傷ついてほしない」


沈黙の中で、遠くの車の音だけが響く。

恭平は握った拳をゆっくりほどき、悔しそうに息を吐いた。


「……ほんま、お前は強すぎるわ」


その声は絞り出すように低かった。

動くことを断念した彼の視線の先で、一花の手がまだ彼の腕をしっかりと握っていた。


「強ないよ。怖いよ。毎日、教室入るのも、スマホ見るのも……でも、逃げたくないねん」


恭平はポケットからスマホを取り出し、画面を見せた。


そこには、まだ消されていない投稿。

一花の後ろ姿。バイク。コメント欄の悪意。


「これ見て、俺……めっちゃ悔しかった。守るって言ったのに、何もできてへん」


一花は首を振った。


「守ってくれてるよ。こうして隣にいてくれるだけで、うちは救われてる」


恭平はそっと一花の手を握った。


「……じゃあ、俺も負けへん。一花のこと、絶対に守る」


二人の手の温度が、夕闇の空気の中で確かに重なった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ