第二部-第三十五章 幼子の涙
午後の公園には、秋の光が斜めに差し込んでいた。
落ち葉が舞うたびに、空気が少し冷たくなる。
陽翔と花音は、砂場で戯れながら、時折顔を見合わせて笑みをこぼした。
――こういう穏やかな日ほど、言いにくいことがある。
ベンチに座る智の隣で、一花は両手を膝の上でぎゅっと握りしめていた。
胸の奥が重い。
わかっている。
このあと、どんな言葉を口にしても、誰かを少しだけ傷つけてしまうのだと。
「智さん……あの....」
声が少し震えた。
智は優しい目でこちらを見てくれる。
――その優しさが、いちばんつらい。
「この前言ってくれたこと……嬉しかったです。でも、やっぱり……お応えすることはできません」
智の目が、少しだけ沈んだ。
それでも、彼はすぐに笑った。
「そっか……」
短い返事。
けれど、その一言にすべてが詰まっていた。
――こんなにも静かに終わるんだ。
誰かの想いの終わりって、もっと大きな音がするものだと思ってた。
「花音のためにっていうのもあるけど…本当は、一花さんと家族になりたかった。」
その言葉に、一花は呼吸が止まる。
胸の奥で、何かがひっそりと崩れた。
「……ごめんなさい」
それしか言えなかった。
心の中では何度も違う言葉を探していた。
“ありがとう”でも“嬉しい”でも足りない。
――だって、私は誰かの代わりにはなれないから。
「謝ることありませんよ。一花さんがちゃんと考えてくれたことわかってるから」
智の声は穏やかで、少しだけ揺れていた。
優しすぎる人。
この人の優しさに、心が揺れそうになる瞬間もあった。
けれど、私の心はもう、変わることはない。
その時、砂場の方から花音の声がした。
「いちかママー! いちかママー!」
花音が走ってくる。
その姿を見るだけで、胸の奥が締めつけられる。
しゃがみこんで目線を合わせる。
「花音ちゃん……ごめんね。うち、ママにはなられへんの」
花音は一瞬、何かを理解しきれないように目を見開いた。
けれど次の瞬間、感情があふれ出すように、涙が頬を伝ってぽろぽろとこぼれ落ちた。
「やだぁぁぁ!」
小さな手で服をつかみ、離そうとしない。
そのぬくもりが、痛いほど切ない。
智が駆け寄り、花音を抱き上げる。
「花音、やめなさい。泣かへんの」
けれど花音の泣き声は、しばらく止まらなかった。
――誰かの幸せを奪うつもりなんて、なかったのに。
それでも、選ばなかったことで、誰かを泣かせてしまう。
一花は花音の頭をそっと撫でながら、微笑んだ。
「……いつか、きっとわかってくれるよね」
智は静かに頷いた。
「うん、大丈夫。花音は、一花さんの想いを受け止められる子です。」
その言葉が、風に溶けていく。
泣きじゃくる花音の声も、少しずつ遠のいていく。
――誰かを想うことは、ほんとうは祈りに似てる。
届かなくても、手放せない。
けれど私は、もう一度だけ風に祈る。
どうかこの選択が、みんなの未来を少しでも優しくしますように。




