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第二部ー三十二章 家族の道標

「うち、どうしたらええんやろう……」


一花は、朝の光が差し込む部屋で、陽翔の寝顔を見つめながら呟いた。


このところずっとこの言葉を呟いている。


恭平が風になってから、もう三年。


時間は過ぎても、心はあの日のまま止まっているようだった。


陽翔は三歳になり、ますます恭平に似てきた。


笑ったときの目元、ふとした仕草。


そのたびに胸が締めつけられる。


けれど、陽翔は毎日を元気に生きている。


「今日、おばあちゃんに会えるん? 真宙おじちゃんもいる?」


陽翔は朝からそわそわしていた。


お気に入りのシャツを自分で選び、鏡の前で髪を整えようとする姿に、一花は思わず笑みをこぼした。


「うん、行こか。陽翔が楽しみにしてるなら、うちも頑張らなあかんな」


陽翔は元気よく頷いた。


その小さな手を握りしめる前に、一花は居間の棚に飾られた写真に目をやった。


そこには、笑顔の恭平が写っている。


「……行ってくるな、恭平」


心の中でそっとつぶやき、写真に軽く指先を触れる。


一花は深呼吸して、陽翔と一緒に玄関へ向かった。


家を出ると、バス停までの道を二人で歩く。


バスで十五分ほどの距離――それだけなのに、陽翔の足取りはまるで遠足に向かう子どものように弾んでいた。


「一花ちゃん……、陽翔!」


玄関のチャイムを鳴らすと、扉の向こうから弾む声が響いた。


出迎えたのは、幸代だった。


恭平の母。白髪が増えたが、笑顔は昔のままだった。


後ろから真宙も顔を出す。


恭平の兄で、陽翔にとっては叔父にあたる。


「陽翔、大きくなったなあ! ほんまに久しぶりやな」


陽翔は少し照れながら「こんにちは」と挨拶する。


幸代は目を細めて、陽翔の頭を優しく撫でた。


「智恵美は、ちょうど買い物に出てるんよ。よかったな」


一花は胸を撫で下ろした。


まだ、智恵美と向き合う勇気はなかった。


居間に通され、陽翔は真宙と庭で遊び始める。


「おじちゃん、これ見て! 保育園で作ったんやで!」


陽翔は紙で作った風車を見せながら、庭を駆け回る。


風に吹かれてくるくると回る風車を見て、真宙は笑いながら「すごいなあ、陽翔は器用やな」と褒めた。


幸代は台所からお茶を運びながら、静かに言った。


「智恵美から聞いてるよ。あんたが居酒屋の店員さんと保育園の保護者の方と仲良くしてるって」


一花はうつむいた。


そのことで智恵美に責められたことが、心に刺さっていた。


「でもな、一花ちゃん。うちは、あんたが笑ってるって聞いて、嬉しかったんよ。あんたが、少しずつ前に進んでるって思えたから」


「うち、ずっと恭平のこと忘れられへんかった。三年経っても、毎日思い出してる。でも……最近、心が揺れることもあって……」


「ええんよ、それで。恭平は、あんたが幸せになることを望んでる。うちも、真宙も、智恵美も……きっと本当はそう思ってる。あんたがどんな選択しても、うちは応援するよ」


一花の目に涙が浮かんだ。


誰かにそう言ってもらえることが、こんなにも救いになるとは思わなかった。


「仏壇、手ぇ合わせていってな」


一花は立ち上がり、仏間へ向かった。


恭平と恭平の父の写真が、静かに微笑んでいた。


「……恭平。うち、まだ決められへん。でも、陽翔のために、前に進みたいと思ってる。あなたも、見守ってくれるんやろ?」


手を合わせると、風が窓から吹き込んだ。


カーテンが揺れ、陽翔の笑い声が庭から聞こえる。


「ばあばー! 見てー!」


陽翔が風車を高く掲げて走ってくる。


一花は、少しだけ笑った。


その笑顔は、ほんの少しだけ、未来を見つめていた。


如月家を後にした帰り道、陽翔は満足げに風車を握りしめていた。


「ばあば、優しかったなあ。また行きたい!」


陽翔の言葉に、一花は微笑みながら頷いた。


「うん、また行こな。……次は、うちの実家や」


陽翔は「じいじと友恵ばあばに会えるん?」と目を輝かせた。


一花は少しだけためらいながらも、「うん、久しぶりに顔見せよか」と答えた。


実家の門をくぐるのは、一年ぶりだった。


玄関の前で立ち止まり、深呼吸をする。


扉が開くと、母・友恵が驚いた顔で立っていた。


「一花……陽翔……!」


陽翔は「こんにちは!」と元気よく挨拶し、友恵は思わず笑顔になった。


「まあまあ、入って。」


居間に通されると、父・雄大が新聞を畳んで立ち上がった。


「陽翔か。大きくなったな」


陽翔は少し緊張しながらも「こんにちは」と言い、雄大は静かに頷いた。


お茶を飲みながら、しばらく陽翔の話題で和やかな時間が流れた。


やがて陽翔が昼寝を始めると、一花は意を決して口を開いた。


「……うち、最近心が揺れることがあって。でも恭平のこと、忘れられへんし、陽翔のためにも前に進まなあかんとも思ってるんやけど.....ほんまにどないしたらええか.....」


雄大は黙って聞いていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「一花。お前がどんな選択をしても、お父さんは全面的に支持するし、支援もする。たとえその選択が誤っててお前が困ったときは、いつでも頼ってええ」


一花は目を伏せて、首を横に振った。


「……でも、うちはもう子供やない。親に甘えるのは違う気がして……」


雄大は少し笑って、言った。


「子供がいくつになっても、親は甘えてほしいと思うもんや。助けたいと思うもんや。……子供を授かったお前なら、わかるやろ?」


その言葉に、一花の胸が熱くなった。


陽翔が「ママ、抱っこして」と言ったとき、どんなに疲れていても手を伸ばす自分がいた。


それは、雄大も同じだったのだ。


「……ありがとう、お父さん。うち、もうちょっとだけ、甘えさせてもらうわ」


陽翔が生まれてからすっかり丸くなった友恵は、そっと一花の手を握り、「それでええんよ」と微笑んだ。


仏壇に手を合わせると、祖母の澄子と祖父の写真が静かに微笑んでいた。


陽翔の寝息が聞こえる中、一花は心の中でそっと呟いた。


「……うち、少しずつ前に進むよ。おばあちゃん、見守っててな」


窓の外では、夕暮れの風が優しく庭木を揺らしていた。

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