どうしてこうなった
――そして、夕方。ひよりのマンション前。
夕焼けがきれい? いやいやそれどころじゃない。目の前の光景がすごすぎて、オレンジの空とかどうでもいい。
だって今ここに――
「カメラ設置完了。死角ゼロ。通信暗号化済み、妨害検知もオンです」
「通気口、ファイバーカメラ挿入。異常音源は……まだナシ。引き続き解析中」
スーツの男たちが、めちゃくちゃ物々しい機材を抱えて、ひよりの部屋周りを調査している。
え、なにこれ? ドキュメンタリー? それとも秘密結社?
「……アヤさん。これって、ほんとに大学のサークルなんですか?」
「……予算がちょっと潤沢なだけのサークルよ」
今なんで一瞬口ごもった!?
「……ひより、ごめん。私さ、けっこうテンション上がってたけど、想像の五倍どころか十五倍くらいのスケールだったわ」
「ううん……私も……。アヤさんって、頼もしいけど、ちょっと……」
「さあ。内部調査に入るわよ」
アヤのひと声で、私とひよりも一緒に部屋へ。その背後には、いつものように黒服姿の無言メイドが静かに付き従っている。手にはタブレットと謎のケース。まるで一言も発しないけど、絶対に全容を把握してる感があるのが逆に怖い。
アヤは玄関に入るや否や、黒服チームに指示を飛ばしまくり。
「壁裏配線、点検。天井ルート確認。クローゼット内部、熱源サーチ。配線は外部接続の有無も見て」
どんどん動く黒服たち。いや早いな! 指示が専門用語まみれでついていけない!
アヤがチラリとこっちを見て、黒服に指示を出す。
「隣室、確認して。無人かどうかチェック」
……家具ひとつない無人部屋。
けれど、壁際にはケーブルと機器が並び、確かに何かをしている気配があった。
「……やっぱりね。ここ、完全に監視部屋だわ。生活感ゼロ、でも電気使用量は小さな工場並。」
「……え、じゃあ、まさか――」
「そう。この部屋を監視するためだけに借りられた部屋ね。……確認するわ。開けて」
え、ちょっ……!? いやいやいや!! 黒服さん躊躇なく壁切り始めたけどどういうこと!? 普通に賃貸だよね!? あ、でも買ってるのか、アヤが……って怖っ!!
コンクリート壁が静かに切り開かれていくと、その奥から小型のファイバーカメラやマイクが、壁紙や家具の影に紛れるように完全に壁内部に埋め込まれていた。
外からは一切露出がなく、見た目ではまったく分からない。でも、ひよりの部屋全体がきっちり映るように調整されてるっぽい。どういう構造? いや、たぶんアヤならわかる。
その配線が壁の奥から―――隣室へ。
そこは、録画機器に配線の山、なんだかわからない機械類……。
そしてモニターがずらりと並んだ、放送室みたいな異様な空間。
モニターの画面には、ひよりの部屋が映っていた。黒服さんたちがうろうろしてるから、どうやらリアルタイムっぽい。
「……壁の中に、カメラとマイクを直埋めしてあるわね。完全にレンズが露出しないよう、壁紙に合わせて迷彩処理してある。肉眼で気づくのは無理でしょうね」
「え、それって……いつの間に!?」
「佐伯さんが契約してから実際に入居するまでの数日間。その間に、外壁の破損を装って修理業者に偽装し、点検作業の一環として侵入してるわね。管理記録上は前の入居者の退去後の無料修繕という扱いで、どうやら前回のリノベ工事を請け負った業者の名義が使われてたみたい。管理会社も書類を信じて、そのまま通してたのね。電気系統の強化も込みで、快適性をアピールしていたようだけど……実際は機材の仕込みが目的よ」
「……そういえば説明がありました。『入居前に電気まわりをグレードアップしておきました!』って……すごく快適ですよ~、って……」
「その作業中に、壁の内側へカメラとマイクを直埋めしたんでしょう。機材は全部隠して持ち込んで、確認されないよう仕込んだんでしょうね。かなり手慣れてる」
アヤが冷静にケーブルを指さしながら、さらっと恐ろしいことを言い始めた。
「この送風装置。夜間に微弱な気圧変化を発生させてる。密閉空間だと、無意識下で気配として感知されやすいのよ」
「ノイズジェネレーターは、18Hz近辺で低周波振動を断続発生。聴覚では捉えにくいけれど、情動野にはダイレクトに届く」
「照明の反射板は、光源の変位を利用した視覚トリック。
カーテンの隙間に目のような光の像が浮かび上がるよう、反射角と照明位置が細かく調整されてた。
決まった時間帯だけ、その像がちょうど視線の高さに重なるようにできてるの。
実際には何もないのに、誰かが覗いてるように見える。──完全に、見る人を怖がらせるための仕掛けね」
「……構成は精巧。でも全部演出。まがいものは、どこまで行っても、本物にはなれないの」
説明の内容のヤバさと、アヤの淡々とした口調が合わな過ぎて変な笑いが漏れそうになる。
「……あ、そういえば……」
ひよりがぽつりと呟いた。
「お風呂に入ってるときだけは、そういうの……ぜんぜん感じなかったかも……」
「それも計算のうち。洗面・浴室スペースはセンシティブな領域。対象が警戒すれば全体の仕掛けが無効化されかねない。だから仕掛けない。それも含めて計算されてるわ」
キモい。それ以外の感想がでてこない。
そのあと調査チームが隣室の契約者を特定した。偽名だったみたいだけど、アヤの手にかかったら、ほんとにあっさり割れた。なんでそんなに早いの!?
ひよりの中学時代の塾の講師。年上。なんと、今も同じマンションの別階に住んでた。……怖っ!!
ひよりのSNS、通学ルート、バイト先。全部メモされてたし、中学の卒業アルバムのコピー、昔のLINEのログ、なんかもう「情報収集の鬼」。
高校では接点がなかったものの、男は一方的に彼女を追い続け、大学の進学先までも調べて同じ地域に住むようになっていた。
けれど、それまではただ見ているだけだったらしい。
家族と一緒に暮らすひよりには手を出す隙がなかったから。
だが、大学進学と同時に、ひよりが一人暮らしを始めた――
それが彼にとって、実行に移すゴーサインになったのだ。
外壁の破損箇所を装って修理業者に化け、ひよりが入居する直前に侵入して、
壁の内側にカメラとマイクを直埋めした。
何年もかけて収集した知識と妄執を、ひよりの部屋という舞台で形にしはじめた。
つまり、ひよりが感じていた何かは――
全部、人間の悪意の成れの果て。
「……私のこと、ずっと……見てたってこと……?」
ひよりの声がかすれてる。
「ええ。佐伯さんの行動も生活も、長期にわたって観察されていたわ」
「でも……なんで私なんか……?」
私が何か言おうとしたら、アヤが先に淡々と続けた。
「私なんかって思ってる子は、自分の存在が他人にどう映ってるか、あまり気にしないでしょ? そういう子は見られても気づかないと、向こうに思わせるの。だからターゲットにされる。油断じゃなくて、優しさの裏返しよ。でも、忘れないで。悪いのは、あなたじゃない。まがいもの作って、自分勝手に仕掛けたやつ。それだけは、絶対に許さない」
その声は静かだったけど、剣みたいに鋭くて。
そのあと私も、そっとひよりの手を握った。
「……でも、ひより。怖かったこと、ちゃんと相談してくれたじゃん。 だからもう、あとは私たちが何とかする番。ひとりで悩まなくていいんだよ。私もいるし……アヤさんたちは……まあ、たぶん味方側……だと思うし」
「……ありがと、みこと……」
ひよりの手は冷たかったけど、たぶん私の手も同じくらい震えてた。
──だって正直、怖がらせるつもりのない怪異より、
怖がらせる気まんまんの人間のほうが、よっぽど恐ろしい。
……それでも、私は彼女の隣にいる。
好きなジャンルに関係なく、味方ってそういうもんだから。