オカルトvs・・・
──というわけで。
私は大学の旧部室棟の最上階、その最奥にある一室の前に立っていた。
木のドアは、いかにも年季の入った雰囲気で、見るからに使われてなさそう。
なのに──ドアの中央には、やたら達筆な筆文字が貼られていた。
《実践オカルト研究会》
……うん、筆圧がすごい。気合い入りすぎてて、最初“実践”の部分を「武道系かな?」って読み間違えたのはナイショにしておきたい。
見た目からして、すでに胡散臭さフルスロットル。
ドアノブも曇ってるし、周囲の廊下の電気はなぜか消えている。
しかも、この一角だけ窓のカーテンが閉まってて、人の気配ゼロ。まるで「ここは入っちゃいけない空間です」って自己主張してるみたいだった。
でも──
今の私たちには、ここしか頼れる場所がなかった。
「……失礼します」
軽くノックしてドアを開けた瞬間、ふわりと紅茶の香りが鼻をくすぐった。
「いらっしゃい、ようこそ《実践オカルト研究会》へ。お茶にする? それとも……怪異?」
優雅に紅茶を啜る白づくめの服に身を包んだ黒髪の女性が、椅子からこちらを見つめていた。
白いブラウスにロングスカート、そして同じ色のロングカーディガン。
まるで喪服の逆バージョンというか──ふんわりしてるように見えて、実際には圧のある雰囲気。あれだ、羊の皮を被った──いや、見た目は羊っぽいけど中身は白虎、みたいな。
圧の強さと存在感がセットになった瞬間、ちょっと背筋がゾクッとする。
百目木アヤ。大学二年生。
《実践オカ研》の部長にして、所属は彼女ひとり──のはずだったんだけど、後ろにはもう一人いた。
背筋をぴんと伸ばし、黒いエプロンドレスに身を包んだクラシックなメイド姿の女性が、無表情で直立している。
「……あの、すみません……あちらの方は……?」
「紅茶係よ。」
「こ、紅茶係!?」
「怪異と対峙するには、まず落ち着くことが大切。落ち着くには、紅茶。必然でしょ?」
「は、はあ……なるほど……? えっと……」
……って、言葉は通じてるのに、日本語が通じてる気がしないぃぃ!?
すでに“常識”という足場が揺らぎはじめてる私をよそに、アヤはカップを置いてにっこり微笑んだ。
「で? あなたが出てる出てる詐欺の新規さん?」
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ何も言ってませんし、詐欺はひどいですっ!」
「ここに来る新規さんは顔を見ればだいたい分かるの。じゃ、映像、見せて」
断言された。まだ何も言ってないのに何でそこまでわかるんだ。
私はスマホを差し出した。例の映像──深夜、カーテンの隙間から目だけが覗いていたやつ。
何もないはずの空間。私たちの他には誰もいないはずの部屋。
けど、映像の中では確かにこっちを見ていた。
アヤは画面をしばらく無言で見つめ、細かく再生位置を巻き戻したり静止したりしながら観察を続ける。そして紅茶をひと口啜って言った。
「……反射ね。街灯の逆光とカメラのレンズ角度による錯視。それとカーテンの揺れ方。よく作られてるわ、演出としては」
「え、演出……ですか?」
私が思わず聞き返すと、アヤはさらっと言い切った。
「本物の怪異じゃないけど、それっぽく見せかけたもの。そういうの、よくあるの」
「……でも、あの部屋、本当に……変だったんです。にせものとかじゃ、なくて……」
ひよりが、小さく震える声で言った。
気配。視線。そして、毎晩0時ちょうどに鳴るカツンという音。
私たちしかいなかったはずのあの部屋で、それでも何かの存在を感じてしまう──そんな恐怖が、確かにあったことを。
ひよりはまるで、思い出すだけでも息が詰まるように、それらをぽつぽつと語り出した。
「……あの、カツンって音が鳴るようになったのは、わりと最近なんです。でも……視線とか、気配のようなものは、もっと前から……引っ越してきたころからあったような……最初は気にしてなかったんですけど、だんだんと強くなって……」
私はそっとそんなひよりの肩に手を添えた。
あの場にいた私も、それを感じてしまった一人だ。
だから、ひよりのこの言葉には、説得力があった。
アヤは、しばらく黙ってひよりの話を聞いていた。
そして、静かに言った。
「……その感覚、否定するつもりはないわ。ただ、あの映像がまがいものだったのは事実。となれば、残りの現象がどうなのか──それはこれから確かめましょう」
そこで彼女は、そっと手元のカップを置いて立ち上がった。
すかさずメイドさんが小さなノートとタブレットを差し出し、彼女は流れるようにそれを受け取る。
……紅茶係だけじゃなかったんだ。
アヤは小さく頷くと、さらりと口を開いた。
「で、気になったのは時間。0時ちょうどに音がするって言ったわね? それが事実なら──再現性がある。意図的な仕掛けの可能性が出てくるわ」
そう言ってアヤは、さらさらとノートに何かを書きつけた。
「順番に見ていきましょう。まず、カツンという音。毎晩0時ちょうど。これは、天井裏から糸で揺らす簡易装置。点検口を少し改造すれば仕掛けられるわ」
「そ、そんなアナログな方法で……?」
「むしろアナログだからこそ、盲点なのよ。次、視線。カーテン越しに何かが見えるように演出するなら、外光と反射素材、あるいは照明の明暗差を利用した錯視が効果的。それから気配。空気の重さは、微細な送風や気圧変化で再現できる。感知できないほどの低周波音を流せば、無意識に不快や緊張を覚えるものよ」
「そ、そんなの、狙ってやる人が……?」
「いるのよ、まれに。そういうことに異常な労力をかける人間が」
アヤの声は静かだった。
けれどその奥には、低く冷たい怒りが宿っていた。
「……幽霊じゃないかもしれない。でも──誰かはいる。意図を持って、あなたを見ている人間がね」
「じゃあ、全部……誰かが仕組んだものかもしれないってことですか……?」
「可能性としては高いわね。だから言ったでしょ。偽物の怪異の線が濃いって」
アヤは淡々と答えたが、その声の奥には明確な怒気があった。
「私はね、そういうまがいものが……大っっっ嫌いなの」
そのひと言で、空気がピリッと緊張した。まるで部室ごと一瞬フリーズしたみたいに。
「……メイド長? このマンション、防犯スタッフ5名とカメラ10台を即日配置。あと、建物の権利関係も確認して」
呼ばれたその瞬間、先ほど紅茶係と紹介されたメイドさんは無言で一礼し、スマートな動きでタブレット端末を手に取ると、すぐに何かの手配を始めた。
その姿には、一切の迷いも言葉もなかった。必要なことはすでに理解していて、ただ黙って動くだけ。あの人、メイド長だったんだ……って長!? ほかにもいるの!?
「……ちょ、ちょっと待ってください!? 何をしようとしてるんですか!?」
思わず私が声を上げると、アヤは当然のように言った。
「買い取るの。調査するなら、そのほうが手間が省けるし」
いやいやいや、今めっちゃ重大発言がサラッと出たよね!?
「オカルトを暴くには、金と法。それがあれば、たいていの呪いは駆逐できるのよ」
「いや理屈っぽいけど理屈になってないからねそれ!?」
思わず素で突っ込んだ。
「……それで、どうやって仕組まれた可能性を確認するんですか……?」
ひよりの、震えるような小さな声に──
アヤは、まるで当然のように微笑んで答えた。
「簡単よ。仕掛けがあるなら、見つけばいい。痕跡があるなら、たどればいい。物理で動くものなら、必ず形が残る」
その言葉には、不思議な説得力があった。
この人なら、本当に何かを見つけてくれる──そんな気さえしてくる。
アヤはちらりと時計を見てから、ふっと笑った。
「さて。夕方には現地入りするわよ。準備、できてる?」
「えっ、もう!? っていうか、現地入り!?」
「ええ。偽物を暴くには、現場がいちばん。徹底的に洗いましょ?」
その目は真剣そのもので──
たぶん、幽霊なんているわけないなんて軽々しく思ってはいない。
だからこそ、偽物で騙そうとするやつを、心底から憎んでる。
本物の怪異には敬意を払い、偽物は容赦なくぶっ潰す。そのぶれない強さが、ひよりの不安すら巻き込んで、現実を見つめさせていく。
こうして──
私たちは、もう一度、あの部屋に向かうことになる。
今度は、真実を暴くために。