競馬場へようこそ
目つきの悪い女、真野キリカは困っていた。
「うーん、参った」心の中では途方に暮れる。
あれから30分ほどだろうか、助けたOLはジャンパーの裾を握ったまま泣きじゃくっている。
OLは大卒1年か2年目だろうか、23か24歳くらいかと目星をつけた。
「まぁ多分年上だろうなぁ」と22歳のキリカはベンチで腕組みをしたままそっとOLを見る。
泣きじゃくるOLを人目の多いフジビュースタンドからメモリアル60まで連行し、すでにベンチを占有している見知ったおっさんに声をかけしばらくの間席を譲ってもらったのだ。
「勝負レースは最終だからいいとして、そろそろ埒が明かないか」
そういうとOLに向かって話しかける。
「泣き止め!」
そのストレートな言葉に由香は我に返る。
「す、すいません」
ようやく涙でぐしょぐしょになった顔をあげ、ジャンパーの裾から手を放す。
かばんからハンカチを取り出し、顔をぬぐう。
「他人が聞くのもなんだけどさ、なんか大変なの、あんた」
キリカはあまり興が乗らない表情で由香に尋ねる。
「えーと、その仕事が辛くて……。いやこんな話初対面の人にしちゃいけないですよね」
由香は気を取り直し、無理に笑顔を作る。
すっと立ち上がるとキリカに対して深々と礼をする。
「先ほどは助けていただいてありがとうございます。お騒がせしちゃってすいませんでした。私、こば……」
名乗ろうとした由香をキリカは手で制する。
「まぁ礼なんていいよ。なんかうろうろしていたけど競馬場は初めて?」
「は、はい。なんか電車乗り間違え続けていたらたまたまここに着いちゃって」
「ふーん。たまたまね」
キリカは由香を上から下まで眺める。
今は少し乱れているが元々はきちんと整えられいたであろう漆黒のロングヘア。
服装は白いブラウスに上下は派手すぎない黒のジャケットとパンツ。
あまり高くないヒールのパンプス。
その姿を見るに、もともと競馬場に来る予定ではなかったんだろうなというのがよく分かる。
「あんたさぁ。たまたま競馬場に来るとはなかなかセンスがいいよ」
「え?」
「何があったか知らないが、うん。苦しい時に競馬場へ来た自分を褒めた方がいいよ」
こんなことで褒められて逡巡している由香にキリカは言う。
「競馬より楽しいエンターテインメントはないと思うよ。ようこそ競馬場に」
キリカはそっと手を差し出す。
先ほど男を捻りつぶしたその手を握るのを一瞬、そうほんの一瞬ためらったがすぐに握り返した。
「よろしくお願いします、恩人」
その手はとても暖かった。
歯の浮くようなその台詞に関しては若干笑いがこみ上げてきたがそれは、かなり頑張って由香は本当にかろうじて耐えたのであった。