競馬場を彷徨う
「早く帰って仕事しなきゃ」
土曜日の午前だが仕事に圧迫されている由香に余裕はない。
慌てて乗ってきた電車に再び乗ろうとしたが、すれ違う人々の笑顔を見て足を止める。
小早川由香は翻意する。
ちょっとだけ……、そう少しの間だけ覗きに行ってみようと皆が向かう方向へ踵を返すのだった。
駅を出て、専用通通路を進む。
「身分証明とかボディチェックとかは無いんだ」
競馬場に異常に堅苦しいイメージを持っていたがホッとする。
入場券を買いまた専用通路を進む。
右前方にパドックが見える。
「へぇ競馬場って意外と小さいんだな」そんなことを由香は思う。
そしてフジビュースタンドにたどり着く。
午前中だが結構な人入りだ。
「さっきの競馬場にはどう行くんだろう」
由香は競馬場と思っているパドックへの道のりを探して飲食店が並ぶ通路をウロチョロするがよくわからないまま彷徨う。
途中マップを見るがよくわからない。
適当にエレベーターの乗ったり、階段で降りたりする。
なんか豪華なゾーンにたどり着いたりもするがショップの周りをグルグルするだけで外に出られない。
「お姉さん、どうしたの。よければご一緒しない」
二人組の男に声をかけられる。
スーツ姿のOLがさっきから、同じところを徘徊しているのだ。それは目立つ。
由香は黒髪ロングのなかなかの美人だ。
こういう輩が寄ってくるのは仕方がない事だ。
「あ、いえ……」
基本仕事の多忙さと社内評価の低さで自信を失っている由香は対人で強く出ることが出来ない。
まごまごしていると男に手首を捕まれる。
「とりあえずスタンド行こうよ」
男達もそこまで悪気があるわけではないが、やや強引だ。
「え、あの、あの」
断りたいが断れない、どうしていいかわからず由香がパニックに陥っていると、横合いから腕が伸びてきて男の手首を捻り上げる。
「気持ちはわからないでもないけど、チィーっと強引でないかい?」
キャップに、ジャンパー姿の150cmあるかないかの小さい少女が由香と男を引き離す。
ざっくりいうと背の低いヤンキー少女だ。
「なんだよ、嬢ちゃん、何も悪いことしてねぇだろ」
手首を掴んだ男が少女をにらみつける。
「あーん?力任せは良くねぇなぁ」
少女はキャップの下からギラっとした視線を男に向ける。
背が低いから中学生くらいの少女に見えていたが、目つきの悪い立派な成人女性だ。
「ちょっともう止めとけよ」
連れがたしなめるが、もう引けない。
「関係ないだろう、どっか行けよ、チビ」
男は癇癪を起してもう引けないようだ。
「熱くなるなよ、兄ちゃん」
男を敵にしても女は余裕綽々だ。
相手はそれなりに体格のいい成年男性だが全く気にしていない。
「じゃあ、握手をしよう。それで握力勝負でどうだ?お前が負けたら引けや」
ちまっこい女を相手に楽勝と見たのか男はその勝負を受けた。
数秒後、男が苦悶の声をあげる。
「俺の負けだから、手ぇ緩めて、指折れちゃう」
それを聞いて涼しい顔して女は手を引く。
体格からは想像できない握力の持ち主のようだ。
男たちが立ち去ると目つきの悪い女もその場を去ろうとする。
土曜の午前に競馬場で泣きじゃくるスーツ姿のOLに闇を感じたので、早々と立ち去ろうとしたが遅かった。
ガシッと由香にジャンパーの裾を握られていた。
その手を振りほどく勇気はあいにく持ちあわせていなかった。