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傾城にて  作者: 百島圭子
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「きぬ、お前は今日港に行ったのか。私は行ってよいと言ったか?」

「・・・はい、いえ、申し訳ございません。昨日伺いましたので、今日も同じように伺いました。申し訳ございません。」

「勝手なことをしおったら主人の面目が立たん。どういうつもりだ。」

と言い終わる前に旦那様はきぬ様の顔を思い切り叩かれて、きぬ様は部屋の隅まで飛ばされました。


「また始まった。ほんとによくお怒りになるねえ。」


カツは他人事のように諦めたため息をつきましたが、私は代わりに叩かれようときぬ様の前に飛び出しておりました。


「フウ、何をやっているのだ。引っ込んでなさい。邪魔だ。」


私は旦那様の怒声に黙って目をつぶっておりました。旦那様の手が襲ってくると覚悟しましたが、

「フウ、いいのよ、下がってなさい。大丈夫だから。」

きぬ様の声に目を開けると旦那様は襖を開けて出ていかれるところでした。


私はあまりに安堵して腰が抜けたように力が入りませんでした。でもきぬ様の目を見たら直ぐに力を取り戻しました。優しい目が血に染まっております。左目の白目が真っ赤な色になり目じりが赤紫に浮き出ています。私は急いで手拭いを水に浸しきぬ様の目に当てました。


「ありがとう。大丈夫よ。」


きぬ様はいつも大丈夫と言いますが、少しも大丈夫ではないのです。私は叩かれても構いませんが、奥様は、きぬ様は叩かれてはいけない人なのです。


 それから十日ほど経った頃だったでしょうか、旦那様は港の手伝いに来るようにきぬ様に告げられていました。旦那様はきぬ様が港に行くことを快く思わず嫌っておられましたが、きぬ様の働きを商館長が気に入られて女にも拘らず手伝うように旦那様に申し出されたそうで、旦那様は私をお供に連れて行くことを条件になさったようでした。


「フウ、明日からまた港へ行くことになりました。お前もついてきなさい。」

「はい、わかりました。」

「・・・この傷は・・どう見える?恥ずかしいねえ。」

「まだ少し赤いですけど、もうそんなに目立ちません。」

「そうかい・・・」


白目の左側はまだ赤が残り、目じりは赤紫と黄色に染まっていました。でも腫れはひいて目じりの色も白粉で少し薄くなります。きっと誰も気にしないでしょう。


 港のお手伝いに向かうきぬ様の足取りは心なしか楽し気に見えました。後を追う私を気遣い何度も振り返って微笑まれるきぬ様は家の中よりも幾分か輝いていました。いえ、これまでになく力に満ちて輝いておられました。


港に着くとヨーステン様はすぐにきぬ様の目の傷を見つけられました。


「きぬさん、どうされました。目が赤く・・・」

「あっ、いえ、ちょっと柱に・・・そそっかしいもので。お見苦しくて申し訳ございません。」

「何か薬を手に入れましょうか。」

「いえ、もう大丈夫です。随分と良くなりました。」

「相当な勢いでぶつけられたのですね。」

「ええ、まあ・・・」


きぬ様は何か口ごもって言葉を飲まれているようでした。きっと本当のことをヨーステン様に言いたかったのかもしれません。私が勝手にそのように思っただけですが、きぬ様が旦那様よりもヨーステン様に心を開かれているのは私にもわかるようになりました。


きぬ様が港で荷解きの手伝いをしていると、ヨーステン様は商館長のピーテル・ハルティング様に呼ばれない限りずっと傍らにおられます。積荷が届けられる間も二人でたわいもない話をされていました。


「あれは雀といいます。珍しい鳥ではありません。」

「私の国にも同じ鳥がいます。もう少し色が薄いような気がしますが。」

「不思議ですね。どうやって渡って行ったのかしら。遠い国なのに。」

「渡り鳥ではないですからね。昔から自生しているのでしょう。」

「鳥はいいですねえ、好きなところに行って、貯めもせず、明日のことも考えず、それでも毎日生きている。楽しそうに歌って・・」

「きぬさんも好きなところへ行かれたらどうです?」

「とんでもない、為末が許すわけがありません。」

「どうして為末さんの許可がいるのですか?あなたは奴隷ではないのに。」

「奴隷?妻は夫の言いつけを守らなければなりません。私は嫁いでからは為末の言葉に従って生きております。」

「きぬさんのお気持ちはないのですか?」

「私の?」

「ええ、行きたいところ、やりたいこと、あるでしょう?鳥だって行きたいところに飛んでいくのだから。」

「行きたいところ・・・ふふ、私は鳥より下等かもしれませんね。」


寂しそうに笑って、きぬ様はヨーステン様を見上げられました。ヨーステン様はその時私にはもう鬼ではなく人間に見えました。旦那様よりも人間に見えました。優しく深く少し悲し気でしたが目の奥には力強さを持たれて、きぬ様を見つめておられました。


お二人の目と目にはきっと繋がるものがあったのでしょう。今になってそう確信しております。


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