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傾城にて  作者: 百島圭子
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翌日、私はまた港に行かれることを楽しみにしておりました。昨日の朝の恐怖は全く水に流されて鬼ノ島を心待ちにするほどになっておりましたが、きぬ様ではなく旦那様に呼ばれました。


「フウ、その包みを持って着いてきなさい。」

「はい。」


旦那様は玄関の脇の包みを指してそう言うと出ていかれました。私は慌てて包みを抱え旦那様の後を小走りに着いて歩きました。


「商館で死人が出たから確認しなきゃならん。こうも暑い日に稲田山とはついとらん。」

「どなたか亡くなられたんでしょうか?」

「変なもんを食うたんよ。暑い時は食い物に気をつけんと。」

「はい。」


稲田山というところに伴天連や紅毛人の墓がたくさん集められてあります。山といっても少し高い丘のような場所で木が茂っているので夏でも涼しいのですが、蝉の声で耳が痛くなります。旦那様には渡来人が死んだ時に弔いに立ち会ってお奉行様に申し伝えるお役目があるそうです。丘を上がって行くと数人が輪になって立っておられました。


「お待たせしました。私が最後のようですな。」


旦那様が汗を拭きながら輪に入っておっしゃいました。最正寺の和尚がいましたが、まだ小坊主のような若い和尚でした。それから紅毛人の商館長ピーテル・ハルティング様と黒坊が二人立っておりました。商館長はヨーステン様のように背が高いだけでなく、背中と胸の厚みが横から見ても前から見ても同じくらい太く、これまで見た中で一番大きな鬼でした。


旦那様の後ろから近づいて輪の中を覗き見ると、広げられた白い布の上に黒坊の死体が寝ております。私は鳩尾から苦い汁が上がってくるのを何度も飲み込みました。


死んだ黒坊の頬にはただれた傷があります。カツが魚をやった黒坊です。私は自分の体が小刻みに震えているのに気づきました。静かに体を後退りさせて落ち着けるように大きく息を吸ってみました。


「もう結構です。始めてください。」


旦那様がこう言うと商館長は黒坊に何か言い付けました。すると二人の黒坊が死んだ黒坊の口を両手でこじ開けて土を詰め込みだしました。土人は死ぬと土に帰るからだそうです。死んだ黒坊の口に土が入りきらなくなると、布でくるんで地面に掘った穴に放り込みました。


カツが誇らしげにやった魚で命を落としたのかと思うと、自分しか知らない死の事実を抱えていることが恐ろしく、一緒にこの事実も土に埋めてもらえないかと願いました。カツの優しさが黒坊の命を奪ったのか、それともカツは初めから腐った魚をくれてやろうとしていたのか、私には定かではありませんでした。いずれにせよ私はただただカツの生来の邪悪さが心底恐ろしくなりました。


しかし黒坊がなぜ死んだかなど大事ではないようで弔いは簡単に進みます。和尚は何やら念仏らしき数行を唱えると直ぐに墓を逃げるように去って行かれました。


旦那様は商館長に包みから書を取り出して渡し、

「フウ、墓の周りを掃除してから帰ってきなさい。」

と言って商館長と先に丘を降りて行かれました。


黒坊たちは穴の中に土を入れ、その上にも土をかけて穴を埋めて平らにしました。私は黒坊を間近でじっくり見たことがなく、その時は恐れより少し興味が勝って黒坊も泣くものかと思っておりました。気づかれないように箒で掃きながら盗み見ると暑い日にも拘らず汗というものが全く出ておりませんでしたから、黒い汗をかくのかはわかりません。


しかし目からは涙だと思われる水滴が垂れています。黒坊の涙が水のように透明かはわかりませんでした。墨汁のようかは確かめることができませんでした。でもそれが涙なら黒坊にも日本人と同じように死を悼む心があるのでしょう。


黒坊の墓には南蛮人や紅毛人の墓のように墓石が置かれません。私は道端に咲いていた黄色いノヒメユリを土の上に供えました。黒坊は本当に土だらけです。体の中も外も土が詰められ、きっと体も土になるのでしょう。私の口にも土の味がしてくるようでした。私は伴天連のように海に流されたほうがいいように思いました。土になったらここから動けないけれど、海に流されたらどこか違う国に辿り着けるかもしれません。私は遠くに行きたいと思っていたのでしょう。


耳が痛くなるほどの蝉の声で我に返り、急に自分と黒坊しかいないことに気づき、怖くなって走って帰りました。帰りながら思いました。あの黒坊たちはきっと遠い遠いところから日本に流れ着いたのだろう。ここに来たかったのだろうか、来させられたのだろうか。などと海の先に想いを飛ばしてしまったので、心が彷徨い怖くなりました。


人は願いもしないのに遠くへやられるのだろうか。私は願わなかったが長崎から平戸に来させられた。私はこれからどこへ流されていくのだろう。先のことを思いあぐねる前に家に着き、私は安堵しました。


私が旦那様と稲田山に行っている間にきぬ様はおひとりで港に行かれたようでした。


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