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傾城にて  作者: 百島圭子
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寛永十七年一月二十四日、阿蘭陀人(おらんだじん)商館員と日本人既婚女性のある史実に基づいたフィクションです。


母は肥前の国のお代官の(めかけ)だったそうです。私が女だったために側室になれなかったのだと死ぬまで何度となくなじられました。母が血を吐いて死んだのは私が十になる少し前でした。吐いた血はすぐに水を掛けないと赤黒くなって固まり、布から消えることができなくなります。母の思い出は水に流されていく赤い血と私が女であるという恨みだけです。


後ろ盾のなくなった私は平戸で阿蘭陀通詞をしている家にもらわれました。子供としてではなく使用人としてです。平戸にある家は東印度(ひがしいんど)会社のある阿蘭陀商館という建物から少しのところにありました。平戸には港があり、唐人や南蛮人、紅毛人が船から降りて街を歩いています。小さな丘陵の田助には遊郭があり、遊女屋が数十軒建っていました。


家の近くに遊女屋はありませんが、船が着くと人が多く往来しておりました。唐人は日本人と変わりありませんが、南蛮人の体は大きく、髪の毛は赤く、顔じゅう毛で覆われており、奇妙な着物を着ておりました。その大きさと顔の色は鬼としか比べようがありません。


私は南蛮人を見つけるとすぐに物陰に隠れました。長崎に住んでいる南蛮人もありましたが、平戸にも住んでいたようです。紅毛人は南蛮人よりさらに大きく、髪や顔の色が南蛮人より薄く、黄色い髪をした人もおります。紅毛人も沢山の毛が顔や首から生えて、天狗のような鼻がついています。


ただその大きさは鬼の他にはなく恐ろしさは変わりません。私は暫くの間、南蛮人や紅毛人が怖くて船が着くと用のない限り外には出ないようにしました。


旦那様は為末吉右衛門(ためすえのきちえもん)様という方で、奥様のきぬ様とお二人でお屋敷に住まわれていました。きぬ様の身の回りのお世話が私の主な仕事でした。きぬ様の肌は白く薄すぎて、青い筋が首や手の甲の皮膚を透かしてうっすら見えるようでした。大きな黒い瞳で見られると言葉が出てこなくなります。私は初めて母より美しい人を見ました。


私の他にもう一人使用人がありました。カツという名の料理をする女です。おそらく年はきぬ様と同じくらいでしょうか、二十は過ぎているようでした。でも皮膚がきぬ様とは別の布のように色も厚みも違いました。浅黒く分厚い皮膚で目の間が離れているのでたくさんの物を見られるのではないかと思いました。しかし細い目は笑っても怒っても細く、上下があまり見えないのかと、だから離れているのだと思いました。


カツは掃除と洗い物をすべて私がやるように言いつけました。御膳の支度も教わってできるだけやりました。掃除の行き届いていることをきぬ様が褒めてくださるとカツがお褒めを受けます。どうも私ではなくカツが掃除をしていることになっているようでした。


洗い物も初めの一度きりカツに教わりましたが、その後は井戸を使わせてもらえず裏の川に行きました。なかでも、きぬ様に呼ばれてお世話をするのが唯一楽しい時間でした。きぬ様の近くにいられることが嬉しいのです。


きぬ様はいつもいい香りがしました。白粉の匂いか香だったのでしょう。お世話といっても髪を結うのをお手伝いしたり、着物の綻びを繕ったり、他の奉公に比べたら何も大変なことがありません。きぬ様のお話を聞いている時間のほうが長かったからです。朝の鳥のさえずりのようなきぬ様の笑い声を聞くだけで私の心は浮き立ち幸せでした。


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