ホセ
ホセは世界をクソ溜めだと思っていたので、異世界への転移は願ってもない事だった。
前触れなく飛ばされた先で武装した毛むくじゃらのモンストロに囲まれても、生き残るのは容易だった。ホセには堂々たる体躯と、類稀なる暴力の才能が備わっていたからだ。
加えて一緒に転移した手下も三人いた。いや、三人と半分かとホセは思い直した。ミゲルは、林の中の木と混ざっていやがったと。
木の枝と同じようにミゲルの身体が斜めに生えていたのだ。胴体の中心は木に貫かれている、というよりは、やはり木の中からミゲルが生えていると言った方が正しい。口から大量の血を吐き虚ろな目の四人目は、どう見たって死んでいた。
ホセが毎日生きる為に足掻いていたメキシコシティの治安は、近年格段に良くなったと言われるものの、実際は未だ街の中心部に地元民やタクシーも近寄らない、テピート地区という世界に名が轟く危険地帯があり、あらゆる犯罪の温床となっている。
そのテピートを支配する麻薬カルテル、“ウニオン・テピート”に属するホセのチームは、敵勢力を襲撃すべく準備を整えているところだった。
ウニオン・テピートは二〇十〇年にボス”ラ・バービー“がメキシコ支配を目指し結成した一大カルテルであるが、組織の拡大は思惑通りに行かなかった。
三年後には内部分裂が起き始め、ミチョアカンファミリーやシナロア・カルテルの下部組織を母体としたハリスコ新世代へ離反する者達が多く出る事態となり、遂には二〇十七年、フエルサ・アンチ・ウニオンが結成され、翌年にはウニオン・テピートはもとよりメキシコ全てのカルテルに対して宣戦布告を発し、警察・検察にすら脅迫状が出された。
ホセがテピートを離れなかったのに、特別な理由はなかった。ラ・バービーに恩義を感じている訳でもないし、ウニオン・テピートに愛着がある訳でもない。ただ、カルテルなんて全部クソだと思っていたので、どこにいても同じだったのだ。
毎日生き延びる為に汚い仕事をし、向かってくる奴は殺してきた。今度は隣接するガリバルディの連中がこちらを襲う算段をたてているというので、ならやられる前にやってやれと指示を受け、手下四人と武装を固めていた。
その準備がほぼ整ったところで突然目眩を覚え、気が付くと雑木林の中で片膝をついていた。
周りを見れば黒い毛のモンストロが自分達を見て驚いている。うち一匹が手にした棍棒を振り上げ襲い掛かってきたので、反射的に銃で撃ち殺した。それを皮切りに場の気勢が爆発し、ホセと手下は無傷のまま毛むくじゃら全員を死体に変えた。
何がどうなってるのか全く分からなかったが、パニックになりかけた手下三人を、まずは冷静に落ち着かせ、自分も状況を整理しようと思った。ここが何処なのかとか、何故とか、今考えても分からない事は一旦横に置いておく。何があって何がないのか、行動としてどうすれば今の自分にとって最善なのか、そこに集中した。
ホセには学校へ行ける環境などなかったので、あまり自覚はなかったが、地の頭は良かった。簡単な計算以外に学問がまるで出来ない分、常に生き残る手段と根回しを考えていた。そんな自分にも、時々嫌気が差した。
ホセはテピートが嫌いだった。メキシコが嫌いだった。境遇の全てを恨んでいた。メキシコ人らしい自分の顔も、メキシコ人らしい自分の名前も嫌いだった。メキシコ男を十人並べれば、右も左もホセばかり。おまけにどいつもろくでなしときた。
いつかこのクソ溜めを出てやろうと、夢想する事もあった。だが毎日毎日、目の前の暴力にとらわれていた。暴力のせいで人生を改善する余裕もないという不満を、暴力によって敵にぶちまけてきた。
こんなところに生まれなければとくさっていたが、そのうち、自分はなぜテピートが、この環境が嫌いなのかと根っこのところを考えてみる様になった。見向きもしなかった聖書をつまみつまみ読み、教会や大聖堂を外から眺め、人の少ない時間帯に足を運ぶ。そして結果、自分を育てたのは悪だからなんだと思い至った。
単純な事だ。麻薬は悪い。悪いから儲かる。毎年何千人と死のうが、金になるから悪いものは無くならない。悪いものを、俺は悪いと思える。つまり、俺は悪い人間のままではいたくないのだ。
そう考えた時、救われた気がした。俺は、もっとましな何かになれるかも知れない。そんな折に見知らぬ場所へ飛ばされ、ホセは胸の内にじわじわと染み出す、運命と呼ぶべき心の高揚を感じていた。これは、まさか。まさか俺は。
沸き立つ心中を表情へはおくびにも出さず、手下三人へ静かにするよう声をかける。派手に銃声を響かせたが、敵の増援が来る気配はない。
辺りを見回しても木ばかりで見通しは悪い。数えたら七匹いた毛むくじゃらを蹴り転がすと、どいつも牛の様な豚の様な、不細工な顔まで毛に覆われていた。手下どもにぼろ切れのような死体の服と、置かれていた粗末な荷袋をあさるよう命じ、自分は林から出れる道があるかを探してみる。
するとすぐ、腰まである草の間に獣道を見付けた。手下に呼ばれ、まとめて並べた品を見てみると、やはりろくな物はない。
水筒代わりなのか水の入った袋、ジャーキーの様な干した肉片、ぼろぼろの小刀。正体の分からない水や肉など口に入れる気にもならず、武器は自前の方が上等。
興味を引いたのは、ずっしりと重みのある皮の小袋だ。開けてみると、形もデザインも不揃いで、元の色からはかなりくすんだと思われる硬貨が出てきた。たぶんここらの通貨なのだろう、全部で五袋あったそれを、手下に分けて持たせた。
次に全員の武器を確認させる。木と一緒くたになっているミゲルからも回収させた。木から降ろしてやるかとも少し思ったが、身体が丸ごと刺さっていてはどうにもならないので放っておいた。
武装はH&Kの自動小銃が四丁、拳銃はベレッタが五丁。メキシコやブラジルの工場で造られたライセンス生産や密造ではなく、密輸したドイツとイタリアの純正品だ。弾倉はそれぞれ五本から七本、あとはハンティングナイフが三本。
ここがどこなのか分からない以上、弾丸は節約した方がいいだろう。ホセは目についた棍棒を拾い上げ、軽く振ってみてから肩に担いだ。そして手下に合図し、先頭を切って見付けた獣道へ分け入った。まずは、状況と環境の確認だ。