五話 かくして、部室を懸けて勝負をする羽目になってしまった
「いやいや、ちょっと待ってくださいよ!」
耳を疑いたくなるような発言に、俺は思わず立ち上がって佐伯先生に詰め寄る。
「どうしてそういう話になるんですか。俺がそういうのをめちゃくちゃ嫌っているのは、先生もよく知っているはずですよね?」
「もちろん知っているわよ。知った上で言っているのよ」
「だったら、なんで──」
「いい? 影山」
と、質問を遮る形で俺の肩に両手を置いてから、佐伯先生は穏やかな瞳をこちらに向けてこう言った。
「あんたはまだ十代なの。この先、色々な経験があんたを待っているとは思うけれど、子供の内の恋なんて今しかできないの──辛いこともあるかもしれないけど、きっとどれも影山にとってかけがいのない貴重な財産になるわ。それを上手く生かすか殺すかはあんた次第だけれど、どちらにしても思い出という形として影山の中にずっと残ってくれるのは確かなはずよ。きっとそれが、あんたの心の成長にも繋がってくれるわ」
「先生……」
「ていうか、大人になったらそうそう簡単に恋愛できるものじゃないのよ? 社会人になったら学生の時よりも格段に出会いの機会が減るし、休日は自分を癒すので精一杯だし、たまに出会いがあっても、お互いの仕事とか趣味とか未来の展望の食い違いが気になって自然と心の距離が開いてしまったり、マジで色々と大変なんだから。あたしぐらいの年齢になると、どんどん心が擦り減っていく一方よ。だからあんたも少しは恋愛の苦しみを知りなさい。そして、あたしの心の渇きを爆笑で潤して☆」
「先生……?」
それって、完全にあんたの憂さ晴らしでしかなくない?
しかも教え子の色恋沙汰を笑う気満々でいやがるし。もはや人格を疑うレベルである。いや、元からこういう人だということは知っていたけれども。
「なによー、見るからに不満そうな顔をしてー」
「むしろ不満しかないですよ」
嘆息しつつ、俺は椅子に座り直して語を継ぐ。
「そもそも、単純にじゃんけんではダメなんですか? 恋愛で勝敗を決めるとか、ちょっと曖昧すぎる気がするんですけれど」
「じゃんけんで決めるとか、そんなのあたしがつまらないでしょ!」
「いや、知らんがな」
世界の中心か、あんたは。
「だいいち、あんたたちはそれで納得できるの? もしこれで負けたらあっちの三人は部室も顧問の当ても無くなるわけだし、影山に至っては一年近くいた部室から追い出されることになるのよ。それをじゃんけんなんて運試しで決めて本当にいいのかしら?」
「それは……」
続く言葉が見つからなかった。
確かに、じゃんけんで負けでもしたら、そう簡単には割り切れないかもしれない。それだけこの部室は、俺にとってかけがえのない大切な居場所となってしまっているのだから。
「そうねー。ウチもじゃんけんなんかであっさり決めたくはないかも。先生も言っていたけど、ウチたちにとってまたのないチャンスでもあるし」
返事に言い淀む俺に同意する形で、光守も意見を述べる。
「でも、麗華ちゃん。影山くんに恋をさせるのって、そんなに簡単なことじゃないと思うよ?」
「問題はそこよねー。こいつ性格も口も悪いし、おまけに見た目も幽霊みたいに陰鬱としているから、告白する前に女の子の方から逃げ出しそうだもの」
「そ、それもだけど、それだけじゃなくて……」
水連寺の奴、肯定しやがった。
所詮はこいつも光守側の人間ということか。あとでこいつも光守と一緒に呪詛の念を送ってやる。そんで犬の糞でも踏むがいい。
「影山くん、恋愛が嫌いって言っていたでしょ? だからすぐに恋人ができるとは思えないし、時間もかなり掛かると思うの……」
「あー。言われてもみれば、確かにそうね。ねえ先生、そのへんはどうする気なの? あんまり長すぎるのもどうかとも思うけれど」
「期間かー。ちょうどこのリストアップされている中のどれが対象にされるかが二、三日以内で決まるはずだから、だいたい今日から二週間以内ってところかしらね」
パンパンとリスト表を叩きながら言う佐伯先生に、俺はすかさず手を挙げて、
「先生。その二週間以内っていうのは、どうやって決めたんですか?」
「現時点の話ではあるけれど、仮に退去通告を受けた場合、その日から十日以内に部室を開けなければならない決まりになっているの。その後、抽選で部室の使用権を争ってもらうことになるけれど、こっちも諸々の段取りで三日程度は掛かる見込みね」
そこまで具体的に話が進んでいたのか。文芸部がここから追い出されるのはほぼ確定のようだし、これは本腰を入れてなんとかしなければ。
「え~? 二週間以内っていうのはさすがに短すぎない? ただでさえ他人に恋をさせるなんて簡単なことじゃないのに、その相手がこいつよ? 二週間程度じゃあ全然足りないくらいよ」
「じゃあ今からでも他の部室を探してみる? あたしは別に止めないわよ?」
「……その質問はずるい。顧問がいないウチらにとって、他の部室を探す選択肢なんてあるわけないじゃない」
唇を尖らせる光守に、ふふんと胸を張る佐伯先生。年下相手に、なんて大人げない。
「ていうか、一応これはあなたたち恋愛研究部のためでもあるのよ。活動内容がちゃんと把握できるようにね」
活動内容? と首を傾げる光守に、佐伯先生は腕を組みながら言葉を紡ぐ。
「あんたたち、まだ部の申請書を出していないでしょ? 申請書には具体的な活動内容を書かないといけない欄もあるのよ? そのへん、ちゃんと考えているの?」
「え? それって、恋愛を研究するだけじゃダメなの?」
「それだとアバウトすぎるわ。十中八九、そんな申請書だと絶対に認めてもらえないでしょうね。吹奏楽や茶道と違ってメジャーな部活動でもないし」
「じゃあ、恋愛マンガを読んで勉強するのっていうのは?」
「それでもまだ不十分ねー。マンガや本を読むだけなら、どこでもできるようなことなんだから」
部活動の一環としては認めてもらえるでしょうけれど、と佐伯先生。
「え~? 申請書って面倒くさい~。だったらなんて書けばいいの~?」
水連寺の肩にもたれかかって不満を吐露する光守に、佐伯先生は仕方ないと言わんばかりに苦笑をこぼして、俺の方に視線を向けた。
「影山。ここの活動日誌を見せてやりさない。少しは参考になるでしょ」
「はあ……」
溜め息に近い応答をしつつ、俺は無言でテーブルの上に置かれている日誌を手に取り、そのまま光守に差し出した。
対する光守はというと、俺から物を受け取ることすら嫌気が差すと言わんばかりに顔をしかめながらも、黙って日誌を受け取ってパラパラと日誌に目を通し始めた。
「……へえ。色々な本の読書記録が書かれているのね。さすがは文芸部といったところかしら。──ん? でもたまになにかのコンクールに参加した記録もあるわね。俳句とか読書感想文とか……」
「さっきも言ったけれど、本を読むだけじゃ部として認めてもらえないの。だからなにかしらの活動実績が必要になるのよ。文芸部だと文章関係の公募がそれに該当するわね」
佐伯先生の言葉に「ふうん」と頷く光守。それから一通り読み終えたあと、俺に日誌を返して、
「それで、先生はウチにどうしろって言いたいの? 申請書の内容がすごく重要だってことはわかったけれど……」
「つまり、影山を研究対象にして実績を作ればいいのよ。うちの学校は恋愛を禁じているわけではないし、しっかりとした実績もあれば申請も通りやすくなるはずでしょうから」
「こいつで実績を~? こいつで~?」
と、多分に嘲りを含んだ目で俺を見下す光守。その目、今すぐ潰してやろうかデコトラギャルが。
「こんな性根の腐った童貞野郎が、真剣に恋活するとは思えないんですけれど? そもそもこいつ自身が恋愛嫌いって言っている以上、こっちがなにかしてあげても時間の無駄でしかなくない?」
「だったら別の勝負にする? 他には『ドキドキ☆水着だらけのお尻相撲~ポロリもあるかも?~』とか『水着ローションプロレス~ポロリもあるよ!~』とか『水着借り物競争~ただし借りられるのは相手の水着だけ。これはポロリしかない!~』とかあるわよ」
「全部水着じゃない! しかもなんでポロリ前提!? ウチに胸を出せって言うの!?」
「だって、そういうハプニングがあった方が面白いでしょ? あたし、昔の深夜番組でやっていたようなノリが好きなのよ~」
昔の深夜番組って。それ、年代的に言うと佐伯先生が小学生の頃に放映していた計算になると思うのだが……。
「絶対に嫌よ! そんなふざけた勝負!」
「え~? じゃあ勝負なんてもうやめる? あたし的には影山と勝負してほしいんだけどな~。……そっちの方が色々助かるし」
またもやボソッと本音を漏らす佐伯先生。この人、自分に正直すぎやしないか?
そんな佐伯先生に対し、光守は慌てて首を振って「そこまで言ってない!」と声を張る。
「ただ不公平って言いたいだけよ。元から恋愛に興味がない奴に恋をさせるなんて、どう考えてもこっちの方が不利じゃない。マジでありえないわ」
「けど、そっちは三人で影山は一人なのよ? 数だけで言うならそっちの方が有利だし、なにより金髪ちゃんはそこにいる巨乳ちゃんのために恋愛を研究したいんでしょ?」
いや『巨乳ちゃん』って。あんまりな呼び方に、水連寺本人も顔を真っ赤にして硬直してしまったぞ。まあ、そう呼びたい気持ちはわからなくもないが。
「具体的にどうしてあげたいのかまでは知らないけれど、その奥手そうな子に理想な彼氏を作らせてあげたいのなら、影山に恋をさせるくらいの意気込みでないと、この先苦労するんじゃないの? 見たところ、そっちは女子しかいないようだし、男側の意見も貴重なんじゃないかしらー?」
なかなか真っ当なことを言う佐伯先生に、光守は隣にいる水連寺を横目で一瞥したあと、不機嫌そうに腕を組んで黙り込んでしまった。
決して納得したわけではないが、言い分はわからないでもないとでも言ったところか。あるいは一考の余地ありと思っているのかもしれない。
まあこいつらにしてみれば、男側の意見なんてなかなか訊けないだろうからな。光守は男友達そこ多そうだが、処女を隠している以上、そこまで踏み込んだ話はできないだろうし、水連寺にしても男が苦手という時点で論外。大空に至っては言わずもがな。とてもじゃないが、男と恋愛トークができるとは到底思えない。
そういう意味では、俺という存在はなにかと便利なのかもしれないな。お互い第一印象が最悪だし、これ以上関係がこじれたところで私生活になんら支障もないし。
ゆえに、佐伯先生の提案は渡りに船とまでは言わずとも、光守たちにとってさほど悪い話ではないはずだ。こっちと違って負けてもなにかを失うわけでもないし、それどころか部活設立に必要な実績だって作れるのだから。
むしろ勝てば俺を追い出して部室と顧問を両方ゲットできるのだから、光守たちの方が得とも言える。
あれ? よく考えたらこれって、俺が勝ってもあんまりメリットがないっていうか、こいつらが入部して文芸部を存続できたとしても、俺の居心地悪くなるだけじゃね?
ちきしょう。まんまと佐伯先生の口車に乗せられてしまったぜ……。
「──先生の言いたいことはわかったけどさー」
と、勝負に乗ってしまったことを内心後悔していた最中、光守が不意に口を開いた。
「でもそれって、こいつ以外じゃダメなの? たとえば相談者でも適当に募ってさー。それでウチらが恋を応援する側で、こいつがその恋を妨害する側とで別れて勝負するとか」
なんか、一昔前のラノベにありそうな話を持ち出してきたな。
なんて思っていたら、佐伯先生も同じようなことを考えていたようで、
「なにそのラノベみたいな展開。世界を大いに盛り上げる何某の団みたいなノリねー」
と、ほとんど作品名を言っているかのような例えで感想をこぼした。
まあそれを言い出したら、部室を懸けて勝負をするという時点ですでにラノベみたいな展開ではあると思うのだが。
しかしながら、光守たちにはなんのことだか全然わからなかったようで、三人揃ってちんぷんかんぷんといった面持ちをしていた。ま、そりゃそうか。普段ラノベどころかアニメすら見そうにない連中だし。
俺と佐伯先生は普段ラノベやマンガの貸し借りをするくらいの関係ではあるので、今の例えにもすぐピンと来たけれども。
「ご、ごほん。まあ、それはいいとして……」
光守たちの微妙な反応を見て気まずそうに咳払いしつつ、佐伯先生は続ける。
「その内容でもあたしは構わないけれど、その代わり、どうなっても知らないわよ? なにせ影山は卑怯上等を地で行くような男なんだから。どういう手で相談者やあんたたちを罠に嵌めようとするのか、あたしにも想像できないわ」
「えっ。そんなとんでもないことまでするの、こいつって……」
「する。影山は平然とする。昔の話になるけれど、影山がまだ新入生だった頃、後々文芸部を独り占めするために裏で画策していたことがあったんだから。おかげで去年は影山一人しか新入部員が入らなかったわね~。今年は今年でなにも勧誘活動をしなかったせいで一人も入らなかったし」
「……うわっ。もう最低を通り越してゴミねゴミ。しかも黄色いゴミ袋の方の」
だれが有害ゴミか。
「ていうか、文芸部にいた上級生の人たちはなにも言わなかったの? 文句のひとつくらいあってもいいと思うんだけど?」
「あの子たちはなにも知らなかったから。あたしもそのことに気付いたのは去年の暮れ頃だったし、その時には三年生も引退していたから、受験の邪魔になるようなことだけはしたくなかったのよ」
「……あんた、一度死んでみた方がいいんじゃないの? これだけ人に迷惑を掛けておいて悪びれもしないとか、ゲスの極みよ?」
「それがどうした。別段先輩方に不快な思いをさせた覚えはないし、死んで詫びるような覚えはなにもないね」
そもそも、先輩方とはそんなに親交があったわけでも険悪だったわけでもないので、お互いどうとも思っていないはずである。
「それより、本当に第三者を介入させての勝負でいいのか? 俺は別にそっちでも構わないが」
「あんな話聞かされて『うん』とでも頷くと思った? 絶対嫌に決まっているでしょ」
「じゃあどうすんだ? もういっそ勝負なんて諦めて、大人しく帰ったらどうだ? というより帰れ。今すぐ帰れ。可及的速やかに帰りやがれ」
「冗談。ここまで来てすごすご帰るわけがないでしょ」
言って、光守は居丈高に胸を張ってこう告げてきた。
「こうなったらやってやるわよ。必ずあんたに恋愛の良さをわからせてやるわ!」
ちっ。結局こいつらと勝負しなきゃいけない流れになってしまったか。
まったく、面倒ったらありゃしない。
「……あのう、ちょっとだけいいかな?」
と、それまで静かに俺たちの話を聞いていた水連寺が、おずおずと手を挙げて会話に混ざってきた。
「それってどうやって勝敗を決めるの? 影山くんが恋しているかどうかなんて私たちにはわからないし、そもそも『恋なんてしていない』って言い張られたらどうしようもないと思うんだけど……」
「安心しなさい。影山が恋をしているかどうかなんて、顔を見れば一発でわかるから」
自信満々に言う佐伯先生に、光守が眉をひそめて、
「え? どうしてそんなことがわかるのよ?」
「だって、影山とは昔から家が隣近所の顔馴染みだもの。考えていることが全部わかるってわけじゃないけれど、こいつが恋をしているどうかぐらいならなんとなくわかるわ。影山の初恋も二度目の恋も、真っ先に気付いたのはこのあたしだしね」
「「ええっ!?」」
佐伯先生の言葉に、声を上げて驚く光守と水連寺。大空は……別にいいか。以下省略ということで。
「影山くんと先生って、元から知り合いだったんだね……。あ、だからさっきからすごく仲の良い感じだったんだ……」
「それよりもあんた、あれだけ恋愛が嫌いとか言っておきながら、人を好きになったことがあるんじゃない! なんだったのよ、今までのやり取り!」
「恋愛は嫌いとは言ったが、生まれてからずっとそうだったとまでは言ってないだろ」
「じゃあ、いつからそんな風になっちゃったのよ?」
「どうだっていいだろ、そんなの」
ああもう。佐伯先生が余計なことを言ってくれたおかげで、妙な関心を持たれてしまったじゃないか。
過去なんて、だれにも詮索されたくないのに。
「審判は佐伯先生。俺が恋をしたらそっちの勝ち。これで勝負うんぬんの話は終了でいいだろ」
そう強引に話を切った俺に「そうねー。あたしもそろそろ職員室に戻らなきゃいけないし」と壁時計を見ながら佐伯先生が同調する。
「とりあえず、勝負の件はこれでおしまいってことで。他に気になる点があるのなら、またあとであたしに相談するなりなんなりすればいいだけの話だし。これでどう?」
「まあ、今はそれで納得しておく……。萌と鳴もそれでいい?」
「う、うん。私なんかで麗華ちゃんの力になれるかどうかはわからないけれど……」
「自分は美味いものさえ食べられたらそれでいいっス」
大空……お前はほんとに食うことしか頭にないのな。なんかもう一周回って面白くなってきたわ。
「あ、そうそう。これはみんなに約束してほしいことなんだけど、くれぐれも勝負の話を他の人に漏らしたらダメよ? もしもこれが他の生徒や先生方に知られたら絶対問題になっちゃうから」
余計なトラブルはお互いに避けたいでしょ? とウインクする佐伯先生。
トラブル、か。こっちにしてみればすでにそのトラブルと遭遇したようなものだが、確かにこれ以上の厄介事は御免被りたい。先生の言う通り、この件が外部に知られたら色々と面倒なこと(他の部室待ちの生徒からの不満とか)になりそうだし、俺としても異論はない。
それは他の三人も同意見だったようで、皆一様にして佐伯先生の言葉に頷いた。
「よし。これでどうにか話はまとまったわね」
言って、リストアップした紙を丸めてマイクのように持ったあと、佐伯先生はさながら司会者のごとくこう続けた。
「それでは本日を持って、影山に恋させちゃえ大作戦~ポロリもあるぞ☆~の開催を宣言するわ!」
「だからポロリはないってば! ていうか作戦だったのこれ!?」
戯けたことを言う佐伯先生に、光守が盛大に突っ込んだ。
かくして、光守たちを相手に部室を懸けてわけのわからない勝負をすることになってしまった。非常に不本意ながら。
まったく、どうしてこんなことになってしまったのやら……。