呪われ王子は勘違い令嬢を溺愛する【電子書籍化※注意】
昔昔あるところに。
聡明叡知、胸襟秀麗、眉目秀麗で、徳高望重な王子様がいらっしゃいました。
その王子様が成人する少し前、王子様の母親であるお妃様がお星様となり、王様は新しいお妃様を迎えました。
ところが大変!
新しいお妃様は、魔女だったのです。
新しいお妃様は、王様との間に出来た自分の息子を次の王様にする為に、王子様が醜い姿になる恐ろしい呪いを掛けました。
新しいお妃様の正体に気付いた王様は、お妃様を処刑して王子様を元の姿に戻そうとしましたが、王子様の呪いは解けませんでした。
王子様を愛し、そして王子様が愛する人が現れないと、その呪いは解けないのです。
お妃様の呪いで醜い姿になった王子様は、落胆し、離宮に移ってひっそりと過ごしました。
王子様を不憫に思った王様は、何人ものご令嬢を、その離宮に送り出しました。
ところが、ご令嬢達は皆、醜い姿になった王子様を受け入れることが出来ません。
そんなある日……
***
「私が離宮に……ですか?」
貧乏伯爵家、と有名なロディス家の次女、シェリルは縫い物をしていた手を止め、父を見る。
「ああ、そうだ。まさか我が家門にまで話が回ってくるとは思わなかったが」
「……本当に私で宜しいのでしょうか?」
家格の話ではなく、長女ではなく次女で間違いないのか、とシェリルは父に確認した。
「……仕方ないであろう、ミレーナは呪われ王子の元には嫁ぎたくない、と言うのだから」
シェリルの問いに、父親であるロディス伯爵は頭を抱えた。
本来であれば、王妃として見劣りすることがないであろう美しく気位の高い長女を選ぶつもりだったが、「何故、沢山の縁談が舞い込む、美しいと評判の娘をよりによって醜い王子の元に嫁がせるのです?」
と本人が物凄い形相で怒り狂ったのだ。
使用人すらも満足に雇えないロディス家としては、家事全般や家計を助ける為の仕事を嫌がることなく積極的に行う次女を残すつもりだったが、散財することが趣味の長女は「私の美貌があれば、金持ちの侯爵家……いえ、公爵家から求婚されてもおかしくありません。そうすれば、こんなしみったれた屋敷や食事に我慢する必要もございませんわよ、お父様」と言って嗤ったのだ。
「そうですか、やはりカシューの求婚を受けるのですね」
シェリルは微笑む。
ひっそりシェリルが片想いをしていた、豊かな商家の生まれである平民のカシューは、つい最近ミレーナに求婚するつもりだ、とシェリルに宣言したのだ。
「……いや、それは断わったようだ」
「ええっ!?……お姉様には、少し頼りなく思えたのかしら。本当に優しくて、良い人なのに」
シェリルは、残念そうな顔をして言う。
自分が失恋してしまった代わりに、カシューには上手くいって欲しいと彼女は心から願っていた。
本当のところは「平民に嫁ぐなんて冗談じゃないわ、同じ金持ちなら貴族じゃなきゃね」と言い切り断わったので、父親は苦笑する。
「ミレーナなら、王子に愛されるのではないかと思ったのだが、本人があんな様子なら仕方がないだろう。シェリルにはまだ縁談らしい縁談が来ていないし、どうかな?」
シェリルは金銭的余裕がないことから社交界デビューはしていない。
だから、貴族……いや、まさか王族から話が舞い込んでくるなんて思ってはおらず、父親としてはラッキーなことだと考えている。
ただ、微々たる金額でも稼いでお金を入れたり、衣食を繕ってくれたり、家事全般を嫌がらずにやっていた次女がいなくなるのは多少不便になる、という認識だ。
「今までの婚約者は、皆一ヶ月もおかずに出て行ったらしい。だから、シェリルがもし仮に、王子に愛されず、そしてシェリルが愛せなくても、全くお咎めなしで戻って来られるから、安心しておくれ」
本当は、一ヶ月どころか一日も持たなかったのだが、それは伏せておく。
王子を不憫に感じた国王は、五人が脱落した辺りから、嫁入り候補者の家へ見合い代として少しの金額を入れるようになったからだ。
そしてそれは、ロディス家にとっては大金だった。
シェリルが戻ってくれば、またタダ働きさせられる使用人が一人増えたと思えば良いのだ。というより、シェリルが戻って来ない訳がない、と父親は考えていた。
シェリルはにっこり笑って言った。
「勿論そのお話、有り難く引き受けさせて頂きますわお父様。……ところでその話、私で何人目なのですか?」
これも、隠しておこうとしたのだが本人から尋ねられてしまい、父親はぐ、と言葉に詰まる。
「……十人以上、と聞いている」
「そうですか」
本当は二十人以上だが、嘘ではない。
かくして、社交界デビューを果たしていない次女シェリルの、仮の嫁入りが決まった。
***
ガタンゴトンと、座り心地の良い馬車に長い間揺られながら、シェリルは考える。
(蛙……蛙かしら?)
シェリルは童話を思い出しながら、半分そう思い込んでいた。
魔女に姿を変えられた王子様、といえば蛙だ。
(大丈夫、両生類は好きですから)
しかし、両生類の餌となる昆虫はどちらかといえば苦手である。
(餌……いえ、王子様のご飯さえ気合いで乗り切れば、何とかなるんじゃかいかしら?というより、ご飯だけは人間のものを食す場合もあり得ますし)
そんなことを一人考え、王子様の醜い姿を想像しては最初の挨拶を入念に考えていた。
(いくら姿が醜いとはいえ、初対面の時に悲鳴を上げることだけは避けなければ……そんな相手に心を開いてくれる訳がございませんもの)
シェリルが逆の立場であれば、傷つくに違いない。そう考えて、様々なパターンをシミュレーションしているのである。
因みに、馬車を引く御者は王子様の情報を全く掴んでいなかった。
国王との面会の場などはなく、このまま王子様の離宮に連れられていくのだが、そのやり方が既に「別れることが前提」である。
妃にならないだろう伯爵令嬢とお茶をしている時間なんて、忙しい王様にはないのだ。
それでも、一縷の望みを掛けて国王は何人もの令嬢を王子の為に離宮へ向かわせるのだ。
是非、その気持ちに応えたいとシェリルは気合いを入れ直す。
「シェリル様、着きました。こちらです……が、私はこれ以上先には進めません。どうぞお気をつけて。そして何かご入用の物がございましたら、こちらの門番にお申し付け下さい」
「はい、ご丁寧にありがとうございました」
シェリルがその離宮に到着したのは、お昼過ぎであった。彼女は馬車から一人、身一つで降り立つ。
荷物は先に運ばれているらしい……が、軽い鞄一つだから直ぐに荷解きは終わるだろう。
何となく、そのまま帰れるように、荷解きはされていない予感がする、と、鬱蒼とした蔦に囲われた門を見てそうシェリルは直感した。
門番に簡単に挨拶し、足を踏み入れる。
王子様は、魔法を掛けられてしまってから、極端に人と会うことを嫌がるようになったらしい。
まぁ、その気持ちは理解出来る。
ど田舎暮らしのシェリルは知らなかったのだ。
彼女がいかに、世界を見ていないのかを。
馬車は、王都も通過した。
その時、自分こそ蛙だったとシェリルは気が遠くなった。
井の中の蛙である。
姉が世界一の美女だなんて、とんでもなかった。
王都の街中を歩く街娘でさえ、可愛くお洒落でエレガントだ。
それが貴族になったらどうなのか。
姉ですら、芋やカボチャにしか見えないのではなかろうか。
……成る程、ミレーナが社交界に行ってもずっと良縁が舞い込んで来なかったのは、姉以上の令嬢達にそれが集まるからなのだな、とシェリルは理解してしまった。
国内一の美貌を謳われた王子様であれば、それが奪われた時の絶望や焦燥は計り知れないだろう。
ウンウンと頷きながらシェリルは歩いていたが、何やら犬のような大きさの巨体に気付いて、足を止める。
(あれは……)
視力の良いシェリルは、じっと離宮の前を陣取り、もっしゃもっしゃと雑草を食べるその物体が何であるか直ぐに気付いた。
(……豚!!醜い姿とは、豚のことだったのね……!!)
尻尾をくるりんと巻いた豚は、足を泥で汚し、涎をポタポタ垂らしながら、食事をしている最中だった。
***
「……初めまして、キリアン王子殿下。私はこの度キリアン殿下の……婚約者として伺いました、ロディス伯爵家の次女シェリルと申します。これからよろしくお願い致します」
礼儀としては目上の人に先に声を掛けてはいけない筈であるが、豚……いや、王子の傍まで近寄り最敬礼のカーテシーをして待機しても、その豚はキョトンとした顔でもっしゃもっしゃ食事を摂り続けるものだから、痺れを切らしたシェリルは流石に先に声を掛けた。
王子の呪いが解けたら成婚となるらしく、それまでは婚約者扱いだ。
シェリルが声を掛けても、豚……キリアンはマイペースに食事を続ける。完全に空気として扱われたが、それでもシェリルは諦めない。
「キリアン王子殿下、お食事が終わるまで、傍にいさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
如何せん、王子に関わる情報が少な過ぎた。
言葉は通じるのか、話せるのか、どこまで人間らしいことか出来るのか……そうした些細なところまで知りたくて、シェリルは豚の同意を得られずともその場を離れる気はなかった。
──やがて、シェリルの足がそろそろ痛くなって来た頃。
「……そこで、何をしている?」
嗄れた声が、熱心に豚を見つめるシェリルに掛かった。
自分以外の人間に会うとは思わず、シェリルは慌てて姿勢を正し、その声の方を見て、挨拶をする。
「初めまして、私はロディス伯爵家のシェリルと申します。今は、キリアン王子殿下にご挨拶させて頂き、お傍に控えておりました」
顔を上げ、祖父以上の年配の男性を真っ直ぐに見て、シェリルは続ける。
「執事の方でしょうか?申し訳ないですが、私にあてがわれた部屋が何処かご存知でしたら、教えて頂けないでしょうか?キリアン王子殿下はこの通り、お食事中ですので」
七十歳程の老齢の男性は一度その落ち窪んだ目を見開くと、「……こっちだ」とシェリルに背を向けた。
シェリルは気を利かせて一応執事、と聞いたのだが、キリアン王子殿下の傍で控える執事にしては、背は高そうなものの腰が曲がっており杖を付き、髪はボサボサ、髭は顔の周りを、長い眉毛は目を覆っていて人相がよくわからない。
ただ、着ている物は粗末ではなく、使用人であってもシェリルの着ている服より上等であった。
離宮の扉は開いており、その紳士はどうやら屋敷の中からシェリルを見て、出て来たようだ。
シェリルは「キリアン王子殿下、一度失礼させて頂きます。また後ほど、参りますね」と豚に言って、その場を離れた。
***
「あの、キリアン王子殿下は豚の姿にされてしまったようですが、言葉は通じますか?」
シェリルが聞くと、部屋まで案内してくれている紳士は肩を震わせながら振り向きもせずに「いや、通じない」と言った。
「キリアン王子殿下は、いつも草をお食べになるのですか?人間と同じお食事は……」
「食べない」
「ご入浴のお手伝いなどは……」
「入らない」
「キリアン王子殿下はお部屋でお休みには……」
「屋敷に入らない」
その時点で、シェリルは王子が不憫でならなかった。
「それでは、野生の豚と全く同じご生活をなさっているのですか!?」
「……まぁ、そういうことになるかな。さあここが、君に宛てがわれた部屋だ」
「わざわざご案内、ありがとうございました」
シェリルは気付いていた。この紳士は、杖を突かねばならない程に足が弱いのに、部屋の場所だけ教えて一人で向かわせるようなことはしなかった。
不器用だけれども優しいから、もしかしたらキリアンが傍にいるのを許している唯一の人間なのかもしれないとシェリルは考える。
「いや。……それより、今までの令嬢に比べて随分と荷物が少ない気がしたが?」
紳士の瞳が鋭く光り、シェリルは責められている気がした。
「……あの、すみません。ロディス伯爵家は……実家は、貧乏なのです……」
ですから、あれが精一杯の荷物で……と続けると、紳士は途端に狼狽する。
「そ、そうだったのか。それは悪かった。……お詫びに、君に……シェリル嬢に似合うドレスを何着か届けさせよう」
「いえ、私にはそんなお金払えません……!!」
貧乏な実家に請求がいくのかと考えたシェリルは身体を震わせる。
「金なら大丈夫だ。王子の婚約者なのだから気にすることはない」
幾分、紳士から憐れみの視線を送られ、シェリルは肩を落とす。今彼女が身に付けている一張羅のドレスですら、流行遅れのリメイクドレスであった。本当に新しいものは、安物であってもミレーナの物だから。
「では、キリアン王子殿下の許可がおりましたら……」
婚約者とはいえ、キリアンの様子からは歓迎を受けたようには思えなかった。紳士との会話で、人間らしい生活とはかけ離れていると聞かされていなければ、あの態度にもっと凹んだのかもしれない。
けれども本当に辛いのは王子様だと、シェリルは笑顔を作る。
「わかった、許可がおりたら手配しよう」
「……あ!」
「何だ?」
「あの、申し訳ないですが……私の服は一着で良いので、生地を届けて頂けませんか?生地というより、裁縫道具一式を」
「何に使うつもりだ?」
「勿論、キリアン王子殿下のお召し物です!!」
「……豚、に?」
「はい、服を着て頂けたらなと思いまして」
最低限ではあっても人間と同じような生活をすれば、脳が活性化して意思疎通が出来るようになるかもしれない。
シェリルは声高らかに宣言した。
***
(こんなにたっぷりのお湯……なんて贅沢……!!)
執事と思われる紳士は、皺びた指先で部屋の中を指差し、何処に何があるか説明をしてくれた。
「風呂もこの部屋に備え付けられている。温石を入れておけば十五分程で適温になると思うから、自由に入れば良い」
「は、はい……!」
まさかのお風呂付き部屋という待遇の良さにシェリルは恐れ戦いた。
「食事は門番が屋敷の前までワゴンで運んで来る。七時、十二時、十八時だ」
「はい、ありがとうございます」
名前を続けようとして、まだこの老齢の紳士の名前を知らないことにシェリルは気付いた。
「あの、失礼ですが……何とお呼びすれば?」
「私は……クランクだ」
「畏まりました、クランク様。これからよろしくお願い致します」
ぺこりとシェリルがお辞儀をすると、クランクは小さな声で「ああ」と返事をした。
そして、夕刻。
「クランク様!クランク様!どちらにおいでですか?」
シェリルがクランクの名前を大きな声で呼びながら屋敷中を歩き回り、クランクがひょっこりと姿を現した。
「……どうした、何があった?」
「どうしたもこうしたも、食事が冷めきっております!台所を貸して頂けないでしょうか?」
シェリルの発言に、クランクは首を傾げる。
「……?」
「私だけならまだしも、クランク様も召し上がるのでしょう?」
「ああ」
「なら、私が温めて参りますので!」
「そ、そうか」
奇妙なものを見るような目でクランクに観察されながら、シェリルは手早く料理を温め、そして盛り付けては長テーブルに並べていく。
「手際が良いな」
「うち、貧乏だったので……貴族とは名ばかりで、平民と同じような暮らしをしていたのです。あ!キリアン王子殿下のパートナーの出身がそうだと知ったら悲しまれるかもしれないので、王子殿下には内緒にして下さいね?」
シェリルはクランクに釘を刺す。
「……何故悲しむ?」
「それは……」
シェリルは苦笑した。
落ちぶれた家門出身のシェリルを宛てがわれたということは、それだけキリアン王子殿下の評価も期待も下がったということだ。
それが王子の自尊心を傷付けるかもしれないと、シェリルは考えた。
準備を終えると、シェリルは「冷める前に先に召し上がって下さい!私はキリアン王子殿下をお呼びして参りますわ」と言う。
驚いたクランクがよくよくダイニングを見回すと、長テーブルの横に大きな木で出来た、中に雑草がたっぷり入ったボウルが並べられている。
「……もしかして、あの豚を連れてきて一緒に食べる気だろうか……」
クランクは、二人と一匹がダイニングに並んで食事をしているところを想像して笑った。
そもそも、執事に様付けをする貴族令嬢をクランクは見たことがなかったし、王子様と執事を同じテーブルで食べさせるという発想自体、教養不足である。
「ふむ、彼女が妃になるにはなかなか大変そうな道程だな」
クランクはそう言いながら、シェリルが「キリアン王子殿下が何処かへ行かれてしまわれました……」と肩を落として戻って来るまで、食事には手を付けずに待っていた。
***
それまでクランク一人しかいなかった屋敷は、シェリル一人増えただけで、大層賑やかになった。
「クランク様、雑巾は何処にございますか?」
「……何処だったかな」
「では、門番に頼んで掃除用具をお借りしてきてもよろしいでしょうか?」
「……何をするんだ?」
「離宮の手入れと……キリアン王子殿下の、足についた泥汚れを落とそうと思っております!」
その日一日、シェリルと豚の追いかけっこをクランクは部屋の中から眺めていた。
またある日のこと。
「クランク様、これを見て下さい!」
「これは何だ?」
「キリアン王子殿下のお召し物ですわ」
「ほ、ほう……」
シェリルの裁縫の腕前はなかなかで、仕立ての良い独創的な色遣いをした衣装が仕上がっていた。
門番の力を借りることを泥汚れ事件で学んだシェリルは、素早くキリアン王子殿下を捕まえ、その衣装を着せてみれば、それなりに身だしなみを整えた豚が出来上がった。
「キリアン王子殿下、何処かきつく感じられるところはございませんか?」
シェリルが問い掛けると、豚は迷惑そうな顔をして外に出ようとする。
シェリルは「屋敷の中は嫌ですか?でも、今の時期は外にいると寒いですよ」と懸命に話し掛け、最終的にキリアン王子殿下にブラッシングを施して屋敷内に留まらせることに成功した。
そしてまたある日のこと。
「大変ですクランク様……!!」
「今度は何だ」
「夕飯が、豚肉なんです。……料理人は、一体何を考えていらっしゃるのでしょうか……?」
シェリルは涙目で執事に訴えた。
クランクは逆に、耐えられないとでも言うように大笑いをしている。
何本か歯が抜け落ちた口を大きく開けて、豪快に笑う様にシェリルは一瞬キョトンとしたが、直ぐ様顔を赤くして不満を漏らした。
「クランク様っ!」
「はっはっは……すまない。そうだな、しばらく豚肉は控えるように言おうか」
「……私、一生豚肉が食べられなくなる気が致します……」
「それは辛いな」
またある日のこと。
シェリルは心を許したらしいキリアン王子殿下と一緒に敷地内の池の傍で、一生懸命「王国の歴史」を読み上げていた。
そこに、シェリルを探していたクランクがタオルケットを持ってやってくる。
「ここにいたのか。そろそろ冷えるから、中に入りなさい」
「はい、ありがとうございます」
「豚……キリアン王子の様子はどうだ?」
「やはり、ご興味を示される様子はございません……」
「そうか」
けれども、キリアンは服を着せられた以外はシェリルに気を許したらしく、懐いているようだ。
「キリアン王子殿下、お口元失礼致しますね」
首元にぐるりと回されたシェリル作のお洒落なスタイで涎を拭かれても大人しくしている。
どうやらブラッシングを気に入ったようで、シェリルの手の下に自分からその身体を潜り込ませるようになっていた。
「……ところで、君は何時までここにいるつもりなんだ?」
「何時まで、とは?」
シェリルが離宮に来てから、半年が経過しようとしていた。
「このままここにいては、本当に婚期を逃してしまうだろう?」
シェリルは目を丸くした。
「私は、キリアン王子殿下のお傍にいると、始めから決めてこちらに参りました」
「しかし、豚だぞ?」
「はい。……寿命が気になるところですが……」
呪いと共に、キリアンの寿命が豚の寿命まで短くなってしまっているのかを、シェリルはずっと案じていた。
「気になるところはそこだけか!?」
「はい」
「何故豚と添い遂げる気になるんだ……」
クランクは、本当に意味がわからないという気持ちで頭を抱えた。
「豚ではなく、キリアン王子殿下です」
シェリルはきっぱりと言う。
「……醜い姿になる呪いを掛けられ、キリアン王子殿下の周りから人が消えました。私だったら、孤独だと思います。だから……私だけは、許される限り、ずっとキリアン王子殿下の傍にいると決めたのです」
お陰でこんなに仲良くなれました、とシェリルは笑った。
クランクは、眩しいものを見るようにシェリルを見る。
「それに、今のお姿でも可愛いです。つぶらに見えなくもない瞳。くるんと丸まり上を向いた尻尾。ピンク色の肌。巨体を支えるしっかりとした細い足……」
「……豚だな」
「まぁ、豚ですが……それでも私、キリアン王子殿下が好きです」
「……そうか」
「あ、クランク様も好きです」
いきなり話を自分に振られ、クランクは固まる。
「……私が?」
「はい」
「私だって、年老いて醜いだろう」
「え?何を言ってらっしゃるのですか!誰だって、年は取るものです。クランク様は、私が何をお願いしても直ぐに協力して下さいますし、どんな失敗しても許して下さいますし、何より優しいじゃないですか。……私、ここに来てから、本当に毎日楽しいんです。恐れながら、家族のような温かさを感じております」
実際には、実の家族といるよりも心が和むのだが、それはシェリルの胸にしまっておく。
「それに、最近何だか……クランク様、若々しくなった気が致しますが」
「え?私がか?」
「ええ、そうです。鏡とか、ご覧になって下さい」
シェリルが初めて来た時と比べると、クランクの背筋や腰が伸びてきた気がするし、皺々だった指先や落ち窪んでいた目の周りがふっくらと張りがでてきた気がしていた。
「……鏡を見るのは、嫌いなんだ」
「そうなんですか?……あ!そうだ、私、以前からやりたいと思っていたことがあるのですが!!」
「……今度は何だ」
クランクに恐る恐る問われ、シェリルはにっこり笑った。
***
翌日。二人は再び、池の周りで並んでいた。
意気揚々と腕まくりするシェリルと、幾分青褪めたクランクの表情は対照的だ。
「……」
「さぁ、切りますね!!」
「……因みに、やったことはあるのか?」
「いえ、散髪は流石に初めてです」
「……耳を切り落とさないように、気をつけてくれ……」
「はいっ!!」
ぷるぷる震えながらクランクの髪をハサミでカットしていくシェリルは真剣そのもので、豚はその周りでもっしゃもっしゃと何時もの食事をしている。
「キリアン王子殿下、つまみ食いしないで下さい!食事は一日三回ですよ!」
シェリルが小言を言うのに、思わず吹き出すクランク。
「あ!クランク様が動くから、すっごく短く切れてしまったじゃないですか!」
「いや、それはシェリル嬢の腕だろう」
「今のは違いますよ~」
因みに髭剃りで二回程クランクの頬を流血させ、「貸しなさい、自分でやろう」と呆れた彼は最終的に鏡を見ながら自分で髭を剃ったのだった。
「うわぁ、クランク様!すっごく素敵です!!」
シェリルが言う通り、身だしなみを整えたクランクはかなり渋いイケオジになっていた。
シェリルは首を傾げる。
「……やっぱり……何か、かなり若くなられた気がするのですが……」
「……」
鏡を見たクランクも、それに気付いて愕然とした。
そう言えば、と、自分がいつの間にか杖を使わずに歩けていることに気付く。
「クランク様、若い頃は本当に女性から人気があったのではございませんか?……私も、キリアン王子殿下のお顔を拝見してみたいものです」
シェリルは少しだけ寂しそうにそう言ってから、ハッとしたように頭を振り、「キリアン王子殿下!もうお昼は抜きになりますよ!」と豚と追いかけっこを始める。
「……君も私を好きだというのは……嘘ではないのだな」
その姿を見て、クランクは呟いた。
その日の夜。
「……今、何と言った?」
「結婚するまでは、はしたないと思い躊躇っていたのですが……本日はキリアン王子殿下と添い寝をさせて頂きたくて」
シェリルがこんなことを言い出し、クランクはガタン!とその場で立って叫んだ。
「豚と添い寝!?やめなさい!」
「豚ではありません!キリアン王子殿下です!」
初めてクランクに否定され、シェリルは半泣きになる。
キリアン王子殿下が人間に戻れる可能性があるなら、どんなことでもやってあげたい、と思うのに。そしてそれを、何時もならクランクも応援してくれたのに。
「……怒鳴ってすまない……。私が……なんだ」
「え?」
クランクが俯きながら話し、更に声が小さすぎてよく聞こえなかったシェリルは聞き返す。
クランクは、意を決したように、今度は真っ直ぐシェリルを見て言った。
「嘘をついて、悪かった。あの豚は、キリアンではない。私が……私が、キリアンなんだ」
「……え?ええっっ!?」
シェリルの驚愕した声が、屋敷内に響いた。
***
クランク……いや、キリアンは、始めシェリルも今まで訪れてきた令嬢と同じく直ぐに返すつもりだった。
けれども、豚を王子と勘違いして挨拶をする令嬢は見ていて楽しく、自分の暇潰しにとシェリルが音を上げて帰るまで、その勘違いをあえて訂正しなかったという。
因みにクランクという執事の名前は、咄嗟に思い出した本城の方に本当に務めている使用人の名前から拝借した。
「あの豚は、恐らく本城から肉料理にされる前に逃げてきた豚だ。別に邪魔にならないから、放っておいた」
「そ、そんな……」
シェリルは、この半年の間、ただの豚に一生懸命話し掛け、着飾り、屋敷に招き入れていたのかと思うと目眩がした。
「……悪かった」
「……少し、頭を冷やす時間を下さい」
「も、勿論だ」
あまりの恥ずかしさに、部屋に戻ったシェリルはベッドでのたうち回る。
(何で!何で、単に高齢になったことを醜いとか表現するのでしょうか!紛らわしい!!)
処刑された魔女は、キリアンには負けるが容姿を気にする美貌の持ち主で、年を取ることを極度に嫌っていた。だからそうした表現になったのだが、シェリルの感覚では全くわからない。
(クランク様が、キリアン王子殿下だったなんて……)
ということは、本当にたった一人きりで過ごしていたのだ。
シェリルがベッドから起き上がり、火照った顔を冷やす為に窓を開けると、気持ちの良い風ともに、遠くの方から何やら騒がしい音が聞こえてきた。
視力の良いシェリルが、音のした方角をじっと見つめると……「……大変!」シェリルは直ぐ様翻し、部屋から走り出た。
「シェリル!」
「クランク様!キリアン……じゃない、豚さんが!!」
シェリルが見たのは、池でジタバタと暴れ溺れそうになっていた豚だった。
「危ないぞ!あれは単なる豚だ、何を考えている!!」
豚を助けようと池に入ろうとするシェリルにギョッとしたキリアンは、思わず後ろから抱き止めた。
「で、でも!!キリアン……じゃなくて、あの豚さんは、きっと一人っきりだったキリアン王子殿下の心を癒やしてくれていたのですよねっ!?」
シェリルは瞳に涙を溜めて叫ぶ。
食用の豚だとわかっていても、放置していたキリアン。家族だと思ってしまっているのは、自分だけじゃないとシェリルにはわかっていた。
「わかった、なら私が行くから。シェリルはここで待っていなさい、いいね?」
「だ、駄目です……キリアン王子殿下を危険に曝すなんて」
「いいか?シェリルがドレスを着たまま池にこのまま入れば、泳げずに沈む。私の身長なら大丈夫だから。だから、私を信じて、私に任せなさい」
シェリルがこくりと頷くと、キリアンは優しく微笑み、あやすようにその背中をポンポンと叩いてから、何の躊躇もなく池に入っていった。
***
それから、更に半年後。
「ただいま、シェリル」
「お帰りなさい、キリアン」
「父上と相談して、正式発表は一ヶ月後に決まったよ」
「では、ここでの暮らしも後少しですね」
足元の豚さんを撫でつつ、シェリルは少し寂しそうな表情を浮かべる。
「そうだな。……君のお陰で、この場所は私にとって孤独なところではなく……素敵なところとして刻まれたよ。ありがとう、シェリル」
キリアンは甘く微笑み、シェリルのおでこにキスを落とす。
キリアンの呪いは、シェリルに真実を告白した日から三ヶ月後にはすっかり解けていた。
日々若々しくなっていくキリアンの姿を、シェリルは戸惑いながらも受け止め、「どんどん私が若くなるということは、シェリルがどんどん私を好きになっているということだな」と言われては顔を真っ赤にさせ、そんなシェリルをキリアンは愛しく感じた。
呪いが解けたことにより、傍から見ても二人が相思相愛であることは明白である……のだが。
「今日だったか?君の姉が訪ねてくる日は。離宮で本当に良かったのか?」
「はい」
姉の訪問目的はわからなかったが、豪華絢爛な本城に呼んでしまえば、金銭的援助が目的の場合、とんでもない金額をお願いされてしまいそうで、シェリルは怯えたのだ。
姉はカシューを従えてやってきた。
始めはキリアンが遠慮して姿を現さなかった為、一人で出迎えた妹にミレーナは変わらない態度で接した。
「お久しぶりです、お姉様」
「……ちょっと、その服……あんたには勿体ないんじゃない?シェリル」
「お姉様、わざわざここまでいらっしゃった理由をお聞かせ下さい」
ミレーナの話はこうだった。
これからカシューと結婚をする。シェリルも、醜い王子の婚約者としてこのままここにいては可哀想だから、自分の侍女として連れて帰ってやっても良いと。
「可愛い妹だもの、働いて貰うけれど、少しのお駄賃をあげても良いわ。それに……近くにいられるのですもの、嬉しいでしょう?」
ミレーナは、シェリルに勝ち誇った顔をした。彼女は、妹が以前カシューに想いを抱えていたことを知っている。
シェリルは、姉の要望がお金ではなくホッとした。
「……お姉様。それは……」
「悪いが、そのお話はお断りさせて頂く」
「キリアン」
シェリルが断る前に、怒りを含んだ声が話を一刀両断した。突然現れた、神の化身のような美しい容貌をした男性を前に、ミレーナもカシューも唖然と口を開けたまま、微動だに出来ない。
「……え?」
「初めまして、そしてさようなら。二度と会うこともないだろうから、紹介はいらないよ」
キリアンがニコリと笑って、二人をあっさりと退場させた。
「何だ、あれは……あれが、シェリルの姉!?あんなのと一緒に暮らしていて、よく私のシェリルが無事だったな」
「……私の代わりに怒ってくれて、ありがとうございます」
想像していた通り、余り聞いていて愉快な話ではなく、シェリルは肩を落とす。
ほんの少しだけ、姉も大人になって、遠く離れた場所で過ごす妹に会いに来てくれたのかな、なんて期待したのだが、全くの外れであった。
「あの姉の分も、私がシェリルを愛するよ」
「……わ、私も愛しています」
過去誰にでも優しかったというキリアンは、自分の呪いを解いた……いや、自分が愛した女性にだけ優しくなった、らしい。
以前のキリアンだったら、ミレーナをあんな風には扱わなかっただろう。
けれども、今のキリアンは、容姿だけに惹かれてくる人間の醜さを知っている。
後に、カシューの実家が傾きかねない程にミレーナが贅沢を極めた生活をし、結局離婚をして大変な目に遭ったのだが、その話がシェリルの耳に入ることは一生なかった。
二人は豚さんも一緒に本城へ居を移し、魔女の子供である幼い弟王子を保護しつつ家庭を築き、子宝にも恵まれ、国王となったキリアンは妃を溺愛しながら大いに国を発展させたという。
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──王子様を愛し、そして王子様が愛する人が現れないと、その呪いは解けないのです。
お妃様の呪いで醜い姿になった王子様は、落胆し、離宮に移ってひっそりと過ごしました。
王子様を不憫に思った王様は、何人ものご令嬢を、その離宮に送り出しました。
ところが、ご令嬢達は皆、醜い姿になった王子様を受け入れることが出来ません。
そんなある日、一人の貧乏な娘がやってきました。
彼女は王子が豚になったと勘違いをして、豚に献身的に尽くしましたが、それを見ていた王子の心も癒やしました。
その後、ずっと傍にいた老齢の男が実は王子だったという事を知った娘は、ゆっくりと二人で愛を育みました。
元の姿を取り戻した王子様の傍にはいつもその勘違い令嬢がいて、二人はいつまでも仲良く、幸せに暮らしましたとさ。
数ある作品の中から発掘&お読み頂き、ありがとうございました。