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魔物と旅人

魔物と旅人2: 皿を洗う魔物

作者: 河辺 螢

 1週間の予定でうちの宿に泊まった旅人は、怪しい生き物を連れていた。

 父さんや母さんは忙しくて気がついていなかったけれど、私は見逃さなかった。

 旅人は、宿泊3日目に熱を出して寝込んでしまった。

 ずっと旅を続けていて、疲れが出たのだろう、と言っていた。

 既に前金でお金をもらっていたので、うちにいてもらうことは全然大丈夫だった。

 食べやすそうなご飯を運んで置いておくと、きれいに食べていた。

 カーテンの向こうに隠れた振りをしていたのは、魔物だった。

 魔物とは言っても、オレンジくらいの大きさの小さい丸い生き物で、悪さしそうな様子はなかった。

 旅人の額に置かれたタオルが交換されながらも妙に歪んでいたのは、もしかしたらあの魔物が看病しているのかもしれない。

 病気の旅人のためのご飯代はもらっていなかった。

「まあ、困ったときはお互い様だ」と父さんは言っていた。


 その日、宿は忙しくて、ずいぶんバタバタしていた。

 私も手伝いにかり出され、食堂の手伝いをしていたけれど、なかなか手が回らない。

 そんな中、食器が勝手にきれいになっていた。

 洗い場には誰もいないはずなのに、シンクに水が張られ、水の中に浸けられてたお皿が湧き上がる泡にどんどんきれいになっていった。

 見ると、魔物が皿の中を泳いで、自分の体を使って磨き上げていた。

 なんだか、歌のような声まで聞こえてきた。

 ものすごい早さで、どんどんきれいになっていく。

 それをそのまま使っていたのだけど、母さんが魔物を見つけてしまった。

「わ、魔物! 何やってんだい!」

 母さんは魔物をつまみ上げると、硬い調理場の床に投げ捨てた。

「きゅっ!」

 魔物の悲鳴がした。

 魔物は、逃げるように客室の方にぴょんぴょんと跳んでいった。

「おまち!」

 母さんが追いかけると、魔物はあの旅人の泊まっている部屋の、ドアのわずかな隙間から入っていった。

 ノックをして部屋を開けると、布団の上でブルブルと震える魔物を、旅人が両手で守るように取り囲んでいた。

「それ、あんたのかい! 魔物を連れてるなんて聞いてないよ!」

 入るなり怒鳴り込んだ母さんを、旅人はじっと見つめて、

「すみません」

と言った。

「全く、病気だけでも迷惑だって言うのに、魔物なんか連れ込んで。今も厨房で悪さをしてたんだよ。どうしてくれるんだい!」

 母さんの怒鳴り声に、父さんも上がってきた。

「一体何の騒ぎだ?」

「今、厨房に魔物がいたんだよ。皿を入れてあるシンクの中で泳いでいて、とっ捕まえたらここに逃げてきたんだよ」

 私はすぐに1階に行って、魔物が洗っていた皿を持ってきた。

「母さん、違う。違うよ」

 怒っている母さんに話をするのは、少し勇気がいった。

 でも、どうしても言わなければいけないと思えた。

「魔物さんは悪さなんかしてない。だって、お皿は全然洗えてなくて、いっぱい積んであったんだよ。なのにほら、こんなにきれいになってる」

「きれいにって…。魔物が洗った皿なんて、お客に出せやしないよ!」

 私から皿を受け取った父さんは、

「…おまえ、見てごらんよ」

 そう言って、その皿を母さんに渡した。

「きれいにピカピカになっている。…まるで、買ったばかりのようじゃないか」

 ここ数年、皿は買い換えていないのに、その皿はまるで買ったばかりのようにキズ一つなく、色移りによる黄ばみさえなかった。

 慌てて父さんと母さんが下に行き、魔物が洗った皿を手に取ると、どの皿も、汚れが落ちているだけじゃなく、黄ばみや黒ずみも、欠けも、ひびもなくなっていた。

 父さんや母さんがいなくなったあと、旅人の部屋から

「きゅう、…きゅう…、 きゅ…」

と言う、悲しげな鳴き声が聞こえてきた。


 父さんと母さんがもう一度旅人の部屋に戻っても、魔物はずっと旅人にしがみついて、泣いていた。

 それを見て、母さんは自分がしたことが間違えていた、と判ったようだった。

「…ごめんよ。すっかりいたずらしているもんだと…」

 旅人は、優しく魔物を撫でながら、

「病気でご迷惑をかけてしまい、申し訳ありません」

と、まず、謝った。そして、

「皆さんが、僕に親切にしてくれていたので、この子も皆さんに恩返しがしたかったようです。…いたずらするつもりじゃなかったんです。許してやってください」

「私が悪かったよ。魔物とみただけで、いたずらだって思い込んでしまった。許しておくれ」

 魔物は、どうしても怖かったらしく、旅人の手から出てくることはなかった。

「…こちらこそ、すみません」

 旅人は、それ以上何も言わなかった。


 まだ食堂が忙しかったので、私たち3人は食堂に戻った。

 魔物が洗っていた途中の皿を片付けると、確かに魔物が触れた皿はとてもピカピカになっていた。人間が適当に洗っているのより、ずっときれいだった。

 あの小さな体で、全身を使って、もしかしたら魔法も使っていたかもしれない。

 店を閉めてから、父さんと母さんは話し合って、もう一度旅人の部屋に行った。

「今日はありがとうね。せっかく手伝ってくれていたのに、勘違いしてひどいことをしてしまって…」

 魔物は、部屋のどこにいるのかも、判らなかった。

「すっかりきれいにしてもらって、お皿はどれもまるで新品のようだ。…これ、少ないけど、バイト代にとっといてくれよ」

 父さんは、封筒に入ったお金を渡した。

「いえ、僕の方こそ皆さんに迷惑をかけていて」

「おまえさんじゃないよ、受け取るのは、あの魔物だ。あんなにきれいな皿にしてもらったんだ。これっぽっちじゃ少ないのは判ってるんだけど、うちも小さな宿なんでね」

 旅人は、少し考えたあと、

「…判りました。渡しておきます。」

 そう言って、笑みを浮かべ、急に背けた顔には、少し涙が光っていたように見えた。


 次の日、熱が引いた旅人が早々に出て行こうとするのを、父と母が止めて、約束通り1週間は滞在し、体調を整えるよう勧めた。

 食事には、魔物が好きな果物も多めに添えておいた。

 2日後、泊まり客の多い日がまたあって、バタバタしていたら、またこの前のように、いつの間にか皿が洗われていた。

 机の上に

「おれい おかね いらない」

と水で文字が書かれてあった。

 これで、うちにある食器も、カトラリーも、全てピッカピカになった。

 だけど、投げられたのがよっぽど怖かったようで、魔物は最後まで姿を見せなかった。


 すっかり元気になった旅人は、予定通り宿を出た。

 旅人がいなくなった部屋には、病気をしたときの分の食費が多めに置いてあった。

 さらに、封筒に魔物に渡した給料の半分が置いてあって、たどたどしい字で しょくひ と書かれていた。

 文字が書けるなら、きっと言葉も判ったはずだ。もっとお話をしてみたかった。

 あんな優しい魔物なら、きっと友達になれたのに。

 旅人と魔物が元気に旅を続けられることを祈った。


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