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形だけ大人になった僕たち  作者: 木痣間 片男(きあざま かたお)
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アイドルに依存する女から:人は何かに頼っていないと生きていけない

 このテーマを選んだ時点で、僕の文章の悪しき習性“NKK(長い・暗い・くどい)”が発動されることは明白だろうけれど、このことに関しては言っておきたいので、構わずはじめることにする。


「人は何かに頼っていないと生きていけない」は、真理だと思う。


 僕の身近に、アイドルにハマった女性が2人いる。

 ひとりは30代の看護師、韓流映画をきっかけにK-POP男性グループにハマった。もうひとりは、20代の臨床検査技士、この人は日本のメンズ地下アイドルだ。

 2人ともまじめで責任感が強い一方、一人暮らし、“彼氏いない歴”数年、他にこれといった趣味なし。コンサートには行けないので、グッズを集めたり、クラファンに協力したりしているとのことだった。


「独りの寂しさを紛らわすためではないか」と、他人は思うかもしれないけれど、僕には彼女たちの気持ちがよくわかる。

 なぜなら、自分も同じ“(へき)”を持つからだ。


 小学時代はマンガ、中学はアニメ、高校から大学くらいは音楽が心の拠り所だった。そして、そこに通底する潜在意識は、“女”、すなわち“色欲”だった。

 夢と冒険とロマンに、恋愛を絡ませたストーリーモノのヒロインに憧れたし、音楽にしても、女性シンガーやガールズバンドには情欲の目を向けていた。

 社会人になってからは、小説と映画とが現実逃避の手段になった。


 人生のほとんどの期間を他者(物)に依存し、周囲を頼り、それによってどうにか自身を保っていた。それは、「教師に嫌われたって、親友なんかいなくたって、世間から異端と言われようと・・・・・・、ボクにはこれがある」という理想への投射だった。

 バーチャルであったり、遠いところの存在であったり、自分には手の届かない場所にいる人たちだったからこそ、僕は無条件にその世界に逃げ込むことができた。


 憧れと依存の対象は、バーチャルから、やがてリアルな人間へと変化した。

 大学時代にはじめて本格的な彼女ができたときは、付き合った途端に違和感を覚えて、すぐに嫌になってしまった。

 恋愛になれば、“見て、見られて”という関係性が求められるが、一方的に見るだけで満足していた僕は、見られることに対しての自信のなさ、怖さ、諦めがあった。はじめて相手から見られるという側に立たされた結果、見定められることによって自分が傷つくことを知った。


 それでもなんとか経験を重ねて、やっとまともに女性と付き合えるようになったと思ったら抑制が利かなくなっていた。リアルな女性に好意を寄せることで、その心地良さを深く求めるようになり、それによって救われた一方、何度もせつない想いを繰り返すことになった(第7話、第67話、第89話で述べたように・・・)。

 きっと、いつまでたっても僕の依存体質は変わらないのだろう。


 ときを経て、なんの因果か、こんな僕でもときに頼られるようになった。それは、医者という仕事柄かもしれないが、意図せず依存されてしまうことがある。

 そんなときは自分が依存していた状況を思い返すことで、何もしてあげられなくとも、多少はその人の気持ちがわかるようになった。医者のとしてのキャリア形成に、依存体質は、必ずしも悪いことばかりではない。


 憧れを抱くということは、夢をつかみ取った人たちの輝かしいまでの姿を見続けることになる。それは、なんの取り柄もなかった自分が、その格差に悩まされ続けるということと同じだ。憧れの対象物がいるということは、その人と己とのギャップの折り合いを重ねなければならないからだ。

 スポットライトなど当たるはずもない、注目されることなんてあるはずがない、という自身を承認し続けなければならない。

 

 依存させてもらったくせにこんなことを言うのはなんだが、憧れを抱かせたり、夢を見させもらったりした人たちには感謝しつつも、罪深い人だったとも思っている。その人は、その人なりに完結しておきながら残された僕はどうしたらいいのかと。


 憧れに対して「自分を保ちたいから」という理由は、自分が傷つきたくないという距離感のうえでの納得だった。そして、「傷つくことがわかっていながら近づくようになった」という理由は、好意のうえでの覚悟だった。

 それがわかっただけでも自分は成長したと思うしかない。


 自立した人間がカッコイイみたいな風潮がやたらあるけれど、その都度、依存できるモノを見つけてきたからこそ、僕は大きく人の道を外すことがなかったと思っている。いま孤独のなかにおいても、人生をやり過ごすことができている。


 冒頭の2人の同僚に関しても、「そういう“推し”の対象物があるだけ、自分は、いま救われている」とのことだった。そう考えると、僕にとってもひとつ確かなことがあるとすれば、それは「依存先があるだけ、まだましだった」ということだ。

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