偉くなった人から:いまどきのトレンド女性だったけれど・・・・・・
大学時代の思い出から話しをはじめる。
大学での僕の男友だちの女友だち、もう少し詳しく言うと、“親しくしていた友人の、故郷の同級生の女性友だち”、を紹介してもらった。
僕らは北関東の医学部に在学しており、友人の故郷は新潟県だった。そして、その女性は東京の大学に進学していた。要は「友だちの紹介」という、よくある少人数の合コンを開いてもらったのだ。
女性は、“いまどき”というか、“当時どき”というか、雪国から東京に出てきた若者特有というか、いい意味での洗練を受けていて、外見は工藤静香に似ていた。ストレートロングの髪型に、タイトな服装だった。
自分のことは棚に上げるけれど、「さすが自信をもって紹介するだけあるな」という感じの女性だった。
性格も明るく、気さくだった。ただちょっと、気が強そうというか、勝ち気なところがあるという印象を受けた。もちろん、ぜんぜん容認できる範囲だったので、僕はもしかしたら好きになるかもしれないと予感した。
はじめてのコンパでまずまずの感触を得た僕は、思い切って直接会う約束をした。ドライブがてら横浜にでも行こうという段取りだ。当時乗っていた車は“カローラレビン”という、『頭文字D』でお馴染みの“走り屋”御用達の車だった。ぜんぜん走り屋ではなかったけれど、学生の買える車の最高といったらこんなものだろう。
バブル期の女子大生をおもてなしするには、この程度のトレンドを用意しないことには話しにならなかったのも事実だ。
当日の朝、彼女の住むアパート近くまで迎えにいくところからデートは始まった。
「おはよう、いま三軒茶屋を降りて、近くまで来たよ」
「ありがとう。いま行くけれど、木痣間くん、どんな格好してきた?」
「んっ、そんなたいしたものではないけれど、キミが言うから、少しはちゃんとした服装をしてきたよ」
「少しは? そう・・・・・・」
間もなくして彼女は現れた。
もちろん、そこには以前と同じ顔の彼女がいて、服装は白のスタンドカラーシャツにベージュパンツだった。
「あれっ、木痣間くん、ちゃんとスーツで来てくれたじゃない」
僕は、「この日のため」と言うと大袈裟になってしまうけれど、持っているなかでは一番高いスーツを着てきた――確か、“コムデギャルソン”の紺スーツに、ネクタイはエンポリオだけれど“アルマーニ”だった――。
「うんまあ、一応ね」
「ワタシこれじゃダメだ、ちょっと待ってて、着替えてくる」
彼女は着替えるために一旦家に帰ってしまった。
言い方がまずかったかな。でも「ちゃんとしたスーツを着てきた」と言って「この程度」と思われるのはちょっと嫌だったし、謙遜のつもりだったのだけれど、きちんと言った方が良かったかなと思いながら待っていた。
「今度こそお待たせ」と再び、彼女は現れた。
さっきの雰囲気とはぜんぜん異なる、スクエアネックでシンプルだけれど、見ようによってはとても人目を惹く深紫色のボディコンワンピースだった。心なしか口元の赤みも増していた。
これは嬉しいことなのか・・・・・・! 僕の格好に合わせて選んだ服装がこれなのか・・・・・・?。
いまの感覚とは違うかもしれないけれど、バブル期はこれが当たり前だったかもしれないけれど、目の前にボディコンスーツのいまどきのトレンド女性がいる。
これは今日のデートは失敗できないと気持ちを新たにして、僕は首都高速へと車を走らせた。
ちょっと話しは反れるけれど、当時の男って、こうやって男を磨いたものだ。女のために見栄を張る、女のために金を使う、女のためにできる力を発揮する。先輩や友人に借りてでも車と服とを手に入れ、週末は都内で遊ぶというのが格好よかった時代なのだ。
首都高速から湾岸線、ベイブリッジを経由して“みなとみらい”へ向かうというのが、まあ言ってみればデートコースの定番だった。“山下公園”、“港が見える丘公園”、“元町周辺“、ここをいかにスムーズにエスコートするかというのが腕の見せ所だったのだ。特に大切なのは車の停車だ。駐車場を探すためにウロウロしていたのでは興醒めする。そのための下準備やリサーチは、暗黒の非モテ期に徹底して行っていた。
その甲斐あってか、おそらくそれほどヘマをすることなく一日終了したと思う。
一昨年、久しぶりにその大学時代の友人からメールが届いた。彼は、卒後しばらく埼玉の病院に勤務し、その後故郷に戻ってクリニックを継いでいた。
何回かのメールのやり取りのなかで、「そう言えば大学時代、オレの同級生をオマエに紹介したことあったよな。あれ、あの後どうなった?」という疑問が寄せられた。
僕は、「2、3回デートしたけれど、それからは自然消滅しちゃったよ」と答えた。
「そうか、まあ昔のことだな・・・・・・。これからも何かあったら連絡するから、SNSの友だち申請しておくわ」
それからしばらくして、何十年かぶりにそのボディコン女性からSNSを通じてメッセージが届いた。
「突然のメッセージをお許しください。○○先生(僕の友人)と同窓の木痣間先生でしょうか。東京でご一緒させていただきました松本と申します。お人違いでしたら、申し訳ございません」
なんと、覚えていてくれたのだ。
友人と彼女とは同窓なので、もともとつながりがあった。今回、僕とその友人とがSNSでつながったことを契機に、彼女も僕のアカウントを知ったのだ。
彼女はなんと、従業員100余名を抱える建設、運輸、生コン関係の会社の社長に就いていた。祖父によって創業されたその会社は、父へと受け継がれ、そして三代目である彼女が代表取締役を務めていたのだ。地元では、有名な企業に成長し、さらに驚くべきことに、震災前からずっと福島のゼネコン関係者の支援を行っていた。
少し勝ち気だった彼女は、その能力を活かして女社長として地元の名士と化していたのだ。
大学時代に話しを戻すと、デート中ベイブリッジで車を止めて撮影した一枚の写真が残っている。西日に照らされて少しだけまぶしそうな表情をしているが、しっかり僕の左手は彼女の肩に掛かっていた。一見すれば、当時の流行を走る恋人同士に見えなくもない。
僕にとっての人生最高の時期をこのとき迎えていたのだなということを改めて感じる。
彼女のSNSには、当時と変わらないスタイルを保ったままの赤いワンピースを着た笑顔があった。
付き合いまで発展しなかったのは、やはり僕では頼りなかったのかなぁ・・・・・・? あのとき着替えてくれたのは、僕のため、それとも自分のため? そんなことをいまさら尋ねても仕方ないよな。




