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形だけ大人になった僕たち  作者: 木痣間 片男(きあざま かたお)
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救急の現場から:画鋲を飲み込んだ青年

 救急外来を担当していれば、さまざまな患者が来院する。風邪や胃腸炎といったコモンな病気もあれば、自殺や事故、傷害事件に巻き込まれたような人もくる。ときには死体だって運ばれてくる。まさに戦場だ。一般の人には想像しにくいかもしれないが、街で唯一の救急病院なんてところは、そんな現場だ。年間何百人という屍体の山が築かれるのだ。

 救急の現場においてもっとも厄介なのは、自殺患者である。厄介というと語弊があるかもしれないが、いろいろな意味で手がかかる。しかも、明確な自死の意思のない自殺の場合である。自傷行為と言ってもいいだろう。


 ある日の夜間救急、20代前半の男性が画鋲を飲んだということで、自ら歩いて来院した。うつむき加減で暗い印象。挙動の違和感を推察すると、この辺りの人間ではなさそうだ。保険証は持っていなかった。

「どうして画鋲を飲んだの?」という問診に対しては、当然的を射ない。自分で来院したのだから、病院に来る意思はあったということである。

「なんとなく」とか、「成り行きで」としか答えない。成り行きでなんとなく自然に画鋲を飲むような人がいるだろうか。明らかな精神異常を呈しているような狂人でもない。


 自宅住所は茨城県であった。福島まで車で来て、なおかつこの病院があることを確認し、すぐ近くにある『道の駅』の駐車場に車を止め、車内で画鋲を飲んだというのだ。

「何時頃に、何個くらい飲んだのですか?」

「・・・・・・」

「答えてくれないと、何もできないですよ」

「さっき・・・・・・、10個くらいです」

 10個も、そんなに! 何を冷静に!

 10個の画鋲を次々と飲めるのだろうか。それは1つずつ飲んだのだろうか。それとも、残り少なくなったポテチの袋をざーっと口に流し込むように10個を一度に飲んだのだろうか。そんなことはどうだっていい。

「お腹は痛くないですか?」

 痛くないとのことだった。次に解決しなければならない問題は、原因である。いやその前にどうやって取り出すかである。いまだったら吐かせることで口から出せるかもしれない。いや待て、胃にあったとしても、吐かせたときに食道や喉の粘膜を傷つけるかもしれない。ここは内視鏡的に摘まみ出した方が安全だろう。


 直ちにレントゲンを撮影した。胃内と思われる箇所に、しっかり9個の画鋲が写っていた。これで狂言という病態は否定された。普通に使われている事務用のダルマ画鋲だった。やはりここは、内視鏡のプロに任せた方がいいだろうと判断し、夜中であったが消化器科の医師を呼び出した。

「ははーん、しっかり飲まれていますね。まあでもトライツを超える前なら掴み出せるかも」

 トライツ靭帯とは、小腸を背中側の後腹壁につなぎとめている靭帯のような構造物で、小腸があちこちズレないよう固定する機能をもっている。この部分の腸管内は狭く、モノが通過しにくい。要はこの部分を通過してしまったら、上から取り除くことは絶対に不可能になるということだ。

 レントゲンを当て続けられるような透視下で、その試みがはじまった。結果は、残念ながら取り出す前にほとんどの画鋲はトライツを超えてしまい、口から除けたのはただの1つだった。


 結局のところ付き合っていた女性とのトラブルがもとで自暴自棄となり、自殺場所を探して茨城から車を走らせた。たまたまこの街で高速を降り、うろうろしていたら病院が見えた。そこで画鋲を飲み込んだが、不安になって来院したという、どう考えても愚かな行為にしか思えない経緯だった。あえて病院の近くで自傷行為を働いたのか、たまたま近くに病院があったから受診したのか、それはわからないが、きっと前者であろう。そもそも死ぬ気はなかったのだ。

 ここで、「そんなバカなことをして」と切り捨てるのは簡単だが、彼からしてみれば女のためにしでかした一世一代の男前行為だ。

『101回目のプロポーズ』で武田鉄也が浅野温子に愛を打ち明けた行為と一緒だ。男が道路に飛び出し、ダンプカーを止めて、女に「僕は死にません! あなたが好きだから」と叫ぶ。ドラマ史に残る名場面だ。ドラマでは、もう少しのところで轢かれなかったからいいようなもので、轢かれていたら大変な迷惑になっていた。


 やっと連絡のついた女性から電話越しに伝えられた言葉は、「またですか、これで2回目なんですよね。彼の自由にしてやってください」という、実につれないものだった。

 女に対する男の本気度みたいなものが、自傷行為として存在する。「オレは、オマエのためならこんな痛みも辞さない」ということなのだろう。もちろんその行為自体に何ら邪推はない。ただ、そうすることによって恋愛が成就すれば、ドラマのような美談になるが、失敗すれば愚か者扱いされる。やっている行為は一緒でも、結果によって、その行いの評価に天と地との差が生まれるのはどういうことだろう。しかも今回に関しては、“医者の僕だ”とは言わないけれど、確実に迷惑を被った人間がいる。


 放置というわけにもいかず、最終的に開腹手術を施すハメになり、画鋲は無事に取り出すことができた。彼の行動は女性には響かなかったのだろうか。女のために画鋲を飲み込める男がはたしているだろうか。僕にはできない。画鋲どころかボタン1つも飲み込みたくない。そう考えると、愚かな男だと断じることはできない。

 夜中の緊急手術に付き合わされて、終わったのは明け方だった。朝日を見ながら、さて、「男の人生は女だけではない」ということを、この離婚歴のあるしがないおっさん医者がどう説得力を持って説明したらいいのか、そっちの方がよほど難しい課題だった。

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