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形だけ大人になった僕たち  作者: 木痣間 片男(きあざま かたお)
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母親を自死で失った友人から:今度は僕らが彼を支える番かもしれない

 だいぶシビアで重い話しになってしまうかもしれないが、実母を自死で亡くした友人の話をする。


 僕が、被災地に来てから知り合ったテレビ局のディレクター、Hさんだ。年齢は50歳、独身である。

 ありがたいことに、“東日本大震災”後の被災地の姿をずっと追いかけてくれている。局の方針というのもあるだろうけれど、彼の視点で撮影され、彼の感性によって番組作りが行われていた。そういう意味では、もちろん報道のプロであり、被災地のスペシャリストだった。


 彼にはじめて取材を申し込まれたのは、震災の翌年だった。それは、医療現場の実録が目的だった。

 普通は、カメラや音声など、3人くらいのクルーで来るのだが、この番組作りは、すべての作業を彼一人が行っていた。

 インタビューをしながら、自分で動画を回す。だから、ときに走ったり、移動したりしながら、ハンディ片手に語りかける。とてもハードな撮影を単独でこなしていた。予算の都合なのかもしれないが、そういう番組作りだった。


 僕は、医療を中心とした支援活動を行っていたから、被災地医療の現状や苦悩のようなものを訴えたかった。

 障害者を抱える家庭に同行することで、そこでの在宅医療の様子や、仮説住宅でのインフルエンザワクチン接種のボランティア活動などを取材してもらい、全国に発信してもらった。


 彼はフリーランスで仕事をしているらしく、そういう意味では、自分の腕一本でテレビ業界を渡っている人だった。取材魂を強く感じる熱血的な業界人という印象を受けた。だから、少しだけ押しの強い人だった。良く言えば使命感が強い、悪く言えば高圧的で横柄。

 多かれ少なかれ、テレビ取材というのはそういう傾向があるのだろう。よりわかりやすく、よりリアルに現場を伝える必要があるからだ。


 先日、近所の定食屋で久しぶりにHさんと再会した。

完全に風化しているなかで、彼は東北の被災地を回って、粘り強く取材を続けていたのだ。

 経費の削減と番組時間の短縮を余儀なくされるなかにおいて、彼は局へ働きかけることによって、番組は細々と継続されていた。


「久しぶりですHさん、お元気そうですね、その節はお世話になりました」

「木痣間先生も変わりなさそうですね。せめて10年目を迎えるまでは、この番組を続けたいのでがんばっています」

 改めて、彼の仕事にかけるプロとしての意気込みを感じた。僕としても、やはりこういう人は応援したくなる。

「はい、ぜひがんばってください。被災地を全国に伝えてくれる番組はもうありませんから、Hさんの肩にかかっています」

「先生も、いろいろと文章を書いて被災地の状況を伝えようとしています。本、読んでいますよ」

 ありがたいことに、僕の個人的な活動のリサーチもしていてくれたのだ。久しぶりという気がまったくしなかったのはそのためだ。


「そうだ木痣間先生、ここで会ったのもご縁です。いまスポット的に1回分のスペースが空いているので、再度、先生を取材させてください」

 なんと、久しぶりに会ったのも束の間、仕事の話だ。

「はい、僕は別に構いません。今度は何を撮りたいのですか?」

「先生はひとりの人間として、ここで生き方を変えた。その原点みたいなものを撮りたいですね」


 彼からの要望は、個人をテーマにしたもので、言い方は難しいのだが、目的というか、志向が変わったような気がした。さらに言うなら、そんな漠然とした求めに応えられるかどうか・・・・・・、少しだけ不安を感じた。


 日を改めて、食事をしながら打ち合わせの機会を設けた。話しの途中、彼が、男性にしては小ぶりの時計をはめていることに気が付いた。

「なんか女性モノの時計をしているようですが、恋人でもできたのですか?」


 彼から発せられた言葉は衝撃的なものだった。

「先月、母親が亡くなりまして・・・・・・、自殺だったんです」


 テレビ局のディレクターを務め、何日も何日も現場に詰める。テレビを支える責務があり、業界を背負っている自負がある。何ごとにおいても優先される彼の仕事に対する姿勢は立派だったが、それによって犠牲にしてきたものもたくさんあった。

 それは私生活や結婚、そして家族だった。彼は一人っ子だった。両親は随分心配したであろう。母親は、そういう性格に自分の息子を育てたことを心底悔いた。

 ある日、マンションから飛び降りたのだ。


 彼は、嗚咽を漏らしながら、僕にそのことを教えてくれた。

「オレは、取り返しのつかないことをしてしまった。被災地報道は、自分のライフワークだから辞めたくないけれど、やり方を換える。人の考えをよく理解して、そういうものに深く入り込むような仕事がしたい」

 彼の志向の変化はそういうことだった。彼を仕事に駆り立てていた僕ら被災地に住む人間に、責任の一端はないのか・・・・・・。


 母親の時計と指輪とを形見にすることで、彼は新たな自分を取り戻そうとしていた。今度は、僕らが彼を支える順番かもしれない。


 撮影された僕の被災地支援活動の番組は、自分で言うのも気が引けるが、Hさんの感情の込められた素晴らしいものだった。

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