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形だけ大人になった僕たち  作者: 木痣間 片男(きあざま かたお)
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旧・警戒区域の被災地診療所から:「何分で走れたんだい? だめだなぁ!」

 福島県の被災地病院に赴任して9年目、旧警戒区域(原発から20キロ圏内)の小さな診療所の所長を拝命されたのが2020年4月だった。そろそろこの診療所にも慣れてきた。


 スローライフだとか田舎暮らしといった牧歌的なことを言っていられるような土地ではまだないが、それでも少しずつ日常を取り戻し、なんとか診療を続けている。わざわざこんな不便な土地に、(つい)棲家(すみか)として帰還してきた住民たちがいるのだ。ここで診療するということは、そうした人たちの信条というか、アイデンティティというものと徹底的に向き合い、寄り添う必要がある。

“脊髄小脳変性症”という神経系を犯す病気がある。ふらつきで発症することが多く、徐々にうまく歩けなくなり、呂律も回りにくくなる難病である。基本的に、治療方法はない。『1リットルの涙』という映画を覚えている人もいるだろう。


 理髪店を営む50代のその男性は、「ハサミ使いのキレが鈍ってきたし、走りにくくもなってきた」という訴えで来院した。麻痺はないけれど、バランスを保てない“運動失調”という徴候を認め、脳にはっきりとした異常がなかったことから逆に、脊髄小脳変性症を疑った。

「ふらつきがだんだん進行する病気で、もしかしたら難病かもしれません」というようなことを告げ、「でも、進行を遅らせる薬がありますから」と提案した。


 それから彼と僕との葛藤のぶつけ合いがはじまった。というのも彼は“ジョガー”だったからだ。40手前でジョギングをはじめた彼と僕とは、走りはじめた理由もタイミングも、基礎体力もほぼ同じだったのだ。

 彼は床屋で立っているけれど動かない。僕もデスクで患者を待っているだけで動かない。このままではまずいと思ってジョギングをはじめた。二人とも、運動が得意というわけではけっしてなかったけれど、走るくらいならできるかもしれないという単純な理由ではじめた。

 ただ僕は、「運動不足が解消されれば、まあそれでじゅうぶん」という気持ちが優先し、明確な目標は生まれてこなかった。つらい想いをしてまで速くなりたいとは、さらさら思わなかった。当然、マラソン大会に出ようなどという心持ちも起きなかった。

 

 彼は違った。

「理由はよくわからないけれど、同じ走るならオレはマラソン大会に出て、できるだけ速く走れるようになりたかった」と語ってくれた。


 気持ちとは裏腹に、やがて彼は走れなくなった。

「薬、ちっとも効いてないんじゃないのか?」と疑問を投げつけることが多くなった。それでも診察に来るたびに、僕に「走っているかい?」と尋ねてきた。

「はい、なんとか続けていますよ。週2日、7、8キロは走っていますね」

「それじゃだめだな。せめて1日おきに10キロは走らないと」

 僕としては、「いやいや、だからタイムを考えて走っているわけではないって」と内心思うのだけれど、「はい、がんばってみます」と、いつも半分程度は受け流していた。


 それからも、彼の症状は少しずつ進んでいった。仕事はなんとか続けていたが、立って髪を切ることが難しくなった。昇降式のキャスター付き丸椅子を使って髪を切り続けた。

「おしゃべりしてたりするんだけど、馴染みのお客さんが来るから止められないんだよね」と言い訳をしていた。

 手元もおぼつかなくなっているから、クオリティーが下がっていることは明白だった。そう考えると、そこに集い続ける客というのは、本当に彼に切ってもらいたくて通っているのだろう。きっとおしゃべりも楽しいのだ。

「体を支えながら手を動かしていた方が、リハビリにもなるからいいですよ」と勧めている僕の考えも、どうかと思った。他人の頭をリハビリ材料に利用していいものだろうか。


 1年ほど前のある日のこと、受診を終えて診察室から出ようとする、その間際に彼がつぶやいた。

「先生、マラソン大会に出なよ、オレはもう走れなくなったから」

 なにをいまさらと一瞬戸惑ったが、「いやぁ、出られるほど走っていないですし、まだまだあなたもがんばれますよ。そんな寂しいこと言わないでください」と、嘘になるような返答をした。彼が、走れる体に戻ることは二度とないことを確信しつつも。


 その後どう血迷ったか、僕はマラソン大会というものにはじめてエントリーした。毎年12月に行われる地元の大会だ。

「あなたが勧めるからしょうがない、エントリーしましたよ。とりあえずハーフをね」

「エントリーしたんだ、せいぜいがんばってな。でも、もうちょっと練習しておかないとダメだろうな」

 うまくのせられてしまった感はあったが、出ると決めた以上は仕方がない。脚を痛めない程度に3か月間、走りの負荷をかけた。僕にとってそれは週3回、なんとか1回10キロの走行が精一杯だった。

 大会当日、終盤に近いところの沿道に彼の姿があった。奥さんの肩に掴まりながら、必死に手を振り、大声をかけてくれる彼の姿が。

 それは17キロを過ぎたポイントで、もう限界だ、もう休もう、あそこの角を曲がったら絶対歩いてしまおうと思っていた、まさにその矢先だった。


 後日の診察日、「結局、何分で走ったんだい?」

「えっと、2時間6分でした・・・・・・」

「応援してやったのに全然だめだなぁ、オレのハーフの最高記録は1時間29分だぜ」

 彼の、「理由はよくわからないけれど」と言いつつタイムにこだわっていたのは、この病気の発病を予見していたからなのだろうか。得も言えぬ何かが、彼を走りに駆り立てていたのだろうか。そんなことが果たしてあるのか。マラソンをはじめてから10年ちょっと、彼は駆け抜けていった。そして、僕とは比べものにならないほど成長した。


「そうですね、あなたを見習って、来年はせめて2時間を切ることを目標にがんばりますよ」

 その言葉は、いままでより嘘は少なかった。走ることのできなくなった彼が、それで少しでも前向きになれるなら。

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