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形だけ大人になった僕たち  作者: 木痣間 片男(きあざま かたお)
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山登りから:もう、好き勝手やらせてもらっている

 まさに一期一会だったが、僕にとって生き方の教本というとたいへん厚かましいが、最後はそうやって生きるのも悪くないという思い出の人がいる。

 福島県出身の有名な登山家だった、田部井(たべい)淳子さんだ。


 被災地支援としてはじめた僕の活動のなかでも特に力を入れていたのが、市民を対象としたハイキングだった。過去2回を通して、2013年の企画として、何かもっと福島のためのサプライズ的な付加価値はないかと考えていた。

 そこで福島県の登山家と言えば、田部井淳子さんをおいて他にはない。もし、彼女と一緒に山登りができれば一生の宝になるのではないか。ダメ元で、彼女のオフィシャルサイトに、「福島の復興の一助となるべく、ぜひ一緒に登山にご参加いただけるとありがたい」というようなことを、これまでの経緯を含めて書き込んだのだ。

 すぐに関係者から、なんと直接の電話がきた。「ぜひ、協力したい」と。


 田部井さんは、1939年生まれの2013年当時74歳で、福島県田村郡三春町出身である。

 女性として、世界ではじめてエベレストと世界七大陸最高峰への登頂に成功した人物であることは、もちろん熟知していたが、さらに、彼女はHAT-J(Himalayan Adventure Trust of Japan)という組織を作って活動していることを、このときはじめて知った。「山の環境保護について考え、自分たちのできることから実行していこう」ということを理念とするNPO団体だった。

 そして、東日本大震災の支援計画を立ち上げ、なんと被災者に力添えする取り組みも行っていた。その活動内容は、被災者をお誘いしてハイキングに出かけることや、一般参加者を募って「登って、泊まって、買って帰ろう!」を合言葉に東北応援登山ツアーを行うことであった。

 偶然とはいえ、いいタイミングで登山の参加依頼をしたのである。


 福島県内の雄国山(おぐにやま)に登った。

 一行は山の空気を満喫したり自然を愛でたり、終始、田部井さんたちとの会話を楽しみながらピークを目指した。そのなかにおいて、スタッフチームの規律は確かなものがあった。私たち参加者を4グループに分けて、それぞれに担当者が割り振られた。目配りがなされ、最後尾を、この方もクライマーである田部井さんのご主人が務めた。それは、ひじょうに統制のとれた、そして配慮されたプロたちの舵取りだった。


 田部井さんとのおしゃべりのなかで印象的だったのは、「もう、好き勝手やらせてもらっている」という言葉だった。

 それというのも、彼女は乳がんを克復したものの、昨年(2012年)から腹膜がんに犯されていたのだ。それは、がん細胞が腹腔内(腹部の内部)に種をまくように散らばった状態で、ステージはⅢC(がん細胞が他臓器にも転移している状態)と診断されていた。

 そして、このときすでに、余命3カ月を言い渡されていたのだ。実は、そんななかでの山行だった。


 以下は田部井さんのブログの一部である。ありがたいことに、当日のことが細かく記されていた。


(8月)31日は、“HAT-J東北応援プロジェクト”と“市立総合病院”との共同企画でした。安達太良山(あだたらさん)の予定だったのですが、夕方の天気を見ると山は風、霧で、猪苗代もあやしげだったので、世話人の方(木痣間さん)と電話で相談し、たとえ雨でも歩くことができて、避難小屋もある雄国山に変更することに決めました。


 この市の方たちとはなかなか接点がなかったのですが、たまたま、市立病院の先生から私のところに連絡がありました。

「自分は、元大学病院の医師であったが、あの大震災以後役に立ちたいと願い、福島の病院に移ってきた。しかし、病院診療だけでは、市民の方たちを元気にするには限界がある」と、自分自身で市民に呼びかけ山歩きを始めた。私たちが、いろいろな方たちとハイキングしていることを知り、「なんとか協力いただけないか」とメールをしてきたのです。


 9時50分に出発し、きれいなブナの森をゆっくり歩き、ちょうど12時に頂上に着きました。雄国沼も見えて全員大喜び。土曜日だったせいか若い人たちの参加が多くて良かったです。


 先にも述べたが、このとき彼女はすでにがんの末期だったのだ。

 私が言うのも大変おこがましいが、苦悩と葛藤と、そして、これまでの自負というものがあったのではないか。何か吹っ切れたというか、覚悟を秘めたというか、そういう最後まで登山家という彼女の生き方としての思いが、「好き勝手やらせてもらっている」という言葉につながったのかもしれない。


 あるインタビューで田部井さんはこう答えている。

「私は登山を始めてから、山で遭難して亡くなっている人のご遺体を何度も見ました。初めはショックを受けていましたが、いつしか自分自身も土に帰るんだと自然と思うようになりました。であれば、自分が死ぬ瞬間は、“あぁ、おもしろかった!”と死んでいけるようにしたい」


 今回の山登りは、21歳から80歳までの市民が参加され、全員が頂にたどり着いた。

「田部井さんの元気には負けられない」という、前向きな声をたくさん聞くことができた。被災地にとって、それはとても感動的で頼もしいことだった。参加者全員それぞれが、それぞれの想いで頂上を目指した。一点を目標に意識を共有させ、一体感を味わうことができた。

 

 そして、参加者のなかにも、がん闘病中の人がいたことを後で知った。

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