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形だけ大人になった僕たち  作者: 木痣間 片男(きあざま かたお)
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「尊敬する人なんていない」って言っていたけれど

 面接や人物紹介などでよく尋ねられる質問に、「尊敬する人はいますか?」がある。


 こういうのは鉄板質問であるからして、その手のハウツー本に書かれているとおり回答を用意して望むことが重要である。

 その結果、医者から見た場合における“尊敬できる人物”として常にランクインされるが、山中伸弥先生とブラック・ジャックである(野口英世やシュバイツアーなんかは昔の人過ぎて、いまでは現実味はない)。


 それ以外に、抽象的になってしまうけれど、“患者の心情に寄り添える医師”や、“臨床に必要な技術を高いレベルで提供できる医師”や、“メディアに注目されなくとも日々患者のためにひたむきに頑張っている医療スタッフ全員”といった条件だけを呈示する人もいる。さらに、“直接の指導医”や、“自分の医局の教授”なんていう優等生的な回答をする人もいる。


 まあ、そうだろう、それが正解だ。


 僕だったらなんて答えるだろうか? 面接で尋ねられれば、それ相応の模範解答を示してきたと思うが、正直なことを言えば、そんな人物はいなかった。そして、その理由として、「尊敬しているだけでは近づけませんから」なんていう、格好つけたことを言っていた。


 かつて大学病院で研究指導を受けてきた上司に対しては、もちろん恩義を感じているし、大学人としてのロールモデルとして高く評価はしていたけれど、尊敬というのとはちょっと違っていた。


 10年前、大学病院を追われた僕は、東日本大震災をきっかけに福島県の被災地病院に赴任してきたわけだが、そこにはひと味違った医療者たちがいた。

 そこで出会ったのが“在宅診療科”の2人の医師だった。もと心臓外科医と、もと消化器外科医だったが、ともに震災を契機に往診を専門とする医者に転身した。


 震災を伝える時期はとっくに過ぎているので、その部分は割愛するが、2人の価値を一言で表わすとしたら、彼らがいなかったら、僕はきっと現在のスタンスでの僕ではなかったと思うし、被災地支援という幅は、いまよりずっと狭かったであろう。


 ひとつひとつを紹介しても意味はないが、チームを組んだ僕ら3人は、復興の立役者としてよく機能したと思う。

 震災後3年あまりの間にさまざまな事業を展開し、試行錯誤を繰り返した。誰からどう後ろ指を指されたかわからないが、少なくとも僕らの活動によって往診システムは順調に滑り出したし、いまだ志なかばな部分もあるが、街の再生のきっかけ作りに貢献できた。さまざまな復興を目指す人たちに、「こういうやり方もある」という影響を与えた――まあでも、話しが長くなるので、繰り返しになるがその詳細は割愛する――。


 読者の皆さんの共通認識として、あえてここで伝えるべきことがあるとしたら、それは職場の成り立ちに関してである。

 気持ちの良い職場にいれば、気持ちの良い仕事ができる。もっと言うなら、良い仕事は、良い環境からしか生まれない。組織の規模だとか、資本金がいくらだとか、上場しているだとか、財務状況が健全であるとか、もっというと社会的貢献度だとか将来性があるだとか(市場に需要がある・長期的な安定がある)ということも、直接的にはあまり関係ない。


 自分の考えが忌憚なく発言できて、何をするにも前向きに支持されて(ときに行き過ぎを、注意されることもあるにはあるが)、ダメもとが許されて、失敗を反省として活かせる、そんな環境がここにはあった。

 このサイトにおいて僕がときどき指摘していることだが、医者が――もっと言うなら人間が――、より高いパフォーマンスを発揮するための原動力は、その行動が“楽しいか否か”にかかっている。


 病院に限らないかもしれないが、仕事場などというところは、責任を引き受ける人がいて、「これまでやっていないのだから、やるだけでも価値があるじゃないか」と背中を押され、意識を共有できる仲間がいれば、どんな場所で何をやっても楽しい。

 逆に、無責任な人ばかりで、「やっても無駄じゃないの」という雰囲気に流され、感じの悪い同僚に囲まれていれば、どれほどエグゼクティブで、リーディングで、ソフィスティケイトされた仕事をしていても、全然楽しくない。


 在宅診療科のその同僚医師のひとりは、僕から見れば実に穏やかな臨床医だった。おそらくは、僕の尻ぬぐいを、さまざまな局面で強いられてきたのではないか。失礼を承知で言えば、僕は彼がいるから勝手な行動を取れてきたように思う。そういう妙な安心感を与えてくれる。

「だって○○先生が『いい』って言ったもん」というようなことで・・・。

 だからおそらくは、いや絶対に、いろいろな知人に、「木痣間先生は口は悪いけど根はいい人だから・・・」と言い回っていたのではないか。


 ただ、勘違いしてはいけないことは、そういう職場なんてものはあらかじめ用意されているものではない。自分たちで創っていくものである。被災地に限らないが、職場ってのは、こういう組織作りが必要なのである。


 尊敬できる人って、別に偉人でも英雄でも大物でも一流でも、なんでもない。要は、自分の能力を引き上げてくれた人に対して抱くべき感情だ。そんな経験をさせてもらった2人の先輩医師が、僕にとって唯一無二の尊敬できる人だ。


 現在、チームは解散、2人の医師は以前の職場に戻っていった。どんなものにも終わりはある。栄枯盛衰、一定の役割を終えて、ひとつの“時代”というと大袈裟だが、復興のきっかけを築いた僕らのチームは終焉を迎えた。

 それはそれで、新たな時代の幕開けへとつながれていくであろう。導かれる方向へ、僕は、もう少しこの地で新たな希望を見出していくつもりである。

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