婚約破棄の向こうには……
「あなたとの婚約を白紙に戻したい。」
愛しいあの人に告げられた言葉に私は言葉をなくした。
幼い頃に引き合わされ政略のもと婚約者となった。
優しくてキラキラした貴方は私にとってかけがえのない人だった。
私を道具としか思っていない父親と継母、そして義妹。
居場所のない生活の中で亡くなった母方の祖父母の希望で結ばれた絆。この国は長子が後継に成れる。婚約者のライナス様は、由緒ある侯爵家の三男で私がどれだけ支えられていたか、貴方は分かってくれていると思っていたのは私だけだったのね。
「ごめんなさい、お姉様。私、お腹に赤ちゃんが出来たの。ライナス様の子よ。」
義妹ステラの言葉に彼は私から視線を外す。
「セシリア安心しろ、傷物のお前でも貰ってくれる家は見つけてある。」
珍しく家族の揃った部屋に呼ばれ来てみれば……。
父の侮蔑に満ちた瞳に身震いをした。母が生きていた時はまだ、優しさの欠片くらい持ってきた人だったのに。
「待って下さい!彼女との婚約は破棄ではなく白紙に戻すんですよね、悪いのは私なんです。彼女が傷を負うことはないはずです。」
彼の言葉が響くけど、もう、どうでもいい。
「ふん、君は黙っていてくれ。セシリア、お前の嫁ぎ先はサスドギ伯爵だ、ちゃんと正妻として迎えてくれるそうだ。」
息を飲む。
確かあまり良い噂のない60過ぎの方だったはず。
「良かったですわね、お姉様。我が伯爵家はライナス様と私が盛り立てて行きますわ!」
ライナス様は侯爵家の三男で我が伯爵家に入る予定だった。我が家にしてみれば私より可愛いステラの方がいいに決まっているわ……。
ノックの音がして、部屋の扉が開かれる。
「旦那様、サスドギ伯爵様がいらっしゃいました。」
執事の言葉。
「早速、参られたか!お通しするのだ!」
喜色を含んだ父の声。
やって来た伯爵は白髪を撫で付けた髪に痩せた頬と隈の濃い人だった。
もう立ち上がる気力もない私は言葉もなく、顎を取られ伯爵に品定めされていた。
「よかろう、この娘を引き取ろう。」
金の入った袋が2つテーブルに投げ捨てられる。
「どういうことですか!これでは、まるでセシリアを、」
ライナス様の声が聞こえる。同じ部屋にいるはずの彼の声は遠い。
「ダメよ、ライナス様。」
諭すような声にライナス様の言葉は途切れた。
「貴方は、お姉様を裏切ったの。後戻りは出来ないのよ。それに、貴方の家からも婚約に関する違約金と結婚前に私に手を出したことに関する慰謝料を持参金に上乗せで貰うことになってるし。」
伯爵に腕を引っ張られた私の耳に義妹の声がする。
「なっ、侯爵家の者としてこんな筋書き許されない!き、君とは結婚しない!こ、こんなやり方!」
ライナス様の声。
「何を言ってるの?ライナス様。」
義妹の本性にやっと気付いたの?私は何度となくステラのことを伝えていたけど……。
「黙れ!触るな!セシリア、俺は君を嫌いになったわけじゃないんだ!」
言い合いを始める彼ら。
もうどうでもいい……。
「でも、私と寝たじゃない。既成事実があるんだから。それに、サスドギ伯爵との契約は完了したし。ステラと結婚しないと、ライナス様のお家の評判、さがっちゃうよぉ?」
クスクス笑うステラと父、継母。
「何をしている、立て。」
私はもう一度、伯爵に腕を引っ張られた。
その時だった。
「ごめんくださ~い。お取り込みの途中すみませ~ん。」
突然かけられた声に皆の視線が部屋の隅へと移った。
継母が、小さく悲鳴をあげる。視界に入る人は銀糸の刺繍の縁取りがされた黒いローブを纏った少女だった。
物語に出てくる賢者のような出で立ちの少女は、背丈をこえる大きな杖を持っていた。美しい顏に赤い瞳、そして銀色に光る白髪をしていた。
あれは………まさか。
「貴方、誰よ!気味悪い!」
「ス、ステラ、待て!」
ステラの声に慌てて父が止めていたけど、少女はニッコリ笑うと杖で床を鳴らした。
同時に開かれていた扉が窓が閉まる。
「ひっ!」
「きゃっ!」
サスドギ伯爵の手が離れ私はソファとテーブルの間にしゃがみ込む。
伯爵は震えながら後退りして扉を開けようとしたけど開くことは出来なかった。
「ちょ、ちょっと、なんなのよ!」
異常事態が起こっていると気付いたのだろう、義妹の声も震えていた。
「魔女……。」
ボソリと呟かれたライナス様の声。
そう、彼女は……。
「どーもー、萬呪事引受協会本部第一徴収部実行班から来ました魔女魂登録番号999のフィオレンティーナですっ!」
この世界には人々に畏怖される存在、魔女がいる。
遥か昔、神なる力を宿した聖女。人々は彼女の奇跡の力と美貌にカリスマ性をみた。
時の権力の象徴であるとある国の王が聖女を見初め妻となることを望んだが聖女は人々の為に旅を続けよとの神託に従い生きたいと拒否した。また、神を祀る教会に入る事も拒否した。
自尊心を傷付けられた王と一部の教会幹部は手を組み聖女を捕らえ、彼女の力は紛い物で人心を惑わす魔女であり、国を混乱させた元凶と決め火炙りの刑に処した。
聖女は炎の中で“覚えとけよ、コノヤロ”と呟きながら、想像を絶する苦痛の中息絶えた。
その直後、王城と教会に雷が落ちた。神の怒りであると民は騒いだが王と教会は、悪魔の仕業であるとし、聖女のように見目麗しい年頃の娘は、人心を惑わす魔女であるとし、次々に捕らえては火炙りとした。捕らえられた娘の多くは平民で中には結婚し子供もいる女性も多くいた。
見目麗しい娘を持つ貴族は自分の娘だけは隠そうとしたが王の命であることを免罪符に娘達を捕らえる部隊まで現れ捕らえた娘達。魔女狩りと称した凌辱行為が横行した。
狂ってしまった王が実の弟に弑殺されたのはそれから数年後だったが、なんの罪もない娘が数年の間に千人近く殺されていた。
天に召された聖女の悲しみと神の怒りは、王の暴挙を止める事の出来なかった教会と王の一族に向けられた。
そして、罪もなく無惨な死を遂げた娘達は神の御使いとして転生することになった。
第一号として転生することになったのは最初に火炙りとなった聖女だった。
聖女は神に言った。
「聖女なんて名前はコリゴリ。聖女なんて呼ばれてしまったから王や教会に目をつけられたんだもの。もう人のために働くのもいや。どうせなら死んでいった妹達の行き場のない怨み辛みを晴らしてあげたい。」
神は彼女に聖女とは真逆の魔女の名を与えた。
元聖女は、自分と同じように魔女として火炙りにされ殺された娘を妹とよび、目印として魂を宿す体に炎の紋章を刻んだ。紋章のある娘はある日突然自分が魔女であることを理解する。そして、選択をする。魔女として生きるか、普通の人として生きるかを。この場所に現れたフィオレンティーナは、前者を選んだ。
「さて、現世名ハロルド・サスドギさん。」
伯爵は逃げ出そうとしたけど、動かない、ううん、動けないんだ。
「逃がさないよ。」
扉を背に伯爵は立つ。
「私が来たってことは、分かってるんでしょ?」
「な、なんのことだ!」
少女は笑う。
「ほら、魂に刻まれた記憶、そろそろ甦ってんじゃないの?1回目の人生は33歳で狩り取られ、2回目は、あー酷いね、25歳で狩り取られてるじゃん。」
少女は杖を抱えながら小さな手帳を開けて読んでいる。
「先日、あなたの呪い玉が限界値を越えました。62歳か……頑張った方かな?でもやっぱり寿命には届かなかったね。1週間前、オジサン、奥さんを殴り殺したでしょ?彼女ね、あなたを強く強く怨みながら死んじゃったから、足踏みしてた呪い玉の中身があっちゅー間に限界値越えちゃって、早くも4回目の呪い玉に呪いが貯まり始めちゃってるの。放置しとくと4回目の生もあっちゅー間に満杯になっちゃうとオジサンもイヤでしょ?だから、新たな生を迎えるためにも死んでね。」
少女の杖が一瞬で大鎌に変わった。伯爵は止めてくれと懇願している。先程までの傲慢な姿は何処にもなかった。
「萬呪事引受協会第一徴収部通称“死神”所属フィオレンティーナ。あなたの魂、狩らせて頂きます!」
上がる血飛沫、飛ぶ頭。
私は息を飲み、ステラは悲鳴を上げ、継母は気絶した。
「さ、お行き。」
えっ?どういうこと?
伯爵は立ち上がり、少女に挨拶をして部屋から出ていった。首から上、ちゃんとあるように見える。
「オジサンの場合は、魂を狩り取られて一週間後くらいにこの世界での法に則った罰が下されて、体も死ぬことになると思うよ。さて、」
少女は、ステラの方へと歩いて行く。
「さて。現世名ステラ・ブライト。君の番だよ。」
ステラはソファの隅に追い詰められている。
ライナス様は、ステラに突き飛ばされて3人掛のソファの端に追いやられていた。
「な、何よ!来ないで!お父様!こいつをどっかやって!いや!」
父は気絶した継母を抱き締めて震えていた。
「人間、諦めが肝心だよ。にしても、この手帳によると……あなたこれで5回目なんだよね、転生。」
心底呆れている声だった。
「普通はさぁ、さっきのオジサンみたいに多少の失敗はあるけど、転生の回数を繰り返す度に己を見直し呪い玉に呪いが貯まるスピードとか、その一生の長さとかが延長されるはずなんだけど、君は一回目は32歳。2回目は28歳。3回目は25歳で、4回目は20歳。で、今生が15?16か。転生の度に早死にしてるんだよねぇ。」
ステラはガタガタと震え出す。
「分かってるよね?魂に刻まれた理の記録を。君は今生で5回目の人生で神に与えられた寿命をまた全う出来なかった。だから、神の命に従い魂を狩り取り、地獄に送った後に消滅ね!」
淡々と言うか少女。
「な、何を言ってんのよ!来ないで!私は悪くないわ!」
ステラは足をバタつかせ暴れている。
「そもそもあなたさ、実の姉に魔女の嫌疑をかけて、魔女狩り部隊に処刑させたよね。姉の婚約者を自分のものにしたいってだけで。」
「し、知らないわよ!」
「2回目でも、3回目でもどの生でもそう、あなたは、実の、また義理のお姉さんを罠にかけ、周囲の愛情を独り占めして孤立させ、絶望させた後で、自分の手を汚さず殺してるよね、凄いねぇ。騙される男達にも呆れるけど。」
少女はチラリとライナス様を見た。
「な、何のことよ!」
「さっきのオジサンとお姉さんの結婚を父親に薦めたのもあなた。オジサンの変態嗜好も知った上でお姉さんを排除しようとした。あなた、取り巻きの子爵令息にオジサンの回りで起きてる不穏な噂を聞いてお姉さんの嫁ぎ先はそこしかないって思って実行したんだよね!稀代の悪女だよ、ある意味素晴らしい!地獄に堕ちても君は反省なんかしなくて周りを怨みながら過ごすんだろうけど、魔女狩りに参加して私達からの怨みを買ってる奴等は怨みの対象に呪いは送れない仕組みだから。惨めに消滅してね。」
少女が大鎌を構える。
「魂、狩らせて頂きます!」
上がる悲鳴。
目を閉じ、耳を塞ぐ。
暫くすると部屋は何事もなかったように時が動いていた。
表情を亡くしたステラがソファに大人しく座っていた。
夢?ううん、違う。
だって、まだ、魔女がいる。
「ねぇ、オジサン。」
少女に声をかけられた父親が我に返り震え出す。
「ちゃんと娘の教育しなきゃダメだよ?あなた達の教育があの娘の死を早めたんだから。真っ当な教育してれば、あんな魂でも、もう少し長生きできたと思うんだよね。因みにあなた方夫妻の呪い玉も存在するから、覚えていたら性格入れ換えて精進してよね。」
父親は継母のように気を失った。
「で、情けないそこの男。人を見る目、特に女を見る目をちゃんと養いなよね、ま、この娘の体は子供を産むまで死なないから、しっかり育てるんだよ。どんな魂を宿して生まれてくるにしても子供に罪はないから。あなたの子供じゃないけど罰として受け入れな。自分のケツは自分で拭けって言うし。」
ライナス様は人形のように魂の抜けたステラを見て項垂れた。
「で、あなたはどうする?」
話しかけられて私もハッとする。
「何回、転生しても絶望のループだって気付いたでしょ?あの娘の魂が消滅しても同じような魂を持つ者はいる。あなたは、このままじゃ第二のあの娘の犠牲になり続ける運命なんだよ。もういい加減魔女の生を選びなよ。」
少女の言葉にライナス様が反応する。
「セシリア……、君は……。」
胸の内に広がるのは魂の記憶。涙が溢れてくる。
「所詮、魔女は魔女。こちらの生じゃなきゃ幸せにはなれないよ。」
立ち上がる。
「セシリア……。」
「協会にも色んな部署や係があるし。おいでよ、セシリア。」
私は少女の手をとった。
「ありがとう、フィオレンティーナ……私、幸せになりたいわ。」
「うん、いい出会いが待ってるよ。じゃあね、」
「さようなら、お父様、お義母様………、ライナス様。」
私は生まれ育った家を出た。
転移と言う高位魔法でたどり着いた。
「ようこそ、萬呪事引受協会へ!」