その8
金目川支流 渋沢駅北北西約4.1キロメートル
香貫公国軍 A57基地
8機の大型戦闘機Su-27SM(KEITOコードネーム:フランカー)が次々と薄暗いA57基地の滑走路に着陸した。見事に一定の間隔で着陸した8機は、エプロン(駐機場)に到着すると、それぞれの場所でSu-27SMを停止させた。
Su-27SMが整然と並んで停止した横には、12機のMiG-31Mが同じく整然と並べられ、その周りでは、A57基地の隊員がかたまって好奇の目を彼女らに向けていた。
「なに! ここ! こんなに酷いところ初めて」
「ほんと。それに何! あの男たち。やだ、できちゃいそう」
最初にSu-27SMからエプロンに降り立った二人の若い女性パイロットは顔を見合わせた。
女性だけで構成された第586戦闘機連隊(魔女飛行隊)の彼女らにとって男からそそがれる好奇の目には慣れていた。
「そんなところで油売っていないで自分の機体に戻りなさい。燃料車が来たわよ! それに、あなたたちと一戦交えようなんて度胸のある男が香貫にいないのも知っているでしょ!」8機を率いてA57基地に降り立った第586戦闘機連隊第1大隊長(白バラ隊)瀬奈ふぶき中佐は、部下のパイロットを叱ってみたものの自分もこんな酷いところは初めてで戸惑っていた。
A57基地は「死のトライアングル」と香貫本国を結ぶ中間点の補給基地として、トライアングルの中心であるR38基地と同時に建設が始まっていた。
梨園と林に挟まれて、めったに人が近寄らない場所に「ダイダラ」の企業が建てた倉庫。その中2階がA57基地だった。基地の存在を秘匿するには絶好の場所だったが、基地の建設に必要な資源の多くはR38基地に回されていた。このため航空機が移動する床の舗装を除いてA57基地の建設は進まなかった。
かび臭く埃っぽい空気、窓が少なく昼間でも薄暗い倉庫内の環境は劣悪だった。
政治犯を収容する淡島コロニーだってこれほど酷くはないでしょうね。それに、最初は薄暗くて気付かなかったけれど、ここの男たちの顔は青白く、頬がこけている者が多いわ。ここは環境だけじゃなくて食糧事情も悪いのね。できるだけ早く仕事を終えておさらばした方がよさそう。そう思った瀬奈中佐は、最大の関心事である基地の整備・補給態勢を確認しようと男たちの後ろに並ぶMiG-31Mを見つめた。
すると男たちの列が割れて、そこから顔を真っ赤にして眉を吊り上げた空軍大佐が取り巻き連中を連れてドシドシとこちらに向かってきた。
「指揮官は誰だ!」その空軍大佐は怒鳴った。
「私です。大佐。第586戦闘機連隊第1大隊長、瀬奈ふぶきです」瀬奈中佐はそういって大佐に敬礼した。
「基地司令の大松だ。お前たちは6機で来るのではなかったのか! なんで2機も増やした。勝手なことをするな」
「その件は指示があいまいだったので軍団司令部にも確認しました。軍団司令部はこちらにも確認したと思いますが?」やれやれ、ここにも軍は男のものと考える恐竜がいたわ。瀬奈中佐はうんざりした。
「そんな話は聞いておらん! 君たちはどこに行ってもやりたい放題らしいが、ここでは許さんぞ! 増やした機数分の働きはしてもらう……君たちのために特別に状況説明してやる。準備ができたらすぐに司令部に来い! いいな!」R38基地司令・大松大佐は、そう捨て台詞を吐いて立ち去った。
取り巻き連中も大松大佐と一緒に立ち去ったが、飛行服を着た長身の中佐だけは立ち去らなかった。逆に瀬奈中佐に近づき右手を差し出して握手を求めた。
「458連隊の長沢だ。ようこそカビ屋敷へ。とんだ歓迎になって申し訳ない」MiG-31Mを運用する第458戦闘機連隊第1大隊長・長沢中佐は、立ち去る大松大佐の方を振り向いて顔をしかめた。
「ありがとう。でもああいう方には慣れているわ。それにあなた方もここに臨時配属されただけでしょ。謝ることなんかないわ」瀬奈中佐はにっこりと美しい笑顔を見せた。さあ! この男も私の笑顔に引っかかってくれるかしら。
「ただ、基地司令の気持ちも分からんわけではない。あれを見てくれ。この基地はいまだにあんな燃料タンクに頼っている状況なんだ。全てのものが不足している」長沢中佐が指差した先には十数個のゴム製簡易燃料タンクが並んでいた。これでは12機の戦闘機を3日飛ばすだけの燃料しかない。長沢中佐の危機感は強く、瀬奈中佐の笑顔は目に入らなかった。
私の笑顔にはひっかからないようね。別にかまわないわ。だってこの男は女性に偏見を持っていないようだし、それにいい男じゃない。一緒に仕事する相手としては十分だわ。それでは、この男の力を借りて一つずつ仕事を片付けてしまいましょう。「整備員を乗せた輸送機が遅れているの。燃料給油だけでもおたくの整備員が手を貸してくれたら助かるんだけど?」
「かまわんよ」長沢中佐はそう言いながら男たちの群れにいる一人を手招きした。「整備班長に命じて手伝わせよう」
瀬奈中佐は再びにっこりと笑顔をみせた。「迷惑をかけるわね」
「お互い様だ。それよりも早く司令部に行こう。基地司令が待っている。基地司令は好意で状況説明してくれるわけではない。R38基地の司令官に強くいわれて渋々やるもんだからな」
二人は司令部に向かって歩き出した。
堀内少将が求めた増援の第1陣として魔女飛行隊がA57基地に到着した。さらに、増援の主力となる香貫空挺軍の1個大隊は編成を終え、まもなく移動を開始する予定だった。死のトライアングルの増強は着々と進んでいた。
相模湾 相模川河口の南約5キロメートル
星川合衆国海軍 HSC-4(第4ヘリコプター海上作戦飛行隊)“ブラックナイト02”、HSM-74(第74ヘリコプター海洋攻撃飛行隊)“キャット01、03、04”
対潜ヘリコプター・MH-60R“ブラックナイト02”は、日の落ちた相模湾を西に向かって飛行していた。3機のMH-60S“キャット01、03、04”を従えて<カール・ビンソン>を発艦したこのヘリコプターは、4機の先頭に立って酒匂海軍の空母<瑞鶴>に向かう途上だった。
月が顔を出すのは1時間後。見渡す限り真っ黒な海水は、陸地に灯る光を反射して淡く光り、波が砕けたところでは夜光虫が驚いて青白く瞬いていた。全長6センチメートルのヘリコプターに乗る搭乗員は「ダイダラ」では見逃すような小さな光も大きく見え、真っ黒な海水がけっして暗黒の世界でないことを感じとっていた。この真っ黒な海の先に<瑞鶴>がいる。
4機のヘリコプターは、香貫のミサイル基地を攻撃する星川の司令部要員を<瑞鶴>に送り届ける任務を帯びていた。順調に飛行する4機は目指す<瑞鶴>との会合点に迫った。
「CAG、そろそろです。シートベルトをきつく締めてくださいよ。酒匂がSAM(対空ミサイル)を撃ってこようが鉛弾を降らせてこようが、あなたを<瑞鶴>まで送ります。そのときは激しい機動になりますから」加藤中佐のヘッド・セットにベテラン機長の声が響いた。
加藤中佐は、“ブラックナイト02”の機長席と副操縦士席に挟まれたセンターコンソール後方にあるオブザーバー席に座っていた。この席からはコックピットの計器版が見渡せる。加藤中佐も計器版を見て会合点に近づいたことを認識していた。
今回の件が酒匂の陰謀なら、機長がいうようにSAMを撃ってくるかもしれない。親友である三宅がそんなことをするはずはないと思っても、三宅自身が騙されている可能性だってある。今回の発端を作った加藤中佐自身でさえも、まったく不安がないわけではなかった。
加藤中佐でさえ不安が脳裏をよぎるのに、ほとんど状況を知らない機長が不安を感じないわけがない。それでも機長は平然とヘリコプターを操縦している。うちの航空団はこんな奴ばかりだ。加藤中佐はこのような機長たちを頼もしく思い、そして一緒に戦えることを感謝した。
「12時方向、灯火」物思いにふける加藤中佐のヘッド・セットに副操縦士の報告が流れ込んだ。
「見えんぞ!」機長が言った。
「波の切れ間に一瞬見えました。このまま直進してください」副操縦士の声は自信に満ちていた。機長も機長なら副操縦士も副操縦士だ。みんな心臓に毛が生えている。そう思った加藤中佐はにやりと笑った。
「よし、見えた。あれは艦のマスト灯だな。着艦指示灯が見えないから“トンボ釣り”とかいう艦だろう。あの艦の風上に<瑞鶴>がいるはずだ。よく見張れ! ナビゲーション・ライト(航法灯) オン!」機長は矢継ぎ早に指示をとばした。
4機のヘリコプターは、<カール・ビンソン>を発艦して以来、全ての電波放射を封印し、夜間の目印となる航法灯も消して存在を隠してきた。だが、<瑞鶴>に近づいた今、灯火管制を解除するときが来た。航法灯の点灯は<瑞鶴>に対しては着艦する意思表示であり、他の3機に対しては、まもなく<瑞鶴>に着艦することを知らせる合図であった。
彼らが発見した艦は、酒匂海軍の巡洋艦<能代>だった。<能代>は<瑞鶴>の“トンボ釣り”を務めていた。“トンボ釣り”とは、空母の後方に占位して着艦進入に入るパイロットの目印になる艦のことで、着艦に失敗して着水した搭乗員を救出する役割も担っていた。以前の“トンボ釣り”は小回りのきく駆逐艦が務めていたが、波が高くなると空母の速力についていけないため、今では巡洋艦がこの役を務めている。
波でゆらゆらと揺れる<能代>のマスト上空を通過した4機のヘリコプターは、<瑞鶴>がいるであろう方向に機首を向けた。全長50センチメートルの<能代>が波を掻き分けるその前方を目で追っていくと、またもマスト灯らしき光が見えた。
「あれが<瑞鶴>だな。ここいらで、ランディングチェックをしておこう」
4機のヘリコプターは着艦準備を整えて<瑞鶴>の左舷を飛行した。
NVG(暗視ゴーグル)をつけた副操縦士は、機長の肩越しに<瑞鶴>のフライト・デッキを見て着艦に支障となる要素はないか確認した。異常なし。副操縦士の報告に機長は頷いた。「思ったよりもでかいな……着艦指示灯はグリーン。降りるぞ!……CAG! 着艦します。覚悟はいいですね」
「あぁ! 覚悟はできている」加藤中佐の声は落ち着いていた。
加藤中佐の声に安心した機長は、雑念を捨てて着艦の操作に専念できる余裕がうまれた。
4機は<瑞鶴>を追い越すと次々と編隊を解いて、今度は着艦するために<能代>に向かって反転した。