その7
中村川 二宮駅西南西約2キロメートル
酒匂王国連邦海軍 橘海軍基地
酒匂王国連邦海軍 第6艦隊 通常動力型潜水艦<そうりゅう>(SS501)
酒匂王国連邦 橘コロニー
<そうりゅう>は、相模川で星川海軍の空母<カール・ビンソン>をやり過ごした後、漁船の出港時間に合わせて相模川河口を通過した。
漁船の騒音に隠れて相模川河口を通過した<そうりゅう>は、幸運に恵まれた。前日相模川上流で降った雨によって下流の水量が増していたのである。増水した相模川の水が河口周辺の海水を広くかき回してくれたおかげで、いつもしつこい星川海軍P-8A対潜哨戒機の監視をやすやすとすり抜け、予定よりも早く橘海軍基地に到着できた。
橘海軍基地のある橘コロニーは小さく古く、そして寂れたコロニーだった。
橘コロニーの建設当初は平塚と酒匂を結ぶ物流の中継地点として発展が期待された。だが、その平塚は星川との領有権争いによって開発が進まなかった。橘コロニーの発展のカギとなる平塚がこの調子では、にっちもさっちもいかない。橘コロニーの発展を期待して進出した企業や人は見切りをつけて橘コロニーを去っていった。
さらに、日本国で問題となっている地方都市の衰退は「スクナビ」世界でも同じで、小さな地方コロニーである橘コロニーも人口流出を止めることはできなかった。この状況を改善しようと古い町並みを撤去して再開発を行ったが、酒匂方面との交通手段が未整備であったため、これも失敗した。
歴史を感じさせる古い町並みが撤去されずに残っていれば、西湘の海と古い町並みによって観光コロニーを目指すこともできたはずだった。だが、それに気づいたときにはすでに遅かった。
このような橘コロニーに目をつけたのが軍だった。新兵器を人目にさらすことなく開発したい軍にとって、インフラが整い人口の少ない橘コロニーは絶好の場所だった。酒匂の軍人でも兵器の開発に携わらなければ訪れることのない基地。それが橘海軍基地だった。
<そうりゅう>のセイルに立つ艦長・高原中佐にとっても、橘海軍基地は初めて訪れる基地だった。
補修の跡がいたる所に残る古い船舶エレベータを昇ると、狭い港内の正面に貨物埠頭があった。そして、その左奥に海軍専用の桟橋が2本設置されていた。<そうりゅう>は、ゆっくりと慎重に桟橋に向かい、最後は曳船の支援を得て2番桟橋にもやいを結んだ。第6艦隊司令部が予想していたよりも早い入港だった。
「機械、舵よろしい」セイルに立つ高原中佐のもとに副長・新井少佐が駆け上ってきた。高原中佐は振り向きながら手を挙げて、了解したことを無言で告げた。そして高原中佐は、これまで見ていた隣の桟橋に視線を戻した。その視線の先には巨大な潜水空母、<伊400>が係留されていた。
「偉大なもんだ」高原中佐はボソリとつぶやいた。「偉大、ですか?」新井少佐も高原中佐の横に並んで<伊400>を見つめた。
「潜水空母なんて誰でも考えつくが、それを形にするのは難しい。大変な苦労があったのだろうな。それを酒匂の先人は成し遂げた。たった3機とはいえ攻撃機を積んで潜れるのだぞ。すごいもんだ。もっとも今では攻撃機を搭載することはないらしい。いろいろな極秘の試験に従事しているとのうわさだ」話す高原中佐の目は<伊400>から離れなかった。
「そのうわさは私も聞いたことがあります……いやー、しかしデカいですな。初めて<伊400>を見ました。」
「星川のような大国にとっては無用の長物だな。巨大な空母艦隊を持つ星川が、こそこそと隠れる必要はない。力で押せるだけの数を揃えている。だが、それには弱点もある。そこを突くために造られたのが<伊400>だったということだ」
「弱点ですか?」新井少佐は意味が分からず聞き直した。
「そうだ。弱点だ。後でよく考えてみることだ。要は、数で劣る我々が星川と同じ土俵で戦ってはならないということだ」高原中佐は、新井少佐の肩をポンとたたいて発令所に降りるハッチに向かった。
「艦長! 間もなく迎えの車両が来ます」
「そうだったな。ありがとう。後は頼んだぞ」そう言った高原中佐は、思い出したように振り向いた「相模川を出るときの副長のリコメンドは適切だったぞ。<カール・ビンソン>の動きも副長の予測どおりだったな」そういって高原中佐は、発令所に降りていった。
中村川 二宮駅西南西約2キロメートル
酒匂王国連邦 橘海軍基地開発隊群橘試験所
酒匂王国連邦 橘コロニー
高原中佐を乗せた車両は、開発隊群橘試験所庁舎の玄関に着いた。玄関では当直士官の大尉が出迎えて、車両から降りた高原中佐を地下の会議室に案内した。
会議室のドアの前で立ち止まった当直士官は「こちらが6艦隊の臨時司令部です。お入りください」といって自身は会議室に入らず立ち去った。
高原中佐は会議室に入った。その会議室は、もともと何の備品も設置されていなかったらしく、部屋の中央に大きなテーブルが並べられ、その上に数台のコンピュータと電話が載せられただけの殺風景な部屋だった。
そこでは、3人の第6艦隊司令部幕僚がコンピュータに向かって仕事をしていた。
ドアの開く音で3人の幕僚はキーボードを叩く手を止めて振り向いた。その中の一人、3人の中の先任者である第6艦隊司令部作戦主任幕僚・細島大佐が声をかけた。「おう! 来たか。出迎えもせずに申し訳ない。ちょっと待ってくれ。報告書を終わらせてしまうから。我々も来たばかりなんでな。そこの椅子にでも掛けていてくれ」細島大佐は、そういって再びキーボードを叩きだした。以前同じ潜水艦で勤務したことがあり、気心の知れた二人だった。
数分後、「よし、終わった。待たせて悪かったな。ところで高原、1番桟橋に係留されている<伊400>は見たか?」報告書の作成を終えた細島大佐が言った。
「ええ見ました。でかいですね……急に私の艦がここに入港を命じられたことと<伊400>には関係があるんですか?」
「ある。お前は、あのデカい潜水艦を護衛することになる。その前に、これまでの経緯を説明した方がいいな」細島大佐はそういって香貫のミサイル基地と、星川との共同作戦について説明した。
<カール・ビンソン>の動きが慌ただしかったのはそのためだったのか。合点がいった高原中佐は何度も頷いた。
「ただ、核弾頭を奪う陸軍の計画は二転三転していまだに決まっていない。星川との合同司令部が今日の夕方に設置されるから計画はそれからだ。」
「じゃあ、我々がお役御免になる可能性もある?」
「それはないと軍令部はいっている。なんでもほとんどの輸送機が真鶴方面に駆り出されている。なんとか輸送機を確保できたとしても、空軍は重量物を空中投下する装置を持っていない。そこで白羽の矢が立ったのが<伊400>というわけだ。大名行列のように輸送艦を連ねて行くわけにはいかんからな。」
<そうりゅう>も着いたぞ! 軍令部は何かいってきたか」白髪混じりの髭をたくわえて、いまでは廃止となった旧型の士官用作業服を着た、がっしりとした体格の男が会議室に入ってきた。<伊400>艦長・沢地大佐である。
「軍令部からは何の音沙汰もありません」細島大佐は、ぶしつけな人だと思いながらも年上の沢地大佐の質問に答えて続けた。「ちょうどいい時に来られました。<そうりゅう>艦長が来ています」といって高原中佐を見た。
沢地大佐は、細島大佐の視線の先にいる高原中佐を値踏みするように見ると、髭をなでながら言った。「君が、あの新品の栄えある初代艦長か?」
「そうりゅう艦長、高原です」まさかこんなところで生きた化石に出会うとは思わなかった。この人の潜水艦を護衛するのは骨が折れそうだ。高原はそう思った。
「君がわしの艦を護衛するのか。最新鋭だからといって油断していると、逆にわしが君を護衛することになるぞ! ところで君は、わしの艦のことをどのくらい知っているのかな? 時代遅れの潜水艦なんぞに興味はないか」
「正直に申しますと何も知りません。新しい装備の試験報告に<伊400>の名前が出てくる度に、どのように試験に関与したのかと思ったことはありますが、その程度です」
「ふん、そんなもんだろ。だが、わしは君の艦のことをよく知っておるぞ。新しい装備のほとんどは、わしの艦で試験したものだ。AIP(非大気依存推進)も、君の艦に装備するずっと以前からわしの艦に装備して評価を続けてきた」
だから私に何をしてほしいのだ! 返事に困った高原中佐が何をいうべきか考えていると、高原中佐の気持ちを察したかのように沢地大佐が話を続けた。「君が本気でわしの艦を護衛する気があるのなら、護衛対象をよく知る必要があるとは思わんか?」
そういうことか! 単に古いだけの艦ではない。そのことを見せびらかしたいんだ。この人は。だが、沢地大佐の言葉にも一理ある。護衛対象の能力を知っていれば、それに応じた適切な行動が可能になるだろう。それに、あの巨大な潜水空母にも興味がある。見に行ってみるか。高原中佐は、そう思って細島大佐を見た。
「軍令部から作戦計画の原案が来るのは、早くても明日の夜だ。時間はあるぞ」細島大佐は言った。
よし、決めた。「お伺いします」といって高原中佐は頭を下げた。
「よかろう。来るときは航海長と水雷長も連れてこい。あと、先任クラスの下士官もな。一通り艦内を説明したら、わしの艦で昼メシでも食おう。いろいろ相談したいこともある」そう言った沢地大佐は、視線を細島大佐に向けた。「昼メシにはお前ら3人も来い。基地のまずいメシより艦のメシの方がずっとうまいぞ」話す沢地大佐の態度は高飛車だった。
こんな人が指揮する艦と組んで任務が達成できるのだろうか? 細島大佐と高原中佐はお互いに顔を見合わせてそう思った。