その6
柏尾川 大船駅北約1.8キロメートル
星川合衆国陸軍 Fort金井(陸軍金井駐屯地) オフィサーズ・クラブ(将校クラブ)
星川合衆国大船コロニー
加藤中佐と横山少佐は、金井駐屯地内のオフィサーズ・クラブで遅い夕食をとっていた。二人はUSWESTCOM司令部(西方軍司令部)による攻撃計画の骨子作成に参画し、それがやっと終わったのである。
「ここは、さみしいコロニーですね。空き地ばかりですよ。だからこれにも味がついていないんだ」横山少佐はそういって、大量のケチャップをオニオンリングにかけた。
「それはかけすぎだぞ」そういう加藤中佐は、オニオンリングに塩をふりかけながら言った。
「でも、私は不安なんです。酒匂との会合は成功するんでしょうか? 酒匂と一緒に戦うことなんかできるんでしょうか?」ケチャップを置いた横山少佐は真顔で言った。
「ルビコン川を渡っちまったんだ! いまさらあれこれ考えてもしょうがないさ」
「賽は投げられた……ですか。加藤さんは不安にならないんですか?」
「不安がないと言えばうそになる。だからこそ、しっかり前を向いて歩くんだ。希望の光は前を向いて歩く人の前方に光るのさ」
「加藤さんは強いな。私だったら立ち止まって、きょろきょろ希望の光を探しちゃいますよ」
「そういうときもあるさ。人間だからな。そんなときは一休みだ。でも、その後は必ず前を向いて歩き始める。それがいちばん大事なんだ。どの方向でもいい、一歩踏み出すんだ。そしてその方向に向かって歩き続ける。もしかしたら、その方向は間違った方向かもしれない。苦しい方向かもしれない。でも前を向いて歩き続ければ希望の光が見えるはずだ。止まっていては希望の光は見えないからな…… 俺は強いんじゃあない。弱いから立ち止まるのが怖いだけさ」
「酒匂と組むなんて一歩間違えれば神子元島に飛ばされかねなかったのが一転して、今度はPOTUSの許可が下りたから酒匂と組むぞ、なんて、地獄から天国に来たような感じもしますし、自分が国の基本政策に直接かかわるなんて夢にも思っていなかったもんですから、これからどうしていいのかわからなくて…… でも、結局は自分の仕事を今までどおりやればいいんですよね。私も前を向いて歩きます。でも、加藤さんは弱くありませんよ。やっぱり強いんですよ」横山少佐は、そういってオニオンリングの次にだされた肉を頬張った。その顔はいつもの屈託のない顔に戻っていた。
横山少佐の不安を払拭させるために話した内容は、自分自身の不安も払拭するのに役立った。横山少佐の表情が明るくなったのを見た加藤中佐はそう思った。
加藤中佐と横山少佐が遅い夕食をとっているころ、USWESTCOM司令部情報幕僚部の幕僚は、急遽星川首都コロニーから派遣されたDIA(星川国防情報局)の要員とともに厚木国に向かう準備を進めていた。彼らは緊急時の安全場所を確保するほか、会合場所とその周辺に香貫や酒匂の工作員が潜伏していないか、盗聴装置などが設置されていないかなど、酒匂との会合にともなう保安と防諜を任務としていた。彼らは今日中に厚木国に向けて出発する予定だった。香貫軍のミサイル基地に対する戦いは、情報部員によって火蓋が切られようとしていた。
鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル
香貫公国軍 R38基地
灯火管制がひかれて薄暗いR38基地を、二人の高級将校が肩を並べて歩いていた。基地司令官・堀内少将と副司令官・清水大佐である。
「この基地に来て初めてまともな食事がとれました。みんな喜んでいるようです。この基地がこんなに明るい雰囲気になったのは初めてです」清水大佐は整然と並ぶテントからもれてくる笑い声を背に言った。
「清水大佐も一緒に飲んできたらどうですか。あなたにも気分転換は必要ですよ」堀内少将は言った。
「高井大佐の圧力に負けて部下に苦労をかけた私に楽しむ資格はありませんよ」
「真面目な方だ。あなたは」
二人はそのまま歩き続け、廊下北側の出入り口に達した。すると、滑走路脇の対空機関砲陣地で警戒に当たる兵士の一人が敬礼していた。夜目になれた堀内少将はそれを見逃さず答礼すると、その兵士に話しかけた。「ご苦労さん」
「警備中隊の園田軍曹です」清水大佐が紹介した。
「私が昨日着任した堀内だ。園田軍曹、君たちが警戒してくれるおかげで、みんな安心していられる。よろしく頼むぞ。ところで、ここから富士山は見えるか?」
「沼津から見る富士山に比べたら見劣りしますが、よく見えます」思いがけない質問に驚きながらも園田軍曹は答えた。
「園田軍曹は沼津コロニーの出身か?」
「はい。沼津から見る富士山は最高なもんで。こことは比べもんになりません」
「そうか、それでも富士山が見られるなら、晴れた日は寄せてもらうぞ」
「はい」
直立不動で立つ園田軍曹に手を上げて挨拶した堀内少将は、出入り口の中央部に向かった。
堀内少将は、出入り口の中央に立つと腕を組んで暗い外を見渡した。
民家の明かりがポツリポツリと灯り、基地の西側を南北に走る県道を時々自動車が通過する。そのほかは真っ暗で何も見えない。その風景に堀内少将は孤独感を感じたものの、ここには430名の兵士がいることを思い出した。孤独ではない。しかも、彼らは逃げ場所のない孤立した基地を守る運命共同体の同志だった。
そして、その同志の中には園田軍曹のように、この時間も働いている兵士がいる。今日、屋根に上げた対空レーダーの操作員も、いまだにレーダーの調整に追われているだろう。
だが、堀内少将は対空レーダーに大きな期待をしていなかった。星川が攻めてくるとすれば対空レーダーは真っ先に破壊されるだろう。最悪の場合、敵をレーダー探知する前に破壊されるかもしれない。それでも対空レーダーには価値がある。と堀内少将は考えていた。レーダーが攻撃されるということは、その数分後に敵の本隊が攻めてくるということだ。その数分を最大限利用して防御態勢を整える。その数分が戦いの趨勢を決める。時間もないことから、そこに焦点を合わせた準備を優先しよう。堀内少将の作戦イメージは固まりつつあった。あとは、このイメージを作戦命令として仕上げる事務作業が残っている。そろそろ司令部テントに戻って作戦命令書に取り掛かるとしよう。作戦将校・藤井中佐も首を長くして待っているはずだ。
二人の高級将校は、来たときと同じように肩を並べて司令部テントに戻っていった。
本厚木駅隣
厚木国 ターミナルビル3階駅横地区 マンションの一室
「香貫と酒匂が動いている気配はあるか?」マンションの一室に入るなり、その男は言った。
「夕方から“青龍閣”の周辺をうろうろしていたヤツ以外には皆無だ……そいつが誰かも判明した。酒匂空軍の大佐だ。F-15のパイロットだとさ」部屋にいた男がそういってラップトップ・コンピュータを入ってきた男に向けた。
その画面には三宅准将の写真が映っていた。DIAが保有する情報は、三宅准将が昇進する前の古い情報だった。
このマンションの一室は、CIA(星川合衆国中央情報局)が厚木国に保有するセーフハウスの一つで、DIAが今回の会合のために借り受けたものだった。二人の男は、昨日大船コロニーからやってきたDIAの要員だった。
「やっぱりな。隙だらけだったから同業者ではないと思っていたよ」入ってきた男はそういってドサッと椅子に座った。彼らは昨日の夜大船コロニーを出発して以来不眠不休で“青龍閣”周辺の情報収集と監視をしてきたのである。
「そろそろ、会合参加者が来る頃じゃないか」
「そうだな。だが、これだけの人混みだ。事前に発見することは難しいな」
入ってきた男は無言でうなずき同意した。
厚木国は、本厚木駅ターミナルビルの2階から4階までの3フロアが領土の都市国家である。3階と4階の中央部は吹抜けとなっていて、そこに厚木富士と呼ばれる山がそびえている。厚木富士の麓となる2階は一年中夏山。山頂の4階は万年雪の冬山で、年間を通じて多くの観光客や登山者が訪れている。
厚木富士の麓となる2階には人工の海があり、一年中マリンレジャーが楽しめる常夏の楽園。山頂となる4階は万年雪をたたえてスノーレジャーが一年中楽しめる雪の楽園である。
夏と冬の中間となる3階は、巨大テーマパーク、遊園地、サーキット、劇場、そして歓楽街の駅横地区などで構成されている。
厚木国は、国籍、年齢、性別、家族連れや友人同士を問わず楽しめる観光の国で、常に何だかのスポーツ選手権、コンサート、集会が開かれている。これら観光客のほかに駅横地区に向かう会社帰りのサラリーマンでごった返す厚木国の入り口ゲートで、特定の人間の監視をすることなど不可能だった。
もちろん厚木国保安当局の協力があれば可能だろうが、それはできなかった。どの国とも等間隔を保ち、政治的に中立であるからこそ様々な国から観光客がやって来るのである。観光立国である厚木国にとって特定の国のために保安当局が協力するなど出来ない相談だった。
「よし! もうひと働きしてくるか。しかしなぁ、ここは仕事で来る国じゃねえな」入ってきたDIAの男は“青龍閣”の監視に戻るため、そう言って玄関に向かった。
本厚木駅隣
厚木国 ターミナルビル3階駅横地区 中華料理店「青龍閣」
加藤中佐ら星川軍の会合参加者が“青龍閣”に入ると、入り口横の階段脇で三宅准将が待っていた。
「三宅!」、「加藤!」加藤中佐と三宅准将は同時に声をあげた。
「元気そうだな。よかった」加藤中佐が続けた。
「お前も元気そうでなによりだ。今回は恩に着る。さっ! あとは上で話そう。うちの者も揃っている」三宅准将は、そういって2階を見上げた。
「そうだな」加藤中佐は、そういって星川軍の会合参加者で最先任者であり、統合作戦チームの指揮官に任命された岸本中将に頷いた。
岸本中将が星川側の最先任者だと認識した三宅准将は、岸本中将に「ご案内します」といって階段を上がった。星川軍の会合参加者は三宅准将に続いて階段を上がり、2階の奥にある個室に消えた。
入り口付近のカウンターでは、一人の男が紹興酒を飲みながら苦笑いをしていた。先ほどマンションの一室に入ってきたDIAの男である。加藤中佐らの行動を周囲に気づかれないように監視していたのである。あいつらスーツを着て会社帰りのサラリーマンを装っているが、どこから見ても軍人にしか見えねぇ。みんなの歩調まで合っていやがる。この付近に香貫の気配がないからいいものの、それでも少しは気を配ってほしいものだ。目立ちすぎる。やれやれ! DIAの男はそう思った。それでも、陰ながら彼らを守るのがおれの任務だ。そう考えたその男は、紹興酒をチビリチビリやりながら周囲の監視を続けた。
そのDIAの男が店を出入りする客を監視していると、スーツの内ポケットに入れた携帯電話が鳴った。「もしもし、おう……もうちょっとかかるだと! しょうがねぇな。待っているぞ」といって、面倒くさそうに携帯電話をポケットに戻した。
はたから見れば、待ち合わせに遅れた相手からの電話だが、本当の意味は違った。“もうちょっとかかる”は、会合参加者が到着して間もないことを意味し、“待っているぞ”は、このままここで監視を続けることを意味していた。
電話をかけてきた相手は、厚木国3階の一角を占める展望フロアを監視する別のDIA要員だった。
その展望フロアは、「ダイダラ」のまま厚木国に入国できる唯一の場所である。そこからは、強化ガラスを通して厚木国の縮小世界を展望できる。手のひらほどの大きさの旅客機が飛び、指の太さほどの電車が行き交う超精密な「スクナビ」の縮小世界がそこにあった。
「ダイダラ」から見ると、鉄道模型のZゲージよりも小さい電車に、350分の1に縮小された「スクナビ」の人間が実際に乗っているのを見ることができる。その精密感は見るものを引き付けるため、非常に人気のある場所だった。一日中混雑している展望フロアでは、カメラに特殊なレンズを装着して縮小世界を撮影する人も多い。そのようなカメラなら駅横地区を行き交う「スクナビ」人を見ることも可能なことから、カメラを持つ者の中に香貫の工作員がいるかもしれない。このため、展望フロアにもDIA要員が配置されていたのである。
展望フロアで監視に当たるDIA要員の趣味は鉄道模型の収集だった。本当はもっと強化ガラスに近づいて縮小世界を行き交う電車をじっくりと見たい! だが、任務のためそれは出来なかった。
ちょうどその時、酒匂の技術協力によって完成した海老名と厚木を結ぶN700系新幹線が目の前を通過した。新幹線をちらりと見たそのDIA要員も思った。ここは仕事で来る国じゃねえな。
板戸川 鈴川との合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル
星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)攻撃型原子力潜水艦<カメハメハ>(SSN-642)
<カメハメハ>は、大きなスクリューをゆっくりと静かに回転させながら板戸川を上流に向けて進んでいた。水深は1メートルほどで、ところどころに川底から草が生えているため、セイルに装備された機雷探知ソナーで前方を確認しながらの潜航だった。
静かな発令所では副長・岡田少佐が海図台から頭を上げて言った。「ランチ・ポイント・ブラボー(島崎大尉ら4名の投入地点)まで30分です。艦長」
「了解!」艦長・村田中佐は岡田少佐にうなずいてから島崎大尉に向かって言った。「次は大将の番だ。やっと狭い艦から出られるな」
島崎大尉は香貫のミサイル基地を監視するためにシールズ分遣隊を4名ずつの2チームに分けた。こうすれば、北と南にある基地の出入り口を木の上から監視できる。南側の監視位置であるサウス・ポストには分遣隊ナンバー2の越智上等兵曹以下4名を、北側のノース・ポストには島崎大尉以下4名が配置につく計画だ。
サウス・ポストは、鈴川のランチ・ポイント・アルファから10メートルほど北にある木の上で、そこまでの進出経路には香貫のミサイル基地から発見される場所はなかった。だが、島崎大尉らが向かうノース・ポストへの進出経路は厳しかった。ランチ・ポイント・ブラボーからは南西方向に30メートルほどの距離があり、途中には香貫のミサイル基地から発見される恐れのある駐車場を4メートルほど横切らなければならない。銃だけを持った身軽な装備であれば素早く横切ることも可能だが、ダイダラ換算で60キロほどの装備を背負っての行動となるとそうはいかない。夜明けまでに木の上に登りきることは不可能だった。このため、夜明け前に木を登りきれる越智上等兵曹らを先に投入して彼らに時間的余裕を与え、次いで島崎大尉らが投入される計画だった。
「ありがとうございます。艦長。では、ひと仕事してきます」すでに装備を身につけた島崎大尉が言った。
板戸川の流速と水温データを見て、投入に問題ないことを確認した村田中佐は、島崎大尉に向かって言った。「2週間後にまた会おう。だが、緊急時に艦が回収ポイントに着くには、連絡を受けてから最大で6時間かかることを忘れるなよ」
「了解しました。では」島崎大尉は村田中佐に敬礼して発令所の後方にあるDDSに向かった。
本厚木駅隣
厚木国 ターミナルビル3階駅横地区 中華料理店「青龍閣」
星川西方軍副司令官・岸本中将らが“青龍閣”2階奥にある1室に入ると、長いテーブルの片側に並んで座っていた酒匂の会合参加者が立ち上がった。彼らが待っている間飲んでいたジャスミン茶のよい香りがするその部屋は、ほかの部屋とは完全に隔離されていた。
「この度は、私どもの申し出を受けてくださり感謝いたします。私は、酒匂合同軍副参謀長の入江です」ぎこちない雰囲気の中、初めに口を開いたのは酒匂の交渉責任者である酒匂陸軍中将・入江男爵だった。
入江男爵が話を続けようとした矢先、「お飲み物は何にいたしますか?」といって店員が入ってきた。話の腰を折られた入江男爵は苦笑いをして一同を見回した。その苦笑いにつられて双方の参加者は苦笑いをした。
だが、これでぎこちない雰囲気が晴れた。
参会者の紹介が終わり、まずは一杯目のビールが運ばれて店員が去ると、星川西方軍副司令官・岸本中将が本題をきりだした。「最初に、この会合の目的を確認させていただきたいのですが、よろしいですか?」
「けっこうです」入江男爵の同意を得た岸本中将は話を続けた。「香貫が伊勢原に作った基地を共同して対応すること。共同ができなくとも我々同士が現地で戦うことがないよう何だかの協定を結ぶこと。そのための会合ということでよろしいですか?」
「その通りです。間違いありません。あなたの国と私の国には国交がありませんし、極秘裏に対応する必要があったため、こちらの三宅に命じて加藤中佐に連絡をとらせていただいた次第です」入江男爵は頷いて答えた。
ほっとした表情を浮かべた加藤中佐を横目で見た岸本中将は話を進めた。「今回の事案を共同で当たることに私自身は賛成であります。もちろん上層部も同じ考えです。その前提に立ってお話し合いをしたいのですが、まずは、あなた方はどのような作戦を想定しているのか、その際のあなた方の要求事項を教えていただきたい。そのほうが話は早く進むと思うのですが。どうでしょうか?」
「そうですな。同意します」入江男爵は居住まいを正して言葉を続けた。「私どもとしましては、香貫が伊勢原につくったミサイル基地に部隊を送り込んで、核弾頭を残らず持ち帰る方策を追求すべきと考えております」
考えていることは一緒だな。そう思った岸本中将が言った。「我々もそう考えております。基地のある建物を爆撃して破壊することは簡単ですが、核弾頭も破壊してしまう可能性があります。そうなれば放射能漏れの恐れがあります。放射能漏れがなかったとしても、核弾頭をそのまま放置するわけにはいかないので、瓦礫をかき分けて核弾頭を回収する必要があります。それに「ダイダラ」所有の建物を「スクナビ」が爆撃して破壊すれば「ダイダラ」の注目を浴びてしまい、核兵器の存在を「ダイダラ」に知られてしまいます。それは我が国だけでなく「スクナビ」世界全体にとっても大きな不利益です。ミサイル基地から核兵器の痕跡を一つ残らず消し去らなければなりません。よって我々は、空挺部隊による強襲作戦を計画しているところであります」
「我々も、本来であれば独力で部隊を送り込みます。そのための部隊も保有しています。もちろん「スクナビ」最大の軍事力を持つあなた方も、我が国との共同作戦など必要ないでしょう。ですが、残念なことに我が王国軍は熱海などに対する香貫の浸透対処だけで手一杯の状況にあります。この作戦に充当できる陸上兵力は1個中隊ほどしかありません。だからといってミサイル基地を放置するわけにもいきません。また、あなた方のミサイル基地攻撃を傍観するわけにもいきません。何もできない軍では王国の民に顔向けできないですからな。そういった理由から共通の脅威である香貫のミサイル基地を協力して排除できないか、と考え会合をお願いした次第です」入江男爵は、誠実さと口惜しさが入り混じった口調で言った。
軍人として、これほど悔しいことはないだろう。岸本中将はそう思った。これまで敵だった相手に頭を下げて協力を仰がないと国を守れない状況ほど悔しいものはない。単に誠実な態度だけでは完全に信用できないが、隠し切れない口惜しさを見て取った岸本中将は酒匂の本気を確信した。「男爵、お国の事情はよくわかりました。あなたのお気持ち、察するに余りあります。ぜひ協力して事に当たりましょう。そこで、再度お伺いしたい。あなたがたに要求事項はありますか?」
「共同作戦をお願いしておきながら要求を申し上げるのは心苦しいのですが、2件あります。1件目は、奪った核弾頭のうち1発は我々が王国に持ち帰り、我々の手によって処分させてほしいということです。2件目は、形の上ではあくまでも対等な共同作戦としていただきたいとうことです」
「1件目の核弾頭を持ち帰る事については私の一存では決められません」
「けっこうです。ご検討下さい。核弾頭の解体処分をする際は、お国の専門家に立ち会ってもらっても結構です。ただ、この件は要求というよりも要望に近いものですので、あなた方のご返答内容が共同作戦に影響を与えるものではありません」
「承知いたしました。では、この件は持ち帰りまして改めてご返事申し上げます。あと、2件目についてですが、主権国家同士が現場で共通の敵に共同して対処する。これを対等な共同作戦と言わずに何と言うのですか? 実質的にも名目的にも対等な共同作戦なのではありませんか? 私はそう考えます」
岸本中将の「対等な共同作戦」という言質に、それまで表情の硬かった酒匂の参会者の顔に血の気がよみがえった。酒匂軍の面目が保たれたからである。そして、彼らの対面に座る星川の参会者も一様に安どの表情を浮かべていた。荒本大統領の進める軍縮政策によってズタズタになった星川軍に、香貫だけでなく酒匂も相手にした戦いをする余裕はない。星川の参会者はそのことを身にしみてわかっていた。星川と酒匂の共同作戦は、お互いに利することはあっても損することはなかった。ただ、作戦行動を阻害しかねない要因は排除しておきたい。その要因とは相模川西岸に駐留する酒匂軍だった。
「我が方の要求についてですが」
「どうぞ、おっしゃってください」入江男爵は身構えた。
「今回の作戦で相模川西岸を行動する我が軍の安全を保障していただきたい。もちろん、我々が相模川西岸の酒匂軍を攻撃することはありません。これが我が方の要求事項です」
要求はそれだけか。情報部の見積もりと同じだ。これなら答えを用意している。入江男爵は、そう思った。荒本大統領の軍縮政策は、そうとう星川軍にダメージを与えているようだ。そのおかげで今回はスムーズに交渉できそうだが、星川軍の弱体化は長期的にみると我々にとっても痛手だ。
「共同作戦を持ち出したのは我々です。あなた方の行動に制約を与えるようなことはいたしません。その担保として、平塚に駐屯する対艦ミサイル部隊と防空ミサイル部隊の警戒態勢を解いて、保守要員以外を原隊に戻す予定にしています。もちろん、あなた方の監視員を駐屯地にお迎えすることも可能です」
これなら申し分ない。「承知しました。我々の要求は満足します」そういった岸本中将は、この辺で基本事項の合意を得る時期だと思った。「星川と酒匂が共同して香貫のミサイル基地に部隊を送り込んで核弾頭を回収する。これを阻害する懸案事項はない。という認識でよろしいですか?」
「異議ありません。同じ認識です」入江男爵は立ち上がって右手を差し出した。
入江男爵の正面に座る岸本中将も立ち上がって入江男爵の右手を握った。それと同時に双方の参会者も立ち上がり正面の相手と笑顔で握手を交わした。
加藤中佐と三宅准将も握手しながら何度もうなずき合った。
「ありがとう。加藤」
「菊池さん(WESTPACCOM司令官・菊池中将)を覚えているか?」
「あぁ、覚えている。お前の師匠だろ」
「そうだ。今回の件はあの人のおかげだ。礼を言うなら菊池さんに言ってくれ」
「会える日は来るかな」
「会えるような国の関係にすればいいのさ」
「そうだな。そうしなければならんな」
そういって、二人はまた笑った。
岸本中将は、双方の参会者が握手を終えるのを確認すると「これからは司令部を開設して計画を立てなければなりません。ですが、我々が一緒にいると、どちらの国にいても目立ちすぎます。そこで、当面の合同司令部を葉山山中にある我が軍の基地に開設しようと考えているのですが、ほかにお考えはありますか?」
「その件は我々も検討しました。我が海軍の空母<瑞鶴>はどうですか? 相模湾の真ん中であれば香貫にも気付かれず、保全が保てます。さらに通信設備も整っています。」
「その手がありましたか。加藤中佐、何か問題はあるか?」岸本中将は加藤中佐を見た。
「<カール・ビンソン>を中継点に使えば<瑞鶴>に行くのは容易です。その<カール・ビンソン>は12時間もあれば相模湾の真ん中に進出できます。会合点と会合時間だけ調整すれば問題ありません」
「じゃあ、お邪魔しよう」岸本中将はそう言ってニヤリと笑った。
明日の夕刻<瑞鶴>艦内に暫定合同司令部を設置することで合意した彼らは、細かな調整を終えて、静かに酒を酌み交わした。お互いに話してみると、自分たちと同じようなことで笑ったり悲しんだりする同じ人間だということが分かった。なぜ、もっと早く話し合いの場を作らなかったのだろう。話し合いの大切さを痛感した彼らではあったが、順調に合意に至ったのは、単に両国の利害が一致していたからに過ぎないことも分かっていた。
とはいえ、加藤中佐が望む星川と酒匂の交流の第一歩を踏み出したことだけは確かだった。
鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル
香貫公国軍 R38基地北東30メートル
<カメハメハ>のDDSから引き出されたゾディアックは、4名のシールズ隊員を乗せて川岸に向かっていた。途中、「スクナビ」にとっては、まるで海に浮かぶ巨大な氷山のように見える菓子パンの空き袋を迂回し、水草を右に左によけながらスピードを落とすことなく川岸を目指した。
遮音材に覆われた船外機の音は聞こえず、ゾディアックの船底が水面にぶつかるときの音しか聞こえない。とはいえ、流れの穏やかな板戸川の水面にできた小さな波紋でも、それを乗り越える際の衝撃は大きく、ドン! バシャ! と、その音は比較的大きかった。
島崎大尉は、ゾディアックのスピードを落として、その音を減らそうかと思ったが、このまま行くことにした。狭い潜水艦から解放された島崎大尉にとって、その音は水上に出た証だったからである。
ゾディアックはスピードを落とすことなく川岸に近づき、そのまま緩やかな土の斜面に乗り上げ、勢いをそのままに5センチメートルほど登って停止した。ゾディアックを降りた4名のシールズ隊員は、ゾディアックを隠しやすい小さな木の下まで素早く引っ張っていった。
隠し場所に着くと、4人はウエットスーツを脱いでマルチカム迷彩の戦闘服に着替え、装備を手早く身に着けた。
身に着けた装備の確認が済むと、重岡2等兵曹と分遣隊唯一のスナイパーである江見1等兵曹は周囲の偵察に向かった。残った島崎大尉と田巻2等兵曹は折り畳みシャベルを取り出して、ゾディアックを隠す穴を掘り始めた。
穴を掘り始めた島崎大尉は、基礎訓練課程で出会った教官の言葉を思い出した。「お前ら海軍だ! シールズだ! などと偉そうなことを言っているようだが、お前らがやっていることは歩兵と同じだ。時代が変わっても歩兵の仕事は穴掘りと行軍と相場は決まっているんだ! わかったら、さっさと穴を掘れ! くそったれども!」まったくあの教官の言うとおりだ。島崎大尉は、そう思いながら穴掘りを続けた。
1時間ほどで満足できる深さの穴が掘れたころ、周囲の偵察に向かった二人が戻ってきた。
「地形は、もらった情報と変わらん。香貫の地上偵察の痕跡もないし、地雷原も見当たらん。のんきなもんだ。あいつら」偵察から戻った重岡2等兵曹はニヤリとして島崎大尉に報告した。
確かにのんきなもんだ。だが、いつ動哨を始めるかわからない。ヘリによる監視があるかもしれない。気を抜かずに行こう。島崎大尉は、そう思ったが口には出さなかった。そんなことは分遣隊の全員が考えていることだった。
ゾディアックを穴に隠した4人は、歩兵のもう一つの仕事、行軍を開始した。「ダイダラ」換算で60キロもの装備を背負った4人の足取りは重かったが、夜が明けるまでに香貫のミサイル基地から発見されやすい駐車場を横切り、その先にある中間地点の木に登っていなければならない。日中は、その木の上で隠れて過ごし、明日の夜、目的の木に登る計画なのである。
4人はポイントマンとなる田巻2等兵曹を先頭に一列縦隊でズシリズシリと歩を進めた。
緑豊かな川辺の地は、「スクナビ」にとって広大なジャングルだった。「ダイダラ」にとって腰の高さほどの雑草でも、「スクナビ」から見ると東京スカイツリー以上の高さになり、その幹は身長の2倍ほどにもなる。雑草の葉は、はるか上空にあるため見上げなければ見ることができない。このような雑草が一面に生えた巨大な空間は、訓練を積んだ者でなければたちまち迷子になってしまう。しかも落ち葉や小さな石を避けながら目的地の方向を維持しなければならない。GPSが迷子になる危険性を減らしたとはいえ、雑草の葉が上空を埋め尽くす場所では衛星電波を受信できないのでGPSが使えない。そんな時、頼れるのはコンパスと地図だ。見知らぬ地をコンパスと地図だけを頼りに目的地に行く。兵士にとってこの訓練は不可欠だった。
島崎大尉は田巻2等兵曹の後ろを歩いていた。田巻2等兵曹の進む方向に間違いはないか確認し、周囲に敵や危険な虫はいないかと警戒しながら歩く島崎大尉にとって、ハイ・レディで構えるMk18Mod1カービン銃や肩に食い込む背嚢の重さを気にする余裕はなかった。ただ、もし気になっていたとしても、島崎大尉にとっては重い荷物を背負って歩くほうが潜水艦に閉じ込められているよりもはるかにましだった。
日付が替わってしばらくした頃、先頭を歩く田巻2等兵曹の足が止まった。いよいよ駐車場に近づいたようだ。島崎大尉は、右手を挙げて後ろに続く江見1等兵曹と重岡2等兵曹に停止を命じた。
4人が一か所に集合したところで、島崎大尉と江見1等兵曹は背嚢をおろし、身軽な装備で香貫のミサイル基地と駐車場の偵察に向かった。アスファルトで舗装された駐車場の端まで到達した二人は、30分ほどミサイル基地を観察したが、何の動きも見られなかった。2階の出入り口に突き出た対空機関砲も止まったままだった。これなら行けそうだ。そう確信した二人は来た時と同じように地面に伏せたまま慎重に元の場所に戻った。
再び4人が揃うと、彼らは装備の点検にかかった。“人”として認識されやすい頭から肩にかけてのラインを裁断した葉で隠し、皮膚が露出した個所をフェイスペイントで覆った彼らは地球外生命体のように不気味だった。
「じゃあ行こうか」島崎大尉の言葉で4人は駐車場に足を踏み入れた。身を隠す場所のないアスファルト上を4人はそろりそろりとゆっくり進んだ。走ると動きが速くなり、それだけ注意をひきやすい。気は逸るが、走るわけにはいかなかった。
香貫軍ミサイル基地2階の出入り口にある対空機関砲陣地では、二人の兵士が監視任務に就いていた。二人ともヘッドギアにNVG(暗視ゴーグル)を装着して暗闇での視界を確保していたが、二人の監視対象は空から攻撃してくる航空機だった。戦車でも来ない限り二人が地上に関心を持つことはなかった。ましてや対空機関砲陣地から見ると島崎大尉らの姿は小さな点にしか見えず、赤外線を偽装するマルチカムの戦闘服はNVGを通しても注意をひくコントラストを映し出さなかった。島崎大尉らを対空機関砲陣地から発見することは実質的に不可能だった。
島崎大尉らが進む駐車場のアスファルトは舗装されてから数十年経ち、古くなったアスファルトはいたるところで亀裂が走っていた。島崎大尉らにとって都合がよいことに、彼らの経路上にも亀裂が走っていたため、亀裂を利用できる場所ではその谷底を進むことによって身を隠せた。
「よいしょ!」重い装備を身に着けて亀裂から這い上がった島崎大尉は思わず心の声を上げた。駐車場を抜けるまであと1メートル。今這い上がった亀裂が最後の亀裂だった。この分なら予定どおり夜明け前に中間地点の木に登れそうだ。島崎大尉はそう思いながら正面の茂みを眺めた。その茂みからはコオロギの鳴き声が聞こえた。
江浦湾 沼津駅南南東約7.1キロメートル
香貫公国海軍 第1太平洋艦隊 原子力攻撃型潜水艦 <ペトロザヴォーツク>(B-388)
年老いた671RTMK型潜水艦(KEITO(京浜条約機構)コードネーム:ヴィクターⅢ型潜水艦)<ペトロザヴォーツク>は、穏やかな江浦湾をゆっくりと西に向けて航行していた。
浮上航行する<ペトロザヴォーツク>のセイルで、艦長・北堀中佐は思った。「江浦湾はいい海だ。陸で落ち込んだ気持ちを癒してくれる」 江浦湾を吹く潮風も穏やかで、北堀中佐を優しく包んでいた。まだ暗い夜明け前の時間でなければ、緑豊かな山、温かい青色をした海、そして静かな漁村。たとえ真冬でも寂しさを感じない海辺の風景が見られたのに残念だ……出港がこんな時間になった理由は、度重なる機材の故障と事故によって遅れたからだった。ただ、これらは<ペトロザヴォーツク>の故障や事故ではなかった。
当初、第1太平洋艦隊司令官は、出港可能な潜水艦3隻に対して鈴川を機雷で封鎖する命令を発令した。だが、そのうちの2隻、新しい971型潜水艦(KEITOコードネーム:アクラ型潜水艦)は出港できず、古い<ペトロザヴォーツク>ただ1隻が出港したのである。
出港できなかった971型潜水艦の1隻は、命令を受けたとき訓練航海中であった。反転して全速力で江浦基地に戻る途中、原子炉の2次冷却水を循環させるポンプが故障した。ポンプが故障した原因は、軸受けを支えるボールベアリングのボールに品質不良があったからである。その品質不良のボールが全速力の荷重に耐えられずに破壊したのである。
ベアリング破壊により瞬間的に停止したポンプの衝撃は、ポンプ自身やポンプを支える台座が変形しただけに止まらず、2次冷却水の配管にも亀裂を生じさせることになり、配管内の冷却水が漏れだした。幸いなことに漏れた冷却水は放射能に汚染されていない“きれいな”2次冷却水であったため、ポンプや配管を交換すれば任務に復帰できる。だが、今回の任務には間に合わなかった。
もう1隻の971型潜水艦は、江浦基地の潜水艦桟橋で発生した事故によって出港できなくなった。機雷封鎖に使う機雷を搭載するためには、そのスペースを確保するために魚雷の一部を陸上に下ろさなければならない。
狭い艦内と小さなハッチを通して発射管室にある魚雷を引き出すことになるのだが、少しでも引き出す角度が狂えば魚雷と船体が接触して双方が傷ついてしまう。幾度となく行っている慣れた作業だが慎重に行う必要があった。この潜水艦の乗組員にとっても慣れた作業であったが、急ぐあまりクレーンの操作を誤り、引き抜いた魚雷を落下させ潜水艦の耐圧ハッチを傷つけてしまった。傷ついた耐圧ハッチでは潜航中の水圧に耐えられないため修理が必要になり、この潜水艦も今回の任務には使えなくなった。
とばっちりを受けたのが<ペトロザヴォーツク>だった。度重なる故障や事故によって、そのたびに機雷を敷設する場所が追加となり、搭載する機雷の量が増え、その代わり魚雷が減っていった。魚雷庫から魚雷が減って喜ぶ艦長などいないが、北堀中佐が落ち込んだ理由はほかにあった。
第1太平洋艦隊司令部は、任務に充てる潜水艦が減っても代わりの潜水艦を充当せず、出港できない潜水艦が敷設する予定だった機雷を全て<ペトロザヴォーツク>に押し付けた。行き当たりばったりの作戦を不信に思った北堀中佐は、機雷搭載の合間を縫って第1太平洋艦隊司令部第2局(情報担当)に勤務する同期の幕僚を訪ねた。そこで聞いた話は北堀中佐の士気を削ぐに十分な内容だった。
「機雷敷設の目的は知らされているだろう?」同期の幕僚は言った。
「知っている。なんでも伊勢原に造ったミサイル基地を星川の海兵隊から守るためだろう。作戦命令にも書かれていた。バカなことをしたもんだ。あんなところに核ミサイルを配備して基地をどうやって守る気でいるのだ?」北堀中佐は、同期の幕僚から熱い紅茶の入ったカップを受け取りながら言った。
「お前の言うとおり基地の防御は最初から課題だった。だから極秘裏に基地の建設を進めていた。それが不幸なことに星川と酒匂の両方に発見されてしまった。詳しくは言えないが、基地防御の件については複数の基地を建設して連携して防御する計画が進行中だ」
「戦略ロケット軍が基地でも造ろうと言い出したんじゃないのか。えれぇ迷惑だ!」
「少し違う。あそこは永野公が発案した基地だ。ただ、最初、陸軍と空軍は適当にお茶を濁すつもりだったのだが、戦略ロケット軍司令官が立ち回って、今では新しい軍管区まで作る壮大な構想になっている。その軍管区司令官は戦略ロケット軍から出すというおまけ付きでな。そういった意味では、お前が言うとおり戦略ロケット軍が基地を作ったとも言える。だから、基地が発見された後の対応についても、海軍総司令部は関係ないと考えていた。ところが今回の件を報告する御前会議で、永野公は海軍の対応をご下問された。高みの見物と決め込んでいたうちらの海軍総司令官殿は、とっさに鈴川を機雷で封鎖して海兵隊の侵入を蹴散らしますと答えた。それが今回の任務の発端だ」
「そんなことでか!」北堀中佐は、こぶしで膝を叩いた。
「経緯はどうあれ命令は出された。問題はだな、今回の件は作戦の細部にいたるまで海軍総司令部が計画していることだ。機雷を敷設する日時や場所だけでなく、機雷の設定諸元や航法計画まで海軍総司令部が決めてきた。お前に対する作戦計画も形式上は第1太平洋艦隊司令官からのものとなっているが、内容は一字一句海軍総司令官から第1太平洋艦隊司令官へのものと変わりない。出撃できるのはお前の艦だけになった時も海軍総司令部が計画を修正してきた。もちろん第1局(第1太平洋艦隊司令部作戦担当)は海軍総司令部に計画の修正を求めようとしたのだが、うちの参謀長に止められた」そこまでいった同期の幕僚は、北堀中佐に顔を近づけ、声を落として続けた。
「話は変わるが、31師団(第31潜水艦師団:香貫海軍のすべての戦略核ロケット搭載潜水艦が所属する部隊)で、出港中の艦は何隻あるか知っているか。ゼロだ。ゼロ。1隻を除いてすべて何らかの不具合で修理中だ。唯一故障していない1隻は、お前も噂では聞いていると思うが下士官兵を中心に艦内で反乱がおきた。噂は本当なのさ。だから乗員の入れ替えをやっている最中だ。こんな状況で機雷敷設に向かう潜水艦3隻中2隻が不具合で出港できませんとは言えないだろ」
「何でもかんでも動ける艦にすべてを押し付けるから悪いんだろ。反乱が起きても不思議には思わんね。そんなことでは伊勢原にミサイル基地を作ったから動けない31師団なんか要らないと言われかねんぞ」
「海軍総司令部の関心事も戦略ロケット潜水艦の存続だ。あとな、海軍総司令部はうちら司令部の指導力に疑問を持っているようなんだ。だから政治的に微妙な今回の作戦を細かいところまで決めて命令してきた。政治的に微妙な作戦を自分たちで計画しないですんだと考えているうちの司令官も司令官なんだが、司令部の上層部も責任逃れするやつばかりだ。指導力に疑問を持たれてもしかたねぇけんど、そのツケは末端の部隊が払うことになる。今回はお前の潜水艦だ。お前が不始末のツケを払う必要なんかないぞ。何かあればすぐに戻ってこい。いいな! お前には、今建造中の955(ヤーセン級最新鋭多用途原子力潜水艦)を任せようという話もあるんだ。わかったな!」
「何かあればすぐに戻ってこい」か、それも選択肢の一つかもしれん。そう考えた艦長・北堀中佐が、ふと横を向くと目の隅に副長格の政治将校・峰尾中佐をとらえた。峰尾中佐はセイルで見張りをするふりをして、双眼鏡で夜景を眺めていた。私が命令に反して帰投を決断したら、この政治将校は何と言うだろう。
まあいいさ。この作戦の発端がいかに馬鹿げたものでも任務を途中であきらめる気は毛頭ない。そう考える士官だからこそ、香貫にとって貴重な戦力である潜水艦の指揮を任されているんだ。江浦湾が北堀中佐の気持ちを前向きに変えた。
「0時方向、航法灯」見張り員が報告する方向に目を向けた北堀中佐も航法灯を確認した。あの航法灯は、発令所のレーダー員が先ほどから報告してくる1124型哨戒艦(KEITOコードネーム:グリシャ級哨戒艦)のものに違いない。もっともこんな時間にあんな場所にいる艦船はKGB(香貫国家保安委員会)国境警備局の1124型哨戒艦くらいなもんだ。レーダー員の報告がなくてもわかる。
北堀中佐は知っていた。KGB国境警備局の1124型哨戒艦が何を監視しているのかを。KGB国境警備局は、建前では外敵の侵入を監視することになっているが、第1の任務は軍の行動を監視して報告することなのである。こそこそと嗅ぎまわるスパイ野郎め。海軍軍人としての誇りを持つ北堀中佐にとって、そんなKGB国境警備局を受け入れることは到底できなかった。
あいつらも我々をレーダーで確認しているはずだ。よし! 少しあいつらを驚かせてやろう。出港してから最初の潜航で、こんなことをするのは危険だが、少しは気分も晴れるだろう。それに乗員の訓練にもなって一石二鳥だ。そう考えた北堀中佐はセイルにある防水マイクを手にとった。「急速潜航! 急げ!」
突然の潜航命令で蜂の巣をつついたような騒ぎとなったセイルで、KGB国境警備局の1124型哨戒艦を一瞥した北堀中佐は、艦内に通じる梯子をほとんど滑るように降りて行った。突然この艦がレーダーから消えたら、あいつらも驚くだろう。北堀中佐は、滑り降りながら口の右側を上げて笑った。




