その51
R38基地南側 香貫公国軍 木に設置された監視所
シールズ分遣隊ナンバー2の越智上等兵曹が指揮するサウス・ポストの北東2メートルにある木に香貫軍南側の監視所があった。
和木空挺軍曹は、この監視所の指揮官だった。香貫公国で空挺部隊というエリート部隊の、しかも軍曹という階級ともなれば誰にでも自慢のできることだった。故郷に帰れば親戚一同が集まって彼を歓迎してくれる。彼の両親にとって和木空挺軍曹は自慢の息子だった。
学生時代の和木空挺軍曹は両親も手がつけられない不良で、いつも仲間とつるんで喧嘩や恐喝などに明け暮れていた。それでも機転が利き計算高い和木空挺軍曹は警察の世話になることはなかった。
頭がよく、がっしりとした体格の和木空挺軍曹は、徴兵によって軍に入ると、すぐに空挺部隊への志願を進められた。「うまく試験に合格すれば下士官として長く軍に勤められるぞ」上官の進めに二つ返事で承諾した和木空挺軍曹は、空挺部隊の選抜試験に合格して3年前に職業軍人としての伍長に昇進、今年の定期昇任日に軍曹になった。軍が彼を更生させたのではない。彼は軍隊生活が身に合っていた。過去がどうあれ、今は軍人としての責務を全うする気でいた。
そんな和木空挺軍曹の気持ちとは裏腹に身体は変調をきたしていた。その原因は木の枝に染み出る木の樹液だった。
この木に降り立ったその日に、何気なく触れた樹液のせいで左手は赤く腫上がり、下痢が続いていた。
敵の攻撃が始まったこのタイミングでもトイレを我慢できなくなった和木空挺軍曹は、監視所から5センチほど幹のほうに設置した簡易トイレに向かった。
和木空挺軍曹は、トイレに行く前に部下に対してこう言った「ここに我々がいることは星川の奴らは知らない。いいか、戦闘機はそのまま見過ごせ。だが輸送機は絶対に攻撃しろ。いいな」
もちろん部下の空挺隊員たちも、輸送機だけを攻撃することを知っていた。もちろん自分たちが攻撃を受けたならば、その時は輸送機でなくても攻撃してよいことも知っていた。だが、彼らはシールズに監視されていたことは知らなかった。
和木空挺軍曹が簡易トイレに座ると、突然頭上でパンパンと爆音が響くと同時に爆風が和木空挺軍曹を吹き飛ばした。幸い、簡易トイレは木の幹に深く刻まれた割れ目の底にあったので、クラスター爆弾からばら撒かれた子爆弾の破片を受けることはなかった。だが、爆風により肺はつぶれて呼吸が苦しく、左手と左足の感覚はなかった。
自由のきく右手と右足を使って立ち上がった和木空挺軍曹の目の前には、監視所が跡形もなくなっていた。
重症の和木空挺軍曹は、立ち上がったことでめまいを起こし再び倒れて気を失った。
ほかの3箇所の監視所も同様に跡形もなくなっていた。どの監視所の空挺隊員も、自分たちは発見されていないと思い込んでいた。星川軍の攻撃が建物に集中していたこともその考えを助長させていた。それでもF/A-18Fが自分達に接近してくる音が聞こえていたならば自分たちが攻撃を受けることに気付いただろう。だが強い風がF/A-18Fの爆音をかき消していた。
堀内少将が考えた防衛態勢の外堀が埋まりつつあった。
R38(ホルモン・スモーク)基地北側の木 星川海軍シールズ ノース・ポスト
F/A-18Fが落としたCBU-87爆発の跡を確認していた江見1等兵曹は、口笛を吹くと「穴しか残ってねぇ」と、いつもながら爆撃の威力に驚いていた。
「もう少し詳しく調べてくれ。下はどうだ?」島崎大尉は、田巻2等兵曹にたずねた。
「下も同じだ。穴のほか動く物はない。クラスターを4発もくらったらこんなもんだろう」田巻2等兵曹はそう答えた。
「よし、BDA(爆撃効果判定)を送っている間に撤収の準備を進めてくれ。住み慣れた我が家を去るのは寂しいな。そうだろ」島崎大尉の言葉に江見1等兵曹は思わず苦笑いをした。最後に笑えない冗談を言わなければいい指揮官なんだが。江見1等兵曹はそう思った。
彼らは気付かなかったが、彼らの上空を1機のF-14Dが通過していった。このF-14Dの腹にはTARPS(偵察ポッド)が装備されていて、ホルモン・スモーク屋根のBDAに必要な撮影をおこなっていた。
TARPSで撮影した画像は、データリンクで<カール・ビンソン>のCVIC(空母情報センター)に送られた。
F-14Dの機首が帰投針路に向き、上昇をはじめたころにはCVICで待機していた解析要員がTARPSで撮影した画像の解析を始めていた。
星川合衆国海軍 原子力航空母艦<カール・ビンソン>(CVN-70)ブルー・ドラゴン司令部
「我々が気になっていた対空火器は全て排除しました。第1段階完了です」航空幕僚の言葉に高須大佐も同意の頷きをした。
TARPSで撮影した写真と、シールズから送られてきた通信文を手に持った岸本中将は「続けよう。開店だ」と命じた。
航空幕僚は、手に持つマイクのスイッチを押して岸本中将の命令を“トング・ノベンバー02”に乗る榎本中佐に伝えた。「定時開店! 繰り返す。定時開店」
星川合衆国海軍 VAW-114 E-2D“トング・ノベンバー02”
命令を受領した榎本中佐は、無線機のマイクスイッチを踏んだ。「オール・ブルードラゴン・フライト、ストア・マスター 定時開店 アイ・セイ・アゲイン 定時開店」
榎本中佐は、MDFに表示されるシンボルが徐々にホルモン・スモークに向かっていくのを目で追った。
星川合衆国空軍 “チョップスティック・フライト”
“チョップスティック・アルファ・フライト” 一番機のMC-130Jが、ホルモン・スモーク南側にある水田の中にポツンと立つ赤い屋根の倉庫上空を通り過ぎた。
“チョップスティック・フライト”のIPであるその家を過ぎれば降下まであと3分。
「IP通過。5秒の進み」徳永中佐の右に座る副操縦士が計画の時間より5秒早くIPを通過したことを報告した。
「ラジャー」徳永中佐は右手に握るスロットルを微妙に操作しながら、速度を調節した。
キャビンでは、すでに降下準備ができていた。レンジャー達はキャビンの右側と左側に一列で並び、キャビンの前から後ろに張られた繋止ワイヤーにフックで架けた黄色いスタティック・ラインを持って降下を待っていた。
キャビン後部のドアは左右とも開け放たれ、左右それぞれのドアでは、ジャンプ・マスターを務める軍曹が、スタティック・ラインを引きちぎる可能性のあるドア付近の突起物などがないかを確認した。
ジャンプ・マスターは、隣で降下を待つアルファ中隊長・上沼大尉に親指をあげて異常がないことを知らせると、ホルモン・スモークの建物を探そうと身を乗り出した。
そこに単発のプロペラ機が、彼の横約30センチのところに現れた。酒匂海軍空母<瑞鶴>飛行隊の艦上攻撃機・流星改二 12機からなる“スパイシーソース”編隊である。
事前に知らされていたジャンプ・マスターは、すぐに酒匂の攻撃機だとわかった。
ジャンプ・マスターは一瞬見とれた。12機ともなるとさすがに壮観で、力強く感じたジャンプ・マスターは「頼みますよ、酒匂さんよ」と言って手を振った。
“スパイシーソース”は、レンジャーが最も脆弱になる降下から集結までの間、香貫軍を制圧する任務を与えられていた。
カーゴマスターから降下開始1分前の知らせを聞いたジャンプ・マスターは、人差し指を高くあげ「1分前!」と怒鳴った。
「1分前!」上沼大尉はそう復唱しながら、反対側のドアで最初に降下する中隊最先任下士官“トップ”・大谷先任曹長を見た。
二人は目が合うとお互いに親指をあげて頷きあった。ただ、暗い色のドーランを塗った顔からは、表情まではわからなかった。
その上空を、攻撃に向かうF-14DとF/A-18Fが彼らを追い越していった。
R38基地 星川海軍 F-14D、F/A-18F
最初にR38基地内部に侵入したのは、VF―51のF-14Dだった。能力一杯まで加速した1機のF-14Dは、自衛用のAIM-9X2発と、室内射出用フレアを満載したディスペンサーを腹に抱えただけの身軽な装備をしていた。
全速力のF-14Dは、突然廊下に進入し、あっという間に離脱した。後には無数のフレアが廊下を赤白く照らしているだけだった。あまりの速さに廊下中央部に配置された唯一の生き残りとなる9K35と4箇所の対空機関砲陣地は対応できなかった。
続いて4機のF/A-18Fが一列になって進入した。F-14Dが放った大量のフレアが廊下の空間に漂っているその上から、CBU-87クラスター爆弾の雨を降らせた。
CBU-87は、1両の9K35と4箇所の対空機関砲陣地周辺に集中して落とされた。
これで大掛かりな対空火器を無力化したが、2番目に進入したF/A-18Fは、無力化される前に発射された対空機関砲の57mm弾にやられてガクンと機首を下げると、そのまま廊下の滑走路に激突した。
滑走路上空には、滑走路に激突する直前に脱出した搭乗員のパラシュートが二つ漂った。
さらに、BLU-111地中貫通爆弾を腹に4発ずつ搭載した3機のF-14Dが進入した。
3機のF-14Dは、滑走路脇に並ぶ9箇所の掩体壕に向けてBLU-111を投下して飛び去った。その後ろを爆弾の直撃を免れて掩体壕から飛び出した空挺隊員により発射された4発の9K38“イグラ”携帯式防空ミサイルが追った。
3機のF-14Dは、ホルモン・スモークを離脱すると急旋回をおこなって建物の影に隠れた。このため、4発のうち、後に発射された3発のミサイルは、目標を見失って滑走路の延長線上をむなしく直進していった。だが、最初に発射されたミサイルは最後尾を飛行するF-14Dを追い続け、F-14Dが曳くデコイに見向きもせずにF-14Dの排気ノズルを目指した。
ミサイルが最後尾を飛行するF-14Dの3ミリ後方で爆発した。F-14Dは、ミサイルが爆発する寸前に急旋回したため直撃は免れたが、右水平尾翼と右エンジンの排気ノズルが破壊されて飛び散り、機体からちぎれた部品は地面に向けて落ちていった。
損傷が激しいF-14Dは空母への着艦が困難なため、酒匂の平塚コロニーに緊急着陸することになり、ヨロヨロと平塚に向け飛び去った。
3機のF-14Dが投下したBLU-111地中貫通爆弾の直撃によって、消しゴムのような9箇所の掩体壕のうち、6箇所の掩体壕を破壊した。残りの掩体壕に投下されたBLU-111は、わずかにそれてしまい軽微な損傷を与えただけだった。
R38基地南側 木に設置された監視所
和木空挺軍曹が気を失っていた時間は、わずか数秒だった。
和木空挺軍曹は、負傷していない右足と右手だけで立ち上がると、木の幹に深く刻まれた傷の底を、動かない左足を引きずって歩き始めた。すると、何かが足にぶつかった。足にぶつかったときの感触と音から、「もしや!」と思い、苦労してしゃがむと、足にぶつかった物を手に取った。
「これで復讐してやる」和木空挺軍曹は、暗くてよく見えないが手に取った感触から9K38“イグラ”携帯式防空ミサイルだとわかった。爆風によって監視所にあった9K38が偶然にも木の幹に深く刻まれた傷の底に落ちてきたのである。
和木空挺軍曹は、木の傷によってできた壁にもたれ掛かりながら9K38を操作して肩に担いだ。
和木空挺軍曹は再び意識を失いそうになっていた。それでも9K38がロックオンしたことを示す警報は認識できた。
和木空挺軍曹がトリガーを引くとミサイルが格納されたチューブから、細長いミサイルが飛び出した。
何にロックオンしてミサイルを発射したかは知らないが、ミサイルの発射に満足した和木空挺軍曹は、そのまま倒れると目を閉じた。そして二度と目を開けることはなかった。




