その5
鷹取川 追浜駅東北東約750メートル
星川合衆国陸軍 Fort鷹取(陸軍鷹取駐屯地) 3/75Ranger庁舎(第75レンジャー連隊第3大隊庁舎)
星川合衆国追浜コロニー
朝、新しい1日の始まり。庁舎1階の3/75Ranger アルファ中隊本部事務室では、早朝トレーニングを終え国旗掲揚までのわずかな時間を利用して、それぞれが思い思いのことをしていた。
その中の一人、この部屋の主であるアルファ中隊長・上沼大尉は、前屈みで椅子に座り、器用にナイフを使って一片の木を削っていた。
中隊最先任下士官である“トップ”大谷先任曹長は、今日一杯目のコーヒーを飲みながら、上沼大尉の手元を覗いて言った。「また、遼太くんのおもちゃを作っているんですか?」
「あぁ、先週、遼太を連れてスプリントカップを見に行ったんだが、その時に見たペースカーをえらく気に入ってな。今度はペースカーを作ってくれと言いやがった」上沼大尉は、手を止めて言った。
「ペースカーって、サーキットで車がクラッシュしたときなんかにコースに入ってくる車のことですか」
「そうだ。主役のストックカーには目もくれない。遼太にとっては、どれも同じなんだろうな」
「遼太くんは、将来、カーレーサーですか」
「それが問題なんだ。遼太は、よりにもよってインディ500のレーサーになるんだ。なんて言い出しやがった」
「いいじゃないですか。優勝すれば牛乳をたらふく飲める」
「冗談じゃない。俺の遼太に、あんな危険なまねはさせられんよ」
「へっ! よく言いますよ。真っ先にカーゴからジャンプする中隊長殿の危険に比べたら、インディ500の危険なんて鼻くそみたいなもんでしょう」
「いいかいトップ、我々の危険は管理され、許容された危険だ。それに、あんなモンスター・マシンに遼太が乗っていると考えただけでも心臓が止まりそうだ」
「はいはい、来月からは、うちの大隊がRRF(レンジャー即応部隊:18時間以内に出撃できる態勢で待機する大隊。3個大隊で構成された第75レンジャー連隊の1個大隊が1か月ごとに輪番で待機する)です。それまでに作っちまってください」
「そうだな。急がないと」そういって上沼大尉は、木彫りを再開した。
のんびりした雰囲気のアルファ中隊とは違い、庁舎2階にある3/75Ranger本部事務室は緊張感が漂っていた。3/75Ranger大隊長・青柳中佐は早朝トレーニングに向かおうとした矢先、連隊長から呼び出しを受けた。
大隊長は、副大隊長兼先任参謀であるS-3(大隊作戦担当将校)と、S-2(大隊情報担当将校)を伴って連隊司令部に向かったが、それ以来戻らなかった。
出番だなと思った沢原大隊上級曹長は、1/75Rangerや2/75Rangerに探りを入れてみたが、これといって変わったことはないようだった。なぜ第3大隊だけ?
沢原大隊上級曹長は、国旗掲揚時間になっても青柳中佐が戻らないのであれば、配下の中隊先任曹長に状況を知らせておこうと考えていた。その矢先、目をギラギラとさせた青柳中佐が大隊本部に戻ってきた。沢原大隊上級曹長は、青柳中佐の目を見た瞬間、やはり実戦だと直感した。
青柳中佐は、直ちに大隊指揮グループと、各中隊長を大隊長室に集めろといって自室に消えた。S-3とS-2は無言で青柳中佐に続いた。
「いったい何事なんだ……ともかく俺は、オールドマン(大隊長)のところに行ってくる」青柳中佐の呼び出しを受けた上沼大尉は、愛用のノートを手に取ると早足にドアに向かった。
「第1小隊が今から射撃訓練のため射場に出発します。どうしますか?」大谷先任曹長は、上沼大尉の背中に向かって言った。
上沼大尉は、一瞬考えた。もしかしたら緊急事態かもしれない。そうだとすると、戻すのに余計な時間を食う。ならば、少しのあいだ待たせておこう。「俺が戻るまで待機させてくれ」そう答えて急ぎ事務室を出た。
上沼大尉が部屋を出ると、廊下を挟んで反対側にあるブラボー中隊本部事務室から下田大尉が出てきた。
「いったい何事ですか?」上沼大尉は、顔を合わせるなり下田大尉に言った。
下田大尉は、下士官からのたたき上げで、実力によってレンジャー中隊長の座を獲得した努力の人だが、規律にうるさい堅物だった。
陸軍士官学校出身の上沼大尉より8歳年上の下田大尉は、日焼けした顔の眉を寄せて言った。「俺にもわからんよ」
「RRF(レンジャー即応部隊)の順番が回ってくるのは来月ですよ。」
「そうだが、ここで、あれこれ詮索してもらちがあかん。オールドマンのところに行けばおのずと分かるんじゃないか」下田大尉は、上を見上げて言った。
「それもそうですね。急ぎましょう」
「よし、そろったな」S-3(大隊作戦担当将校)兼副大隊長・松沼少佐は、上沼大尉と下田大尉の顔を見るなり言った。決して広くない大隊長室は、大隊指揮グループと、中隊長達によって埋め尽くされた。
「全員そろいました。ボス」松沼少佐は、大隊長・青柳中佐にそう報告して自分の椅子に座った。
青柳中佐は頷くと椅子から立ち上がり、ギラギラした目で部屋にいる大隊首脳を見渡した。「諸君! 出番だ!」そういって、再度大隊首脳を見渡した。
青柳中佐の言葉を聞いた大隊首脳は、それぞれ手に持ったノートやメモ帳を取り出した。
「ノートはしまえ」青柳中佐は指で頭を突きながら言った「これから話す内容は、すべて頭の中に書きとめろ。許可があるまで口外も禁止だ。わかったな」
大隊首脳は黙って頷いた。上沼大尉も黙って頷いたが、これは厳しい任務になりそうだと思った。
「では、順を追って説明しよう。昨日、海軍の偵察機が香貫の核ミサイル基地を発見した。場所は……あそこだ」青柳中佐は、大隊長室の壁に貼られた関東地方の地図の一点を指差す大隊S-2に向かってあごを突き出した。
「香貫は、よりにもよって伊勢原のど真ん中に核ミサイル基地を造った。ここから発射されるミサイルの射程圏内には首都コロニーも含まれる。気象条件しだいでは、東京湾沿岸のコロニーも攻撃できると専門家は言っている」
青柳中佐は、少尉に任官してから18年経つが、これが初めての実戦だった。実戦経験のない空挺将校として肩身の狭い思いをしてきたが、それももうすぐ終わる。しかも彼の人事記録には、極秘の作戦に参加したことを示す記号が追加され、いっそう箔がつく。初めての実戦に対する不安もあるが、レンジャー大隊を預かる誇りにかけて、任務をやり遂げる。そう考える青柳中佐の目は、いっそうギラギラと不気味に輝いた。
「そこで、我々の出番だ。我々は、この核ミサイル基地を訪問して核弾頭を頂戴してくる。香貫は丁重に出迎えてくれるだろうが、のど元に刺さった骨は、誰かが抜かねばならん。その誰か、それは我々レンジャー以外にはいない。そうだろ? 諸君!」
大隊首脳は、声を出して笑いこそしなかったが、ほほ笑んで頷いた。
その中の一人、上沼大尉の一期後輩であるチャーリー中隊長・沢田大尉が声をあげた。「オーケー! やってやろうじゃないですか。ですが、なぜRRFの第2大隊ではなく我々なんですか? 空軍ご自慢のステルス爆撃機が、基地ごとふっ飛ばせば簡単だと思いますが」
「これから説明するつもりだったが、まあいい……まず、航空機による攻撃は選択肢にない。この基地はダイダラの建物の中に設置されているのだ。我々がダイダラの建物をペシャンコにでもしてみろ。大騒ぎになる。それに、爆撃の影響で放射能漏れをおこしたら、それこそダイダラ世界は蜂の巣を突いたような騒ぎになる。だからこそ、ダイダラに気付かれずに核弾頭を奪って持ち帰らねばならんのだが、ダイダラに気付かれないように秘密裏に行動しようと思うと、RRFでは目立ちすぎる。緊急対処の部隊が慌しく動き始めると、その理由を説明しなければならんからな。だが、我々であれば抜き打ちの緊急展開訓練として説明できる…… そういったわけで、我々に出番が回ってきたわけだ」
納得した様子の大隊首脳に満足した青柳中佐は、その後の説明を松沼少佐に委ねた。
上沼大尉は、松沼少佐の短い説明を聞いて予感が当たったと思った。それにしても情報が少なすぎる。これでは具体的な作戦のイメージが湧かない。
「情報がこれだけでは準備ができない。そうだろ」青柳中佐は大隊首脳の気持ちを代弁して話し始めた。「早ければ今日の夕方にも準備命令が出されるはずだ。それまでは任務に必要な情報など手に入らん。だが、必要な装備の準備ならできる。直ちにカテゴリ1Bの準備を始めろ。本日1600時に任務前点検ができるようにな。いいか、忘れるなよ。許可があるまで、今いる我々以外にこの件を話してはならない。当面は、緊急展開能力の抜き打ち査察に向けた事前準備だといって押し通せ。質問はあるか?」
大隊首脳からの質問はなかった。
青柳中佐は、立ち上がって言った。「今から準備にかかる! フーア」
大隊首脳は、「フーア」と言って一斉に立ち上がり、大隊長室を後にした。
第75レンジャー連隊の歴史に新たなページが追加されようとしていた。
柏尾川 大船駅北約1.8キロメートル
星川合衆国陸軍 Fort金井(陸軍金井駐屯地) USWESTCOM庁舎(星川西方軍司令部庁舎)
星川合衆国大船コロニー
USWESTCOM庁舎地下1階作戦室。先任当直幕僚以下各幕僚部の当直員が机を並べる広い作戦室。その片隅に置かれたテーブルをUSWESTCOMの幕僚と加藤中佐、横山少佐が取り囲んでいた。テーブルには、今朝SR-71Aが香貫のミサイル基地を撮影した写真が置かれていた。
これらの画像データは、写真撮影と同時に計測されたレーザースキャンデータと組み合わせ、ミサイル基地とその周辺地形の詳細な3Dモデリングデータが作成される。このデータは、作戦計画を立てる上で必要なデータだった。
「このデータは<カメハメハ>にも送ってもらえますか」加藤中佐は写真を指差して言った。
「データ解析が終わりしだい送る手筈はできています」司令部の空軍少佐が答えた。
「加藤中佐はいらっしゃいますか!」作戦室に当直下士官の大声が響いた。
「はい! 私です!」加藤中佐は手を上げて当直下士官に振り向いた。
「WESTPACCOM司令官(西太平洋軍司令官)から直接中佐にお電話です」当直下士官のその一言で、作戦室にいるUSWESTCOM(西方軍)の幕僚は一斉に加藤中佐に振り向いた。四つ星の統合軍司令官から直接電話が入る者とはいったいどんなやつだ。
加藤中佐は、作戦室にいる全員の視線を背中で受けているのを感じながら、盗聴防止装置の付いた赤い電話の受話器を受け取った。「お待たせしました。加藤です」
「加藤か、POTUS(星川合衆国大統領)の許可が下りたぞ。POTUSは核兵器の奪取と、酒匂との共同作戦責任者としてUSWESTCOM司令官を指名された。今後は予定どおりUSWESTCOM司令官のもとで事に当たってくれ」菊池司令官は電話の向こうで、いったん言葉を切った。
「そこでだ、お前に人事発令がなされる。USWESTCOM司令部幕僚を命ずる人事発令だ」
「え! 幕僚勤務ですか!」現場に留まりたい加藤中佐にとっては、いちばん避けたい人事だった。
「安心しろ。“兼ねて” USWESTCOM司令部幕僚を命ずる人事発令だ。あくまでもお前の配置はVF-111隊長だ。だが、その前にもう一つ“兼ねて”がある。CVW-15司令代理だ。これまでは単に最先任士官としてCVW-15を指揮してもらったのだが、今後は代理とはいえ法的にもCVW-15を指揮する根拠ができたわけだ。頼んだぞ」
星川軍に所属する者が職務を兼務する場合、兼務する配置を“兼ねて”をつけて命じられる。その者に与えられた主職務と兼務する職務を厳密に区別するためである。加藤中佐の場合は、“VF-111隊長に指定する。兼ねてCVW-15司令代理に指定する。兼ねてUSWESTCOM(西方軍)司令部幕僚を命ずる”として人事記録に記載される。これであれば加藤中佐の主職務は、あくまでもVF-111隊長ということになる。
「わかりました」加藤中佐はホッとして答えた。
「香貫の基地は1か所だけではない。だが、ほかの基地はどこにあるのか分からん。側面に気を付けろ。慎重にな!」菊池司令官の口調は、弟を心配する兄のようだった。
電話を終えた加藤中佐が元の場所に戻ると、加藤中佐に対する幕僚の態度が変わっていた。海軍大将である地域統合軍司令官が直接電話してくるからには、出世の遅れたうだつの上がらない中佐ではなさそうだと考えたからである。
加藤中佐は、その変化に気づかないふりをしてテーブルを囲む幕僚達を見渡して言った。「酒匂との件はPOTUSの許可が下りたそうです」
「そうですか、あとは酒匂の出方しだいですな」マルチカム迷彩の戦闘服を着たJ-3(西方軍司令部作戦主任幕僚)の高須賀陸軍大佐が答えた。
高須賀大佐には不満があった。それは、酒匂と組むことによって生じる自分たちでは管理不可能な要素だった。ただでさえ統合作戦は複雑で、陸海空各軍との調整は困難を極める。できることなら味方の不確定な要素は避けたいと高須賀大佐は考えていた。
歩くコンピュータとの異名を持つ高須賀大佐にとって、酒匂と手を組むことの是非には関心がなかった。計算しつくした作戦を計算どおりに実施して計算どおりに勝つ。問題は不確定要素をいかに計算に組み込むかだが、現状ではその手がかりも見出せない。高須賀大佐はそこが不満だった。変数の定義は酒匂に会ってからだ。
では、いつどこで会うか。時期は早ければ早いほどよいだろう。早く酒匂の考えが分かれば、それだけ早く変数定義ができる。場所は今日やってきた横山少佐が言うように中立の第3国しかないだろう。各国から多くのビジネスマンや観光客が押し寄せる厚木国か第6台場金融センターなら星川や酒匂の人間がいても目立たない。その線で資料を作成して、間もなく戻る司令官に進言しよう。高須賀大佐はそう考えた。
鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル
香貫公国軍 R38基地の北西上空
全長14センチメートルの輸送機イリューシンIl-76M(KEITO(京浜条約機構)コードネーム:キャンディッド)”山鳥-483”は、水の引いた伊勢原の水田上空を高度1メートルで飛行していた。
あぜ道やフェンスを飛び越えるために上昇降下を繰り返してR38基地を目指す”山鳥-483”があぜ道を飛び越える度に、数センチメートル下の草が”山鳥-483”の作り出す後方乱気流によってかすかに揺れた。
激しく揺れる貨物室の前方では堀内少将と高井大佐が並んで座っていた。
堀内少将は、酔いつぶれて前後不覚に寝る高井大佐を横目で見てつぶやいた。「やれやれ、そろそろR38基地に着くころになって、やっと寝たか。これでは着陸してから起こすのも一苦労だな」
今回の騒動は高井大佐に原因があるとはいえ、政治将校である高井大佐にそれだけの力を与えた香貫軍の制度にも大きな問題があると堀内少将は考えていた。
さらに、途切れ途切れに高井大佐の話を聞いたところでは、高井大佐は最高参謀本部政治部長に切り捨てられたらしい。身から出た錆とはいえ、トカゲの尻尾切りのように全ての責任を高井大佐に押し付けて責任を回避しようとする政治部に堀内少将は怒りを感じた。
「司令官、間もなく着陸します」先ほどまでトイレを掃除していたロードマスターが言った。二日酔いの高井大佐が吐きまくって汚したトイレを、罵りの言葉を総動員して掃除したロードマスターの顔は、いまだ怒りで赤かった。
「迷惑をかけてすまんな」堀内少将は、ロードマスターの気持ちを察して謝った。高井大佐のおかげで堀内少将は朝から謝りどうしだった。
早朝、堀内少将は、補給担当幕僚に頼んでいた物品の受け取り確認のため、主要幕僚が出勤する前に戦略ロケット軍司令部に向かった。補給幕僚部付軍曹の運転する将官専用車で司令部に着いてみると、司令部庁舎の正面玄関で大の字に寝ている高井大佐と、それを見下ろす当直員に出くわした。怒れる当直将校は、酒臭い息を吐きながら正面玄関で寝ている高井大佐を憲兵隊に引き渡すと主張したが、堀内少将は、その当直将校をなだめて高井大佐を引き取った。
高井大佐を引き取ったはいいが、休ませるところもないため、しかたなく将官専用車に乗せて倉庫巡りをしたのだが、これも大変だった。車内が酒臭くなるだけでなく、高井大佐は時折目を覚ますと大声で叫び、そして暴れた。堀内少将は、その度に将官専用車を運転する補給幕僚部付軍曹に謝らなければならなかった。
ドン! ゴー!
”山鳥-483”がR38基地の滑走路に車輪を落とす音に引き続き、エンジン逆噴射の音が貨物室に響いた。
“山鳥-483”はエプロン(駐機場)に着くと、パイロットは、すぐさまソロヴィヨーフD-30エンジンを停止させた。
出迎えにエプロンに来ていた副司令官の清水大佐や作戦将校の藤井中佐らは、話ができないほどの騒音を発するソロヴィヨーフD-30エンジンが停止してホッとした。そして機体後部のランプドア付近に移動して堀内少将が出てくるのを待っていると、ランプドアが下げられて貨物室の内部が見えてきた。
そこには食料品の入ったダンボール箱の山に片手を置いて立つ笑顔の堀内少将がいた。
「清水大佐、今日はもう休みましょう。食料品と調理道具、それと酒も少々持って来ました。調理経験のある者に調理してもらいましょう」
R38基地の隊員は、精神的にも肉体的にも限界だ。堀内少将はそう思っていた。しかも基地開設以来ろくな物を口にしていない。これでは星川と戦えない。防衛準備が少々遅れても、まずは休ませよう。その方が士気は上がるはずだ。
堀内少将が高井大佐を伴って倉庫巡りをした最大の目的は、食料品と調理道具の調達だった。もちろん武器弾薬の調達も忘れたわけではなく、特に9K38“イグラ”携帯式防空ミサイルも大量に持ち帰ってきた。勝って凛と紬のもとに帰る。そのためにはあらゆる手段をいとわない。堀内少将の決意は固かった。
柏尾川 大船駅北約1.8キロメートル
星川合衆国陸軍 Fort金井(陸軍金井駐屯地) USWESTCOM庁舎(星川西方軍司令部庁舎)
星川合衆国大船コロニー
「君が加藤中佐か。副司令官の岸本だ。君のことはJ-2(西方軍司令部情報主任幕僚)から聞いている。」USWESTCOM副司令官・岸本陸軍中将はそういって加藤中佐に握手を求めた。「すぐにシールズを送った判断はよかったぞ。君の差し金だな」
「はい。ただ、監視位置への進出は少々骨の折れる作業だと思います」加藤中佐は友好的な握手の理由を岸本中将の制服に見つけた。制服の襟には彼が特殊戦将校であることを示す徽章で飾られていた。シールズやグリーンベレーなどが所属する特殊戦マフィアは、部隊間で強いライバル意識を持つもが、特殊戦マフィアとしての仲間意識は強い。岸本中将もフォース・リーコン(星川合衆国海兵隊武装偵察部隊)勤務の経験がある自分を仲間だと思ってくれている。加藤中佐はそう思った。
「いま、司令官から連絡があった。POTUS(星川合衆国大統領)は75(第75レンジャー連隊)を使って核兵器を奪う計画を承認された。それと、酒匂と組むこともな」岸本中将は、そういってテーブルを囲む一同を見渡したが、なにか様子が違った。
「その件は先ほど加藤中佐から聞きました」J-3の高須賀大佐が一同を代表して答えた。
岸本中将は、気を悪くした様子もなく話を続けた。「なら話は早い。司令官は酒匂との交渉責任者として私を指名された。間もなく司令官は戻られるが、それまでに会合の段取りをつけようと思う」
「会合時期や場所については検討済みです」高須賀大佐は、これまで検討した内容を岸本中将に報告した。
報告を聞いた岸本中将は同意して言った「では加藤中佐! 酒匂への連絡を始めてくれ」
加藤中佐は、自分の携帯電話をコンピュータに接続してから酒匂空軍第17独立飛行団司令である同級生の三宅准将に電話をかけた。
「おう! 俺だ。いま大丈夫か?」
「大丈夫だ。何かあったのか?」三宅准将の心配したような声がテーブルに設置されたスピーカーから流れてきた。携帯電話と接続されたコンピュータを介して二人の会話がスピーカーから聞こえたのである。もちろん会話は録音され、後ほど心理分析官などによって三宅准将の心理状態などが分析される。
「会長の承認が下りた」
三宅准将は驚いて言った。「本当か! やけに早いな。無理したわけじゃないだろうな。大丈夫か?」
「実は俺も速い展開に驚いているんだ。だが安心してくれ。いま電話しているのも正規の手続きでやっている。問題は、いつどこでやるかだな」
「俺たちが卒業式前日の飲み会で大暴れした店を覚えているか? 場所は、そこがいいと思うのだが、どうだ?」三宅准将は一般の電話回線で話しているため、店の名前こそ出さなかったが加藤中佐には分かった。厚木国の駅横地区にある“青龍閣”という中華料理店だ。加藤中佐はその場所を書きとめ、三宅准将に見せた。
ずいぶん手回しがいいな。何か裏でもあるのではないか。岸本中将はそう考えたが、共同を言い出して接触してきたのは酒匂のほうだ。そのくらい準備しているだろう。まずは、会って話してみなければなにも始まらない。それに会合場所に異存はない。厚木国は我々も考えていた場所でもある。そう考えた岸本中将は「いいだろう。明日の夜でも可能か?」といって加藤中佐にうなずいた。
「明日の夜、行けるか?」
「大丈夫だ…… うん、大丈夫だ。じゃあ、明日の夜8時に集合しよう。会長に感謝すると伝えてくれ」
「わかった。飲みながら話せばいい案も出てくるだろう。久しぶりに会えるな」
「そうだな。楽しみにしている…… 加藤、ありがとう」
「お互い様だ。じゃあ明日な!」加藤中佐はそういって電話を切り、岸本中将を見た。
岸本中将は「ご苦労さん」といいながら、J-2を呼ぶために電話を取った。J-2には会合までにやってもらいたいことが沢山ある。それにしても……と、岸本中将は思った。敵対する国同士が初めて接触する場所が歓楽街の中華料理店とは……歴史に刻まれるようなことの始まりは、かえってこういう場所から始まるのだろう。どっちにしろ今回の会合が歴史に記録されることはない。記録されたところで「実務者レベルによる秘密裏の接触」との一言で終わるため、我々の名前が歴史に刻まれることはない。
岸本中将は、特殊部隊員として戦場を渡り歩いてきたが、紛争地域の指導者は、その多くが歴史に名を刻もうと血眼になって善悪の判断すらできなくなっていた。なぜ権力と金を手に入れた人間は、次に歴史に名を刻もうとするのか? 歴史に名を刻むことの空虚さを岸本中将は身をもって知っていたのである。
そんなことよりも会合の時間と場所は決まったのだ。さあ! 作戦計画を立てよう。まずはミサイル基地を守る香貫軍の兵力見積もりの検討からだ。そう考えた岸本中将は、資料の束を手に取った。




