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その35

伊勢原駅北約1.5キロメートル

香貫公国空軍“青鷹編隊“、“衝撃編隊“、“白バラ編隊“


第2東名高速道路厚木南インター・チェンジの北にある倉庫に設定した第1ポイントまであと9分。9機のMiG-31Mと8機のSu-27SMは、強い北西風に背中を押されて燃料消費を最小限にすることができた。それでもアフターバーナーを使えばあっという間に燃料を消費してしまう。作戦成功の鍵は一にも二にも井崎コロニーで燃料補給ができるかどうかにかかっていた。

井崎は使えるようになったのかしら? 瀬奈ふぶき中佐が心配し始めたころ井崎レディオの周波数に合わせた無線機から木下大尉の声が聞こえてきた。

“ゼロ・ゼロ”ね! これで舞台はそろったわ。あとは私たちが踊るだけ。華麗に舞うのよ! いいわね、あなたたち! 瀬奈中佐は部下の操縦するSu-27SMを見つめてつぶやいた。

木下大尉からの無線は、瀬奈中佐以外の16名のパイロットと9名のWSO(兵装システム士官)も聞いていた。彼ら、彼女らは、口を真一文字に結んで高まる緊張を闘志に変えていった。

「間もなく降下開始。現在、コース上、遅れ進みなし……降下」MiG-31M“青の1番”の後席に座るWSO(兵装システム士官)・古川大尉の報告が、前席で操縦する長沢中佐のヘルメットに入ってきた。

長沢中佐は「ポニョ」と言うとスロットルを引いて操縦桿を押した。“青の1番”は、多くのトラックが行きかう深夜の東名高速道路を横切ってBSH(信号機よりも低い高度)に向けて降下を始めた。

彼に続く青鷹編隊、衝撃編隊のMiG-31Mも、そして、その後に続く白バラ編隊のSu-27SMも東名高速道路を横切ると降下を開始した。

白バラ編隊は、A57基地を青鷹編隊と衝撃編隊よりも先に離陸したのだが、巡航速度がわずかに優れるMiG-31Mが途中で白バラ編隊を追い越したのである。これは計画どおりで、高度をBSHにしてからは航法能力に優れたMiG-31Mが先頭に立って道案内するためである。

もちろん全ての機体はGPSを装備している。単に第1ポイントに向けて飛行するだけなら単座のSu-27SMでも苦労なく目的地に着ける。だが、絶えず敵のレーダーに気を配り、障害物を避けながら飛行し、なおかつ正確な時間に第1ポイントに到着するためには、航法を担当するWSOが必要だった。MiG-31M“青の1番”のWSO・古川大尉には、19機の戦闘機を正確に導く大きな責任があった。

BSHまで降下すると、そこは強い北西風が建物にあたり複雑な風が流れる場となっていた。その風によって激しく揺れる機内でも古川大尉は針路の指示を出し続け、長沢中佐は風と格闘し電線をかわしながら指示どおりに飛行を続けた。彼らの後を追う18機の戦闘機も同様だった。厚木郊外の静かな住宅地に戦闘機の轟音が鳴り響いた。

「隊長、第1ポイント通過。ここからは第2東名の高架下を飛行。相模川の対岸にある海老名南ジャンクションが第2ポイントです。079度1.15キロ。ETE(所要時間)5分30秒」この報告によって道案内の任務が終わった古川大尉は、次に自機のレーダーとミサイルの点検を始めた。

点検が終わり、結果に満足した古川大尉は、横を向いて小さな窓から外を眺めると、真っ暗な相模川が目に入った。そこを、1機のMiG-31Mが彼を追い越していった。

暗くてシルエットしか見えないが、小柳少佐の“青の6番”だな。古川大尉はそう思った。

各編隊の攻撃開始地点はそれぞれ違う。

星川空軍AWACSを攻撃する青鷹編隊の攻撃開始地点は、第2ポイントと第3ポイント。第3ポイントは、第2ポイントである海老名南ジャンクションから1キロほど東にある巨大な工場で“青の6番”はここから攻撃を開始する。それ以外の3機の青鷹編隊は、そのまま第2ポイントから攻撃する。

星川空軍輸送機を攻撃する衝撃編隊と白バラ編隊は、第2ポイントから圏央道を1キロほど南下した第4ポイントから攻撃を開始する。

これら攻撃の特徴は、全て相模川の東側で行われることである。「星川は、相模川の東側を自分たちの庭だと思っているわ。そのくせ防空網は穴だらけ。まともな防空網は相模川の東5キロほど行かないとないらしいわ。私が調べた限りではね。もし、これが本当なら奇襲効果をもっとあげることができる。星川が油断している場所で攻撃しましょう」攻撃計画をつめる際、瀬奈中佐がそう言った。星川西部の防空網が穴だらけだということは長沢中佐やA57基地の幕僚も知っていたが、今回の作戦に関連させることは思いつかなかった。こうして攻撃は相模川の東側で行われることになったのである。

相模川を渡った19機の戦闘機はそれぞれのポイントに向けて分かれていった。もちろん高速道路の高架下に隠れてのことだったが、第3ポイントに向かう“青の6番”だけは隠れる高架がないため地面すれすれまで降下していった。

「無事に第2ポイントに着いたな。香貫の戦闘機として初めて相模川を渡った気分はどうだ?」第2ポイントで待機の旋回に入ったところで、長沢中佐が後ろに座る古川大尉に聞いた。

「最高ですよ! 隊長はどうです?」

「おれだって最高さ」長沢中佐はマスクの奥で笑った。そして続けた。「ところでAPY-2(星川AWACS、E-3のレーダー)は探知できたか?」

「いえ。厚木アプローチのレーダー波(厚木国の航空管制レーダー)が断続的に入る弱いシグナル以外何もありません。それに、いまAPY-2を探知するということは我々の攻撃タイミングが遅れたことになります。事前の計算に間違いがなければあと4分後です」

「そうだな」長沢中佐は頷いたが、そのことは長沢中佐も承知していた。ただ攻撃のタイミングに不安を覚えた長沢中佐は、自分以外の口からそのことを聞きたかったのである。

いずれにせよ、あと4分で答えが出る。雑念を捨てよう。長沢中佐はそう思った。




伊勢原駅北西約650メートル

井崎コロニー


制圧が完了して、航空機の運航に関係がない住民が自宅に帰された運航事務所は落ち着いていた。

管制卓では井崎美代が木下大尉に機器の説明や井崎コロニー周辺の地形と気象特性を説明する話し声と、井崎コロニーの各地点に散った空挺隊員が三好少尉に状況報告する短い無線のやり取りのほかは口を開く者はいなかった。

燃料タンクを空にした戦闘機が着陸するまであと40分。それまでは、この落ち着いた状態が続くだろう。だが、ここで気を緩めるわけにはいかんぞ! 清水大佐は、そう思ってテーブルに広げた井崎コロニーの地図を見ようと身をかがめたそのとき、突然1台の無線機から年老いた女性の声が響いた。

「もしもし、井崎さん出てくんろ…………もしもし、井崎さん出てくんろ……伊東さんところのじいさんが血まみれじゃ」

この無線にいち早く反応したのは、美代の兄であり医師の井崎淳一郎だった。父である井崎太一郎らが操縦するC-130に乗って伊勢原に点在するハウス・コロニーで巡回検診をしている淳一郎は、この無線の発信源が市米橋コロニーからだと思った。本当に市米橋コロニーからだとすると非常にまずい!

市米橋コロニーは、井崎コロニーの北約1キロにある一軒家の屋根裏コロニーだが、下に住む「ダイダラ」がいない空き家だった。家の手入れをする者がいない空き家は老朽化が激しい。隙間だらけの木造住宅は、今日のような強い風が吹くと屋根裏を風が吹き抜け、身長5ミリの「スクナビ」が飛ばされても不思議ではない。もし風に飛ばされたのであれば負傷者は一人だけではないかもしれない。

「こちら井崎コロニー。今の発信は市米橋コロニーですか?」淳一郎は、三好少尉ら香貫軍の空挺隊員が制止する前に無線のマイクを取って呼びかけた。

淳一郎に先を越された三好少尉ら空挺隊員は、淳一郎の手からマイクを荒々しく奪い取ると二人の空挺隊員が両脇から淳一郎の身体を押さえこんだ。

「離せ! 急患なんだ」淳一郎は叫びながら空挺隊員の腕を振りほどこうとした。だが鍛えぬかれた空挺隊員はびくともしなかった。

「先生か? 先生! 先生! 市米橋の伊東だ! 先生に教わったとおりに止血をしているが、すごい血だ! うちのじっちゃんが危ない。助けてくれ先生!」

無線機から、今度は男の叫び声が響いた。

「俺は医師の仕事をしたいだけなんだ! マイクを返してくれ! あんたらのことは喋らない」淳一郎は再び叫んだ。

予想外の事態に一瞬戸惑った清水大佐は、気を取り直して淳一郎に近づいた。「いいでしょう。状況確認の無線通信は許可します」清水大佐は、そう言って淳一郎の身体を押さえていた空挺隊員と、黙ったまま清水大佐を睨みつける太一郎に向かって頷いた。

淳一郎が無線で確認した負傷者の容態は、無線を聞いていた誰もが病院に緊急搬送しなければならないと認識できるものだった。

「行かせてもらうぞ」太一郎は清水大佐に言った。

清水大佐は、井崎の航空機が伊勢原のハウス・コロニーで発生した急患を星川の救急病院に航空搬送していることを知っていた。ハウス・コロニーにすぎない井崎が伊勢原の救急医療に貢献していることに清水大佐は感銘も受けていた。それだけに、すぐにでも行かせなければならない。だが、そうすれば我々が井崎コロニーにいることが露見する。清水大佐は判断に迷った。

そんな清水大佐の背中を押したのは木下大尉だった。「あと30分もすれば燃料に余裕のない我々の戦闘機が着陸してきます。そうなると、さらに20分から30分離陸が遅れます。井崎のC-130を離陸させるなら今しかありません」美代は、木下大尉の言葉に驚いて木下大尉の横顔をまじまじと見つめた。

「何分あれば離陸できますか?」清水大佐は太一郎に尋ねた。

「15分」

「すぐに行ってください。だが、我々のことは一切しゃべらないことを約束してもらえますね」清水大佐は約束できないといわれても行かせるつもりだった。

「わかってるさ。しゃべらねぇよ。そのかわり、コロニーの者に手を出すんじゃねぇぞ」太一郎の弟であり今日の当番機長でもある井崎太祐はそう答えると、フライトに必要な物を詰め込んだ愛用のバックを手にとって今日の当番クルーに首を振って合図した。

「まってくれ!」清水大佐は、急いで運航事務所を出ようとした太祐らC-130のクルーと淳一郎を制止した。

「急いで航空機に向かうコロニーの人間を、うちの者が見つけたらトラブルになるかもしれん。三好君、急患輸送でC-130が緊急発進すると警戒班に伝えてくれ。念のため、航空機まで護衛も頼む」

三好少尉の指示に対する警戒班の応答が全てそろうと、彼らは運航事務所を飛び出し、C-130に向かって走り出した。

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