その34
伊勢原駅北西約650メートル
井崎コロニー
運航事務所の管制室は、暗い外がよく見えるように赤く暗い照明だけが灯されていた。
この薄暗い管制室に、井崎コロニーの運航関係者や整備関係者が集まってきた。
「来たわ!」井崎美代は双眼鏡で“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”が灯すランディング・ライトを視認するとトランシーバーを手に取った。
「見えている? もうすぐ着陸するわよ」トランシーバーの通話相手は、滑走路脇で待機する消防車に乗った救難班長だった。「見えている。こちらは待機完了」
「了解」美代はトランシーバーを置くと再び双眼鏡を手に取りながら「やっぱり管制塔の整備を急がないとね。お父さん」と言った。
「金ができたらな」井崎太一郎は、そう答えたものの一度に多くの航空機をさばくには管制塔の整備を急がなければならないと考えていた。だが、今はそれどころではない。“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”を安全に着陸させなければならない。
そうしている間にも着陸進入する“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”はグングン近づき、ついにコロニーに入ってきた。
太一郎は、車輪が全て降りているかだろうか、外観に異常がないかと必死に双眼鏡で確認した……暗くて全てが確認できたわけではないが問題はなさそうだ。
出力を絞ったソロヴィヨーフ・エンジン音に混じって、タイヤが滑走路に接地する悲鳴が管制室にとどいた。続いて逆噴射のゴーーという音と伴に、自らのランディング・ライトによって淡く照らし出された“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”のスピードはみるみる落ちていった。
ここまでスピードが落ちれば大丈夫。無事に着陸できてよかった。太一郎ら井崎コロニーの人々は、安堵のため息を漏らすと顔を見合わせて笑った。
「バリバリ…がとう。無事に着陸できた。みなさんの邪魔にならない場所でエンジンを止めたいんだ。どこに行けばいいかな?」“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”に乗る北村中尉の声が、無線機に接続されたスピーカーを通して管制室に響いた。
「ランウェイ・エンドで左のタクシーウェイに入ってください。その先に待機している消防車が運航事務所前のエプロンまで先導します」美代はそう言うと再びトランシーバーを取って消防車に乗る救難班長に“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”を運航事務所前まで誘導するように指示を出した。
“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”のコックピットでは、北村中尉が自分の手柄だというように「井崎のほうから運航事務所前のエプロンまで案内してくれるそうですよ」と胸を張った。作戦計画では、空港の中枢である運航事務所を素早く制圧できるように、その近くに航空機を停止させることになっていた。もし、井崎が運航事務所から離れた場所に航空機を停止させるよう指示されたら、運航事務所前に止められるように要請するはずだった。だが、その必要はなくなった。余分な手間が省けたのは自分のおかげだと北村中尉は言うのである。
人を騙した成果をはしゃいで誇示するなんてKGBらしいな。機長はそう思いながら先導する消防車の後を追って“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”を進めた。
太一郎ら井崎の関係者は、“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”を出迎えようと運航事務所を出て、目の前のエプロンで待っていた。その中の一人、停止位置の合図を送る役割の整備員が、黄色く光るライトスティックを大きく振った。
先導する消防車が整備員の横を通り過ぎ、後に続く“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”が運航事務所前のエプロンに入ってきた。そしてライトスティックの合図にしたがって止まった。
整備方法や設備使用料などは会社の整備担当者や財務担当者と話すとして、さあ、乗員にはゆっくり休んでもらおう。太一郎はそう思いながら“ヤツ・カーゴ・スケジュール0405”に近づいていくと、後部ランプと前方の人員乗降用ドアが開いた。
ここから先の出来事は、太一郎ら井崎コロニーの人々にとって予想外の事ばかりだった。
突然、後部ランプから3台のUAZ-469軍用4輪駆動車が出てくるとスピードを上げてエプロンを出て行った。さらに迷彩服の下に青縞のシャツを着た第331親衛パラシュート降下連隊第1大隊第1中隊第1小隊の空挺隊員が続々と機内から飛び出してきた。
「なんだ?乗員は4名と聞いていたが。何が起きたんだ?」太一郎らは、どうなっているのかわからずぼう然と立ちつくした。気が付くと、空挺隊員に囲まれていた。空挺隊員はAKS-74U自動小銃を構え、銃口は太一郎らに向けられていた。
「何をしている 貴様らはいったい誰だ!」太一郎は理解できない事態に怒りを爆発させ、目の前の空挺隊員に歩み寄ろうとした。
「動くな!」空挺隊員の怒鳴り声と同時に複数の銃口が太一郎に向けられた。
そこに空挺隊員とは違う迷彩服を着た清水大佐が現れた。「お騒がせして申し訳ない」
「お前たちは誰だ! 緊急着陸じゃあないのか?」太一郎は、清水大佐に向けて怒鳴った。
「緊急着陸ではありません。この空港を数時間お借りするために来ました。お貸し頂けますか?」
「人にお願いするなら名前くらい名乗ったらどうだ」太一郎は、怒りと不安に支配されながらも毅然として言った。
「これは失礼した。私は、香貫公国ミサイルロケット軍の清水大佐です。ここに派遣された部隊の指揮官を務めています」清水大佐は握手を求めようと右手を出しかけたが太一郎の表情を見てやめた。
「ここを使って何がしたい? 要求は何だ?」
「ここに着陸してくる我が国の航空機に対する燃料補給。及び航空機に不具合が発生した場合の整備器材の借用です。協力頂けますか」
「銃を突きつけておきながら協力もくそもあるか!」太一郎は首を振りながら言った。
「三好少尉、銃を下げさせてくれ」清水大佐の命令は直ちに実行された。
「これでよろしいですか? まずは、ここの責任者にお会いしたいのですが、どちらにいらっしゃいますか?」清水大佐の話し方はあくまでも丁寧だった。
「私だ。井崎太一郎。コロニー全体の運営を任されている」
「あなたが井崎太一郎さんですか。それなら話が早い。我々の指示に従っていただく限り、あなたたちとコロニーの安全は、永野公の名にかけて保障します。それでは皆さん、建物の中に移動してください」
太一郎らは、空挺隊員たちに促されて運航事務所に向かった。
運航事務所では、美代が腰に手を当てて怒っていた。「エマージェンシーはウソだったのね! あなたたちを助けようとした私たちはいったいなんだったの! あなた管制官だと言ったわね。これがどんなことだか分かっているでしょ!」
美代の、あまりの剣幕に香貫軍最強の空挺隊員もタジタジだった。彼らは、どう対処してよいか分からず、運航事務所に入った香貫軍の最先任者である木下大尉の顔を見つめた。
こうして作戦の詳細も知らない航空管制官の木下大尉が美代の攻撃の矢面に立たされた。
「あなたたちを騙したことについては謝ります。申し訳ない」木下大尉は何度も頭を下げたが美代の怒りは収まらない。
まいったな。確かにこの部屋で階級が最も高いのは私だが、航空機の管制以外に何の権限も持っていないし、こんなときの訓練を受けたこともない。木下大尉がそう思っていると太一郎や清水大佐らが運航事務所に入ってきた。
助かった! 木下大尉はそう思った。
太一郎は運航事務所に入るなり状況を察した。「美代、気持ちは分かるが、こいつらの要求に従おう。我々の身の安全と設備の保全が第一だ。それに銃を持った相手に対抗する手段がない」
美代は一瞬考えた。そうね。彼らは暴力で私たちを従わせることもできたはずなのに銃口を向けるだけで一切暴力を受けなかった。お父さんも大丈夫そうだし。美代は父の言葉に従って矛を収めた。
運航事務所は突然静かになった。この静けさを破ったのは木下大尉だった。
「無線機器はここですね。進入方向指示灯のスイッチはどれですか?」木下大尉は、美代に尋ねた。
「あなたも管制官なんでしょ! 見れば分かるじゃない……いいわ。一通り教えてあげる」と言って説明を始めた。
二人のやり取りを見ていた太一郎は、横に立つ清水大佐をにらんで言った。「あんたたちの要求には応じているんだ。コロニーの安全は保障するんだろうな」
「先に申し上げたとおり、あなたたちとコロニーの安全は保障します」清水大佐が答えていると、片手にコロニーの地図を持った三好少尉が運航事務所に入ってきた。
「大佐、全ての制圧を完了しました」
「そうか。ありがとう」清水大佐は、敬礼する三好少尉に敬礼を返すと木下大尉の肩をたたいて言った。「木下大尉、ゼロ・ゼロで送信を頼む。準備はいいか?」
木下大尉は、「準備できています」と言って無線機のマイクを握った。「井崎レディオ ブロードキャスティング ゼロ・ゼロ・ワン・トゥ・トゥリー・フォア・ファイフ ファイフ・フォア・トゥリー・トゥ・ワン・ゼロ・ゼロ アウト」木下大尉は無線のチェックに偽装した暗号を3回繰り返した。
井崎コロニーの制圧状況を攻撃に向かう航空機に知らせる暗号は、無線チェック用語の前後につける数字で三種類あった。
“ゼロ・ゼロ”は、着陸や燃料補給を含めて問題なし。“ワン・ワン”は、着陸は可能だが後方支援に制約あり。“ファイブ・ファイフ”は、着陸不可能の三種類である。
清水大佐は制圧状況を着陸、燃料補給を含めて問題ないと判断した。
“魔女の食事”作戦の第1段階が完了した。




