その3
小出川 香川駅南西約1.5キロメートル
星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)原子力航空母艦<カール・ビンソン>(CVN-70)
CVIC(空母情報センター)にCSG3の主要幹部が集まっていた。
CSG3副司令、岡部准将がTEL(弾道ミサイル輸送起立発射機)の写真を手にとった。「横山! 核ミサイルに間違いないのか?」
「これだけのデータが揃っているんです。間違えようがありません……問題は核弾頭がどこにあるのかということです」
「核弾頭はどこにいったのだ? そもそも何で核弾頭を外すんだ」<カール・ビンソン>艦長・大辻大佐が電話を取りながら疑問を口にした。
「撃つ前に、目標とするコロニーの大きさに合わせて弾頭の大きさを変えるんですよ。そうしないとダイダラに被害が及びますからね。ダイダラのICBMとは運用方法がまったく違います。香貫は、何でこんな使い勝手の悪い兵器を使うんですかね。それはそれとして、WESTCOMのJ-2部(西方軍司令部情報幕僚部)は、ここに核弾頭が搬入された証拠を握っているようです。詳しくは教えてくれませんでしたが……私は南側の部屋に搬入されたと思います。南側の部屋には2本のスロープが通っています。1本は建設中ですが、勾配の急なもう1本のスロープには多くの車両が通行した跡があります。核弾頭はここですね!」横山少佐は写真の右端に写った南側の部屋を指で叩いた。
「核を確実に除去するには核を奪わねばならない……いずれにしろ我々にできることは限られている。支援攻撃と航空偵察くらいだな。CAG、ほかにできることはあるか?」
「大将を呼んでもかまいませんか?」
「大将? ……誰だ?」
「シールズ分遣隊長(SEALs:星川海軍特殊戦部隊)の島崎大尉です」
加藤中佐と島崎大尉の出会いは6年前であった。VF-2(第2戦闘飛行隊)飛行隊長に昇進した加藤中佐のもとに、島崎少尉が新任の航空機整備士官として着任した。島崎少尉は着任の申告で、翌月に実施されるシールズの入隊試験を受けると言った。
加藤中佐は、なぜ転属が決まる前に報告しないんだ。よりにもよって転属先の指揮官に始めて会うその場で報告するとは! と思ったが本人の希望ということもあり加藤中佐は島崎少尉を励まして送り出した。
……だが2か月後、島崎少尉は戻ってきた。
シールズの選抜試験となっている基礎訓練課程の4週目に「ヘル・ウイーク(地獄週間)」と呼ばれる訓練が実施される。訓練生を体力と精神の限界まで追い込んで、極限での人間性を判断する訓練である。
島崎少尉は、この訓練で適正なしと判断された。訓練仲間が脱落しそうになっても手を貸さず、自分だけは合格するぞといった彼の性格が見抜かれた結果であった。
シールズの教官は彼が適正なしと判断された理由を説明したが、彼は聴く耳を持たなかった。能力の劣るやつらに足を引っ張られただけだ。4か月後に開始される次の基礎訓練課程まではVF-2でトレーニングしよう。彼はそう考えた。
VF-2にとって島崎少尉は迷惑な存在となった。業務や部下に興味を示さずトレーニングに明け暮れる彼を信頼する者は誰もいなかった。加藤中佐は何度も注意したが効き目はなかった。
1か月しても注意を聞き入れなければ転任させよう。任期満了前に転任させると彼の経歴に傷が付くかもしれないが、しょうがない。そんな時、加藤中佐のもとに島崎少尉が報告に訪れた。
「先月の航空機可動率を報告します」
「63パーセントか! 整備班も頑張ったからな」
「この数字で頑張っているのですか?」
「F-14の平均可動率より5パーセントも高い」
「隊長もあまいですね」
「島崎、航空機を飛ばすために整備員がどれだけ苦労しているか知っているのか? それに、部品供給の遅れや整備作業を考慮していない機体設計などは整備員の責任ではないぞ!」怒りを爆発させた加藤中佐は深呼吸して怒りを静めた。「毎日徹夜で作業している整備員を見ているだろ。それでも整備員が怠けていると思っているのか?」
「怠けているとは思いませんが、整備員の努力については改善する余地があると思います」
「そんなに言うなら、今日から毎日0200時から0230時の間、整備作業をしている整備員を観察しろ。これは指揮官から島崎少尉に対する命令だ! わかったか!」
「そんな無駄なことをする理由を教えてください!」
「理由? そんなものは自分で考えろ! ただ一つだけ言える事がある。いまの君では、シールズはいらないというだろう。それどころか海軍にもいらない。」
自分の能力を過信していた島崎少尉はショックを受けた。加藤中佐は情に厚い指揮官だと聞いていたのに、その加藤中佐からも要らないと言われた。俺の何が悪いんだ?
「確かに君は優秀だよ。だが大事な事を忘れている。それが何なのかは自分で考えろ。わからなければ海軍から叩き出す。わかったか!」
返事をしたものの島崎少尉には分けがわからなかった。俺の何が悪いんだ? 再度自分に問いかけた。
「とにかく毎日毎日夜中に作業している整備員の顔を見続けることだ。君なら必ずわかってくれると思う」
それ以来、島崎少尉は夜間の整備作業を見に行くことが日課となった。
夜間のフライト・オペレーションが終了してジェットエンジンの轟音がなくなった格納庫は、空母のエンジン音と発電機を回す低い音だけが聞こえる。つかの間の静寂が訪れた時間でも、明日のフライトに備えた整備員に休む時間はない。配管の奥にある部品を効率よく交換するコツを後輩に教えながら作業する先輩整備員。そのコツを必死で習得しようとする後輩整備員。どんなに小さな亀裂でも見逃さないぞ! と、目を皿のようにして機体の目視点検をする整備員
島崎少尉は考えた。優秀か優秀じゃないかが問題ではないんだ。一人一人が自分の役割を確実にこなす。そしてお互いを信頼する。結果的にチーム全体の力が高まる。これまでの島崎少尉では考えもしないことだった。
整備員も初めのころは「シールズに行きたいだけの野郎が、こんな夜中に何の用だ!」と思って敬礼する以外は無視していた。しかし島崎少尉は毎日毎日0200時にやってきた。我々が怠けないように監視しているのか? 最初はそう思っていた整備員も、どうやら違うようだと感じはじめた。
ある日、島崎少尉がいつものように整備員を見ていると若い整備員が話しかけてきた。「毎日大変ですね! 少尉!」
「あ あぁ! 毎日勉強させてもらっているよ。 遅くまでご苦労さん」島崎少尉は自分が驚くほど自然に相手を気遣う言葉を口にした。それに部下から声をかけられたのは今回が始めてであった。
若い整備員は機体の奥に頭を突っ込んで作業していたらしく髪の毛まで油まみれになっていた。油で汚れた作業服の名札には“小野崎”と書いてあった。名札を見つめる島崎少尉に気が付いた小野崎上等航空兵は自己紹介した「小野崎上等航空兵であります。少尉」
「小野崎君か! あの機体はよく故障するな」
「そうなんです。新型のF-14Dならこれほど苦労しないと聞いているのですが……明日のフライトまでには飛べるようにします」小野崎上等航空兵は敬礼してその場を立ち去った。
島崎少尉と部下の整備員は徐々に打ち解けていった。だが、島崎少尉がシールズ基礎訓練課程に再挑戦する前日に事故が発生した。
その日、島崎少尉とVF-2の整備員は、2機のF-14Aを発艦させるためにフライト・デッキ左後方にある第4エレベータ上で作業していた。第4エレベータのすぐ横は着艦エリアとなっていて、5本のワイヤーが着艦エリアを横切るように張られていた。
このワイヤーは“アレスティング・ワイヤー”と呼ばれている。航空機の後部下面に装備されたフックがアレスティング・ワイヤーを引っ掛けることによって急停止される。短い空母の着艦エリアでも航空機が安全に停止できるのは、このシステムのおかげである。
そのアレスティング・ワイヤーの横でVF-2の整備員がF-14Aの飛行前点検をしていると、重攻撃機A-6Eが着艦してきた。そのA-6Eがアレスティング・ワイヤーを引っ掛けたその瞬間、アレスティング・ワイヤーが切れてしまった。
直径約0.1ミリメートルのアレスティング・ワイヤーは獲物に跳びかかる蛇のように身をくねらせて島崎少尉とVF-2の整備員に迫った。まともに当たれば体が真っ二つになってしまう。第4エレベータ上にいた整備員や甲板員は一瞬凍りついたが、それぞれの方向に逃げだした。そんな中、一人の整備員が恐怖に凍り付いて動けなかった。それは小野崎上等航空兵であった。
あぶない!
島崎少尉は反射的に走り出して小野崎上等航空兵に飛びついた。二人は滑り止めコーティングされたデコボコのフライト・デッキに転がった。小野崎上等航空兵を守るように覆いかぶさった島崎少尉の右足にアレスティング・ワイヤーがぶち当たった。
島崎少尉は飛ばされて意識を失った。
……島崎少尉は意識を回復した。そこは空母艦内の病室だった。「そうか。俺は飛ばされたんだ……」起き上がろうとしたところで衛生兵に止められた。
「少尉! 安静にしてください。あなたは右足を骨折しています。」
「骨折! 俺には行かなければならない所がある。ここを出してくれ!」
「まだ骨折部分の腫れが引いていません。ギプスをつけるまで動くことはできません」
俺は骨折したのか! そうか! ……これではシールズの基礎訓練は無理だな! 島崎少尉は何が何でも行きたかったシールズの夢が絶たれたはずなのに不思議と悔しさはこみ上げてこなかった。それよりも小野崎は無事だったのか?
「他のけが人は?」島崎少尉は、衛生兵に聞いた。
「整備員が1名負傷しましたが軽い擦り傷だけだったので、もう復帰しました。あなただけです。」
そうか! 小野崎は無事だったのか。よかった。
しばらくすると、病室に小野崎上等航空兵が入ってきた。「少尉! 意識が回復されたのですね!」
「あぁ 大丈夫だ。小野崎は大丈夫か?」
「私は擦り剥いただけです……私のせいで少尉に怪我させてしまい……すみません」小野崎上等航空兵の目には涙がにじんでいた。
島崎少尉は思った。今の自分は大事な部下、大事な仲間を守れたことに誇りを感じている。今までシールズにこだわり、周りの人間を無能だと思って相手にしてこなかった自分がちっぽけに思える……これか! 隊長が言っていた大事なものって。人を思いやる気持ちというか何というか、うまく表現できないけれど……この気持ちだったんだ!
「私のせいでシールズに行けなくなりました。チーフが言ってました。少尉! 私なんかのために……」
士官の場合、シールズ基礎訓練課程の再挑戦は1回だけ許されている。ただし前回の訓練から半年以内という制限があった。骨折しては訓練に参加できない。島崎少尉の夢は絶たれた。
「小野崎! 気にするな。それより、俺が整備士官としてVF-2に残ってもいいか?」
「それは俺が許さん!」加藤中佐が病室に入ってきた。加藤中佐は、抗議しようと立ちかけた小野崎上等航空兵を制して1枚の紙を島崎少尉に渡した。その紙は海軍特殊戦コマンドからの通知であった。
BT
0708021545I
RESTRICTED(秘)
FM:COMMANDER NAVSPECWARCOM(発:星川海軍特殊戦コマンド司令官)
TO:COMSIXTHFLT(宛:第6艦隊司令官)
INFO:COMCAR AIRWING TWO、COMMANDER FIGHTER SQUADRON TWO(通報:第2空母航空団司令、第2戦闘飛行隊長)
通知第0708015号
SUBJ:訓練の許可(通知)//NO05531//
以下の者が訓練可能となった段階で基礎水中爆破訓練基礎訓練課程での訓練を許可する。
VF-2 海軍少尉 島崎 優一
BT
「ずいぶん弱気になったな。大将! お前らしくないぞ」
「隊長。これは……ありがとうございます」
「お前が自分で勝ち取ったものだ。」
加藤中佐は持てるコネをフル動員して島崎少尉の再挑戦を特殊戦コマンドに迫った。最初は特例を認めなかった特殊戦コマンドであったが、身を挺して部下の命を救った結果の負傷だという加藤中佐の説得により、島崎少尉の再挑戦を認めさせたのである。
「よかったっすね。少尉!」小野崎上等航空兵は自分のことのように喜んだ。
4か月後、“大将”島崎少尉はVF-2総員の見送りを受けて基礎訓練課程に向かった。
「シールズに核を奪わせるつもりか?」
「シールズでも、たった8名では無理です。シールズには、この基地を監視してもらおうと思います。問題はどこで監視するかです」
岡部准将は指揮下兵力の配置を確認した。「香貫も監視を強化するはずだ。航空機で監視場所まで送るのは危険だな。<カメハメハ>でシールズを送らせよう。問題はその先ということか」
攻撃型原子力潜水艦<カメハメハ>SSN-642はポセイドン型弾道ミサイル潜水艦として建造されたが、新型の「オハイオ」級弾道ミサイル潜水艦の増勢に伴ってシールズの作戦を支援するためのDDS(ドライ・デッキ・シェルター:シールズ隊員が艦の出入りに利用するエアロックとシールズ輸送用潜水艇の格納庫)を設置してシールズ支援潜水艦となった。
前方展開するCSG(空母打撃群)には突発事態に対応できるようにシールズ分遣隊と彼らを輸送する潜水艦が派遣されている。CSG3には退役寸前の<カメハメハ>が派遣されていた。
「はい。<カメハメハ>で香貫の基地近くに上陸することは問題ないと思います。問題は、そこから監視に適した場所まで移動して、見通しがきくように建物か木に登らなければならないことです。ちょっと、きついかな」
「お呼びですか? 加藤さん!」島崎大尉がCVICに入ってきた。
「大将。出番だぞ!」
「香貫のミサイル基地ですか?」
「察しがいいな。基地の監視をしてほしい。だが監視場所を設置するまでが大変だぞ。できるか?」加藤中佐は距離スケールが記載された航空写真を島崎大尉に手渡した。「この建物の2階部分にある滑走路を監視してほしい。現場までは<カメハメハ>で送る」
島崎大尉は受け取った写真と補足資料を鋭い目つきで見つめた。「監視するには、建物の北側と南側に監視所を作る必要がありますね、場所は、この木と、この木がよさそうです。ただ、2階部分を監視するには5メートルくらい木を登らなければなりません。それでも4時間くらいで登れます。ただ、香貫に発見されないように夜間に移動するしかありません。ですが……いけますよ。やります」
「ダイダラ」人なら5分で行ける場所でも、身長5ミリメートルの「スクナビ」人にとっては困難な道のりである。「スクナビ」にとって20メートルは7キロメートルとなり、5メートルの高さは1.8キロメートルとなる。身体が小さくなることで体重も軽くなり負担は軽減されているとはいえ、富士山五合目から山頂まで垂直に登るようなものである。
「期間はどのくらいになりそうですか?」
「約2週間。これ以上ならば交代要員を送る」
「他に聞いておきたいことはあるか?」岡部准将が島崎大尉の意思を確認した。
「ありません。副司令!」
「すぐに移動の準備にかかってくれ。注意を怠るなよ」岡部准将は島崎大尉に出撃を命じた。
3 準備
狩野川 沼津駅東約1.8キロメートル
香貫公国軍 S15基地
香貫公国香貫山首都コロニー
イリューシンIl-76M “山鳥-574”はS15基地に着陸した。
S15基地は永野公の宮殿や政府機関が集中する沼津特別市城塞地区に隣接している。戦略ロケット軍のほか、首都防空軍の司令部が所在する大規模な基地である。
“山鳥-574”は大規模航空基地にありがちな長い誘導路を走行して駐機場に向かった。
駐機場でエンジンを停止すると翼の横に2台の車両がやってきた。一台は堀内少将と前基地司令官を戦略ロケット軍司令部に送るため、もう一台は高井大佐を最高参謀本部に送るためである。
“山鳥-574”のタラップが降ろされると、高井大佐は堀内少将に対する敬礼もそこそこに迎えの車両に乗って最高参謀本部に向かっていった。
苦笑いをして高井大佐を見送った堀内少将と前基地司令官も車に向かって歩き出した。車両の後部ドアを開けて敬礼している伍長に答礼した堀内少将は車内に乗り込むため腰を屈めた。だが給油のためにS33基地に立ち寄った以外は5時間近くも機内で座り続けていた体が悲鳴を上げた。
苦痛に顔を歪めながら後部シートに座り込んだ堀内少将であったが、娘と妻が待つ基地に帰ってきたことだけでうれしかった。まさか今日、戻ってこられるとは思ってもいなかった。R38基地に戻る前に一目でいい、娘と妻の顔が見たい。今日会えなければ二度と会えないだろう。堀内少将は不吉な予感がした。
「司令官がお待ちです」車を発進させた伍長が言った。その言葉に家族への思いを断ち切られた堀内少将は「わかった」とだけ答えた。
堀内少将は弱気になった自分を叱った。これからも娘と妻に会いたければ攻めてくるであろう星川や酒匂を撃退すればよいのだ。そのためには援軍が必要だ。しかも早急に! だが誰に話を持っていく? 本国に戻る機内で考え続けたことはそれだった。
R38基地は編成上、最高参謀総長直属の基地だ。指揮系統に従えば最高参謀本部作戦局長に援軍の話を持っていくべきであろう。しかし堀内少将はこの考えを捨てた。R38基地の状況を考えれば、すぐにでも増援が必要なことくらい誰でもわかっている。当然最高参謀本部も増援を計画しているが、その動きは鈍い。
動きが鈍くなる原因は責任問題にある。極秘のR38基地が星川と酒匂に知られてしまった。しかも核ミサイルがあることまで知られているだろう。
この失態の責任を誰がとらされるのか? 下手に増援を急げと言い出せば、言い出した者に責任が押し付けられる。最高参謀本部の参謀達は動きたくても動けない。今回の失態に少しでも責任がある軍上層部の誰かが「増援を急げ!」と言い出すのを待っているはずだ。
堀内少将は、その「言い出しっぺ」役を戦略ロケット軍司令官・成増上級大将に頼もうと考えた。戦略ロケット軍としては、そうせざるを得ない状況にあるからである。
香貫は陸軍、海軍、空軍そして戦略ロケット軍の4軍種を保有している。この4つの軍種の中で最も新しく、そして最も小規模なのが戦略ロケット軍である。戦略ロケット軍はエリート部隊と言われるが海軍や空軍からは二流の軍と見なされていた。それでも敵をたたきのめす即応性を持っていれば、海軍や空軍も頼りにしたかもしれない。
だが、ミサイルを発射位置に展開するためには海軍と空軍の力を借りる必要があり即応性もへったくれもない。こんなことだから歴代の戦略ロケット軍司令官は陸軍や空軍からやってくるのだ。戦略ロケット軍の将校が司令官になったのは成増上級大将が初めてだ。このような現状を打破する絶好の機会が「死のトライアングル」構想だった。
R38基地を中心に3つの衛星基地を作り、互いの基地を連携させて鉄壁の防御態勢を整えた東京方面への侵攻拠点。そのR38基地には射程圏内に星川と酒匂の主要コロニーを射程におさめた核ロケットを配置して星川と酒匂ににらみをきかす。戦略ロケット軍の存在意義をかけた構想である。
しかも、構想の最終段階では伊勢原方面に新たな軍の行政機関となる伊勢原軍管区が新設され、R38基地司令官が兼任することになっている。戦略ロケット軍が総力をあげて獲得したR38基地司令官のポストから、軍管区司令官への道が開かれているのである。
「ようやく他の軍に肩を並べることができる」成増上級大将がそう考えた矢先に今回の事態が発生した。事態を憂慮した成増上級大将が新たに任命した基地司令官。それが堀内少将であった。
「何しに戻ってきた?」今回の事態を永野公に報告した成増上級大将は、堀内少将が戻ってくると聞いて司令部で待っていた。
堀内少将は成増上級大将の前で立ち止まり答えた。「増援を求めに」
「そんなことはわかっている」椅子の背もたれに身をあずけ、天井を見つめた成増上級大将が言った。
「一刻の猶予もありません。星川はすぐにでも攻めてきます」
「そんな事、お前に言われんでもわかっている。だから私自身が永野公に報告してきたのだ。陸軍は1週間以内に部隊を派遣すると約束した。永野公の前でな」
「ありがとうございます」
「礼は星川を追っ払ってから言え」
「高射ミサイル部隊も不足しています。最低でも1個中隊必要です」
「どれだけ与えれば気が済むのだ! 1個大隊を与えるのだぞ!」成増上級大将は堀内少将を睨んだ。
「空軍が防空任務を果たしてくれるのであれば必要ありません」
「空軍は、よりにもよって“魔女飛行隊”をA57基地に派遣すると言っている。しかもたった6機だ。女の部隊が6機あっても何の役にもたたん」
魔女飛行隊とは、司令から末端の兵士に至るまで女性のみで構成された第586戦闘機連隊のことである。スホーイ27を28機運用し、第1大隊を白バラ隊、第2大隊を白ユリ隊と呼ばれている。固有の防衛担当区域を持たず、機動的に運用される部隊に指定されている。
「やる気のない防空軍のパイロットに比べたら、よっぽどましです」死のトライアングルと香貫本国を結ぶ中間地点の補給基地、A57基地の建設は遅れている。ミグ31を12機運用するだけで精一杯の基地に、たったの6機といえども増えてくれればありがたい。
それに魔女飛行隊の実績を見れば頼りになるのは明らかだ。堀内少将はそう思ったが、まだまだ足りないものがある。「こちらが至急必要な装備品のリストです」と言ってリストを成増上級大将に差し出した。
「この私にずけずけと要求ばかりするのはお前だけだ! こんなものは参謀長にでも渡せ。私が怒り出す前に部屋を出て行け!」
「はい!」堀内少将は回れ右をしてドアに向かった。
堀内少将の背中に一瞥をくれた成増上級大将は、椅子を回転させて窓の外の夜景を眺めながら言った。「頼んだぞ。堀内!」
堀内少将は振り返らずに「はい!」とだけ答えて部屋を出た。それでも堀内少将の覚悟は成増上級大将に伝わった。
狩野川 沼津駅東約1.8キロメートル
香貫公国 沼津特別市城塞地区
香貫公国香貫山首都コロニー
「もっと飛ばせ!」乗り込んだ車両の後席から高井大佐が叫んだ。
何としてでも今日中に政治部長にお会いしなければならない。この危機を説明して、別の政治将校をR38基地に送り込まなければならない。そう、私は政治部長側近の一人だ。政治部長も危険な基地に戻れとは言わないはずだ。たぶん。だが、この淡い期待も政治部長に会えなければ露と消えてしまう。「もっと飛ばせ!」
面会のアポを取るために政治部長秘書官に連絡を取った高井大佐は、政治部長が公邸に戻ったことを知った。
行き先変更だ。「行き先を政治部長公邸に変更しろ!」高井大佐が叫んだ。
日中は車の渋滞が激しい香貫山首都コロニーでも、夜間は極端に車の交通量が少なくなる。自家用車を持てるのは党の幹部か国営企業の経営者くらいなものだ。このため仕事が終了した夜間は極端に車の交通量が減るのである。
ガランとした夜の大通りを高井大佐が乗った車両が猛スピードで突っ走る。パトロール中の民警も相手が軍高官の車両とわかれば手出しできない。
こうして高井大佐を乗せた車両が政治部長公邸に到着した。政治部長公邸は、軍高官の専用居住区域のなかでもひときわ大きい。道路からは建物が見えないほど広大な敷地を持つ。
高井大佐が玄関前で車を降りると、公邸の中から秘書官が出てきた。「大佐、部長にはお会いできません。このまま、お帰りください」秘書官は、たった今降りた車両の後部ドアを開けて帰るように促した。
「なんだと! さっきアポを取ったじゃないか!」
「お会いできないと言う前に電話を切ったのは、あなたです」秘書官は冷たい目で言った。
「部長に会わねばならん用件があるのだ!」高井大佐はあせった。
その時、一人の大佐がやってきて高井大佐に声をかけた。「高井さん」高井大佐の1期後輩である元島大佐である。
「おぉ! 元島か! 秘書官が部長に会わせてくれないんだ」高井大佐は元島大佐に駆け寄った。だが、元島大佐は高井大佐を避けるように後退った。
「残念ですが部長は予定が詰まっております。時間が取れません」
「5分でいいんだ! 取り次いでくれ!」
「ですから無理だと言っているのです」
「部長が空くまで待っているから。頼む!」
「高井さんもしつこいですね! 無理なんですよ!」
高井大佐は元島大佐を押しのけて公邸の中に入ろうとした。そこに、この騒ぎに気付いた政治部長が玄関口に現れた。
「騒がしいぞ。何事だ」
「あっ! 部長! 私です! お話があります!」
「高井か。君に話などない。帰りなさい」
「R38基地が危ないのです!」
「R38基地には1週間以内に増援部隊が派遣されることになっておる。問題はない」
「私の交代要員は」
「何を言っておる!」
「ですが、ですが、部長の命令を忠実に実行できるのは私だけだと部長はおっしゃいました。私はここに必要です!」
「くどい! お前も軍人なら軍人らしく戦え! 元島! こいつを叩き出せ!」そう言って政治部長は姿を消した。
政治部長公邸の玄関には高井大佐、元島大佐と秘書官だけが残った。
高井大佐はぼう然と立ち尽くした。その高井大佐に元島大佐は言った。
「高井さん。お分かりになられましたか? さあ! お帰りください」
「なぜだ? お前も部長の心変わりを知っていたのか?」
「高井さんは何もわかっていない。はっきり言わせてもらいますが、高井さんは行く先々でトラブルを起こしています。部長はその事をいつも苦々しく思っていたのです」
「それは部長の意向に沿ってやったことだ」
「私はもっとうまくやっていますよ。周りの反感を買ったり、むやみに淡島コロニーに送ったりはしません……だからR38基地に飛ばされるのです」
「部長はミサイルの発射態勢を早く整えれば昇任も早まると言われたのだぞ」
「次の少将昇任は私です。すでに内定しています」口元に笑みをたたえた元島大佐が言った。
「なんだと!」
「もう、お分かりになられたでしょう。R38基地に戻ってください。ここに高井さんの居場所はありません」元島大佐は先輩に対する遠慮もかなぐり捨てて、勝ち誇ったように満面の笑みで言った。
高井大佐はショックだった。あれだけ尽くした部長に捨てられ、後輩に先を越され、秘書官にさげすまれ、こんな情けない気持ちになったのは初めてであった。私はR38基地で朽ちるのか……あまりにも非情だ。今までしてきたことは何だったのだろう。ショックと死への恐怖で立っているのがやっとの高井大佐は、最後の力を振り絞って車に乗り込んだ。
行くあてもない高井大佐はS15基地に向かった。
酒匂川 鴨宮駅南西約0.8キロメートル
酒匂王国連邦 酒匂王国連邦軍合同参謀本部庁舎地下1階
酒匂王国連邦鴨宮首都コロニー
「……以上で王子が偵察された結果の報告を終わります」説明を終えた北川少尉は会議参加者の顔を見渡して言った。「質問はございますか?」
合同参謀本部地下1階の第3会議室には酒匂王国連邦軍制服組のトップである合同参謀本部議長のほか、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、空軍参謀総長、緊急展開部隊に指定されている陸軍第1空挺集団長、海軍第5航空戦隊司令、空軍第17独立飛行団司令、出雲少佐、そして彼らの幕僚が参会していた。
だが、深刻な面持ちの参会者からの質問はなかった。
香貫に扇動された暴動が熱海に続いて真鶴でも発生しようとしている。広く浸透した香貫の工作員が暴動を扇動し、体制に批判的な左翼勢力がこれに加担しているのである。酒匂軍はこれらの対応に追われていた。酒匂軍の兵力はこれらの地域に集中せざるを得ないため、核ミサイルの対応に回せる兵力はほとんどない。会議参加者の誰もが見えない突破口を探っていた。重苦しい沈黙が会議室を包んでいた。
沈黙を破ったのは合同参謀本部議長であり、酒匂3王の一人、吉野王であった。「隼人殿下、ご苦労でしたな……さて、どうしたもんかの」
「総理は航空機だけの攻撃をお許しになりませんか」と、空軍参謀総長
「総理は爆撃によって放射能が漏れることを危惧されておる……もし放射能漏れとなれば、核兵器を違法に配備した香貫よりも攻撃した我々が非難される。それだけは避けねばならん。これは総理だけでなく大王のお考えでもある」合同参謀本部議長・吉野王も同じ考えだったが、ではどうすればよいのだ。軍令の最高機関として政策の選択肢を政府に示さなければならない。
核弾頭を確実に処分するには持ち帰って解体処分するのが最善だ。このためには、ダイダラの建物2階にある敵基地に兵力を送り込まなければならない。だが、このような場所に投入できる陸軍第1空挺集団や海軍特別陸戦隊空挺大隊は真鶴方面に広く展開しているためすぐには投入できない。
しかしダイダラの建物2階とはよく考えたものだ。基地への接近手段はヘリコプターか輸送機しかなく、戦車や装甲車などの重火力を送り込めない。地上から2階に兵力を送る手段がないのである。まるで空中要塞のようだ。敵は空からの攻撃に備えるだけでよい。ならばどうする……
「星川との共同作戦なら可能です」空軍第17独立飛行団司令・三宅准将は会議参加者の誰もが考えていた星川との共同作戦を口にした。だが、相模川西岸の領有をめぐって対立する星川との共同作戦を言い出すことは勇気のいることだった。
空軍にも骨のあるやつがいるなと思った出雲男爵は言った。「敵の敵は味方ということじゃな。我々がやらんでも星川は勝手に攻撃するじゃろ。とはいえ我々も手をこまねいているわけにはいかん」出雲男爵は同意を得るように参加者の顔を見渡して続けた。「共同できれば星川の出方を気にする必要はなくなるじゃろし、星川との余計な争いを回避することができるじゃろ」
「共同作戦は帝国主義者の星川にもメリットがある。我々からの攻撃を気にしないで作戦ができる。星川は乗ってくると思うが……世論が心配だな」相次ぐ暴動によって酒匂国民の政府に対する不信が高まっている。この不信を背景に勢力を増しつつある強硬派が、敵対する星川と合同作戦すると知ったら民衆を扇動して大規模なデモを行うだろう。そうなっては酒匂が分裂してしまう。だが、何もせずに星川軍の攻撃を傍観すれば、酒匂の危機に何もできなかったとしてさらにひどい結果を招くであろう。
「星川との共同作戦はリスクが大きい」暴動の矢面に立つ陸軍参謀総長がつぶやいた。
「では、香貫の核を星川の手にゆだねて見ているだけですか! 何もしないわけにはいきません。星川と共同してでも危機に対応するほうが国民は納得すると考えます!」海軍第5航空戦隊司令が主張した。
星川と手を組まなければならない現状を受け入れなければならないと考え始めていた出雲男爵が言った。「5航戦司令の言うとおりじゃ。だが事態が落ち着くまで極秘に事を進めたほうがよいじゃろ」
「極秘に進めるとなると外交ルートは使えませんな……どうやって星川とコンタクトを取るかな?」
「私の大学の同級生が星川海軍におります。お許しいただければ私にその役をお与えください」この危機を乗り切るためには星川の手を借りなければならない。星川にはあいつがいる。あいつならうまくやってくれる。加藤なら。三宅准将はそう思った。
「その、君の同級生の准将は星川海軍のどこにおるのだ?」
「いえ、准将ではありません。中佐です……加藤中佐といいますが、加藤中佐は私と同じ戦闘機パイロットで、今は空母<カール・ビンソン>の航空団司令代理をしております」
「なに、中佐! こう言っては悪いが、たかが中佐であの巨大な星川軍を動かせるのか?」
「彼ならできると思います。王子があの基地で遭遇した星川海軍機は彼の指揮下の航空機です」三宅准将は確信していた。
だが、会議室に芽生えた期待は一気に萎みはじめた。
「……」再び第3会議室は沈痛な沈黙に覆われた。
意を決した北川少尉が立ち上がった。「発言をお許しいただけますか?」
下級将校がこのような場で発言を求めることはないし、通常であれば中佐以上の階級でなければ発言は許されないのが慣例であった。この少尉もそれくらいはわかっているはずだ。それでも発言を求めるからにはそれなりの理由があるのだろう。合同参謀本部議長は許可することにした。「許可する。意見があれば申してみよ」
「ありがとうございます。海軍情報部は次の闘いに備えて星川海軍の指揮官を調査していますが、加藤中佐は最も注意すべき指揮官の一人であります。いまだに中佐なのは、昇任に必要な海軍大学などへの入校ですとか中央勤務を拒否し続けて第一戦部隊勤務に固執したからです。
彼は海兵隊の武装偵察部隊でも勤務していたので海軍内部だけでなく海兵隊や特殊戦部隊とも通じています。彼は5機以上撃墜のエースです。4年前の平塚沖海戦で航空隊を率いた指揮官です。私は彼が軍内部で高い発言力を持っていると考えています」
「……」
北川少尉は居並ぶ軍の最高幹部の前で直立不動のまま固まっていた。
「北川少尉だったかな? よく教えてくれた。もう着席してもよいぞ」
「はっ! ありがとうございます」北川少尉は緊張のあまりカクカクとロボットのように動いて椅子に座った。
「平塚沖ではその男にしてやられたのじゃな。面白い男のようじゃ。なにもその……なんという名前じゃったかの?」出雲男爵は北川少尉の方に振り向いた「加藤中佐であります」
「そうじゃ。なにも加藤中佐に星川を説得してもらわんでも仲介してくれればよいのじゃ」
出雲少佐は緒方少尉、石川少尉と交信した時に感じた信頼感を思い出した。「手を組めない相手ではない気がします。F-14の搭乗員と交信しましたが、決めたことは守る者たちのような気がします……勘に過ぎませんが」
「敵対しているとはいえ、隣国でありながら交流のチャンネルが皆無ということは憂慮すべき問題だな……だが長年の敵である星川と手を組まねばならんとは……軍がこの有様では国民に顔向けできんな」空軍参謀総長は地下室にもかかわらず天をあおいだ。
陸軍参謀総長も意を決した「背に腹は代えられない。まずは国内の秩序を回復することが第一だ! 核ミサイルについては星川と手を組んででも早期に解決させよう」
意見が出つくしたと思った合同参謀本部議長は言った。「では、星川との共同作戦を追求することにする。よろしいか?」合同参謀本部議長は参会者の同意を得て話を続けた。「星川との調整は三宅准将に委ねる。今後、この件は合同参謀本部の特殊戦班長に取りまとめさせるが、極秘の作戦なので関係者を厳選してことに当たってもらいたい……よし! 閣議に向かおう……しかし、海軍は優秀な若い士官がいてうらやましいですな」
この一言で会議は終了し、合同参謀本部議長と陸海空軍の長は閣議に向かった。
小出川 香川駅南西約1.5キロメートル
星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)原子力航空母艦<カール・ビンソン>(CVN-70)
<カール・ビンソン>は小出川を下流に向けて南下していた。「相模湾の哨戒区域に戻り、次の命令を待て」新たなUSWESTCOM司令官(西方軍司令官)の命令であった。
我々を行ったり来たりさせて、何がやりたいのだ? だが、狭い小出川にいるより広い海で行動するほうが安全なのは確かだ。遅れた訓練も取り戻すことができる。真っ暗な艦橋の左側にある艦長席に座った大辻艦長は、そう思いながら隣で操艦指揮に当たる当直士官を見守った。
暗い艦橋、輝度を最低限に絞ったモニターの光によって暗闇に浮かぶ当直士官は、時おり高感度前方監視カメラを確認しながら<カール・ビンソン>を川の中央部に維持するよう細かな操艦をしている。
川の航行は集中力が要求される。川の中央部分と川岸では流れが異なる。横から流れ込む支流の影響もある。穏やかに流れているような川でも均一な水の流れなど期待できない。川の流れが異なる場所で発生する渦巻きや、横から流入する水の流れによって急激な方向変換や転覆の危険性がある。このため、不断の水面監視が必要となる。
冷静に操艦する当直士官から目を離した大辻艦長は双眼鏡を取り上げた。もうそろそろライトアップされた湘南ベルブリッジの特徴的なアーチが見えてもいい頃だ。湘南ベルブリッジを過ぎれば河口までは約1キロメートルとなる。小出川は相模川と合流し200メートルほど南下すると相模湾に出る。酒匂との紛争地ともなっている相模川西岸の平塚が目の前の地点である。
だが湘南ベルブリッジは背の高い草が邪魔をして見えない。大辻艦長は早く相模湾に出たかった。早く自由に動ける海に出たい。イライラする気持ちを抑えて双眼鏡を置いた大辻艦長は、うす暗いオレンジ色の光に包まれたフライト・デッキに目を移した。
艦橋から見るフライト・デッキにはF-14DとF/A-18Cが整然と駐機している。その中の1機が発艦の準備にかかっていた。加藤中佐のF-14D、200号機である。キャノピーが開けられ、空気取り入れ口の上に立って後席に座っているCSG3の情報士官、横山少佐に何か説明している加藤中佐がいた。何がおかしいのか、時おり口を開けて笑っている。ここまで笑い声が聞えてきそうだ。加藤らしいな! 大辻艦長は思った。
「艦長! アーカンソーとハワードが相模川河口の警戒位置につきました。酒匂軍の動きは探知していません」<カール・ビンソン>副長・酒井大佐が、先行する原子力ミサイル巡洋艦<アーカンソー>とイージス駆逐艦<ハワード>が配置についたことを艦長に報告した。両艦ともCSG3に所属する艦艇である。
優秀なセンサーを搭載したイージス艦が警戒しているとはいえ、巧妙に隠された地対艦ミサイル発射機があるかもしれない。大辻艦長は不安を感じた。川岸から撃たれれば20秒もしないうちに当たってしまう……いかん、いかん! 私がピリピリしすぎると部下に悪影響を与えてしまう。CSGとして最善の対策をとっているのだ。考えすぎはよくない……だが、あいつはこんなことで悩まないのだろうな。大辻艦長は加藤中佐を見て思った。
酒井副長もつられて大辻艦長が見つめる方向に目を向けた。「CAGはいつも楽しそうですな!」酒井副長は思ったことを口にした。
「あいつは昔と変わらん」
「どこかで一緒に勤務されたことはあるのですか?」
「いや、一緒に勤務したことはないが、FRSで一緒にターキー(F-14)の転換訓練を受けた」
FRS(艦隊即応航空隊)とは星川海軍・海兵隊が保有する航空機のパイロット、航空士、整備員を訓練する航空隊である。F-4J“ファントムⅡ”のパイロットであった加藤中佐やNFO(海軍航空士官:戦闘機のレーダー迎撃士官や対潜哨戒機の戦術航空士などパイロット以外の航空機搭乗員の総称)であった大辻艦長がF-14で飛べるように機種転換訓練をしている。そのほか、初めてパイロットや航空士になる搭乗員の訓練も担当している。
艦隊即応航空隊はまた、余剰の航空機を管理しており戦闘や事故による機体の損耗を速やかに補充する任務も担っている。行動中の空母に搭載された艦載機と人員が定数を維持できるのはFRSのおかげである。第一線飛行隊のような派手さはないが、星川海軍・海兵隊にとっては不可欠な航空隊である。
軍の強さは、ともすれば空母の保有隻数などに目がいきがちだが、第一線の強さを支える訓練システムや継戦能力をもっていなければ本当の強さとはいえない。「スクナビ」世界で有数の軍事力を保有する星川軍の強さは、FRSをはじめとする様々なレベルでの訓練システムや、継戦能力を維持するためのストックや補給能力が充実しているからである。
「転換同期ですか……今のところ艦は予定どおり進んでいます。この分なら相模湾で日の出を見られそうです」
「わかった。湘南ベルブリッジの下まで来たら総員配置をかける。準備を怠るな。相模湾に出るまでは総員配置を続ける。今日はみんな徹夜になるぞ」
「了解しました」酒井副長は総員配置の準備状況を確認するため艦橋を離れた。
大辻艦長の3センチメートル下、フライト・デッキ直下の03デッキにあるCDC(戦闘指揮所)では岡部准将が司令専用のモニターを見つめていた。
水上ユニットの配置は完了した。対空警戒ではフーリガンズが24時間態勢で早期警戒機E-2Dと4発の長距離空対空ミサイルAIM-54を搭載したF-14Dを飛ばしている。川岸からのミサイル攻撃も考えられるが、ミサイルなど空からの攻撃は排除できるだろう。
現時点の問題は潜水艦だ。岡部准将の関心は対潜捜索にあたるS-3BとSH-60Rにあった。2機の艦上対潜哨戒機S-3Bは1時間前にオンステーション(現場到着)して相模川河口の対潜捜索を開始していた。
モニターを見ていると、S-3Bを示すシンボルは時おり上流に向けて飛んではUターンしてくる。上流でソノブイを投下して捜索エリアに戻っているのである。エリアに戻ったS-3Bは流れてきたソノブイをオントップ(直上飛行)して、ソノブイが水草や岩に引っかかっていないかを確認しながら音響データを拾い集めている。障害物のない広い海ならばソノブイを確認する必要がないので、高い高度でゆったりと出来るのだが川ではそうもいかない。
一方のSH-60Rは潜水艦が隠れるには絶好の場所である川底に沈んだ自転車や、橋げた周りを集中的に捜索している。
酒匂が保有する潜水艦は全てが通常動力型である。原子力潜水艦は保有しない。通常動力型潜水艦は原子力潜水艦のように広い水域を縦横無尽に動き回る能力こそ持たないが、静粛性に優れているため待ち伏せ攻撃するには最適の兵器だ。しかも酒匂の士官は通常動力型潜水艦の使い方を知っている。相模川河口にいるかいないかは分からないが最大限の警戒をしなければならない。海に出てしまえばCSG3の改ロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦ジェファーソン・シティが警戒に当たっている。加えて、由比ガ浜海軍航空基地からやってくるVP-4(第4哨戒飛行隊)の対潜哨戒機P-8Aが援護してくれる。そして、海ならば酒匂の潜水艦を振り切るスピードが出せる。空母を動かすには小出川は狭すぎる。岡部准将は部下に気付かれないように小さくため息をついた。
相模川と小出川の合流点 平塚駅南東約1.8キロメートル
星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)イージス駆逐艦<ハワード>(DDG-83)
アーレイ・バーク級駆逐艦の最新型、フライトⅡ-Aである<ハワード>は、それまでに建造されたアーレイ・バーク級とは大きな違いがあった。フライトⅡ-Aからは艦の後部にヘリコプター格納庫を設置して2機の哨戒ヘリコプターSH-60Rを搭載したのである。その代償として、それまで艦尾に装備されていた曳航式ソナーSQR-19は撤去されている。
だが、<ハワード>の艦中央部、薄暗い戦闘情報センター(CIC)の対潜コンソール席に座る佐野少佐にとっては、その方がありがたかった。
SQR-19はTACTASS(戦術曳航ソナー)といわれる。TACTASSは海での長距離探知には有用だが、水の流れる音のために長距離探知が難しい河川では効果がない。しかも曳航ケーブルは4メートルにもなるので艦の運動が制約される。こんな場所ではヘリコプターが一番だ。佐野少佐はそう考えながらコンソールにあるキーボードを叩いて次の捜索地点をSH-60R“レッド・スティンガー27”に指示した。
現在のところ<ハワード>の艦長がCSG3のUSWC(対潜戦闘指揮官)に指定されている。このため、<ハワード>の対潜コンソール席に座る佐野少佐がCSG3の対潜戦闘調整官として対潜戦兵力を一元管理している。
佐野少佐は半年前、海軍システムコマンド隷下の海軍水上戦センターから<ハワード>に転勤してきた。
その海軍水上戦センターでは対潜戦用のイージスシステムといわれるAN/AQQ-89統合対潜戦システムの河川対応プログラムを開発するチームに所属していた。
「新しいプログラムの子守りをするために転勤してきたようなものだな」新しいプログラムへの改修作業と同時に着任した時は艦長からそう言ってからかわれた。イージス艦に乗るとイージスシステムが全てを解決すると勘違いしている人が多すぎる。艦長ですらそうだ。イージスシステムが潜水艦を発見してくれるわけでもないのに! 確かに潜水艦から発射される対艦ミサイルには有効かもしれないが、魚雷には全く役に立たない。潜水艦の脅威は減ったわけではないのに……まあいいさ!
艦長は対潜戦を軽視しているが、海軍システムコマンドは潜水艦の脅威を忘れたわけではない。だからこそAN/AQQ-89のシステム・プログラムを改修したのだ。それに次の対潜戦闘システムも開発中だ。新しいシステムが艦に搭載されるころには私も艦長になっているかな? 佐野少佐の夢は自分の艦を持つこと。艦長になることであった。早く艦長になりたい!
「エコー・チャーリー46(今日の<ハワード>のコールサイン)、レッド・スティンガー27 ノー・ジョイ ポイントB9(B9地点、探知目標なし)」先ほど佐野少佐が指定した地点の捜索を終了したレッド・スティンガー27の報告であった。よし! これで潜水艦が隠れていそうな場所の捜索は終了した。潜水艦による待ち伏せ攻撃の可能性はないだろう。あとは潜水艦を近づけないようにするだけだ。“レッド・スティンガー27”は海側のMAD捜索(金属でできた潜水艦によって発生する微弱な磁気の乱れを探知する捜索)にあてよう。
対潜戦には忍耐が要求されるというが忍耐ではない。今日のように潜水艦が発見できなくても執拗に潜水艦を捜し求める執着心が必要なんだ。それに探知目標がなければ対潜捜索は無駄骨だったのか? そんなことはない。潜水艦がいないことを確認できた。そのこと自体が対潜捜索の成果なんだ!
さあ! 俺が消毒した場所にはネズミ一匹入れない! 酒匂でも香貫でもどっちの潜水艦でもいい、来られるものなら来てみろ! 佐野少佐は頭脳とプライドをかけたこのゲームが好きだった。そして負けたほうが死ぬ。
相模川 平塚駅北東約2キロメートル
酒匂王国連邦海軍 第6艦隊 通常動力型潜水艦<そうりゅう>(SS501)
<そうりゅう>は相模川に架かるJR東海道線の鉄橋から200メートル北側の中州近くに潜んでいた。佐野少佐の執拗な対潜捜索を逃れてここまで相模川を遡上してきたのである。
新たな監視地点は流れが穏やかで、しかも星川から探知される可能性がほとんどない絶好の場所だった。ここなら落ち着いて星川を監視できるはずだった。だが、今日の<そうりゅう>はツイてなかった。
ポチャン!
「さっきよりも近いです」発令所右舷で当直にあたる平岡3等兵曹は、ソナー・ディスプレイから目を離さず言った。
潜訓(酒匂海軍潜水艦訓練教育隊)を卒業したばかりの新米にしては筋が良さそうだ。<そうりゅう>水測長・矢島兵曹長は横に座っている平岡3等兵曹をチラリと見て思った。ならばもう少し試してみよう。「(距離は)どのくらいだ?」
「約5ヤードだと思います。」平岡3等兵曹は、今度もソナー・ディスプレイから目を離すことなく言った。
「そんなもんだ。だけど一つの音ばかりに気をとられていると大事な音を聞き逃すから注意しろよ」矢島兵曹長はそう言うと振り向いて「発令所、ソナー、“しかけ”の方位348度、距離は約5.2ヤード」と報告した。
副長・新井少佐は「了解」と答えると、海図台に身をかがめてコンパスで新たな“しかけ”の位置を中心に円を描き始めた。海図にはすでに複数の円が描かれていて、これらの円の接点の一つは相模川西側の岸壁で交差していた。その位置は釣りの“しかけ”を落とした釣り人の推定位置であった。
海図台から顔を上げた新井少佐は顔をしかめながら艦長に報告した。「艦長、釣りをしているのは一人だけのようです。ですが近すぎます」
艦長・高原中佐は、内心の苛立ちを表情に出さないよう注意してうなずいた。川の流れが緩やかなところで星川の機動部隊をやりすごそうと考えていたが、とんだ邪魔がはいったものだ。
<そうりゅう>は川上に向かって川の流れと同じ速力で進むことで川の一点に留まるようにしていた。川岸で釣りをしている釣り人から見ると<そうりゅう>は川の一点に止まって見える。だが、水面から30センチメートルほどで潜行している真っ黒な<そうりゅう>を釣り人が発見することはできない。見えていれば釣り人も逃げ出すはずだ。故意であろうとなかろうと、スクナビに危害を加えれば反撃されて怪我だけでは済まないことを「ダイダラ」人なら誰でも知っている。
浮上して釣り人に警告を与えようとも考えたが、そんなことをすれば星川軍にも発見される恐れがある。別の場所に移動するしかなさそうだ。川の流れが緩やかな場所でAIPを使用することでバッテリー消費を減らしてきたが、それもこれまでだ。「よし! 30ヤードほど川下に移動しよう。岸からも離したほうがいいな」高原中佐は海図の一点を指して続けた。「これまで新しい装備の恩恵にあずかってきたが、バッテリーに切り替えよう」
<そうりゅう>はAIP(非大気依存推進)潜水艦の一番艦である。これまで酒匂海軍の通常動力型潜水艦は、モーターを駆動するバッテリーを充電するためにディーゼル発電機を使用してきた。ディーゼルエンジンを駆動するにはシュノーケルと呼ばれる吸気管を海面上に出して、大気中の酸素を取り込む必要がある。このため充電中は浅深度で航行しなければならず、海面上に突き出たシュノーケルの先端はレーダーや目視によって敵に発見される恐れがあった。簡単にシュノーケルを発見されるわけではないが白昼堂々とシュノーケルを突き出すこともできないため、通常動力型潜水艦はバッテリーの残量によって行動が大きく制約されていた。
この制約を緩和するために<そうりゅう>には4基のスターリング・エンジンが装備され、連続潜航の時間が大幅に延長された。スターリング・エンジンは艦内に搭載した液体酸素と燃料だけで駆動されるため、シュノーケルを使って大気中の酸素を取り込む必要がないのである。スターリング・エンジンの出力は小さいので低速航行しかできないが、バッテリーを使わずにすむので行動の自由度が大幅に向上した。
「おもーかーじ! 速力そのまま」静かな発令所に新井少佐の抑制された操艦号令が響いた。高原中佐は新井少佐の操艦に同意してうなずいた。
「面舵回頭…… 回頭方向異常なし!」ソナー・ディスプレイを見つめた平岡3等兵曹は、ソナーからの音を聞き漏らすまいとヘッドフォンに手を当てながら言った。
「後ろも確認しろ」矢島兵曹長も、放送終了後のテレビ画面に映る砂嵐の画面に数本の線が走ったようなソナー・ディスプレイから目を離さずに言った。「ソナーの死角になっている真後ろに尾行している潜水艦がいるかもしれん。そんな潜水艦も回頭を始めたばかりなら真後ろには移動できんだろ。側面アレイも使って後ろの状況を確認するんだ」何事も経験だ。若いの!
2年もたてば平岡3等兵曹は一人前の水測員になっているだろう。でも、そのころ俺は艦を降りているはずだ。矢島兵曹長はそう思った。年とともに水測員の命である耳が弱くなっているのを自覚していたからである。戦闘機のパイロットが加齢による視力の衰えを防ごうと気を使うように、矢島兵曹長も聴力の衰えを防ぐ努力をしてきた。その努力も空しく、最近は特に高周波の音が聞きづらくなっている。これまでの経験と、ソナー・ディスプレイを駆使して“目で音を聞く”ことによって聴力の衰えを補ってきたが、そろそろ限界だ。
俺が平岡3等兵曹と同じ年の頃は、耳の弱くなった年寄りをばかにしてきたが俺自身がそんな年になるとはな! そう思う矢島兵曹長ではあったが不思議とすんなり現状を受け入れていた。潜水艦の水測員長というポストは下士官兵が望むキャリアの頂点だった。その水測員長を2つの潜水艦でやってきた矢島兵曹長は潮時を心得ていた。潜訓の教官ポストに空きができたら転勤を申し出よう。矢島兵曹長はそう思いながら回頭方向に探知目標がないことを報告した。
星川の動きが慌しい。何かあったにちがいないが、何があったのだ! 相模川西岸で動きがあったのかとも考えたが、真鶴方面で手一杯のわが国に相模川西岸で事を起こす余力などあるわけがない。それに星川の動きも相模川西岸に対するものではなさそうだ…… 高原中佐は発令所の中央に位置する潜望鏡の前で、この疑問に対する答えを探していた。
緊急時に備えて星川の空母を襲撃できる位置に移動するべきか? いや! 我々に与えられた任務は、星川に気付かれずに星川の動静を監視することだ。この命令は変更されていない。星川海軍の動きは気になるが、だからこそ我々が監視しているのだ。逃げ場の少ない川での監視は緊張を強いられるが当面は新しい位置で監視を続行しよう。まだまだ生野菜は残っている。乗員に不満はないはずだ。気長に行こう。そう考えた高原中佐は部下が作成した書類に目を通すため発令所を後にした。