その29
柏尾川 大船駅北約1.8キロメートル
星川合衆国空軍 大船AFB(大船空軍基地)
星川合衆国大船コロニー
大船AFBの広大なエプロンに、12機のC-130が整然と並んでいた。
その対面にある格納庫では、3/75Ranger(第75レンジャー連隊第3大隊)が任務前点検を終えてC-130に乗り込もうと装備を身につけていた。すると、格納庫のスピーカーから、突然、大音量でロックが流れた。連隊長が危険な任務に向かう部下の士気を鼓舞するために指示したものだった。
連隊長の思惑どおり、平均年齢が20歳に満たないレンジャー隊員の意気は上がった。お互いに拳を突き合わせる隊員、抱き合ってお互いの背中を叩く隊員、彼らは仲間の無事を祈り、自身の健闘を誓った。
この騒ぎに、レンジャーの出撃を見送りに来たUSWESTCOM司令部(星川西方軍司令部)のJ-1(西方軍司令部監理主任幕僚)・寺谷空軍大佐は烈火のごとく怒った。厳格な規律こそ軍の根幹だと考える大佐にとって、この無秩序な騒ぎは許せなかった。
寺谷空軍大佐が激怒した理由はほかにもあった。極秘の任務だからこそ目立たぬようにしなければならない。それにもかかわらず、このお祭り騒ぎは何だ! USWESTCOM司令官さえも、自分が行けば目立ちすぎるといって見送りを断念した。代わりに私が見送りに来るはめとなった。わざわざ見送りに来たのに、このザマはなんだ!
寺谷大佐は、「なんだこの騒ぎは! この曲をすぐに止めろ!」と怒鳴って格納庫の事務室に駆け出した。
事務室内に設置された放送装置の前には、二人のレンジャー隊員がカセットテープの回転を見守っていた。
「お前の言うようにカセットテープを持ってきてよかったな」レンジャー連隊本部中隊の作戦将校・辻少佐は、本部中隊付軍曹・馬場先任曹長に言った。この二人は、配下のレンジャー出撃を支援する目的で大船AFBに派遣されたのである。派遣される直前、これから出発しようというときになって、馬場先任曹長は、いま格納庫に流れている曲をカセットテープにダビングし始めた。
「まだカセットテープなんかで音楽を聞いているのか?」辻少佐は、馬場先任曹長に聞いた。
「違いますよ。田舎の古い基地は、いまだにカセットテープしか使えない放送設備がありますから。保険です」馬場先任曹長は、そう言ってダビングが終わったカセットテープをカバンにしまった。
「どうです。ダビングしてきてよかったでしょ」馬場先任曹長は、得意げに言った。
馬場先任曹長の不安が当たった。この格納庫の放送設備は、格納庫が建てられたときから更新されていない古いものだったのである。
「持つべきものは古い友人ということだな」
「そう思うなら、もっと年寄りをいたわって欲しいもんですな」
二人は笑って、事務室の窓から格納庫で意気の上がるレンジャー隊員を眺めた。
その時、ドアがバンと開くと、寺谷大佐が事務室に駆け込んできた。
辻少佐と馬場先任曹長は驚いた。銃を持っていれば銃口を寺谷大佐に向けていただろう。
「誰の仕業だ! すぐに消せ!」寺谷大佐は、事務室に入るなり怒鳴った。
この空軍大佐は、何を消せというのだ? 辻少佐と馬場先任曹長は、最初何のことだかわからなかった。事務室内を見渡してもほかに誰もいない。この空軍大佐は、自分たちに言っているのだろう。
「早くこの音を消せ! わからんのか!」寺谷大佐は怒りのあまり顔は真っ青になっていた。
なるほど。この大佐はこの騒ぎに怒っているのか。辻少佐と馬場先任曹長は、やっと気付いた。そして思った。「このくそ野郎!」
「お言葉ですが消すわけにはいきません。大佐。これから戦闘に向かう彼らの士気を鼓舞する必要があるので」辻少佐は、寺谷大佐の前に出て答えた。
「消せというのがわからんのか! 少佐! 君が消さないのなら私が消す。そこをどけ」
「それは出来かねます。大佐。曲を流すのは連隊長からの命令ですから」辻少佐は、放送設備の前を動かなかった。
「レンジャーは、こんな騒ぎをしなければ士気をあげられんのか、え! 早く消せ!」
「申し訳ありません。大佐。ここで騒がして体力を消耗させておかないと、彼らは本番でやりすぎてしまいますので」辻少佐の言葉に馬場先任曹長は笑いを必死にこらえた。
「君は、私を侮辱しているのか!」
「そんなことはありません。間もなく曲も終わります。その後を見てください」
辻少佐が言うとおり、曲が終わろうとしていた。それを合図に、レンジャー隊員は「レンジャー! レンジャー!」と声をそろえて叫び始めた。
「アルファ中隊整列!」曲が終わると同時にアルファ中隊・上沼大尉の号令が響いた。続いてブラボー中隊長・下田大尉、チャーリー中隊長・沢田大尉の号令が続いた。
叫び声は一瞬でやみ、格納庫内は小隊軍曹が若い隊員に気合を入れる怒鳴り声と、命令に答える隊員の「フーア」という掛け声、そして、装備が触れ合う音だけになった。先ほどとは顔つきが変わったレンジャー隊員は、素早く整列すると輸送機に向かって移動を始めた。
「どうです、大佐」辻少佐の言葉に「大騒ぎをしたことにかわりないぞ。少佐。極秘の任務に、この大騒ぎは許されん」寺谷大佐はそう言うと、きびすを返してドアに向かった。
最後に、ドアノブに手をかけた寺谷大佐は振り向いて「この騒ぎを命じた君の上官と、私を侮辱した君を査問にかける。首を洗って待っていろ」と、捨て台詞を吐いて事務室を出ていった。
事務室に残された辻少佐と馬場先任曹長は互いに見つめ合って肩をすくめた。
「少佐と連隊長を査問委員会にかけるなんて、あの大佐、本気ですかね」馬場先任曹長は心配そうに言った。
「実際に戦うのはレンジャーだ。規律だけで人は動かん。そんなことさえあのブルーシャツ(空軍)の大佐は知らんのだ。それよりも、彼らの無事を祈って見送りに行こうじゃないか。今回の戦いは、そうとう厳しいらしい」辻少佐はそう言って事務室の窓から見えるレンジャー隊員に視線を移した。
「そうですな。行きましょう」二人は事務室のドアに向かって歩き始めた。
レンジャー隊員が格納庫から出てくるタイミングを見計らったように、12機のC-130がAPU(補助動力装置)を作動させた。APUは、機内電力やエンジン起動用エアを供給する小型のタービン・エンジンだが、その作動音は大きく、12機が一斉にAPUを作動させたのでエプロンは大きな騒音に包まれた。それは、レンジャーのお祭り騒ぎよりも大きな音だった。
エプロンに並んだ12機のC-130のうち、3機は15SOS(第15特殊作戦飛行隊)の特殊作戦支援輸送機MC-130J、残りの9機は317AG(第317空輸航空群)の通常型輸送機C-130Jで、編成は次のようになっていた。
“チョップスティック・フライト”
・“アルファ・フライト”(MC-130J×1機、C-130J×2機)
・MC-130J機長・徳永中佐が編隊長。徳永中佐はチョップスティック・フライト指揮官を兼ねる
・3/75Ranger アルファ中隊が3機に分乗
・S-3(大隊作戦担当将校)兼副大隊長・松沼少佐以下本部中隊の一部が3機に分乗
・720th STG(星川空軍第720特殊戦術群)のCCT(戦闘統制員)2名がMC-130Jに搭乗
・NEST(星川エネルギー省核緊急支援隊)専従員・笠原海軍少佐がMC-130Jに搭乗
・“ブラボー・フライト”(MC-130J×1機、C-130J×2機)
・MC-130J機長が編隊長
・3/75Ranger ブラボー中隊が3機に分乗
・3/75Ranger大隊長・青柳中佐以下本部中隊の一部が3機に分乗
・720th STGのCCT2名がMC-130Jに搭乗
・酒匂陸軍特殊作戦群臨時特別分遣隊6名がMC-130Jに搭乗
・NEST専従員がMC-130Jに搭乗
・“チャーリー・フライト”(MC-130J×1機、C-130J×2機)
・MC-130J機長が編隊長
・3/75Ranger チャーリー中隊が3機に分乗
・S-2横田少佐以下本部中隊の一部が3機に分乗
・720th STGのCCT2名がMC-130Jに搭乗
・“デルタ・フライト”(C-130J×2機)
・HMMWY(ハンヴィー:高機動多用途装輪車両)、RSOV(レンジャー特殊戦車両)を各機1両と補給物資を空中投下
・予備機 (C-130J×1機)
不具合が発生した機体があった場合の代替機。地上待機
“アルファ・フライト”リーダー機、MC-130Jのコックピットでは、徳永中佐がエンジン起動前のチェックを行っていた。副操縦士が読み上げるチェックリストに答えながらスイッチを操作する徳永中佐の顔は無表情だった。徳永中佐は感情を表に出すことがない。彼の同僚は徳永中佐の笑った顔すら見たことがなく、部下の間では“マスク”と呼ばれていた。
その徳永中佐が、今日に限って緊張していた。表情こそ変えていなかったが、額には汗が光っていた。
徳永中佐は、夜間地形追従飛行に緊張しているわけではない。15SOSの操縦士にとって激しい機動を伴う危険な夜間地形追従飛行は日常のことで、冷や汗をかくほど緊張はしない。ましてや今回は、夜間地形追従飛行の装備を持たないC-130Jを従えての編隊飛行なので、激しい地形追従飛行など行わないし、徳永中佐はC-130Jのパイロットを信用していた。
戦闘機のパイロットからは格下と見られがちな輸送機のパイロットだが、それは違う。弾が飛び交う前線で貨物の空中投下をしたり、四方を敵に囲まれた航空基地に逆落としのように着陸したりする輸送機のパイロットは、高度な専門性と高い技量を持ったプロなのである。徳永中佐は、常々そう思っていた。
徳永中佐が緊張していた理由は、レンジャーを無事に降下させることだった。
レンジャーをパラュート降下させている間、航空機は一定の針路、高度、速力を維持しなければならない。だが、香貫が手ぐすね引いて待っている建物内部で攻撃を受けながらそれができるか?
加えて、今日は風が強い。風は生き物だ。風は吸ったり吐いたり呼吸している。風が強くなるほど吸ったときと吐いたときの変化は大きくなる。こんな状況で降下指示のタイミングを見誤ると、レンジャー隊員は建物の2階をそれて地上に降りてしまう。地上に降りたレンジャー隊員は戦闘に参加できなくなる。レンジャー隊員の安全を考えると、全員がまとまって戦えるようにしなければならない。
徳永中佐らパイロットは、降下タイミングを風向風速などの環境条件をいろいろ変えてコンピュータ・シミュレーションしてきた。降下タイミングの目安はできている。あとは現場の状況を見て降下タイミングを修正するだけだ。徳永中佐がそう考えていると、格納庫から出てくるレンジャー隊員が目に留まった。なんとしても、あの若くて勇敢なレンジャーを計画通りの場所に降下させよう。よし、エンジン起動だ! 「エンジンかけるぞ。ほかの用意はいいか?」
「全機準備オーケーです」副操縦士の大尉は、太ももにバンドで固定したメモ用紙に編隊全機の状況を書きとめていて、全機がエンジン起動の準備が整っていることを確認していた。
徳永中佐は無表情に頷くと、操縦桿の無線スイッチを押した。「チョップスティック・フライトの諸君、エンジン・スタートだ……スタンバイ………ナウ!」
12機のC-130は、同時にエンジンを起動した。
12機のC-130が発する轟音は、芳江と夫が住む古いマンションにも響いていた。
芳江の夫は、C-130のエンジン起動を暗号にすると芳江に言った。「かあさん、ご苦労だけどこれを送ってくれ」
「わかったわ」芳江は、横浜コロニーに住む女性に電話をかけた。
この情報は先と同じ経路でR38基地の堀内少将のもとに伝わった。




