その28
鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル
香貫公国軍 R38基地
風は、伊勢原でも吹きはじめていた。風は、滑走路のある廊下を吹きぬけ、廊下にある司令部テントをバタつかせていた。
その司令部テントにいる堀内少将のもとに、最高参謀本部から芳江の情報が届いた。
「香貫山は、この情報が正確だと考えているのだな」堀内少将は情報担当将校に問いかけた。
「はい、この情報を補強する材料もそろっています。大船の空軍基地には、12機ほどのC-130が飛来しています。また、二俣川空軍基地でも動きが活発です。この基地にはAWACS(星川空軍・早期警戒管制機E-3C“セントリー”)とF-15が配備されています。」
「星川の両用戦部隊は?」
「星川の太平洋艦隊に所属する両用戦艦艇は、その所在を確認済みです。こちらに向かってくる両用戦部隊はありません。ただ、<カール・ビンソン>打撃群の所在は不明です」
「相模川か」
「おそらく……司令官、今夜です」情報担当将校は断言した。
「私も情報部の見解に同意します」情報担当将校の理論的な帰結とは違い、作戦担当将校・藤井中佐は、肌の感覚で星川の攻撃が今夜だと感じていた。
「よし! “魔女の食事”を発動するぞ。輸送機の離陸は0000時でいいな」堀内少将は、藤井中佐と作戦担当将校を交互に見た。
「その時間でいいと思います。AWACS(早期警戒管制機E-3C)が来る前に制圧を完了させねばなりませんから。」藤井中佐は頷いた。
「12機のC-130なら、レンジャーの1個大隊全てを輸送できます」第331親衛パラシュート降下連隊第1大隊長・青木中佐はそう言って腕時計を見ると話を続けた「あと2時間ほどで到着する私の部隊が揃えば、彼我の兵力に差はありません。概ね状況判断のとおりです。計画を変更する必要はないでしょう」青木中佐は、机に置かれた分厚い作戦計画書を指差した。「ただ、空から攻撃されるのは厄介ですな。これを避けるには接近戦に持ち込むしかありません。“魔女の食事”に期待しましょう」
“魔女の食事”は、第586戦闘機連隊第1大隊長(白バラ隊)瀬奈ふぶき中佐が発案し、藤井中佐らR38基地の幕僚が協力して仕上げた作戦の名称だった。
“魔女の食事”作戦は、最初に星川空軍のAWACSを無力化した後に、その混乱に乗じてレンジャー隊員を乗せた輸送機を攻撃する作戦である。
この作戦を成功させる鍵は、AWACSの無力化である。
星川軍の目と頭脳であるAWACSを取り除けば、星川軍は我々の動静がわからなくなる。あとは、護衛戦闘機を輸送機から引き離せば、輸送機を攻撃するチャンスが増える。
だが、AWACSは自らが攻撃を受ける空域に位置することはない。ほとんどの場合、その後方に位置する。しかも護衛の戦闘機を伴っているので、彼らが対応できないスピードがなければ作戦は失敗する。幸いにもMiG-31は、それだけのスピードが出せる。しかも“AWACSキラー”とも呼ばれるR-37長距離空対空ミサイルを発射する能力を持っている。
問題は、攻撃終了後のMiG-31にA57基地に戻るだけの燃料が残っていないことである。このような時こそ空中給油が必要になるのだが、香貫空軍の空中給油機は爆撃機の支援用として4機しか保有していない。戦闘機のパイロットで空中給油の訓練を受けた者はいなかった。
かといって、車輪にそりを装着した輸送機が、やっと着陸できるR38基地に戦闘機は降りられない。
「燃料がなければ、燃料がある伊勢原の空港に降りればいいじゃない。伊勢原のハウス・コロニーを飛び回っているC-130があると聞いているわ。場所はここ」瀬奈ふぶき中佐はそういって航空図を広げ、井崎コロニーのある場所を指差したのだった。
瀬奈ふぶき中佐の作戦はいけそうだと考えたR38基地司令・大松大佐は、情報将校と作戦将校に井崎コロニーを調査させた。
井崎コロニーは各方面に申請や広報を行っていたため、空港の資料は簡単に入手できた。公共用飛行場の完成検査として、ICAO(スクナビ国際民間航空機関)やFAA(星川連邦航空局)に提出した書類や、スクナビの航空会社にプレゼンテーションした井崎空港の詳細資料などである。
これらの資料には、滑走路や燃料施設だけでなく電話交換設備や電源管理施設、コロニー全体の詳細な地図なども含まれていた。さらに、コロニー内の警備態勢に関する資料もあり、虫の侵入に備えただけの武器しかないことも判明した。唯一脅威となりそうなのは、M2重機関銃を荷台に搭載したピックアップ・トラックだが、これも虫対策のもので1台しかなかった。瀬奈ふぶき中佐が言うとおり、井崎コロニーは臨時の給油基地として必要な条件を備えていた。
堀内少将から“魔女の食事”作戦の指揮官に任命されたR38基地副司令官・清水大佐が、司令部テントに入ってきた。清水大佐は、戦略ロケット軍の正規戦闘服を着て、腰にはMP-443拳銃を収めたホルスターを下げていた。
堀内少将は、清水大佐を目に止めると「いいときに来てくれました。清水大佐。今夜、星川が攻めてきます。輸送機の離陸0000時で“魔女の食事”を発動します」と言って清水大佐を見た。
「やはり今日ですか。準備はできています。計画に変更はありますか?」清水大佐は冷静だった。
「いえ、変更はありません。清水大佐、頼みます」堀内少将は、軽く頭を下げた。
「了解しました」清水大佐はそう言うと、青木中佐に顔を向けた。
「三好少尉は、なかなかの若者ですな。いろいろ話をさせてもらいました」
三好少尉は、“魔女の食事”に派出される第331親衛パラシュート降下連隊第1大隊第1中隊第1小隊長のことである。
「そうでしたか。三好は、早くに両親を亡くして苦労したので、しっかりしているのだと思います。三好をよろしくお願いします」青木中佐は頭を下げた。
「そうでしたか。三好少尉と、あなたの小隊をお預かりします」清水大佐も頭を下げて続けた。「0000時離陸でしたら、もう1回図上演習ができますな。それでは司令官、皆に知らせてまいります」清水大佐は、そう言うと司令部テントを出て行った。




