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その23

鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル

香貫公国軍 R38基地


1機の輸送機イリューシンIl-76MDがR38基地に着陸しようとしていた。木々の間を最終進入する機内では、第331親衛パラシュート降下連隊第1大隊長・青木中佐が貨物室前方に座るKGB(香貫国家保安委員会)の大佐をにらみつけて、ため息をついた。

三谷とか言っていたな。あの大佐。KGB第3総局核防護課に属するお偉いさんらしいが、お前のせいで到着が3時間も遅れた。それだけでなく貴重な迫撃砲小隊をS33基地に置き去りにしてきた。特殊部隊と同じ戦闘服を着てエリートづらをしているが、お前の指揮する小隊は、それだけの実力を持っているのか? いざとなれば、核弾頭をかかえて一目散に逃げ帰るだけなんだろ。まあ、お手並み拝見といこう。そう思った青木中佐は、数少ない輸送機の窓から外を眺めた。


当初、第331親衛パラシュート降下連隊第1大隊の2個中隊と支援部隊、それにKGB第3総局核防護課は、2機のイリューシンIl-76MDに分乗して富士コロニーを飛び立った。

コロニーを出た2機の輸送機は、北に進路をとり北部軍事コロニーにあるS33基地に向かった。北東に進路をとれば最短でR38基地に着けるのだが、そうすると酒匂の領域を横切りことになり無防備な輸送機では飛行できない。このため、香貫本国からR38基地に向かうには、S33基地で燃料を補給して丹沢湖の上空で進路をR38基地またはA57基地に向けるのが標準経路だった。

到着が遅れる原因となったトラブルは、経由地であるS33基地に着陸する寸前に発生した。2番機の右外側エンジンに、季節はずれの羽虫が飛び込んだのである。羽虫によってエンジンは破壊され火を噴いた。

乗員の適切な対応で、火災はエンジンだけで済んだ。おかげでS33基地に着陸できたのだが、エンジンを交換しなければ再び飛び上がれない。

このため、青木中佐は1番機だけでR38基地に向かうことにした。ところが置き去りになる2番機に搭乗していた三谷大佐が異議をとなえた。

「我々は速やかにR38基地に赴かなければならない」三谷大佐は、そう主張した。

青木中佐は拒否した。どの輸送機が脱落しても空挺部隊としての任務が果たせるように慎重に搭乗割りを決めているのだ。搭乗割りを変えれば任務に支障が出ると反論した。だが、三谷大佐は一歩も引かなかった。三谷大佐は、「この書類を提示したものに最大限の配慮を要請する」とのKGB議長署名入り文書まで取り出して要求を迫った。KGB議長署名入りの文書を見せられては青木中佐も引かざるを得なかった。

こうして迫撃砲小隊28名と迫撃砲、そして砲弾を1番機から降ろし、替わってKGB第3総局核防護課12名と彼らの装備品を積み込んだ。この作業に3時間を費やした。


無駄な3時間だった。そう思った青木中佐が窓の外を眺めていると、突然建物の中に入った。そして着陸の衝撃とタイヤがきしむ音が聞こえた。「やっと着いたな」青木中佐は、イリューシンIl-76MDの減速が終了して滑走路を離れたのを確認すると立ち上がり、後部貨物ランプの端まで移動した。

ランプに到着したイリューシンIl-76MDはエンジンを停止した。

貨物室の前方では、すぐさま人員乗降用ドアが開けられ、三谷大佐とKGBの隊員は機外に出て行った。ゆっくりと下がる後部貨物ランプが地面に着いて青木中佐が機外に出たときは、すでにKGBの連中は彼ら専用の車両に向かって歩き始めているところだった。その横には、出迎えに来た堀内少将とR38基地の主要将校がいた。

青木中佐は彼らを見とめると、そちらに向かって歩き始めた。そして堀内少将を探した。

いた。あの方だ。青木中佐の歩調は早まった。青木中佐は堀内少将に借りがあったのである。ただ、二人に面識はなかった。二人が顔を合わせるのは、これが初めてだった。

「第331親衛パラシュート降下連隊第1大隊、青木中佐です」青木中佐は堀内少将の前に立って敬礼すると、そう申告した。

「よく来てくれた。司令官の堀内だ」と言って堀内少将は右手を差し出した。

「あなたのご恩に報いるためにやってきました」青木中佐は堀内少将の手を握った。

「恩?」

「はい。90日戦争で、コールサイン“1081-21”を覚えていますか?」

堀内少将は一瞬考えた「……あぁ、思い出した。君は、あの時の……」

「そうです。あの時、あなたに支援砲撃を要請した小隊長。それが私です」

「無事でなりよりだった。そうか。あの時は、勇敢に戦う君たちを見殺しにできないと思っただけだ。恩に感じることはないさ」堀内少将は笑った。

星川軍や酒匂軍では、小隊長が支援砲撃を要請するなど当たり前のことだが、香貫軍は違う。どちらも正しいドクトリンなのだが、砲撃とは上級司令部の綿密な計画に基づいて圧倒的な火力として運用するもので、現場の指揮官がそれぞれの判断で散発的な砲撃を要請するのではない。それが香貫陸軍のドクトリンだった。

このため、小隊長が支援砲撃を要請することはないし、仮に要請があってもそれに応じる砲兵隊指揮官はいなかった。下手に要請に応じれば規則を破ったとして首が飛びかねない。

それでも中隊長だった頃の堀内少将は、私の要請に応じてくれた。もし、あの時に砲撃支援がなければ自分の小隊は全滅していただろう。お礼を言わなければならないと思っていたが、なかなかその機会がなかった。だが、ようやくあの時のお礼が伝えられた。しかも、これから堀内少将の力になれる。青木中佐は、肩の荷が下りたような気がした。

「ところで、うちの1個小隊を別の任務に使用するそうですが、作戦計画には別令となっています……」

「その計画は、やっとまとまったところだ。なかなか面白い計画なんだが、この計画は規律の厳しい空挺隊員でなければ安心して任せられん。詳しくは司令部テントで説明しよう」堀内少将は、司令部テントに向けて手を振った。

精鋭を自認する空挺部隊の青木中佐はニコリとして頷いたが、次には顔をゆがめて言った「S33に残してきた隊員をここに運ぶ手配について、連隊本部から何か言ってきましたか?」

「その件なら、調整が済んでいる。今、君たちを乗せてきた輸送機がS33に戻って連れてくる。0130時に到着する予定だ」

「そうでしたか。ありがとうございます」青木中佐と彼の幕僚は、S33基地に残す空挺隊員をR38基地まで輸送する代替手段を連隊本部と調整したのが、離陸までに結論が出なかったのである。

S33基地に残された第2中隊と迫撃砲小隊の輸送にめどがついた。これなら計画を変更する必要はない。そう判断した青木中佐は、彼の横にいる第1中隊長・畑岡大尉に向かって言った「君の中隊を計画通りに配置につけろ。ただ、第1小隊はこのまま残してくれ」

「はい」と返事した畑岡大尉は、部下のもとに立ち去った。それを見届けた堀内少将と青木中佐、それにR38基地の主要将校は司令部テントに向けて歩き出した。

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