その19
酒匂王国連邦海軍 開発隊群 通常動力型試験潜水艦<伊400>
巨大な潜水艦にしては、こぢんまりとした発令所の左舷に、2台のソナー管制卓が設置されていた。ただ、有り合せの器材を寄せ集めて作られたシステム・プログラム試験用の管制卓は、極めて操作性が悪かった。それでもベテランの水測員は、見事に使いこなしていた。
左の管制卓に座る水測員は「艦長、上流から低周波ソナーの発信音」と、報告すると探知したデータをライブラリと照合するために、左を向いてラップトップ・コンピュータのキーボードを叩いた。
「当たり」左の水測員は、耳で聞いたソナーの発信音が星川のBQQ-5ソナーだと見当をつけていたが、ライブラリも同じ解析結果を出力してきた。「艦長、ソナーの発信源、BQQ-5、<カメハメハ>が装備するソナーと同一です」
「<カメハメハ>だとしても、意図がわからんな」副長・桝谷少佐がつぶやいた。
すると、目を閉じてパイプ椅子に座っていた艦長・沢地大佐が突然立ち上がり命じた。「ディーゼル止め! 下舵10度。急げ!」
機関科員は直ちに2基のディーゼルエンジンを停止し、操舵員は舵を下げた。
「水深キール下70センチ、水流の乱れを考慮すると、水深50センチで前後水平にします。<カメハメハ>の攻撃ですか?」操艦を担当していた桝谷少佐は、突然に発せられた沢地大佐の命令の理由がわからなかった。
「<カメハメハ>ではない。何者かが我々を狙っている」
鈴川を満たしていた古いディーゼルエンジンの爆音が消えた。そして、その爆音の残響も少しずつ消えてくると、これまで隠れていた様々な音が聞こえてきた。それを示すように、ソナー管制卓のディスプレイには幾筋もの線が下りてきた。そこには<伊400>にとって危険な音が紛れていた。
「魚雷! 方位1-7-1度」水測員の報告は驚くほど冷静だった。
「下げ舵いっぱい」沢地大佐は、土砂とゴミが堆積したデコボコの川底に身を潜めるよう<伊400>を導いた。
香貫公国海軍 第1太平洋艦隊 原子力攻撃型潜水艦 <ペトロザヴォーツク>(B-388)
爆音に隠れていた音は<ペトロザヴォーツク>のソナー員にも聞こえだした。だが、真後ろから迫りくる魚雷の航走音を<ペトロザヴォーツク>のソナーはとらえられなかった。それを知るすべのない艦長・北堀中佐の関心は、<伊400>に向けて発射した2本の魚雷に向けられていた。「魚雷と目標までの距離は?」
「210センチ。俯角が徐々に下がります。回転数も落ちています。目標は減速、降下しています」と、ソナー員が報告した。
「まずいな。川底に鎮座されたら魚雷が追尾できません」副長・古羽少佐は、川底による反響音の影響で魚雷のソナーが目標を追尾できなくなることを心配して言った。そこに<伊400>が入り込めば、魚雷は目標と川底の見分けがつかなくなる。
ソナー室では、ソナー員がヘッドフォンに手を当ててディスプレイを見つめていた。「これは何だ?」左の川岸から高速スクリュー音がとぎれとぎれに聞こえてきた。川岸からの反射波が艦首ソナーに届いたものだ。魚雷が後方の死角からやってくる。「後方から魚雷! 探知は左川岸からの反射波! 方位、距離不明」
「右舵いっぱい! 前進全速」北堀中佐は条件反射のように反応した。そして続けた「ノイズメーカー発射! ソナー、魚雷の方位・距離わかったら知らせろ!」
<ペトロザヴォーツク>は、急回頭によって生じた泡の塊を後ろに残して増速していった。
急回頭の影響はそれだけでなく、2本のTEST-71ME魚雷を誘導していたワイヤーも切断させた。
誘導ワイヤーが切れて信号が途切れた2本の魚雷は、事前に設定されたとおり探信音を発し始めた。魚雷は、自らの意思で<伊400>に向かっていった。