その17
酒匂王国連邦海軍 開発隊群 通常動力型試験潜水艦<伊400>
艦長・沢地大佐は、発令所の真ん中に置かれた折りたたみ式のパイプ椅子に座っていた。艦が揺れるたびにきしんだ音を立てる古い椅子。その椅子に座る沢地大佐は、腕を組み、目を閉じていたが、寝ているわけではなかった。
沢地大佐の隣では、副長・桝谷少佐が潜望鏡を覗きながら操艦にあたっていた。
「艦長、中洲の上流は水面が荒れています。流されないよう最大戦速でいっきにぬけます」
沢地大佐は、組んだ右腕を軽く挙げて、目を閉じたまま了解の意思を示した。
沢地大佐の了解を得た桝谷少佐は頷くと「各部へ、間もなく増速する」と伝えた。これを聞いた乗員は、手近なものにつかまるか、足を踏ん張るかして急激な増速に備えた。艦制御システムの調子が悪いときに速力を変更すると、どんなにゆっくり操作しても急激な速力変化になることが多い。機関長・森住中佐の頭痛の種は尽きなかった。
「最大戦速」
桝谷少佐の操艦命令に対する機関科員の反応は早かった。だが、艦制御システムは機関科員の操作に反応しなかった。艦制御システムは、3秒ほどしてようやく反応した。しかも急激に。
回転数を増したスクリューの羽根からは無数の気泡が発生し、この気泡が原因で発生した新たな騒音が<伊400>から発生した。
香貫公国海軍 第1太平洋艦隊 原子力攻撃型潜水艦 <ペトロザヴォーツク>(B-388)
「発令所、ソナー! 目標、急激に回転数を上げています。キャビテーションも出てきました。方位0-0-4」
「1番、2番、発射用意! 解析値を確認しろ!」やはり探知されたか。そう思う艦長・北堀中佐の声が発令所に響いた。
<伊400>が増速した理由を知らない北堀中佐にとって、キャビテーション・ノイズが発生するほど急激に増速した<伊400>は、回避行動を始めたとしか見えなかった。
「1番、2番、解析値確認」川は雑音が多く探知は困難だが、探知してしまえば行動が制約される川での目標解析は海ほど困難ではなかった。おかげで先ほどから解析値を更新してきた発射管制士官の答えは早かった。
「1番、2番、注水! 先に1番、30秒後に2番を発射する」北堀中佐の命令は、素早く発射管室に伝わった。
魚雷が装填された1番と2番の魚雷発射管が水で満たされ、発射管制員の手によって圧力の調整が行われた。「注水、調整完了」
「1番、2番、前部ドア開け」
「1番発射!」全長30センチメートルの<ペトロザヴォーツク>は、身震いして魚雷を吐き出した。
川に出た魚雷は自らのエンジンによって、順調に加速していった。魚雷の後ろには、有線誘導用のワイヤーが<ペトロザヴォーツク>とつながっていた。ただ、このワイヤーは切れやすいのが欠点だった。中洲の端にある水草にワイヤーが触れるだけで切れてしまう。
「ワイヤーが切れないように早めに中洲を抜けたほうがよさそうです」解析班によって作図された目標解析値を海図に写していた副長・古羽少佐が言った。
<伊400>との相対位置に気を取られていた北堀中佐は、ハッとして増速を命じた。「前進3分の2」そして古羽少佐に頷いた。
作図台の横に控えた航海科員は、1番発射と同時に手に持つストップ・ウォッチを発動させていた。「15秒……20秒……25秒」航海科員の報告が25秒を過ぎたところで、北堀中佐は2番魚雷の発射を命じた。「2番発射!」
<ペトロザヴォーツク>から放たれた2本のTEST-71ME魚雷が、<伊400>に向かっていった。