その14
相模川 平塚駅西約1.5キロメートル
星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)原子力航空母艦<カール・ビンソン>(CVN-70)
相模川に架かる東海道線の鉄橋を小田原行きの最終電車が通過していた。
最終電車に乗る「ダイダラ」の乗客はみな疲れ果て、前後不覚に居眠りをする人、駅から家に帰るタクシー待ち行列の競争を考えてソワソワする人、電車内の誰一人として鉄橋の下を流れる相模川に関心を持つ人はいなかった。相模川の黒い水面をよく見ていれば、電車内の明かりが照らす水面を航行する1メートルほどの<カール・ビンソン>が見えたかもしれない。
<カール・ビンソン>の艦内では突然の電車の音に驚く者もいたが、ほとんどの者は気にもしなかった。
電車の音に驚いた一人は、CVIC(空母情報センター)の隣接区画に設置されたブルー・ドラゴン共同司令部で情報資料を整理する酒匂海軍軍令部情報幕僚・北川少尉だった。
「大丈夫ですよ。上を電車が通過しただけです」北川少尉の傍らに座る星川海軍CSG3情報士官・横山少佐は、やさしく言った。
北川少尉は、バツが悪そうに「はあ」と答えた。
「でも、君は若いな」
「はい。18歳です」
「18?」横山少佐の好奇心に火が着いた。
「北川は、今年から飛び級で大学に入学するのと同時に海軍にも入ったIQ240の天才なんですよ」酒匂の先任情報幕僚が北川少尉の代わりに答えた。
驚いた横山少佐は「こりゃ頼もしい。改めてよろしく」と言って右手を差し出した。
北川少尉は「こちらこそよろしくお願い致します」と言って横山少佐の手を握った。「ところで、石川少尉殿と緒方少尉殿にお会いできないでしょうか? わが王子からの言づけを預かってきております」
「石川と緒方ですか。あいつらも確か18歳の高校生だから、今日は学校に行っているんじゃないかな。ちょっと確認しますね」と言って横山少佐は、VF111のレディ・ルームに電話を入れた。
「二人ともレディ・ルームにいます。今呼びますね」
「めっそうもありません。私のほうから出向きます」と言って、北川少尉は酒匂の先任情報幕僚に顔を向けて「よろしいですか?」と問いかけた。
「行って来い」酒匂の先任情報幕僚は頷いた。
「じゃあ、案内するよ。行こう!」横山少佐は立ち上がった。
「そんな。ご足労をおかけするわけにはいきません」
「空母の内部は巨大な迷路だ。迷子になるぜ! それに、いすに座ったままだと運動不足になる。ちょうどいいんですよ」
「そうですか……よろしくお願い致します」と言って北川少尉も立ち上がった。
二人は、横山少佐の先導で同じデッキレベル03にあるVF-111(第111戦闘飛行隊)のレディ・ルームに向かった。
そのデッキレベル03の艦長室では、艦長・大辻大佐が黒い制服に着替えたところだった。あと15分で到着するブルー・ドラゴン酒匂軍指揮官・入江男爵を出迎えるための着替えだった。
どのように入江男爵を迎えるかについては、意見が分かれた。単に軍の高官を出迎えるなら問題なかった。だが、入江男爵は王族の一人であるだけに国の賓客として迎えるべきだとの意見もあり、なかなか結論が出ず議論が続いた。
結局、国防総省の国際儀礼専門官に問い合わせたところ、「酒匂軍が岸本中将を出迎えたレベルで問題ない」との回答を得て決着した。本来であれば国際儀礼に従って王族を迎えるべきなのだが、今回はデリケートな問題が山積した極秘の作戦なので、入江男爵を単に軍の高官として出迎えても国際儀礼には反しない。それに過大な歓迎は、入江男爵も迷惑だろう。なんといっても、公式には今だ敵対関係が解消していない相手だ。そんな相手から過大な歓迎を受けるわけにはいかないと酒匂は考えるだろう。国際儀礼専門官はそう判断した。
妥当な判断なんだろう。大辻艦長は、そう思いながら壁にはめ込まれた姿見で制服に取り付けた徽章や略綬のゆがみを直していると、インターコムが鳴った。「艦長、ブリッジ。儀仗隊の配置完了。10分前です」
「了解」大辻艦長は、そう答えてインターコムの前を離れると、入江男爵を出迎えるためフライト・デッキに向かった。
4 戦闘
鈴川 平塚駅北西約3キロメートル
酒匂王国連邦海軍 開発隊群 通常動力型試験潜水艦<伊400>
<伊400>は、<そうりゅう>を従えて昼下がりの鈴川を遡上していた。ハラミ・ステーション(鈴川の川べりに設置するヘリコプター給油拠点のコードネーム)までは3キロメートル。ここまでは計画通りの航海だった。だが、それも終わった。
モニターを見つめる機関長・森住中佐の顔は険しかった。
「やっぱりだめか?」森住中佐の肩越しにモニターを見る艦長・沢地大佐が言った。
「温度上昇が止まりません。バッテリー本体の外部点検もしましたし、短絡した箇所やバッテリーと接触した配線がないかも確認しましたが、どれも異常ありません」
「ダイダラの旅客機であったバッテリー発火とは原因が違うのだな。温度が上がる原因は何だ?」沢地大佐は腕を組んだ。
「端子やバッテリー内部の故障なら、一つか、あっても数個のセルがおかしくなるだけです。全部のセルが同時に温度上昇するとなると、原因は電源制御プログラムしかありません」
<伊400>は、潜水艦用リチウム・イオン・バッテリーの試験をするために、それまで搭載していた鉛バッテリーの80%をリチウム・イオン・バッテリーに交換していた。
リチウム・イオン・バッテリー自体は期待どおりの性能を発揮したのだが、バッテリーの換装に合わせて装備した艦制御システムがくせものだった。
このシステムは、<伊400>の操舵、トリム、発電機、艦内環境、そしてリチウム・イオン・バッテリーの制御に必要な電源制御をも行う艦の中枢システムなのだが、その作動は不安定だった。
「なんとか直す方法はないか?」
「艦制御システムを落としてリセットすれば復旧するかもしれませんが、その間、操艦も出来なくなります。そんなことはできませんから、電源制御サブシステムだけをリセットするしかありません。ただ、配線を変えないといけません。それが厄介です。システム詳細設計書をもう一度確認する必要もあります」
「できるか?」
「できます。そうですね、6時間もあれば配線を変えられます。そのあとにリセットしますが、直る保障はありませんよ」
「そんなもん、わかっている。帰りに直すぞ! それまでは、預かり物をハラミ・ステーションに運ぶことが最優先だ。厄介なリチウム・イオンをはずして鉛バッテリーだけを使うぞ」
「了解。すぐに切り替えます。当面は……3時間おきの充電になります」森住中佐は、充電間隔を計算尺で計算した。計算尺が一番早くて正確だ。計算尺は森住中佐の愛用品だった。
「3時間か。そんなもんだな」沢地大佐は、そうつぶやくと副長・桝谷中佐に振り向いた。
「よし、副長! 上流には星川の<カメハメハ>がいるはずだな。<カメハメハ>に我々の前方を偵察させよう。6艦隊司令部に要請しろ。ハラミ・ステーションに行くまでには、最低1回は充電せにゃならん。充電中に敵に遭遇したくないからな。用心に越したことはない」沢地大佐は、そう言うと水中電話をとった。<そうりゅう>にも状況を伝えておかなければならない。