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その1

350三五まるー死のトライアングルー その1



1 兆候

帷子川支流二俣川 二俣川駅南西約50メートル

星川合衆国空軍 二俣川AFB(二俣川空軍基地)

星川合衆国二俣川コロニー


丹沢の山に夕日が沈み、二俣川駅に電車が到着するたびに帰宅する人々が駅舎から出てくる。今日一日が終わって安堵の顔をしている人。明日のことを考えて憂鬱な顔している人。夕食の準備を考えながら歩いている人。様々な表情を浮かべながら家路に向かう人々は足早だ。


二俣川駅南西すぐ近く、帷子川支流の二俣川沿いに「コロニー」と呼ばれる巨大な建造物がある。周囲を厳重に防護された四角いコロニーの3階でも足早に歩き回る人々がいた。

この人々は、駅から帰宅する人々とは大きな違いがあった。それは、彼らが身長5ミリメートルたらずの“小さな人間”だということである。

彼ら小さな人々は「スクナビ」と呼ばれている。元の身体の1/350に縮小されて、その小さな世界で生きることを決めた人々である。

いそいそと足早に戦略偵察機SR-71A“ブラック・バード”、コールサイン“オーロラ68”の周りを歩き回る人々は、星川合衆国空軍9RW(第9偵察航空団)に所属するグランド・クルーである。彼らは、まもなく地上滑走を開始する長さ10センチメートルのオーロラ68の最終チェックに余念がなかった。

「オーロラ68 グランド。 タクシー トゥー ランウェイ20 ウインド300 アット 15ノット」

大保少佐は、地上滑走の許可を得て窮屈な“オーロラ68”のコックピットからグランド・クルーに出発の合図を送った。

グランド・クルーの「前進しろ」の合図で、パイロットの大保少佐はスロットルを静かに前方に押し出した。

“オーロラ68”は身震いをしてヨタヨタと動きだした。完璧な敬礼をしているグランド・クルーに答礼した大保少佐は、“オーロラ68”を滑走路に導いていった。

「オーロラ68 タワー。 ウインド300 アット 15ノット クリアード フォー テイクオフ ランウェイ20」

「クリアード フォー テイクオフ オーロラ68」大保少佐が離陸許可の受領を管制塔に告げた。

「システム異常なし。いつでもオーケーです」後席に陣取るRSO(偵察システム士官)友岡少佐の報告を聞いた大保少佐は「じゃあ、行こうか」と言いながら、慎重にスロットルを前に押し出した。

“オーロラ68”は、J58ジェットエンジンのテールパイプから炎の帯を引いて、コロニーの中にある長さ11メートルの滑走路を飛び立った。

滑走路の先にあるコロニーの穴から外に出た瞬間、風の向きが変わったために機体が少し振られた。それでも“オーロラ68”は順調に上昇を続け、西の空に向けて旋回を始めた。

「給油機との会合点は、255度1.5マイル(約2.8キロメートル)です」友岡少佐が報告した。

大保少佐は、その方位に旋回を続けながら、強力なJ58ジェットエンジンの力を借りて“オーロラ68”をぐんぐん上昇させていった。

上昇するにつれて、西の地平線に沈んでいった夕日が再び顔を出し、その光が長さ10センチメートルの“オーロラ68”を包んでいった。下の地上はすでに闇に覆われ、帰宅を急ぐ自動車のライトや、町のネオンがキラキラと輝いている。

大保少佐は、まだ明るい空の上から夜のきらめく街を見て、そのすばらしい光景に飛行機乗りとしての特権を味わっていた。しかし、その目は、計器の監視と空中給油機の姿を求めてせわしなく動いていた。

“オーロラ68”が空中給油機と会合するころ、二俣川基地では2機目のSR-71A、“オーロラ54”が離陸を開始した。2機のSR-71Aは、丹沢の南東、伊勢原付近の偵察が命じられていた。

「スクナビ」の世界で、新たな闘いが始まろうとしていた。



「スクナビコナ」……日本神話における小さな身体の神、少彦名。または、縮小・復元器によって身長5ミリメートルに縮小された人々とその世界。別名「スクナビ」



「スクナビ」の歴史は浅い。京都帝国大学・柴田龍三郎教授が、シバジウムを使って物体の縮小・復元を可能とする、いわゆる「柴田理論」を発表したのは、明治31年のことである。柴田教授は明治39年に没するが、その志を受け継いだ京都帝国大学・井上重蔵教授が、明治40年に物体の安定した縮小・復元を成功させた。

成功の鍵は縮小率にあった。生物や物質を元の大きさの0.0285倍(約1/350)とすることによって縮小は安定し、復元後も異常がないことが確認された。また、この倍率で縮小した場合、縮小後の生命活動に影響がなく、縮小・復元の回数に制限がないことも判明した。

井上教授は、助手の学生に対して「物体を縮小・復元させることは、現在のいかなる科学理論でも解明できない部分があり、これは、まさに神の意思によるものだ」と説明したことから、物体の縮小・復元にまつわる解明不可能な現象は「神の意思」と呼ばれるようになった。

「神の意思」の代表例は、「スクナビ」が独自で設計した工業製品が、まともに動かないことである。ところが、縮小されていない世界で使用されている工業製品を「スクナビ」で再設計して製造すると設計どおりに動く。この謎はいまだに解明されていない。


現在にいたる「スクナビ」世界の始まりは、大正10年から始まった。

この年、大日本帝国政府は、これまで過剰な労働力をブラジルなどへ移民させる政策を行ってきたが、同様に希望者を縮小させ、縮小世界を開拓する移民政策を始めた。そして、縮小世界の町を各地の有力者に管理させた。

この政策は神話に出てくる小さな神の名前をとって「スクナビコナ(少彦名)」政策と呼ばれ、縮小した人間や縮小世界のことを単に「スクナビコナ」あるいは短縮して「スクナビ」と呼ばれるようになった。なお、「スクナビ」に対する普通の大きさの人や世界のことは「ダイダラ」と呼ばれた。

その後の10年間に「スクナビ」になった人々は約一千万人に達し、日本各地に数十人規模の「ハウス・コロニー」と呼ばれる小さなコロニーから、数百万人規模の大規模な「メガ・コロニー」まで様々なコロニーが形成された。

また、これらの土地と資金を提供できる有力者は限られており、その有力者は、しだいに「スクナビ」世界で支配階級を形成していった。

昭和11年は、「スクナビ」世界にとって激動の年であった。静岡県沼津市の有力者、斉藤彰英が自ら国王を名乗り、周辺に点在したコロニーを統合して香貫王国の樹立を宣言したのである。

大日本帝国政府は対外政策に忙殺されていたため、これを黙認した。このため各地の大規模なコロニーは、周辺の中小コロニーを取り込んで次々と国家を樹立していった。

こうして新しく樹立された国々は、さらなる権益の獲得と、他国からの侵略を恐れて互いに争い、際限のない軍拡競争を行った。

この争いは、現在でも続いている。

なかでも香貫公国は領土拡張に熱心である。旧香貫王国は、初めて国家を樹立した小国であった。しかし、永野勇造将軍がクーデターにより香貫の実権を握ってからは次々と周辺の国々を武力併合していった。

永野勇造将軍は、彼を党首とした国民親和党を介して権力を集中し、党を中心とした中央集権体制の大国に成長した。以来、永野一族が世襲で国家元首を務めており、3代目の永野勇樹将軍に至るまで国王を名乗ることなく公国として現在にいたっている。そして国の基本政策は一貫して豊かな東京方面への領土拡張を堅持している。

香貫公国の侵略対象は横浜の星川駅北東に首都コロニーを持つ星川合衆国をはじめとしたKEITO(京浜条約機構)加盟国である。KEITO加盟国はいずれも首都圏に多くのコロニーを保有し「ダイダラ」との交易により繁栄している民主国家である。

香貫公国の狙いは、この「ダイダラ」との交易に必要な土地を奪い、その権益を香貫公国のものとすることである。

香貫公国と星川合衆国の間には、小田原の鴨宮駅南西に首都コロニーを持つ酒匂王国連邦がある。

酒匂王国連邦は、出雲、吉野、入江という3つの王家により構成された連邦国家であり、最大の王家である出雲家が連邦国大王として元首を務めている。

この酒匂王国連邦は、東は星川合衆国と相模川西岸の領有権紛争。西は、首都圏進出を企む香貫公国からの絶え間ない侵略の脅威をうけている。だが酒匂王国連邦も大国の一つであり、その軍事力は侮れないものがある。


この、混沌として戦火の絶えない「スクナビ」世界は「スクナビ」同士の争いのほかにも危険がある。

大きな人々「ダイダラ」では何でもないことが「スクナビ」の命を左右する。「ダイダラ」であれば捕食性の昆虫、鳥、魚などに命を奪われることはない。ちょっとした雨で溺れ死ぬ心配もない。ちょっとした風で吹き飛ばされることもない。それでも多くの人々が、毎日「スクナビ」の世界に移住してくる。

なぜ人々は危険を承知で「スクナビ」に移住してくるのであろうか?

それは、「スクナビ」世界が未だ発展途上にあり、無限の可能性を秘めたフロンティアだからである。人間は、身体が小さくなっても欲望まで小さくなることはない。力が正義の世界。それが「スクナビ」の世界なのである。


2 捜索



小出川上流 香川駅南西約500メートル

星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)原子力航空母艦<カール・ビンソン>(CVN-70)


CSG3司令部先任幕僚(副司令)岡部准将は、自分の空母打撃群が置かれている現状に苛立っていた。

岡部准将の苛立ちの原因は、空母<カール・ビンソン>の08デッキから眺める光景にあった。

フライト・デッキ右側に突き出た艦橋の5階。小出川の水面から12センチメートルの高さにあるフラッグ・ブリッジと呼ばれる司令部用の艦橋からは、まるで谷底にいるように両岸の土手が迫って見える。

「スクナビ」にとっては、十分に高い位置からの眺めであるが、「ダイダラ」にとっては水面と同じ高さから見るのと変わらない。

昨日から空母打撃群は、川幅の狭い小出川を5キロメートルも遡上してきた。川幅は8メートルしかなく、全長1メートルの空母を自由に動かす余裕はほとんどない。川岸からの攻撃に備えて<カール・ビンソン>のごく近傍に、イージス巡洋艦<シロー>(CG67)と、イージス駆逐艦<ラブーン>(DDG58)を配置している。このため、なおさら自由に動き回る空間が狭い。

酒匂の勢力圏に近いこともあり、いまの陣形が最適だということはわかっている。上空には、空母打撃群の目と耳になる早期警戒機E-2D“ホークアイ”と、護衛の戦闘機F-14D“トムキャット”を配置し、さらに川岸を監視するため、川の両岸に1機ずつ哨戒ヘリコプターSH-60R“アール”を飛ばしている。

不意の攻撃に備えた態勢はできている。それでも岡部准将の顔は冴えなかった。何かが進行している。いったい何が?

昨夜、伊勢原方面の偵察に向かった空軍のSR-71A、“オーロラ54”が最後の偵察航程に入るとの連絡を最後に消息を絶っていた。

「これで、3機目だ」岡部准将は、そう思いながら手に持った命令書に目を落とした。この命令は昨日の朝、COMTHIRDFLT(第3艦隊司令官)が発令したもので、何度も読み返したため紙が擦り切れていた。


BT

1310060712I

CONFIDENTIAL(機密)

FM:COMTHIRDFLT(発:第3艦隊司令官)

TO:COMCARSTRKGRU TREE(宛:第3空母打撃群司令)

INFO:CDRWESTCOM(通報:西方軍司令官)

作戦命令第111008号

A.西方軍司令官 編成命令 1110060359I

SUBJ:相模川西方の偵察(命令)//NO11202//

情勢:10月3日、酒匂軍の動静を定期調査していた偵察機RC-135V“リベットジョイント”が、相模川西方を偵察飛行中に消息を絶った。

10月4日、消息を絶ったRC-135Vを捜索中の捜索救難機HC-130Jも、相模川西方で消息を絶った。

西方軍司令官は、これら連続した航空機の消息不明は偶然の事故ではなく、正体不明の敵による攻撃と判断した。このため、消息を絶った航空機の捜索を取りやめて、相模川西方で攻撃を行った正体不明の敵を捜索する方針を決定した。

西方軍司令官は、関連文書Aに基づく編成命令を発した。

命令:第3空母打撃群司令は、小出川上流、北緯352109東経1392343を中心とした半径2マイルの地点に向かえ。10月6日1200I以降、西方軍司令官の指揮下に入り、相模川西方の航空偵察を行え。

なお、航空偵察の詳細は、ATO(西方軍航空任務命令)により指定される。

BT


「副司令!」 CVW-15(第15空母航空団)司令代理兼VF-111(第111戦闘飛行隊)飛行隊長・加藤中佐が、空母打撃群情報士官・横山少佐を伴ってフラッグ・ブリッジにやって来た。

「CAGか! 何かわかったのか?」岡部准将は、命令書から目を離して加藤中佐を見つめた。

空母<カール・ビンソン>の艦載機は全てCVW-15に所属している。“CAG”とは、そのCVW-15司令の略称のことである。司令代理とはいえ実質的な司令である加藤中佐は、ほとんどの隊員からCAGと呼ばれている。ただ、VF-111所属の隊員からは“スキッパー”または敬意をこめて“おやじ”と呼ばれている。

「いいえ、はっきりと解明できたことはありません。しかし、USWESTCOM司令部(西方軍司令部)が定めた捜索地点は間違っています」と、加藤中佐。

「そうなんです。そもそもの発端となったRC-135Vの墜落地点が間違っています」横山少佐が、話を受け継ぐ。

「横山少佐が気づいたのですが、墜落したRC-135Vの機長、副操縦士、航法士の三人は、三人とも名誉将校でした。しかも、機長の飛行時間は、たった600時間しかありません」


名誉将校とは、建国当初の軍事費不足を補う手段として創設された制度である。「ダイダラ」人から資金の提供の受け、その見返りに軍の階級を与える制度のことである。「ダイダラ」人が資金を提供すると名誉将校となり、その額に応じて名誉司令や、名誉艦長などに任命される。

彼らは、一部には飛行資格を取って航空機を飛ばす者もいるが、ほとんどは休日の趣味として戦争ごっこをするだけである。本当の実戦に参加することはほとんどない。このため、実際に部隊を動かしているのは副司令や副艦長である場合も珍しくない。


「確かに名誉将校の練度は信用できないが、それと墜落地点は、どう関係するんだ?」

「行方不明当日は、発達した低気圧が日本海を通過していたので、伊勢原付近は強い南風が吹いていました」

「風に流されたのも知らずに飛んでいたというのか?」

「そうです。これを見てください」横山少佐が、持参した神奈川県中部を拡大した戦術地図を広げた。

「この線が、RC-135Vの計画航路です。そして、こちらの線が我々の予測するRC-135Vの実際の航跡です。この予測航跡は当日の風と最後に確認されたRC-135Vの位置から割り出しました」

両方の線は、出発点である二俣川基地を基点としているが、予測航跡は西に行くにしたがって計画航路の北側に離れていく。

「RC-135Vが最後に確認されている位置は、高座渋谷駅の北0.3マイルです。空軍のAWACS(早期警戒管制機E-3C“セントリー”)が確認していました。新幹線に沿った計画航路どおりに飛んでいたのであれば、この時点で既に航路を外れていることになります」

「だが、USWESTCOM司令部は計画通りの航路を飛行したと考えている」岡部准将は命令書に目を落としながら言った。

「はい。計画ではRC-135Vは新幹線に沿って西に向かう予定だったので、位置の確認はできたであろうと考えています。しかし当日は視程が悪く地上の目標を見ながらの飛行は難しい状況でした。しかもパイロットの経験は浅いので、計画航路を大きく外れる可能性は多分にあります」

「次に、この線が捜索救難に向かったHC-130Jの航跡です。HC-130JにはGPSもありますし、救難部隊の搭乗員に航法ミスは考えられません」

その線は、伊勢原駅から南南西に延びている。

「RC-135Vの予想航跡と、HC-130Jの航跡が交差する点は、両者の墜落予想時刻から算出した墜落予想位置とぴったり重なります」

「しかし、SR-71Aの墜落地点は、ここからだいぶ離れているぞ」岡部准将が疑問を挿んだ。

「SR-71Aの墜落地点は、離れていますが、偵察飛行の第1航程で交差地点上空を飛んでいます」

「何か考えがあるようだな」岡部准将に笑顔がよみがえる。

「ええ、横山少佐と私は、昨夜からこれら墜落の共通点を探っていました」加藤中佐は、横山少佐に向かってうなずいた。

「共通点は三つあります。一つ目は、航跡の交差地点。二つ目は、消息をたった航空機が、いずれも緊急通信を発していないという点。三つ目、敵は、いっさいのレーダー波や無線交信を発していないという点です。CAGと得た結論は、RC-135VとHC-130Jは低空を飛行中に地上からの攻撃で撃墜され、SR-71Aは待ち伏せた戦闘機によって撃墜されたのではないかということです」

「攻撃手段は、全て赤外線誘導ミサイルによるものだと思います。これであればレーダー波に反応するESMなどの警報を受けられません。気付いたら攻撃を受けていた。そして何の対処もできず墜落したと考えられます」

「RC-135VとHC-130Jは、低高度を飛んでいたため、地上から赤外線誘導ミサイルで撃墜できます。しかし、SR-71Aは高高度を高速力で飛んでいるため、赤外線誘導ミサイルではSR-71Aを捕捉できません。ですが、SR-71Aの偵察コースについては予測がつきます。敵がオーロラ54を発見してから、戦闘機による迎撃まで約40分も余裕があります。十分に待ち伏せは可能です」

岡部准将は地図から顔を上げて艦橋の前に駐機するF-14Dを見下ろしながら言った。「F-14はミサイルの炎を探知できるのだろ?」

「ミサイルのロケット・モーターが作り出す紫外線を探知する装置はありますが、ターキー(F-14D)やライノ(F/A-18F)など最近製造された戦闘機にしか装備していません」

「攻撃手段に異論はないが、酒匂軍にはSR-71Aに追いつける戦闘機なんかないぞ」

「香貫軍には、MiG-25やMiG-31があります。一連の撃墜事件でレーダー波が探知されていないので、IRST(赤外線捜索追尾装置)を装備したMiG-31によって撃墜されたのだと思います」

「香貫がやったというのか? そもそも、待ち伏せなんか可能なのか?」

「タイミングは少々難しいですが、SR-71Aの飛行コースは予測できるので可能だと思います」

「しかも、次の偵察コースに入るために旋回中のSR-71Aは、機動が著しく制限されています。身動きが取れません」

「香貫は、こんなところで何をたくらんでいるんだ? 秘密基地でも作っているのか?」

「わかりません。ただ、USWESTCOM司令部が設定した捜索中心点を北に2キロメートルずらした“ここ”に何かがあると考えれば全ての疑問が解決します」加藤中佐は鈴川と板戸川の合流点付近を指差した。

「酒匂軍の可能性もありますが、敵はそうとう秘匿に気を配っています。レーダー波や無線を一切探知してないことからも、それはわかります。酒匂軍であれば、そのような気を使う必要はありませんし、この地域での酒匂軍に目立った行動はありません」加藤中佐は考え込むように話した。

岡部准将は考えた。飛躍しすぎた考えにみえるが、何の確信もなく話を持ってくるような加藤中佐ではない。そして、なにより自分の勘も正しいと告げている。「よし、推測の域を出ない面もあるが理には適っている。USWESTCOM司令官と話し合ってみよう」

「そうこなくっちゃ!」

「おい、横山! もし間違っていたら厚木国で大宴会だぞ! おまえの奢りで」

「わかりました。たまには厚木国もいいすっね。それでは、私は、この件をUSWESTCOM司令部の同業者と話します。香貫軍がここにいる手がかりがつかめるかもしれません」

「CAG、この変更をいつから開始できる?」

「まもなく1撃目の発艦時間ですが、攻撃を受けた時の対応策を検討してからのほうがいいでしょう。3時間後に発艦する2撃目から変更します」

「よし、俺は大至急USWESTCOM司令官に話をつける。この方向で進めてくれ」

3人は、それぞれの作業に取り掛かるため、フラッグ・ブリッジを後にした。




小出川上流  香川駅南西約500メートル

星川合衆国海軍 VF-111(第111戦闘飛行隊)“サンダウナー205、208”


今日も無事に発艦できた。緒方少尉は、そう思いながら、「サンダウナー205、グット・ショット」とコールして、空母<カール・ビンソン>を後にした。

緒方少尉が乗るF-14D“トムキャット”などの艦載機が空母から発艦する際は、カタパルトと呼ばれる発艦用射出装置を使って、まさに空母から投げ出される。

カタパルトがあるフライト・デッキは水面から8センチメートルの高さでしかない。このため、「ダイダラ」にとっては平穏な水面でも波の波長によっては艦のピッチングが激しくなり、フライト・デッキにまで水しぶきがかかってくる。

こんな時の発艦ではエンジンが多量の水を吸い込んで止まる可能性がある。また、艦首にある1、2番カタパルトから発艦する場合、艦首が波の底に向かって落ちている瞬間に発艦すると水面に激突してしまう。

最悪なのは発艦する唯一の手段であるカタパルト射出が他人任せだということである。自分は準備を完了させてただ射出を待つだけ。射出のタイミングは射出の責任者であるカタパルト士官が握っている。カタパルト士官が水面に激突するタイミングで射出させるはずはないし信頼もしているが、やはり危険な瞬間を他人に任せるのは気持ちが落ち着かない。着艦の難しさは広く知れ渡っているが、発艦も極度の緊張を強いられるのである。


「サンダウナー208、グット・ショット」ウイングマン関口魁人のコールを聞いて緒方少尉は後ろを振り返り関口少尉の操るF-14Dを探した。

2機のF-14Dは空母の西側上空で待機していたVS-29(第29対潜飛行隊)のS-3B“バイキング”艦上対潜哨戒機から空中給油で燃料を受け取った。燃料を満タンにした“サンダウナー205”と“サンダウナー208”は、編隊を組んで機首を西に向けた。


「まだ悩んでるのか?」後席のRIO(レーダー迎撃士官)石川少尉は、インターコムを通じて前席の緒方少尉に話しかけた。

「わからねぇんだよ! オレは……何をやりたいのか」高校3年生の緒方少尉は怒ったように話した。

緒方少尉は高校3年の2学期だというのに、いまだに自分の将来を決められないでいた。

「大学を卒業しないと大尉にもなれないんだぜ!」同級生の石川少尉が言う。

「だからお前はダイダラの大学に行くのかよ?」

「まあな。大学を出て本物の飛行士官になって、ダイダラとスクナビの世界を行ったり来たりするんだ。めざせ加藤中佐といったところさ」

「オレは、このまま飛行士官を続けられるかわからないんだ」

「そりゃあ海軍で飛行機を飛ばしてれば危険は多いよ。怖くなる気持ちもわかる。でもな……」

「でも……なんだよ! お前は怖くないのかよ」

「そりゃあ怖いさ。でも俺が操縦しているわけじゃあないしな。お前の腕を信用してるよ。必ず俺をボートに帰してくれるってな!(星川海軍の艦載機乗りは自分の空母のことをボートと呼んでいる)」

「あぁ!」

「気のない返事するなよ……ところで、もうすぐ相模川だぜ、仕事にかかろう!」

「……そうだな、相模川を過ぎたら高度を下げる。でも、急に偵察地点が変わって、そこに何があるんだ? 加藤のおやじは、対空ミサイル以外に何かありそうな顔してたぞ」

「何があるかわからねぇけど、俺たちの脅威になるミサイルのことは教えてくれたぜ。何があるかは写真を撮ってのお楽しみだ」

「お前は気楽でいいな……関口はしっかり後ろにいるか?」

石川少尉は後ろを振り返り関口少尉のF-14Dが編隊飛行の2番機位置にいることを確認しながら答えた。「関口なら、俺たちのお守りをやってるよ……コースの右にずれている。修正ヘディング2-5-8」

「ガチャ。ヘディング2-5-8」

2機のF-14Dは機首を少し左に修正しながら相模川を目指した。

今回の任務では、2機のF-14Dのうち緒方少尉の乗る”サンダウナー205”がTARPS(F-14Dの胴体下に搭載した偵察ポッド)を搭載して偵察を行い、関口少尉の”サンダウナー208”が護衛することになっている。

今のところ2機のF-14Dはタイト・フォーメーション(緊密編隊)を維持しているが、偵察飛行に入ると、関口少尉は緒方少尉の後方上空に移動して護衛する。こうすれば、関口少尉は十分な視界と自由な空間を確保できる。一方の緒方少尉は高い位置から関口少尉が見張ってくれるので偵察に専念できる。

この隊形は、鈴川と小田原厚木道路が交差する地点からの予定である。あと20分。

相模川上空に達したところで2機は機首を下げ、急速に高度を下げた。小さな点だった家の屋根がぐんぐん迫ってくる。家の屋根がキャノピーいっぱいに見えるほど降下したところで、緒方少尉は機首を上げ、家の屋根を見上げるほどの高度で水平飛行に移った。

2機は右に左に建物や電線をかわしながら飛行を続ける。まるでレールの無いジェットコースターに乗っているようだ。このように建物に隠れて飛行すれば敵のレーダーに探知される確率はぐんと減る。

「スクナビ」では、このような飛行をBSH飛行(信号機よりも低い高度での飛行)と呼ぶが、この高度での飛行は危険も多い。建物や看板、電線に衝突することは言うに及ばず、鳥や虫とも衝突する可能性が増える。

コガネムシのように硬い殻に覆われた虫と衝突すれば助からないが、蚊のように軟らかい虫との衝突も危険である。蚊がエンジンに吸い込まれてエンジンが壊れてしまうからである。虫の動きは予測しにくいため、虫との衝突は珍しいことでなく、飛行機乗りの間では「バグ・ストライク」といって恐れられている。

「バグ・ストライク」などの危険が多く、「ダイダラ」からの騒音苦情が多いこのような飛行はめったにできない。だが、「スクナビ」の飛行機乗りは、例外なくBSH飛行が好きである。

「いけいけー! 左だー! かかってこいやー!」後席から石川少尉が叫ぶ。

「うるせーよ! 気が散るだろが!」そう怒鳴る緒方少尉に怒った様子はない。二人とも例にもれずBSH飛行が好きだからである。

緒方少尉は開放感に浸っていた。「ダイダラ」になって歩いていればただの町並みでも、「スクナビ」となって低空を飛んでいると、片側一車線の道路がとてつもなく広く見える。そして、道路の上の空間がとてつもなく大きく広がって見える。道路の両側にある建物が巨大な崖に見え、階段の一段一段が見上げるように高い。緒方少尉は、この時に感じる開放感が好きであった。

逆に「ダイダラ」に戻った時は強い息苦しさを感じていた。この息苦しさは見た目だけの問題ではなく、「ダイダラ」社会の間に漂う閉塞感も関係している。

成熟した「ダイダラ」社会ではチャレンジよりも安定が優先される。「ダイダラ」の人々は、それぞれのしがらみによって何も変えられない。「今の生活が維持できればいいや!」といった雰囲気が漂っている。

緒方少尉は、このような閉塞感を感じると狭い部屋に閉じ込められたような気分となり、思わず叫びたい衝動にかられる。

「スクナビ」社会は戦火が絶えることがなく危険の多い世界であるが、ほとんどの「スクナビ」人はチャレンジ精神が旺盛でバイタリティにあふれている。

開放的な「スクナビ」と閉塞的な「ダイダラ」を行き来する緒方少尉が、自分の将来を決められない原因がここにある。

どっちで生きるんだよ! 緒方少尉はいつもそこで考えが止まってしてしまう。だからといって両方を行き来する生活ができるほど器用でないとこともわかっている。それは「ダイダラ」の高校に通いながら「スクナビ」でF-14Dを飛ばしている今の生活が苦痛になっていることからもわかる。

智美が「スクナビ」で生活してもいいと言ってくれれば「スクナビ」で生きる踏ん切りがつくんだけどな……

「次の交差点を左!」石川少尉の言葉に緒方少尉の考えは中断された。

「はしゃいでるわりにはちゃんと仕事してるじゃねぇか!」緒方少尉はからかうように言った。

「いつも飛行隊長が言ってるだろ! プロに徹しろって」石川少尉は気にせず答える。

「だいぶ加藤のおやじに洗脳されたな」

「お前だって、飛行隊長が話してる時は真剣に聞いてるぞ! 先公の話なんか聞かないくせに!」

「あぁ、俺はまだ死にたくないからな。おやじの話にはヒントがたくさんある」

「了解! じゃあ今日も生きてボートに戻ろう」

「オーケー、プロらしく任務をこなそう」二人はただの高校生ではなく、プロの戦士でもあった。




鈴川上流 伊勢原駅南約3キロメートル

酒匂王国連邦海軍 1航艦5戦隊(第1航空艦隊第5航空戦隊) 空母<瑞鶴>飛行隊“竜神01、竜神07、孤虎02”


3機のプロペラ機が鈴川上空を川上に向かって飛行していた。全長が3センチメートルの艦上偵察機・彩雲“孤虎02”と、護衛の艦上戦闘機・紫電改二”竜神01”、”竜神07”である。3機は、金目川を3キロメートルほど遡上した空母<瑞鶴>に所属する艦上機であった。

2機の紫電改二が彩雲を前後に挟むように飛行する3機は、外見こそ太平洋戦争で活躍していた当時と同じだが、中身は最新の技術により改修された最新鋭機である。

最大の改修点は、エンジンである。ガソリンを燃料としたレシプロ・エンジンからケロシン系の燃料を使用したタービン・エンジンに換装されたのである。

これは、空母が被弾した際の被害を極限するため、空母内部に危険なガソリンを搭載したくない艦側からの要請で実現した。より発火点の高いケロシン系燃料は、艦の被害極限にとどまらず艦載機に給油する際の危険性も減少させた。

改修は困難だったが、紫電改二では、エンジンのタービン化によって「ダイダラ」換算で3000馬力ものパワーを得た。また、エンジンの換装は重量の低減と省スペース化にも寄与した。馬力の増加によって強力な発電機を搭載する余裕ができ、空いたスペースに豊富な電力を使用した飛行管理コンピュータや、戦闘指揮システムなどのアビオニクスを搭載した。

操縦系統も従来の操縦索からFBW(フライ・バイ・ワイヤ:操縦桿の動きを電気信号に変えて操縦翼面を動かす方式)に変更され、俊敏性と安定性という相反する特性を持ち合わせた。

そして、なによりも戦闘指揮システムと連接した赤外線誘導ミサイル90式空対空誘導弾を最大4発搭載し、レーダーはないものの敵のレーダー波を探知するESM(レーダー波などの逆探知装置)を搭載することで戦闘力が大幅に向上した。


「ダイダラ」の世界ではジェット戦闘機に勝ち目のないプロペラ戦闘機であるが、「スクナビ」の世界では、スピード性能やレーダー性能だけが戦闘機の優劣を決める要素ではない。

低空で障害物を避けながら飛行すれば、建物などの陰に入ることによって容易にレーダーやミサイルを避けることができる。建物や電線をかわしながらの飛行ではスピードを上げることもできない。

このため「家の屋根よりも低い高度」という条件がつくものの、小回りのきくプロペラ戦闘機はジェット戦闘機と互角に戦える。もちろん、何の障害物もない高い高度ではプロペラ戦闘機に勝ち目はないが、近接航空支援や捜索救難などの任務では低空を飛行するため、プロペラ機の有用性は非常に高い。


3機のプロペラ艦上機は水面上1メートルを飛行し続け、鈴川が小田原厚木道路と交差する真っ暗な橋の下を飛行した。そのまま川に沿って西に進路を変更すると、3機の正面に箱根の山と富士山が見えてきた。

3機編隊の先頭を飛ぶ紫電改二”竜神01”には、酒匂王国連邦最大の王家である出雲家の第3王子にして酒匂王国連邦海軍少佐である出雲隼人が搭乗していた。

出雲少佐はヘッド・アップ・ディスプレイ(コックピット前方ガラスの手前に設置された透明の板に、飛行姿勢などの情報を表示する装置)を通して正面に映った箱根の山を見て、思わず祈りの言葉を口にした。

箱根の山は酒匂王国連邦にとって国の守り神である。

常に東への野望に燃える香貫であっても大規模な陸上兵力を酒匂に集結させることはできない。箱根の山が大規模な陸上兵力の移動を拒んでいるからである。

酒匂の国民にとって箱根の山は、まさに国の守り神なのである。今のところは。そう、今のところは。


昨日、出雲少佐は、王位継承権第4位の叔父である海軍軍令部総長・出雲男爵の呼び出しを受けた。このため、出雲少佐はその日のうちに一人紫電改二”竜神01”を飛ばして、空母<瑞鶴>から酒匂川河口に位置する海軍軍令部に向かった。

海軍軍令部がある西酒匂コロニーには酒匂海軍最大の西酒匂海軍基地と隣接する西酒匂海軍航空基地がある。この西酒匂海軍航空基地は空母が入港する前に搭載する艦上機を陸上基地に移す拠点としても使用されるため、離発着する航空機が非常に多い。

着陸の順番待ちのために上空待機することも珍しくない基地ではあるが、出雲少佐の”竜神01”は他の航空機を全て待たせて悠々と西酒匂海軍航空基地に着陸した。

着陸後、高官専用の駐機場所に”竜神01”を止めた出雲少佐は、軍令部総長が差し向けた専用車に乗って軍令部庁舎に向かった。

「おお! 隼人、急に呼び出してすまなかったな」軍令部総長は椅子から立ち上がり、嬉しそうに机を回って出雲少佐を迎えた。「心配しておったのじゃぞ」

「心配には及びません。一人で飛ばしてこられます」

「その件は手配している」

「ですが、私のために貴重な戦闘機を2機も母艦から離すわけにはいきません」

出雲少佐は、王家の都合で<瑞鶴>を離れる際は母艦の戦力が割かれることを心配して一人で飛んでいた。だが、周りの人々は一人で飛ぶ出雲少佐を心配し、何度も護衛をつけて飛ぶように要請していた。

「<瑞鶴>戦闘機隊の定数を2機増やした。2機は今週にも<瑞鶴>に到着するじゃろ。これからは必ず僚機を伴って飛ぶのじゃぞ」

「しかし」

「隼人! しかしはなしじゃ! 酒匂の民は、自ら進んで危険な任務を引き受ける王子を慕っているのじゃ。隼人が思っている以上に民は隼人を大切に思っているのじゃぞ。隼人の身は、おぬしだけのものではないのじゃ」

「ですが、その2機はどこから持ってくるのです。わが海軍に余分な戦闘機などないはずです」

「それは軍令部や海軍省が考える。隼人は心配せんでもよい。それに……隼人に万一のことがあれば、大貫や平岡は生きてはおるまい。 あの二人ならそうするじゃろ。それでも意地を張るつもりか?」

大貫大佐と平岡中佐は、出雲少佐の上司である<瑞鶴>艦長と<瑞鶴>飛行長である。二人は訓練に厳しく、その点では一切の妥協がない。たとえ相手が王子であっても同じである。厳しい訓練が長引いた時などは不満を感じたこともある。だが、出雲少佐は、この厳しい訓練のおかげで今まで生き延びているのだと思っている。出雲少佐は自分のために信頼する二人を死なせるわけにはいかないと思った。

「……わかりました。叔父上」出雲少佐は不承不承受け入れた。

「じゃが、心配していたのはその事ではない」

「なんですか?」

「とぼけるでない! 大王からも知らされている。おぬしの大学進学のことじゃ。大王の意向に逆らって酒匂で「スクナビ」の大学に行こうとしていると聞いた。 なぜじゃ?」

「わたしは、我が連邦の将来が心配なのです。先日も香貫が裏で糸を引いている暴動が熱海で起きました。手をこまねいていると香貫や星川に滅ぼされてしまいます。ですから私は国に残って将来戦場になる場所を調べたいのです」

「隼人、おぬしの国を思う気持ちはわかった。大王が、おぬしの志を聞いたらお喜びになられるじゃろ」

軍令部総長は顔をほころばせたが、すぐに真顔に戻って言った。「じゃが、そのような調査は王が希望される東京の「ダイダラ」の大学に通いながらでもできるじゃろ」

「香貫や星川は、いつ攻めてくるかわかりません。明日かもしれないのです。一刻も早く調査を完了させ、私の準備を終えねばなりません」

「確かに戦う場所を知ることは必要じゃ。織田信長も若い頃は尾張の地を調べまわったと聞く。じゃが地の利を知るだけでは闘いに勝てん」

「わが国の兵士と兵器は優秀です。あとは地の利を生かした作戦ができれば勝てます」

「戦争とは意思と意思のぶつかり合いじゃ。お互いの知恵比べじゃ。そのためには相手が何を考え、どのように動くかを知らねばならん。じゃから大王は多くの国々の学生と学び他国人の考え方を知る必要があると考えられておるのじゃ」

「叔父上は、このようなことを言うために私を呼び寄せたのですか?」出雲少佐は、自分を心配してくれる叔父に感謝しながらも、うんざりしたようにつぶやいた。

「……まあよい。この話は後じゃ。厄介な事態が発生したんじゃ。ついてきなさい」

二人は、総長室を出て、地下に向かった。軍令部庁舎の地下には酒匂連邦海軍の作戦中枢である軍令部作戦司令室と、第1部(作戦・運用)、第3部(情報)の事務室があり、二人は第3部事務室のさらに奥にある特別最高機密室に入った。

そこには第1部長、第3部長の他に若い第3部所属の少尉が待機していた。

「待たせてわるかったのう。そうそう、北川少尉は初めてじゃったな」

「第3部第2課 海軍少尉 北川 啓!」まさか軍令部総長が一介の少尉の名前を覚えているとは思わず、しかも王子にまで紹介されたため、北川少尉はコチコチに緊張して出雲少佐に申告した。

「<瑞鶴>戦闘機隊 出雲少佐。よろしく」出雲少佐も戸惑った。それは少尉を紹介されたことに対する戸惑いではなく、叔父が王族として階級の分け隔てなく人に接する姿勢に対してだった。そして叔父の態度を見習おうとも思った。

「さっそくじゃが、わしも考えをまとめたいんじゃ。すまんが初めから説明してもらえんじゃろか」出雲少佐の戸惑いも気にせずに軍令部総長は話を急がせた。

「わかりました。総長。昨日からの新しい情報を含めまして、北川少尉が説明をおこないます」第3部長は、北川少尉のほうを向いてうなずいた。

「北川少尉、説明いたします」北川少尉はそう言いながらプロジェクターを点灯させ、壁際に歩み寄って部屋の照明を暗くした。

「今回の事象を申し上げる前に香貫の核戦力の構成について説明いたします。香貫軍の核戦力については……」

「ちょっと待て下さい。核攻撃が迫っているのですか?」出雲少佐は驚いた。

「いや。今すぐ攻撃されるという話ではないんじゃ。じゃが、今後重大な脅威になる可能性があるのじゃ。時間もないので先に進ませもらうぞ」軍令部総長は出雲少佐に答えながら、目で先を促すように北川少尉を見つめた。

「……説明を続けます。香貫の核戦力は「ダイダラ」世界のアメリカ軍やロシア軍と同様に3本柱で構成されています。1本目の柱はTu-95“ベア”とTu-160“ブラックジャック”を合計60機装備する戦略爆撃機部隊、これは空軍に所属しています。

2本目の柱はデルタⅢ・Ⅳ級6隻、タイフーン級2隻を装備する戦略ミサイル潜水艦部隊。これは当然ながら海軍に所属しておりまして、全て第1太平洋艦隊司令官の指揮下にあります。そして3本目が移動式核ミサイルを装備する戦略ロケット軍であります。

今回問題となるのは、その戦略ロケット軍の移動式核ミサイルです。戦略ロケット軍は第35ロケット師団と第51親衛ロケット師団の2個師団を保有しています。各師団はSS-27“シックルB”と呼ばれる移動式核ミサイルを27発装備しています。このミサイルはTELと呼ばれる弾道ミサイル輸送起立発射機に搭載されています。

この2個師団がミサイルを発射する場合、射程は約30キロメートルですが、目標の射程圏内に移動してから発射することになります。このため、第51親衛ロケット師団が航空機で、第35ロケット師団が輸送艦で発射位置に移動するよう計画されています。

なぜ移動して発射しなければならないのかと申しますと、今だ「スクナビ」世界では大気圏外に物体を射出する能力がないためです。空気抵抗のない宇宙空間で飛行距離を伸ばせないため、ミサイルの射程は技術的に30キロメートル前後が限界とされています。

また、大型ミサイルは乱気流に弱く飛行経路の修正が困難であります。強い風が吹くことの多い海岸付近での発射や、飛行経路上に山がある場合などは乱気流の影響を受けて実用的な命中精度を得られません。

このような理由から、香貫軍は地下サイロから発射する弾道ミサイルを保有していませんし、我が国に対する移動式核ミサイルの脅威はありませんでした。

情報部が常々疑問に感じていたのは、爆撃機や潜水艦などの柔軟性があるミサイル発射手段を持ちながら、なぜ移動をしてからでないと発射できない面倒な移動式核ミサイルを保有しているのかということです。しかも戦略ミサイル軍は独自の輸送手段を持っていません。

この疑問に対する唯一の答えは、目標を射程圏におさめる平地に発射基地を作って、そこに配備するための部隊ではないかということです。

このような任務を持つ部隊ですから戦略ロケット軍の動きは常に監視していました。そして、先月上旬、海軍省情報部は第51親衛ロケット師団所属の2個中隊に移動命令が出されたとの情報を得ました」

「まだ発射基地はないのですよね。訓練の可能性は考えられませんか?」出雲少佐は希望をこめて質問した。

「訓練の可能性も考えました。戦略ロケット軍は2個師団とも首都のある香貫山コロニーに集中配備されています。この基地から年に2回、定期的に展開訓練を実施していますが、今年はすでに終了しています。

また、戦略ロケット軍の部隊が展開する先の基地では、訓練であっても警備態勢が非常に強化されます。核兵器を防護する必要があるので当然ですが、今のところ、どの基地も警備が強化された兆候はありません。

今回の移動命令で特異な点は戦略ロケット軍司令官の直轄部隊である戦略ロケット管理師団にも移動命令が出されている点です。

SS-27“シックルB”の整備は3段階に分かれています。

第1段階は日々の点検や簡単な整備をする段階です。自動車に例えるなら運転前の点検やオイル交換などにあたり、ミサイルを装備する部隊の兵士が実施します。

第2段階は定期的な検査や中規模の修理を行う段階です。自動車では民間車検場やカーショップに相当し、各師団のミサイル整備大隊が実施します。

ここまでは、ミサイルの即応態勢を維持することに重点を置いた装備と訓練が行われています。

第3段階は完全な分解整備や大規模な検査を行う段階で、ロケット推進器や誘導装置などそれぞれの専門家でなければ対処できない高度な整備を行う部隊です。これを戦略ロケット管理師団が担当しています。この部隊は中長期的なミサイル整備や、各師団への技術支援を行っており、短期的な展開では必要とされません。

また、戦略ロケット管理師団を伴うということは、平時はミサイル本体に核弾頭を搭載せず、その都度所要に応じた規模の核弾頭を搭載するものと考えます。なぜそうするのかと申しますと“シックルB”に最大規模の核弾頭を搭載しますと、我々はダイダラ換算で約550キロトンと推測していますが、これでは破壊力が大きすぎるのです。このような兵器は極めて政治的な兵器です。目標とするコロニーの規模や政治状況によっては、もっと小型の核弾頭で足りる場合があります。通常規模のコロニーならダイダラ換算で50キロトンもあれば十分破壊できます。

我々の情報源から得た情報は、戦略ロケット軍の2個中隊と、整備大隊及び戦略ロケット管理師団の一部、そして陸軍直属の工兵旅団の一部に移動命令が出されたということだけです。いつ、どこに移動したかといった情報はありません。ですが戦略ロケット管理師団を伴うということは、独立した整備態勢を整えた本格的な部隊の移動と推測できます。

その後も情報収集に努めてまいりましたが、2日前、思いがけないところから移動先の手がかりを得ました」

北川少尉は、プロジェクターに写す画像を入れ替えた。

そのプロジェクターからは、右側の翼が折れ、火を噴いて墜落する飛行機が映し出されていた。

「この写真は、鶴巻温泉付近の鈴川で地質調査をしていた我が連邦の資源調査船「白嶺」が撮影したものです。

「白嶺」は調査を終え、鈴川の河口に向けて航行中、鈴川が板戸川と合流する付近でこの撃墜事件に遭遇しました。船長は海軍の予備役中佐であったため、この映像と撮影方向などのデータを直ちに海軍省に送ってきました。

では、この写真の分析結果について報告します。

攻撃を受け墜落している航空機は、星川空軍の捜索救難機HC-130です。そして画面左下に命中寸前のミサイルが見えます。画像分析の結果、このミサイルは9K35“ゴファー”に搭載された新型の9Mミサイルと判明しました。この新型は香貫軍しか保有していないミサイルです。

この撃墜で「白嶺」が確認したミサイルの総数は5発です。9K35は1両につき4発搭載していますが、発射間隔は10秒前後必要なため、最低でも3両の9K35から発射されたものと考えられます」

「1機の航空機に5発以上のミサイルですか。すごいな」出雲少佐は驚きを口にした。

「そうです。よほど重要なものがあるのか、よほど知られたくないものがあるのかと思われます」

「たぶんその両方じゃろ。情報部はここに核ミサイルが運ばれたと考えているのじゃな」

「はい。具体的な証拠はありませんが、戦略ロケット軍を配置するには絶好の場所です。我が連邦だけでなく星川の主要コロニーもミサイルの射程圏内に入ります」

「ここから核ミサイルが発射されると15分で酒匂に到達します。直ちに攻撃して排除すべきです」酒匂海軍の兵科将校は火力を信奉し情報を軽視する傾向が欠点だが、その一人でもある第1部長竹田少将が主張した。

「香貫がここに核ミサイルを配置したのであれば核弾頭を確実に処分しなければなりません。第51親衛ロケット師団所属の中隊が展開したのであれば空輸するための滑走路が建設されているはずです。滑走路があるならば香貫は対空ミサイルだけでなく戦闘機も配備しているかもしれません。攻撃するにしても情報が少なすぎます」第3部長が反論する。

「まずは核ミサイルの発射能力を排除することが優先だ。核弾頭の処分はその後でもできる」竹田少将も第3部長に反論する。

「1部長、陸軍と空軍はこの件で何か動きがあるかのう」

「はい、この件を陸軍参謀長と空軍参謀長に説明してまいりました。両参謀長とも非常に驚いていました。動くとすればこれからだと思います。

今後の対応についても話しましたが、どのような対応をとるにせよ海軍だけでも陸軍や空軍だけでも対応できませんので、統合軍の編成を提案してまいりました」

「うむ。よかろう。じゃが陸軍は対応できんじゃろ」

「熱海の暴動は鎮圧しましたが、真鶴でも暴動の気配があります。裏で扇動している香貫の影響を排除するために陸軍はこれらの地域に2個師団と第1空挺集団を派遣しています。総長が言われるとおり陸軍部隊の大規模な派遣は難しいでしょう。海軍もこれらの地域に特別陸戦隊3個のうち2個を派遣しています。このため陸上兵力は期待できません。ですから航空兵力でいっきに叩くべきです」

「じゃが、核弾頭の確実な処分も必要じゃ……それに、やみくもに攻撃しても効果は薄いじゃろ。なにせ攻撃する場所もわからんのじゃからな。やはり隼人のところで調べてもらうしかなさそうじゃな」

「近くにいるのは<瑞鶴>の機動部隊だけのようですね」出雲少佐が答えた。

「はい。いまこの場所を調査できるのは5航戦(第5航空戦隊)の<瑞鶴>だけです。ですが、大変危険です。王子にお願いするわけにはいきません」

「じゃから隼人をこの場に連れてきたんじゃ。隼人は自分が行くと言い張るじゃろ。そうじゃろ隼人!」

「はい! 国家の危機だからこそ王族が先頭にたたなければなりません」

「行ってくれるな。隼人!」軍令部総長は確認した。

「行きます!」

「よし! 1部長、GF長官(連合艦隊司令長官)に偵察命令を出すのじゃ。わしが出雲少佐の出撃を承認したことも添えてな」軍令部総長は出雲少佐に万一のことがあった場合の責任を一身にかぶった。だが、軍令部総長は出雲少佐の志と勇気が嬉しかった。そして若い出雲少佐の情熱を大切にしたいとも考えた。

「わかりました。直ちに」第1部長は軍令部総長に感謝しながら答えた。王子の志と勇気に感謝し、王子に万一のことがあった場合に<瑞鶴>艦長と飛行長を守ってくれた軍令部総長に感謝した。

「では、私は艦に帰り、艦長に報告して偵察計画を考えます」

「十分に注意するのじゃぞ。よいな隼人!」

「慎重にいきます。叔父上もお身体にお気をつけください」

出雲少佐は、自分の身を心配してくれる人々の視線を受けながら軍令部庁舎を出た。

正面玄関には出雲少佐を西酒匂海軍航空基地に送り届けるための軍令部総長専用車が待機していた。

出雲少佐を乗せた専用車は航空基地へと通じる道を進んでいった。道の両側の町並みは海軍と造船業の城下町として商店やオフィスビルが立ち並び活気にあふれていた。だが出雲少佐にはその町並みも目に入らなかった。

どうやって偵察を成功させるか? どうすれば1機に5発以上もミサイルを発射してくる基地から戻ってくるか? 少ない情報から敵の状況をどう予測するか? 頭の中はそのことで一杯だった。だが、出雲少佐には香貫軍の行動を予測できるほどの知識がないことに気が付いた。これでは偵察を成功できないと考えた出雲少佐は総長専用車を運転する一等兵曹に引き返すよう頼んだ。


「どうしたのじゃ?」総長室に戻っていた軍令部総長は驚いた。

「叔父上。お願いがあり戻ってきました」

一瞬、軍令部総長は出雲少佐が偵察を諦めたのかと思ったが、出雲少佐の目を見てその考えを捨てた。

「なんじゃな!」

「第3部の北川少尉を私に貸してください。もちろん北川少尉が承諾してくれればの話ですが」

「情報を分析できる者が必要なのじゃな?」

「そうです」

「わかった。北川少尉がだめなら他のものをすぐに<瑞鶴>に向かわせよう」

「ありがとうございます。叔父上! ……では、西酒匂の基地で待っています」

「先に<瑞鶴>に戻るのではないのか?」

「2機以上で飛べと言ったのは叔父上です」

「そうじゃったな。すまぬ」

出雲少佐は礼を言って先に西酒匂航空基地に向い、紫電改二”竜神01”の飛行前点検を終わらせた。出雲少佐が整備員から渡された整備確認書にサインしていると、戻ってきた軍令部総長専用車から北川少尉が抱えきれないほど多くの書類や資料を持って、あたふたと車から飛び出してきた。

「王子! お供します。「赤城」の艦爆(艦上爆撃機)に乗ってついて行きます」北川少尉の声は嬉しそうに弾んでいた。

<瑞鶴>に戻った二人はさっそく偵察計画を立案し、大貫艦長と平岡飛行長の承認を得た。



出雲少佐を先頭に飛行する3機の正面に小さな橋が見えてきた。この橋から高度を水面上50センチメートルまで下げ、最大速力で目標の北側から接近する計画である。

出雲少佐は翼を左右に振って後続の2機に合図を送った。一瞬の間をおいて高度を下げ、スロットルを前方に押し出して速力を上げた。3機は晩秋とはいえ、いまだ青々と生い茂る川岸の草に沿って鈴川を高速で飛行した。偵察を成功させるカギはスピードにある。敵に与える時間は短ければ短いほどよい。

偵察の成功とは生きて母艦に帰ることである。生きて帰り偵察結果を報告しなければ成功とはいえない。

3機は小さな橋の下を通過した。間もなく「白嶺」船長の報告から北川少尉が割り出した目標の建物が見えてくるはずだ。出雲少佐は高まる緊張を抑えるように操縦桿を握る手に力を入れた。




鈴川上流 伊勢原駅南約3キロメートル

星川合衆国海軍 VF-111(第111戦闘飛行隊)“サンダウナー205、208”


2機のF-14Dも鈴川が小田原厚木道路と交差する真っ暗な橋の下を通過した。

後席の石川少尉は現在の位置を確認して言った。「偵察開始点の方位290度0.5マイル(約1キロメートル)。そろそろだな」

「オーケー! 高度を上げる」F-14Dは緒方少尉がほんの少しパワーを出したたけで速やかに上昇を開始した。


彼らの乗るF-14D“ブロック3A”と呼ばれる機体は、これまでのF-14Dと共通する部品が3%しかないほど改良されている。「ダイダラ」世界でのF-14はF/A-18E・Fに道を譲って退役したが、星川海軍はF-14Dの後継機にF-14D“ブロック3A”を選んだ。アメリカ海軍がF-14を退役させた最大の理由は整備に多くの時間と費用がかかることであった。故障率が高く機体の信頼性が低いため運用コストが非常に高くつき、アメリカ海軍といえどもF-14の維持は困難であった。

星川海軍も同じ問題を抱えていたが、機体の信頼性を上げて最新のアビオニクスを搭載すればこれらの欠点を解消できると考えた。

AESAアクティブ・フェイズド・アレイ・レーダーやJHMCS2(統合ヘルメット装着式目標指定システム)など最新のアビオニクスを搭載し、炭素繊維を多用して軽量化と強靭化を達成した機体は戦闘能力と信頼性が飛躍的に向上した。また、操縦系統をFBWフライ・バイ・ワイヤに変更することによって操縦油圧系統を全廃した。

このおかげでオイル漏れなどの故障もなくなり、機器の信頼性と被弾した時の抗たん性が向上した。

また、従来のF-14Dも運動性は高かったが、“ブロック3A”では機体重量の30%低減、TV(推力偏向)ノズルを装備した新型のF110エンジン、FBWと飛行制御コンピュータによって運動能力向上が図られ、格闘戦能力も向上した。


2機のF-14Dは軽々と水面から10メートルの高さまで上昇した。だが緒方少尉は高度を上げることによって視界は開けたが、敵からも丸見えになったと思うと急に無防備になった気がしてきた。そして後輩である関口少尉の”サンダウナー208”を守らなければならないという責任感、正体不明の敵に対する恐怖心、何か失敗をするのではないかという不安などが入り乱れ自信がなくなってきた。

「TARPS(F-14Dの胴体下に搭載した偵察ポッド)システム ノーマル。いい写真が撮れまっせ! こそこそ隠れている悪いやつらの正体をあばいてやろうぜ! なっ! 緒方!」石川少尉が自信に満ちた声で緒方少尉に話しかけた。

……そうさ、俺たちは世界一厳しい訓練を受け、世界一強いF-14Dに乗っているんだ!  俺は星川海軍の航空士官だ! 負けるわけにはいかない!

緒方少尉は親友、石川少尉の一言で自信を取り戻した。「よっしゃ! 一発ぶちかまそうぜ 石川!」

F-14D ”サンダウナー205”は偵察航程に入った。




鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル

香貫公国軍 R38基地


失意の前基地司令官を乗せた輸送機イリューシンIl-76M(KEITO(京浜条約機構)コードネーム:キャンディッド)”山鳥-574”のチョーク(車輪止め)が外されようとしていた。車輪部分には極地離着陸用の「そり」が付いているためチョークを外すのに少し手間取ったが、滑走路に向けて移動を開始した。

「滑走路といっても建物を南北に貫く廊下にセンターラインを引いただけのものだけどな」見送りをしていた新R38基地司令官・堀内少将は思った。

このイリューシンIl-76M ”山鳥-574”はR38基地に赴任する堀内少将をR38基地まで送り届けてきたばかりで、入れ替わりに前基地司令官を乗せて本国に引き返すのであった。司令官の交代式もなく、事務引継ぎなどもなかった。前司令官とは輸送機のタラップで挨拶を交わしただけであった。

堀内少将を出迎えたのは、荷物を受け取りにきた下士官兵一人であったため、堀内少将は見送りをする以外なにもできなかった。

「前司令官が本国に帰られますな」

堀内少将は、いつの間にか後ろにやって来た声の主の方を振り向いた。

声の主は敬礼をしながら言った。「政治部の高井大佐です。新司令官は、この難局を乗り切れる有能な方だと政治本部から連絡を受けております……あぁ……それと、作業を急いでおりますので前司令官の承諾を得て出迎えはいたしませんでした」

堀内少将は敬礼を返しながら、この政治将校を見つめた。前司令官は無精ひげをはやして皺だらけの戦闘服を着たまま飛行機に乗っていった。明らかに憔悴した前司令官に対し副司令官格の政治将校はすっきりした顔に皺一つない制服を着ていた。


政治将校とは香貫軍独自の制度で、永野公が党首を務める国民党の教義を広め思想統制を行うために配属されている将校のことである。制度上は最高参謀本部に属しているが、政治将校を統括する最高参謀本部政治部長は党の幹部が任命されているため、軍総司令官といえども指揮権がおよばない。

政治将校は、副指揮官に相当する将校として中隊以上の司令部に1名以上が配属されている。だが兵科に関する専門教育は十分ではなく、党の教義に対する理解度と政治的信頼性から任用されている。

独裁国家の首脳が軍の反逆を防止する手段としては有効なのかもしれないが弊害ばかりが目立つ制度である。

指揮官が現場の情勢に合わせて作戦を変更しようと思っても、政治的正当性や党の教義に反すると政治将校が主張すれば作戦の変更が困難になる。政治将校によって政治的信頼性がないと報告された将校は指揮権を剥奪され、場合によっては再教育センターに送られる可能性もある。中には作戦に介入して指揮系統を混乱させる政治将校もいる。だが、彼ら政治将校は政治的に信頼されているが故に香貫公国のエリート層を構成している。


堀内少将は今から指揮官の査察を受ける将校のように完璧な制服を着た政治将校・高井大佐を見ながら考えた。この男はいったいどんな将校なのだろう。何かといえば口を出すくせに、いざとなれば全ての責任を誰かに押し付けるような将校か? それとも言い訳だけは得意で今回も責任を免れた口先だけの将校か? いずれにしても信頼できる男ではないな……だが政治的には信頼されている。困ったものだ。 

とはいえ、まずは部下とR38基地を掌握しなければならない。それに……政治将校をうまく使いこなすことも香貫軍の将校に要求される能力だ。 よし! すぐにかかろう! 時間がない!

「よろしい。危機的な状況で出迎えなど不要だ。ところで君はこの基地に来てどれくらい経つのかね?」堀内少将は偽りの微笑で高井大佐に話しかけた。

「基地開設の第1陣でやって来ましたから約2か月半になります……なぜそのようなことを聞かれるのですか?」

「君の制服があまりにも完璧だから聞いただけだ」

「党の教義を広める将校として部下の見本になるような服装をしなければなりません」

「りっぱな心がけだな……では、私はこの基地を掌握しなければならない。基地内を見回りたいのだが副司令官を呼んでもらえないかな」

「私がご案内いたします。そのためにやって来ました」

この男は、何か隠している。こんな小さな基地で隠し事などできないのもわからんのか……まぁいい。基地を掌握することが先だ。本当と嘘は見ればわかる。私もデスクワークだけで少将になったわけではない。


堀内少将は戦略ロケット軍生え抜きの将校ではない。もともとは陸軍砲兵隊の将校であった。

堀内少将は高等軍事諸兵科共通指揮学校(他国の士官学校に相当)を卒業後、新任の少尉として第9親衛砲兵旅団を皮切りに砲兵将校としての経歴を歩んできた。

だが、堀内少将は最初から砲兵になるつもりはなかった。共通指揮学校入校当初は陸戦の花形である戦車兵を希望していたのである。ところが2年生に進学する時に決定された配属兵科は希望に反して砲兵であった。

香貫陸軍は伝統的に砲兵部隊を重視していることは知っていたが、「安全な後方から弾を撃つだけじゃないか! 何で俺が!」と考え不満を感じていた。

そんな堀内候補生は砲兵部隊の機動演習を見学して考えを改めた。当時最新鋭の152mm自走砲「SO-152」1個中隊が射場に展開して素早く射撃陣地を構築し、すぐさま射撃を開始して射撃終了後速やかに撤収してゆく。綿密な事前計画と迅速な行動。複雑な弾道計算。敵が発射地点を特定して反撃してくる前に撤収する。

そして、なによりも152mm砲による一斉射撃の迫力。それは香貫陸軍の力を象徴するものであった。堀内候補生はすぐに砲兵の虜になった。

卒業以来、砲兵部隊勤務を続けた堀内大尉は中隊長に昇進した。大隊参謀や同僚の中隊長と弾道学を議論し、部下と苦楽を共にする生活が好きであった。永遠に砲兵中隊の指揮官を続けたいとも思った。

ちょうどこの時期、星川軍との間で大規模な戦闘が発生した。90日戦争である。この戦闘で堀内大尉は必要な時に正確な砲撃支援をしてくれる砲兵中隊指揮官との評価を得た。

少しは長く中隊長をできるかなと思っていた矢先、実戦経験を持つ指揮官の不足に悩んでいた戦略ロケット軍から移籍の誘いがあった。堀内大尉は考えた末に移籍を決断した。考えようによっては弾道ミサイルも弾道学の範ちゅうだし、目標の射程圏内に移動して発射する手順は砲兵部隊と一緒だ。戦略ロケット軍は司令部でのデスクワークよりもミサイル部隊での指揮官勤務を優先するとも約束してくれた。

それに、なかなかできなかった子供が、待望の娘が誕生したばかりであった。砲兵部隊は野戦部隊だけに家に帰れる日は年に半分もない。戦略ロケット部隊なら今よりも家に帰れる日が増える。娘と妻と一緒に過ごせる時間が増える。娘の成長を途切れることなく見守ることができる。あれほど好きであった砲兵部隊を去ることに心残りはあったが、後悔はしていない。戦略ロケット軍もやりがいのある軍であった。


「じゃあ、案内をお願いしよう!」

高井大佐は得意気に話し始めた。「この建物はダイダラの会社が事務所で使っていたものです。

建物内部の西側には建物を南北に貫く廊下があって、そこを滑走路と駐機場、管制塔、居住区、TEL(弾道ミサイル輸送起立発射機)駐車場などに使っています。廊下の両端は外の階段につながっていたのですがドアと階段は撤去してあります。両側の出入口のドアを撤去することで廊下を滑走路として使えるようになったというわけです。

廊下の東側には北と南に部屋があります。この出入口のドアも撤去してありますが廊下と部屋の間には敷居があって行き来を邪魔しています」

「うん。それは見ればわかる。それよりも核弾頭の保管はどうなっている?」

高井大佐は話を中断されて一瞬不愉快な表情を見せたが説明を続けた。

「ミサイルの発射場所と関連の施設は南側の部屋に集中して建設中です。ただ核弾頭の保管格納庫だけは急ピッチで建設しました。格納庫は完成して、今、核弾頭を格納庫に搬入中だと思います。副司令官が搬入作業の監督をしています」

「TELも南側の部屋に移動させるのだろ」

「はい。来週にも移動できると思います。今、工兵隊が敷居をまたぐスロープを作っておりますので……建設中のスロープの向こう側に仮設のスロープはありますが勾配が急で建設作業用の車両しか通行できません」

「短期間で、よくここまで出来上がったな」

「もちろんです」高井大佐は、さも自分がやったことのように胸を張った。

まぁ、ここは政治将校に花を持たせておくか。だが、堀内少将は最大の懸念を口にした。

「ただ、ここの防衛態勢は万全ではないな」

「そんなことはありません。2個小隊、6両の9K35のほかに滑走路の両側に対空機関砲を配置しています」

「基地の秘匿に成功していれば、それで十分だっただろう。星川は遅かれ早かれこの基地の存在を知ることになる。ここに核ミサイルがあると知れば大規模な兵力で攻めてくるぞ。そうなってからでは遅い」

「ですが、これ以上の増員となると受け入れ態勢が整いません」

「ならば受け入れ態勢を整えようではないか。ここまでやれたのだ。できないわけないだろ?」

「どのくらい増強されるお考えですか?」

「歩兵1個大隊。これに対空ミサイルと戦車で増強する」

「規模が大きすぎます。党の教義では、必要以上の兵力投入は厳に慎むべきとされています。教義に反します」

「今は第51親衛ロケット師団の警備中隊だけがここの陸上兵力だ。星川が攻めてくるとすれば1個大隊以上の兵力で攻めてくるだろう。歩兵1個大隊程度の増強でも少ない。党の教義には反しない!」

「そうですか……大隊なら指揮官は中佐ですね」

「そうなるだろうな……それがどうかしたのか?」

「いえ! 何でもありません。では管制塔にご案内します。管制塔からは上空の監視カメラを見ることができます。防空指令所もそこにあります」

なぜ兵力増強に反対する? なぜ指揮官の階級を気にする? 堀内少将は高井大佐に対する疑念が深まった。だが防空指令所の状況が気になったため、あえて追求はしなかった。

「では行こうか」

二人は管制塔に向かって歩き出した。彼らの歩く廊下の床にはタイルが貼られている。「スクナビ」にとってこのタイル1枚はサッカーのピッチ1面以上の大きさがある。ダイダラ人がタイルとタイルをしっかり合わせて貼ったつもりでも「スクナビ」にとってはタイルのつなぎ目に大きな溝ができる。しかも使い古されたタイルは、所々タイルの端が上にそっている。二人は、つなぎ目の溝が補修された場所を通って管制塔に向かった。


堀内少将は歩きながら考えた。滑走路や車両通行帯にはタイルのつなぎ目を補修した形跡はあるが、これでは戦闘機の離着陸は無理だ。足が頑丈なMiG27やMiG29でも無理だ。かろうじて離着陸できるのは複数の車輪に「そり」を装着した輸送機だけだ。立体的な防御態勢を確立するためには戦闘機の配備が不可欠だが、そのためには滑走路の補修も急がねばならない。工兵隊の増強も必要だろう。

この基地は単なるミサイル発射基地ではない。「死のトライアングル」の中心に位置する基地だ。星川への侵攻拠点となる重要な基地だ。日本国の法律や「スクナビ」の条約を無視してまで「ダイダラ」の建物に作った極秘の基地を不用意な攻撃で発見されようとしている。たまたま基地近傍を飛行しただけの星川軍機を撃墜しなければ星川軍はこの周辺に関心を持たなかっただろう。だが今ではもう遅い。ならば星川軍を撃退するまでだ。

堀内少将が考えている間に二人は管制塔に到着した。管制塔は北の部屋と南の部屋を隔てる壁の廊下側30センチメートルの高さに取り付けられた狭い場所であった。そこには管制官二人と防空指揮官、機器オペレータの4人が直立不動で堀内少将の到着を待っていた。

4人の中で最先任の防空指揮官・林少佐が堀内少将に歩み寄った。

「ようこそお越しいただきました。防空指揮官、林少佐です」林少佐は後の3人を紹介して、堀内少将と高井大佐に椅子を勧めた。

「いや、けっこう。作業を再開してくれ」と、堀内少将

管制塔からは廊下全体が見渡せる。廊下の南側では”山鳥-574”が北側に向きを変え、間もなく離陸準備が整うところであった。この状況を見た管制官の一人が大きな指向性ライトを取り出して緑色の光を”山鳥-574”に向けて照射した。

「無線封止の状態なので指向性ライトで航空機に指示を出しています。緑色の光は離陸許可の信号です」管制官の一人が説明した。

「ただ、ここからですと外にいる飛行機からは見えないので、両側の出入り口にも指示用ライトが設置されています」林少佐が補足した。

「対空監視はどうなっている?」堀内少将が聞いた。

林少佐は1台のモニター前に移動して説明を始めた。「3台の赤外線捜索追跡装置付きのカメラを屋根に設置しています。その画像はリアルタイムで管制塔まで送られてきます。その画像をコンピュータ解析して航空機やミサイルらしき目標が探知された場合は、その方位を通知してきます。探知された目標には自動的に望遠カメラが向いて識別を可能にします。その画像は、これで見ることができます」林少佐は1台のモニターを指した。

ちょうどこのとき、廊下の南側から”山鳥-574”に装備された4発のソロヴィヨーフD-30エンジン独特の轟音が聞こえてきた。


“山鳥-574”の機内では、フライトエンジニアが離陸出力となったエンジン計器の指示を確認して機長根本大尉に報告した。「エンジン・ノーマル」

根本大尉はうなずきながら自分でもエンジン計器の指示を確認して、静かにブレーキを踏む足の力をゆるめた。強力なソロヴィヨーフD-30エンジンの力によって”山鳥-574”はみるみる加速した。

車輪がタイルの継ぎ目を通過するたびに「そり」がタイルと擦れ合って衝撃がコックピットにまで伝わってくる。「このくらいの衝撃なら、まだまだ大丈夫」根本大尉は、そう判断した。

「V1!(離陸の中止操作を開始できる速度限界)」副操縦士は速度計を見ながら報告した。

“山鳥-574”の加速は続く。速度が増えるにしたがって衝撃がくる間隔が短くなってくる。

「VR!(機首を上げ始める速度)」副操縦士の報告を聞いた根本大尉はすぐさま操縦桿を手前に引いて機首を上げた。それは、できるだけ早くタイルの滑走路から離れたいという離陸であった。

主車輪もタイルの滑走路を離れた。車輪を壊す心配はなくなったが、根本大尉は緊張を解かなかった。間もなく建物の外に出る。建物の出入り口付近は気流が乱れやすく、建物を出た瞬間、風の向きが急変することがあり危険だからである。

だからといって屋根の上に滑走路を作っても、風が滑走路と平行に吹くわけではない。「ダイダラ」にとっては少し強いと思う風でも、その風が滑走路の横から吹いていると「スクナビ」の飛行機は横風制限を越えてしまい離着陸ができない。

滑走路はこのような理由から多くの場合建物内に設置される。だが、この基地のように滑走路が短く、十分な速度を得る前に出入り口に達してしまう飛行場も危険である。

とはいえ、今日は風も弱く、乱気流はなかった。

前司令官を乗せたIl-76M ”山鳥-574”は本国に向けて飛び立った。




鈴川と板戸川の合流点付近上空 伊勢原駅南約2.5キロメートル

酒匂王国連邦海軍 第1航空艦隊第5航空戦隊 空母<瑞鶴>飛行隊“竜神01、竜神07、孤虎02”


「あの建物だ!」出雲少佐は心の中で叫んだ。北川少尉の説明どおりだ。3機のプロペラ機は川に沿って緩やかに右旋回して細い川に沿って建物の北側に向かった。

ヘッド・アップ・ディスプレイの表示が100ヤード(約90メートル)を切った。上昇して目標の建物に向かう地点までもうすぐだ。今のところ敵に探知された気配はない。よし! 計画実行だ!

出雲少佐は上昇しながら左に旋回して機首を目標の建物に向けた。

その建物の方向から飛行機がこちらに向かってくる。

出雲少佐は一瞬、敵の迎撃機かと思ったが、よく見ると輸送機のようであった。

あの飛行機は……上昇中でスピードも遅い。目標の建物から出てきた香貫の輸送機か?

離陸したばかりの”山鳥-574”と3機の酒匂海軍機は、お互いに正面から接近しつつあった。このままでは発見される。かといって、ここまで来て回り道するには遅すぎる。輸送機が我々のことを報告する前に撃ち落さなければならない。やむをえん!

出雲少佐は正面の計器版に手を伸ばして、マスター・アーム・スイッチをオンにした。この紫電改二は酒匂空軍のF-15と同じように操縦桿とスロットルについた無数のボタンだけで、ほとんどの機器を操作できる。だが、ミサイルや機関砲などの安全装置となっているマスター・アーム・スイッチだけは別だ。

続いて出雲少佐は右の主翼に取り付けられている90式空対空誘導弾 -今日は左右の主翼に1発ずつ90式空対空誘導弾を装備している- を選んだ。そのとたん誘導弾の先端に取り付けられた赤外線シーカーは輸送機のエンジンから放射される赤外線に反応した。その反応はヘルメットのイヤホンにトーンが聞こえてくることでわかる。


無事にR38基地の外に出て離陸後点検を終えた根本大尉は周りの景色を眺める余裕ができた。

前回この基地に来た時は夜中だった。いつもは基地の存在が暴露しないように航空機の運行は深夜に限定されていたのである。

根本大尉は稲刈りが終わった田園風景を眺めながらタバコに火をつけた。星川や酒匂の飛行機は機内禁煙らしい。離陸の緊張から開放され、上空で味わうタバコは最高なんだがな。

「のどかな風景だな」根本大尉はタバコの煙を吐きながら言った。

「私は2番街のほうがいいですね。こんな寂しい所に転勤したら軍を辞めますよ」離陸後点検が終わってからは副操縦士が操縦していた。

「お前も夜遊びばかりしてないで少しは落ち着いたらどうだ……ん!」

「どうしました?」

「正面! 航空機!」

「航空機2機! ……いや3機!」

直線翼? プロペラ機?

「あれは……紫電改! 酒匂軍だ! まずい!」

根本大尉は操縦桿をつかみ左へ急旋回させた。


出雲少佐がミサイルを発射しようと思った瞬間、輸送機が急旋回を始めた。くそっ! 発見されたか! だが、もう逃がさない。どこへ行くつもりだ?

輸送機が横を向くにつれて飛行機の形がはっきりしてきた。あれはイリューシンIl-76だ。予想どおり香貫だ。すでに我々の発見報告もしているだろう。いまさら攻撃しても遅いかもしれない。ミサイルは敵の迎撃機のために残しておいたほうが良さそうだ! 出雲少佐は操縦桿のトリガーにかけていた指の力を抜いた。


「ギア ダウン!」根本大尉が叫んだ。

「VLO(最大ギア操作速度)を少し超えています」フライトエンジニアはスピード計を見ながら言った。

「このくらいならギアが降りる時間が少し長くなるだけだ! 降ろせ。基地に戻る」

「あっちぃ! くそ! 操縦代わってくれ。 タバコを消す!」根本大尉のくわえタバコの火が口元で熱くなった。

“山鳥-574”はR38基地に戻り始めた。


ギアを下げ始めた。建物に戻るつもりだ。こいつに隠れて建物に接近しよう! いや、こいつと一緒に建物の中に入ろう。そうすれば中に何があるのかわかる……だが3機で行くのは危険だ。

私と偵察機だけで入ろう! 出雲少佐は決断した。

「輸送機に続いて建物の中を偵察する! 孤虎マルフタは、私に続け! 竜神マルナナは第1集合点で我々が戻るのを待て!」

「マルフタ 了解!」

「マルナナ 私もお供します!」

「危険だ! だめだ! 言うことを聞け!」

「しかし!」

「だめだ! 敵の迎撃機に備えて待機しろ!」

「マルナナ 了解……第1集合点に向かいます」”竜神07”から無念の応答

マルナナの気持ちはわかるが危険は最小限にしなければならない。それに香貫の迎撃機が心配だ。

出雲少佐の”竜神01”と”孤虎02”は”山鳥-574”を追ってR38基地に向かった。


林少佐は監視モニターの画面を指差しながら説明していた。「先日は、この監視装置で星川のSR-71を探知しました。SR-71は探知できて飛行コースがわかってしまえば、その後の偵察経路は予測できます。おかげで迎撃に成功しました。以前、私は……」

突然、監視モニターが警報を発した。機器オペレータが画面を確認しながら「目標011度方向」と報告した。

「”山鳥-574”を誤探知したんじゃないか?」

「いいえ! ”山鳥-574”のほかに2機を探知! ……お待ちください。こいつは1機目の目標を紫電改と識別しました! 酒匂軍です!」

「なに! 酒匂!」林少佐は指示を仰ぐような目つきで高井大佐を見つめた。高井大佐は真っ青な顔をしてぼう然としている。

「何をしている! 早く空襲警報を発しろ! 迎撃命令を出せ!」堀内少将は怒鳴りながら、高井大佐がこの基地でしてきたことがわかった。こいつが基地をかき回していたんだ!

「ですが、今ミサイルを発射すれば”山鳥-574”に命中する危険があります」林少佐は迎撃命令を躊躇した。

「あれを見てみろ!」堀内少将は廊下の壁際に整然と整列している4両のTELを指差した。

「廊下には丸裸のTELがあるんだ! 絶対に中に入れてはならない。TELを守れ!」

林少佐は飛びつくように警報スイッチを入れ、有線電話をつかんだ。

「ゼーエス3、ゼーエス3、ゼーエス・コントロール! 目標011度、酒匂軍紫電2機! 射撃許可、撃ち落とせ!」

「こちらゼーエス3、目標011度、酒匂軍紫電2機、射撃許可! 了解!」

「残りの1機は、彩雲と識別」オペレータの一人が報告した。

「ゼーエス3、ゼーエス・コントロール! 目標を訂正、紫電改1機、彩雲1機! ”山鳥-574”が近くにいる。よく狙って撃て!」

「ゼーエス3、了解!」

ゼーエス3の応答と同時に、堀内少将らが見守る監視モニターが新たな目標探知の警報を発した。

「新たな目標探知! 115度方向」

「今度は何だ!」

「F-14! 2機!」

「今度は星川か!」

「はい!」林少佐は堀内少将に返事をしながら有線電話をつかんだ。「ゼーエス5、ゼーエス・コントロール 目標115度、星川軍F-14、2機! 射程に入りしだい射撃許可!」

「ゼーエス5 了解! 射撃許可!」

星川と酒匂の共同攻撃か? いや、機内で読んだGRU(最高参謀部情報総局)の情報要約には先日も星川と酒匂の間で小競り合いがあったと書かれていた。単に時期が重なっただけだろう。だが、北と東から来る敵に、2方面から来る敵に対処できるのだろうか? 堀内少将は不安を感じた。


屋根の北側に配置されたゼーエス3では照準手が”山鳥-574”を目標にした追尾訓練をしていた。本国にいれば訓練目標となる飛行機はいくらでも飛んでいる。しかし、何もないこの基地では訓練目標すらない。せっかくの訓練チャンスを逃す手はない。ガミガミとうるさい車長に言われなくても訓練するさ。それにしても車長の野郎、気が散るから俺の後ろで監視しないでほしいな!

照準手の気持ちが通じたのか、そのとき有線電話が鳴った。車長は狭い車内を移動して受話器を取り上げた。「目標011度、酒匂軍紫電2機、射撃許可!」車長が復唱する声を聞いた照準手は、車長に命ぜられる前にミサイル・ランチャーを011度方向に旋回させた。といっても、ほんの少し旋回させるだけでよかった。

「目標011度、酒匂軍紫電2機! 早く照準しろ!」車長が大声で命令してきた。照準手は、うるさい! と心で叫びながら「捜索中!」と声に出して報告した。「目標、紫電1機、彩雲1機に訂正!」といいながら車長が戻ってきた。「いそげ! いそげ!」照準手の後ろで車長が急かした。

照準手は、その言葉を無視して目標の発見に集中した。「いた! あそこだ!」 だが、正面から来るプロペラ機の赤外線放射は少ない。なかなかロックできない。急がなければ屋根の下に隠れてしまう。よし! ロックした「発射!」照準手は発射ボタンを押した。

ゼーエス3のミサイル・ランチャーから9Mミサイルが発射された。ミサイルの尾部からはロケット・モーターが作り出した炎の尾を引いている。その炎からはミサイル特有の紫外線が放射されていた。


F-14Dに取り付けられたミサイル警報システムが、その紫外線をキャッチした。

「12時方向ミサイル!」石川少尉が叫ぶと同時に緒方少尉もミサイルを求めて前方を探した。あった! ミサイル自体は見えないがミサイルから出た煙を視認した。「ミサイル タリー(視認)! でもこっちには来ない! 何を狙っているんだろ?」

「ちょっと、待ってくれ」石川少尉はF-14Dの機首に取り付けられたTCSテレビカメラセットを使ってミサイルの目標を捜索した。「輸送機発見! ……あれ! 後ろにも飛行機がいる。紫電改みたいだ! 」

「どうなってんだ?」

「俺だってわからねーよ……うん、やっぱり紫電改だ! 後ろは彩雲かな! 香貫の輸送機を酒匂の紫電改と彩雲が追ってる」石川少尉はTCSが目標から外れないように操作しながら言った。レーダーを使えば、かってにTCSが目標をロックしてくれるのに。でも、レーダーを使えばオレ達がここに居ると教えるようなもんだ。一苦労だぜ!

「あっ! 後ろの彩雲がチャフを撒いてる」

「本当だ! タリー!」

「輸送機は車輪を出してる。ミサイルが発射された建物に着陸するのかもしれないぞ! それを紫電改と彩雲が追ってる!」

「このへんは加藤のおやじが指示した捜索中心点だよな?」

「あぁそうだ! 悪者はあの建物の中にいるんだ! ……紫電改が輸送機の後ろにぴったりくっついた……攻撃してない! ……あいつらは輸送機に隠れながら建物に接近する気だ! もしかしたら、一緒に中に入る気かもしれないぞ!」

どうしよう。緒方少尉は一瞬迷った。

「俺たちも中に入ろう!」緒方少尉は決めた。

「マジか!」石川少尉は驚いた。

「あぁ! 大マジだ!」

いつも慎重な緒方がどうしたんだ? でも紫電改と同じ方向から建物に入らないほうがいい。隊長がいっていた。「一番機と同じ方向から攻撃する二番機は死ぬだけだ!」と。

「オッケー! 建物の反対側から入ろう!」

「えっ! 反対側から?」

「同じ方向からだと敵が待ち構えている。反対側からなら敵も油断してるぜ! それと、俺たちだけで入ろう」

「そうだな!」緒方少尉は、そういって関口少尉の”サンダウナー208”を呼び出した。「208! 205 ミサイルの発射地点を確認しているか?」

「確認してます!」関口少尉はすぐさま答えた。

「208 お前はミサイルの発射地点の東側で待機しろ! 俺たちは建物の中を見てくる」

「先輩!」関口少尉は、思わず叫んだ。

「ミサイルに気をつけろ! すぐ戻る!」

「自機防御、フルオート! デコイ(囮)を出す。いいな!」石川少尉はF-14Dの防御システムを作動させた。特に曳航式デコイは“ブロック3A”からF-14に装備されたもので、ケーブルで後方に曳航されたデコイが電波を放射してミサイルの誘導レーダーを欺瞞する。最新のデコイは赤外線の放射もできるため、赤外線ミサイルにも対応できる。”サンダウナー205”のデコイは最新のデコイであった。

「目標の南側に回りこんで突っ込むぞ!」

「オッケー! デコイ作動ノーマル! デコイが出ている。やさしく操縦してくれよ!」

「ガチャ!」

“サンダウナー205”の突入準備が完了した。


「ゼーエス3がミサイルを発射しました」オペレータは先ほどまで政治将校と初対面の司令官を前に緊張していたが、今では熟練のオペレータらしく落ち着いた口調で報告した。

堀内少将はオペレータの変化に好感を持った。だが……と、堀内少将は考えた。輸送機から降り立ってまだ1時間しかたっていない。時間がないことはわかっていたが、これほど急激な事態の変化は予想していなかった。しかも星川軍と酒匂軍が同時に攻撃してくるなど誰が予想したであろうか。

星川軍と酒匂軍の同時攻撃……先ほどは偶然時期が重なっただけだと思ったが、GRUの情報を自分の希望で解釈していないか? それは危険な解釈だ。星川軍と酒匂軍は裏で繋がっていると考えて対処したほうがよいだろう。

「ゼーエス2の修理まだか? いつまでかかっている!」高井大佐は管制塔の手すりから身を乗り出してゼーエス2を見つめた。ゼーエス2が動かないことを認めた高井大佐は林少佐をにらんで怒鳴った。「職務怠慢だぞ!」

「ゼーエス2に問題でもあるのか?」堀内少将は高井大佐をさえぎるように言った。

「ゼーエス2は偽装ネットがミサイル・ランチャーの回転部分に絡んで動かなくなりました。ランチャーを外して修理中です」林少佐は監視モニターの表示を見つめた「間もなくゼーエス3のいる場所からでは屋根が邪魔して低高度の敵を撃てなくなります。このため、低高度の敵には廊下の北側にあるゼーエス2が担当する予定でしたが……」

「それが故障中なのか。他にはないのか?」

「廊下には3両ありますが、ゼーエス2はダメで、もう1両は検査中です。低高度の敵に使えるのは南側のゼーエス6だけです。屋根にも3両ありますが1両は照準器が故障して使えません……あとは滑走路両端に23mm対空機関砲が2両あるだけです」

「今は現状で最善を尽くそう。いいな!」堀内少将は林少佐の肩を叩いた。高井大佐の思いどおりにはさせない。


「12時方向ミサイル!」出雲少佐はR38基地から発射されたミサイルを視認した。

「マルフタ 確認!」

「私の合図でフレアを射出しろ! 私から離れるな!」紫電改と彩雲のエンジン排気口にはIRサプレッサー(赤外線排出抑制装置)が装備されている。フレアの強い赤外線放射で我々へのロックは外れるだろう。とはいえ用心しすぎることはない。フレアを射出したら我々とミサイルの間に香貫の輸送機がくるようにしよう。もしそれで輸送機が撃墜されてもオウンゴールだ。


ゼーエス2から発射された9M赤外線誘導ミサイルは弱いながらも紫電改の赤外線パターンを捕捉していた。ミサイルは自身と目標の方位変化がなくなるように動翼を動かし続けた。目標に接近するにつれて信号強度も増してきたが、それでも紫電改からの赤外線パターンは弱かった。

そこに、彩雲がフレアを射出したことで強い赤外線放射が紫電改の弱い赤外線パターンを隠した。ミサイルは一瞬の迷いもなく目標を赤外線強度が最も強いフレアの一つに変更した。誘導プログラムの指示どおりに。ミサイルは紫電改の捕捉に失敗した。


ミサイルとの相対方位が変化している。あのミサイルは、こちらに来ない。出雲少佐は当面の関心をミサイルから目標の建物に変更した。目標の建物をよく見てみると、入り口 --滑走路の進入口-- から、建物の反対側の出口が見える。予想どおり滑走路の反対側にも飛行機の出入り口が開かれている。このまま突っ切るぞ! 間もなく入り口だ!

目標の建物が迫る。入り口の巨大な穴がどんどん迫ってくる。「ダイダラ」の人間が一人通れるほどの入り口でも「スクナビ」にとっては巨大だ。

建物に入る直前、紫電改と彩雲は”山鳥-574”を追い越し、フル加速で建物の中に突入した。「偵察開始! 中にあるものを全て記録しろ!」出雲少佐は”孤虎02”に命じた。


「2時方向ミサイル! 屋根の上から撃ってきた。 高度を下げる!」緒方少尉は草に隠れるように高度を下げた。

石川少尉が接近するミサイルを確認していると目の端に新たなミサイルをとらえた。「おっと! もう1発来る。 今度は建物の入り口から撃ってきた。 くそっ! 花火の季節はとっくに終わってるぞ!」


発射の瞬間2発の9Mミサイルは”サンダウナー205”の排気パターンを捕らえていた。だが、建物の入り口から発射された9Mミサイルは緒方少尉が草に隠れる高度に降下したため”サンダウナー205”を見失った。

一方、屋根の上から発射された9Mミサイルは高い位置から”サンダウナー205”を見下ろしていたために見失うことはなかった。その9Mミサイルがロケット・モーターの燃料を使い果たしたその時、ミサイルの動翼がススキの穂をかすった。このためミサイルの向きが変わった。ミサイル先端に取り付けられたIRシーカーの探知範囲から”サンダウナー205”が消失した。


「ミサイルは2発とも離れていく」石川少尉が後方に離れていくミサイルを見ながら言った。

「オーケー! もうすぐ突っ込むぞ! TARPSの準備はいいか?」

「TARPS 作動ノーマル! 記録を開始した」

緒方少尉はスロットルを最前方、フルアフターバーナの位置まで押し出した。”サンダウナー205”のF110エンジンは緒方少尉の意思に応えて爆発的な推力を生み出した。二人の身体は強烈な加速によってシートに押し付けられる。

「この加速 たまんねーなぁ! 緒方!」

「ミサイル! 正面 レフト・ブレイク!」緒方少尉は操縦桿を左に倒しながらスロットルを手前に引いてエンジンからの赤外線放射を減らした。

“サンダウナー205”自身は自らフルオートにセットされた自機防御装置によってフレアを放出した。とはいっても9Mミサイルは最初から”サンダウナー205”のデコイを目標にしていた。

「ミサイルはデコイに向かってる! 俺の合図で入り口に向けろ! 次のミサイルが準備できる前に中に入ろう!」

「ガチャ!」

「スリー! トゥ! ワン! 今だ!」

9Mミサイルの爆風がデコイを破壊する直前、”サンダウナー205”はもとの進路に戻った。


ミサイルだ! 出雲少佐の全身に電流が走った。建物内に滑走路があるなら出入り口にもミサイル発射機があるはずだと北川少尉が言っていたじゃないか。と、間もなくミサイルは外に向かって飛んでいくことがわかった。ホッとするのと同時に誰に向かって撃っているのだろうかと思った。まさか”竜神07”が囮になっているのか?

南側出入口の対空砲も外に向かって射撃を始めた。香貫軍の関心は南側にいる敵に集中しているようだ。我々にはよせていない。この隙に外に出よう!

出雲少佐の”竜神01”と”孤虎02”は滑走路の中ほどに達しようとしていた。


「新しいデコイを出す」石川少尉は、9Mミサイルの命中によって破壊されたデコイを切り離して新たなデコイを出した。

「オーケー! 対空砲も撃ってきた! 全速で突っ切るぞ!」

“サンダウナー205”は南側からR38基地に進入した。建物の中に入ったとたん対空砲は鳴りを潜めた。正面からは紫電改と彩雲が迫ってくる。”サンダウナー205”と”竜神01”、”孤虎02”は急速に接近し、わずか20センチメートルの距離ですれ違った。

すれ違う瞬間、緒方少尉と出雲少佐はすれ違う相手をよく見たい誘惑にかられた。だが生きて帰りたければ自分に向かってくるミサイルや機関砲を1秒でも早く発見しなければならない。すれ違うまで攻撃してこない相手に攻撃の意思はない。お互いに攻撃意思のない相手をよく見ている余裕はなかった。


すれ違った相手を観察できたのは彩雲の最後部にいる通信/機銃手だけであった。後方に遠ざかるF-14Dのエンジン排気口に機銃の狙いを定め射撃命令を今か今かと待っていた。そのF-14Dはみるみる遠ざかる。けっきょく射撃命令は出されなかった。彩雲の通信/機銃手は絶好の射撃機会を逃した。


香貫はあのF-14を狙っていたのか。けっきょく出雲少佐は建物内を観察する余裕がなかった。

“竜神01”と”孤虎02”はR38基地を出た。出雲少佐は彩雲の最大旋回能力を超えない範囲で右に急旋回した。紫電改の最大旋回率で旋回すると彩雲がついてこられないからである。

西に機首を向けたところで翼を水平に戻した出雲少佐は、後ろを振り向き”孤虎02”の無事を確認し、さらに後方からミサイルが発射されていないかを確認した。

ミサイルは来ない。出口に配備されていた9K35からは逃れることができた。中ですれ違ったF-14のおかげだが、このような幸運は長続きしない。屋根の上からはまだまだミサイルを撃ってくるだろう。

出雲少佐は、”孤虎02”に最大速力で第1集合点に向かうように指示した。

“孤虎02”は出雲少佐の右側を追い越すため加速を開始した。追い越しざま、”孤虎02”に搭乗する3人は、出雲少佐に敬礼していった。

“孤虎02”は最大出力で飛行する”竜神01”をどんどん引き離す。太平洋戦争中、彩雲に搭乗する通信員が「我に追いつくグラマンなし!」と打電したほどの速度性能は酒匂の彩雲も受け継いでいた。彩雲のスマートな機体は出雲少佐からすると頼りなく見えたが、今は違う。遠ざかる”孤虎02”が頼もしく思えた。

出雲少佐は”竜神01”を屋根の9K35と”孤虎02”の間に置くように上昇させた。偵察データを母艦に届けなければならない。”孤虎02”を守る!


“サンダウナー205”も出口に近づいていた。だが、正面には対空機関砲の23mm弾が待ち構えていた。ガン! 機体後部から衝撃がきた。 「被弾! どこだ!」警報灯は一つも点いていない。

「わからん! 見る限り当たった箇所は見えない。計器に異常はない。 このままトンズラしよう!」石川少尉は機体後部を見回してから答えた。

“サンダウナー205”はR38基地を飛び出した。「高度を下げる」

「ちょっと待った! デコイがある……オッケー! もういいぞ」石川少尉が言った。デコイもR38基地の外に出た。

「ガチャ! 高度を下げる」

「屋根の上からミサイルを撃ってくるはずだ! 隠れる場所を飛んでくれよ。ミサイルを確認したらすぐ知らせる」

「オーケー」頼りになる相棒だぜ。東側は木や建物が少ない。遠回りになるが、あの木を通りすぎたら西側に旋回しよう。石川少尉のおかげで緒方少尉は飛ばすことに専念できた。

「そら来た! ミサイル6時方向。まっすぐこっちに来るぞ!」

木を通り過ぎた。「レフト・ブレイク!」緒方少尉は5G旋回で”サンダウナー205”を西に向けた。石川少尉は強烈なGに耐えながらもミサイルから目を離さなかった。一瞬、木の陰に隠れて見えなくなったが、間もなくミサイルを再発見したときは、そのまま北に向かって飛び去っているところだった。9Mミサイルは”サンダウナー205”を見逃した。

グン! 後ろに引っ張られるような軽い衝撃が”サンダウナー205”を襲った。急旋回によって大きく外に振れていたデコイが木の枝に引っ掛かり、ワイヤーが切断されたからだった。「デコイが切れたみたいだ。ミサイルは遠ざかる! トンズラ続けてくれ」

「遠回りになるけど、大きく西側を迂回して帰投進路に向ける」

石川少尉は現在位置と残燃料を確認した。帰る燃料は何とか残ってる! 「オッケー! 燃料はもちそうだ」


出雲少佐の”竜神01”は屋根から発射された9Mミサイルに追われていた。出雲少佐は道路を渡ったところでガードレールの内側に隠れるために高度を下げ、北に進路を変えた。9Mミサイルは目標を失ったが、次の目標を決める前にガードレールに当たって爆発した。

危機を脱したとたん出雲少佐の全身からどっと汗が噴出し、ヘルメットの内側から流れ出た汗が目に入った。

JHMCS(統合ヘルメット装着式目標指定システム)付きのヘルメットの場合、バイザーを上げて目をこするまではよいが、またバイザーを下げた後、ヘルメットを元の位置に直さないと微妙な違和感を覚える。戦闘中になくてはならない装備でも、面倒な作業に出雲少佐は思わず罵りの言葉を口にした。「くそっ!」


「くそっ!」石川少尉も罵りの言葉を口にした。「デコイのワイヤーを切り離せない。 ちょっとスピードを落としてくれ」ワイヤーの先端にデコイがなくなったため、ワイヤーが振れまわって切り離せない。スピードを落とせばワイヤーの振れ回りもおさまるだろう。

「ガチャ。 旋回が終わった後にスピードを落とす」緒方少尉は機首を南に向けてスピードを落とした。


十分にミサイルの射程圏外に出たと判断した出雲少佐は第1集合点に向かうため機首を西に向けた。民家の庭を低高度で抜けようとしたとたん、民家の西側を自分よりも少し高い高度で飛行する戦闘機を発見した。出雲少佐は直感的に建物内ですれ違った星川のF-14だと思った。

しかし不用心だな。俺にはまったく気が付いていない。ならば挨拶していこう。あいつらにその気はなかったかもしれないが、結果的に我々を助けてくれた。礼くらい言わねばならない。

出雲少佐は”サンダウナー205”をかわして後方から接近した。”サンダウナー205”の下後方10センチメートルにつけた出雲少佐は先ほどできなかったF-14の観察を始めた。

F-14Dの新型だ。偵察ポッドもつけている。こいつも、あの建物の偵察に来たのだ。右翼の付け根からはワイヤーを曳いている。 おや! 右の水平尾翼に穴が開いている。被弾したな。他に異常はなさそうだ。そろそろ横に出て、どんなやつらが乗っているか見てやろう。


「やっと切断できたぞ!」石川少尉は見えるはずもないワイヤーを見ようと右を振り向いた。

「うわっ!」

「どうした?」緒方少尉も右から後ろを振り向いた。

「うわっ!」

“サンダウナー205”の右10センチメートルを”竜神01”が飛んでいた。

“竜神01”のパイロットが手信号を送っている。「2 ・ 2 ・ 5 ・ 3」「無線周波数じゃないか? セットしてみる」石川少尉が無線機の周波数を225.3にセットした。「星川海軍F-14、205号……聞こえるか?」

「誰だ! お前は!」石川少尉は真横に”竜神01”が来るまで気が付かなかった自分自身に対する怒りを出雲少佐にぶつけた。

「私は酒匂海軍 出雲少佐 ”竜神01” 攻撃する意思はない」

緒方少尉も動揺したが、石川少尉が自分の気持ちを代弁してくれたため、反対に気持ちが落ち着いた。「私たちは星川海軍 緒方少尉と石川少尉 ”サンダウナー205”です! なにか御用ですか? ”竜神01”!」

「貴機の右水平尾翼に穴が開いている。被弾したようだな。そのほかに異常はない」

「ありがとよ! おれたちに何の用だ? あんたかい? あの建物の中ですれ違ったのは」

「そうだ。あんなところに入ってくる無謀なやつを一目見たかっただけだ。それから……礼をいう。貴機が入ってきたので我々への注意がそれた。おかげで無事に脱出できた。借りができたな」

「あんたに貸しをつくったおぼえはねぇよ! それより、こんなところでぐずぐずしてると香貫の戦闘機が来るかもしれねぇぞ。あんたらも気を付けな!」石川は初対面の相手に好感を持つと、いつもこんな話し方をする。緒方少尉はニヤリとした。

「では、また会おう。貴機の飛行安全を祈る!」出雲少佐は第1集合点に機首を向けた。

「あぁ あんたの安全も祈ってるぜ! またな!」石川少尉は右後方に遠ざかる”竜神01”を見つめながら言った。

「何が無謀だよ。あいつだって一緒じゃないか! 何が借りだよ……律儀じゃねぇか!」

「そうだな。 俺たちもそろそろ帰ろう」緒方少尉はスロットルを前に押し出し、操縦桿を左に倒して東に向かった。

その後、強い絆で結ばれる3人の初めての出会いであった。彼らの強い友情が星川と酒匂を動かし、両国を和平へと導く原動力となるのだが、それはもう少し先の話である。


“サンダウナー205”は”サンダウナー208”と会合して帰投針路に向けた。”サンダウナー208”の関口少尉は建物の中で何があったのか知りたくてウズウズしていた。「山口! 先輩は何してきたんだろう? もう帰るだけだぞ。聞いてみようか? 俺たちの出番がないじゃないか」 関口少尉は同級生のRIO山口少尉に話しかけた。

「用もない通信はできないでしょ。黙って操縦してよ! そのうち私たちにも出番が回ってくるわよ!」


「ホッグとリンクが繋がった。TARPSデータを送信する。ボートのやつら、ぶったまげるぞ!」石川少尉は、空母近傍の上空で監視にあたるホッグ(E-2D“ホークアイ”早期警戒機)を経由してTARPSで撮影した画像データ、ラインスキャンデータを<カール・ビンソン>に送った。


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