第七羽 事故現場?
太陽がぎらぎらと照りつける。それは時間の止まった空間でも変わることはないようだ。
蒸し暑い空気が陽炎のように立ち上り地上を灼熱地獄に突き落とす。
私たちは熱い地表を避けて、アストラルに抱えられたまま、目的地まで空を移動していた。
地上を見ると人も車もすべて時を止めて何一つ動いていない。
アストラルは私が死ぬとされた瞬間、時間を止めたらしい。
今も、あの駅のホームでは私が突き飛ばされたままの形で人が止まっている。
アストラルが言うには、あのまま私が死んでもそのまま魂が回収できれば良かったのだが、身体がばらばらになるような死に方をすると、魂も身体とともに細切れになるため、とても回収が面倒になってしまうらしい。
天使なら人海戦術で集めてしまえるが、一人であるアストラルではそうはいかない。
アストラルが言うには死ぬ直前の魂にその守護者であり回収人である天使がそばにいないことは大変稀なことらしい。天使は死ぬをわかっている人間のそばにいて死んだ瞬間、すぐさま悪魔や死神にその魂を取られないように天界に送ってしまうため、死神であるアストラルが魂を入手できる機会は本当に少ないと言うことだ。
だからそれを横取りできる瞬間は見逃さないようにしていたら、たまたま私の死ぬ現場に居合わせたとのこと。
「おそらくお前の守護天使はあの能天使だったのだろうな。」
「え?あの人が?」
アストラルの前にあっさり敗れてしまった天使のことを思い出す。
「…でもあの人相手なら、アストラル、別に私の魂を簡単に奪えたんじゃ…。」
「話を聞いていろ。天使は死んだ後の魂を天界に間をおかずに昇天させる。いくら俺の力が強くてもその常に付き纏って、天に送る機会をずっと待っている天使の早さには敵わない。一度神の手に委ねられたものを横取りすることも不可能だ。」
だから、死ぬ瞬間に天使が付いてない魂は本当に貴重なのだと話す。
「何であの天使が死ぬ瞬間にお前のそばにいなかったのかわからないがな。」
なんか、今思えばどこかドン臭そうな人だったしな。どこかよそ見していて、私の死ぬ瞬間を見失っていたなんてことはなんとなく考えられる気がする。
「まあ、他の男の話などどうでもいい。…さて、付いたぞ。」
そう言ってアストラルが揺るやかに降下を始める。
アストラルに抱えられ空を飛んで向かったのはとある一つの交差点だ。
何の変哲もない道路。四つ角の一つに出っ張って立てられている電柱が一つある。
「・・・ここか?」
アストラルが聞く声が聞こえたので私は頷く。その角に一本だけある電柱に近寄ると、途中で見つけて摘んできた雑草の花をその電柱の根元にばら撒いた。
モノクロの花だ。黒いアスファルトの地表に白と緑のコントラストをつける。
それを何の感慨もなく見つめる。
「ねえ。アストラル。」
「なんだ?」
「ここに誰かいる?」
「は?」
死神でも驚くことがあるとはある意味驚きだ。だが驚きの声を上げたまま、怪訝そうに死神はこちら伺っている。
その視線は赤い。その瞳は紅玉のようにきらきらとしていていつまでも見ていたいような魅力に満ちている。
だが、いつまでも見詰め合っている場合でもない。
その視線に特に怯むこともなくまっすぐ見返した。
「ここに誰かいるのかと思って。幽霊とか。」
「・・・会いたい人でもいるのか。」
「・・・さあ。」
「さあって。会いたいからそいつが死んだ場所に来たんじゃないのか?」
この死神にはここのことを話してはいない。
だが、まあ交差点の電柱に花を置くなんてことを言えば、ここで人が死んだというのは丸わかりか。
視線を落として電柱の下に散った花を見つめた。
「…どうなんだろうね。会いたいといえば会いたいかもしれないけど。」
「けど?」
「どうでもいいといえばどうでもいい。」
私の言葉にアストラルはなんともいえない表情になって黙り込んだ。
会いたい気持ちと今更あってどうなるとなるのかという気持ち。
本当に、どちらなのか自分でわからないのだ。ただ世界のこと、今を生きることはまるで薄い膜を通しているみたいにいつも希薄で曖昧だ。
私は地面に散った花弁の一つを拾った。白い花だ。
空き地の藪の中なんかにどこにでも咲いているような雑草の白い花。
だが彼はこの花が一番好きだといっていた。強くてたくましいから。
踏みつけられても又咲き誇る気高い花だと。
それを言った人はもう今はいない。知らない間に死んでいなくなってしまった。
「ここで死んだ人はね。私を誘拐した人だったんだ。」
じっと電柱の根元の花を見つめながら、淡々と話す。
揺れる心はない。ただの昔話。
「もう何年も前のことだけど、私、男の人に身代金を目当てに誘拐されたのよ。」
誘拐犯の名は原口という。後に新聞で出ていたのを見て初めて名前を知った。
その記事の切り抜き今でも持っている。私はそっと制服の胸元に手を遣った。もう何度も見返して、ぼろぼろになっているその新聞記事の写真は随分と印象の違う顔だと言うことだけは覚えている。とてもよく笑う男だった。
誘拐を企ててしまうような悪い人だったけれども、私の過去において唯一家族だったと言える人だった。
「私はその人のことおじちゃんって呼んでいた。一月位かな。私を養って私と一緒に暮らした。いろいろなところに連れて行ってくれもした。そんな経験家でしたことがなかったから、いつも新鮮でおじちゃんとの暮らしは楽しかった。」
それに比べて実際の親はどうだったのか。
今でも覚えている範囲で親にどこかに連れて行ってもらった記憶はない。
いつも遊びに行くときも一人。近くの公園がせいぜいで、誰かに遠くに連れて行ってもらい遊んだ記憶はおじちゃんとのものしかない。
「私の親はね娘が誘拐されたって電話をもらっても一円も出さない親だったのよ。」
昔から子供に関心のない親だった。だから、いつの間にか娘が家からいなくなっても、帰ってこなくても電話があるまで心配の一つもしなかっただろう。電話があっても心配しなかっただろう。
「電話口で男の人に『家には娘はいません』って言ったらしいよ。それにその後に捜索願もださなかったって。」
別にそれはどうでもいいことだった。だってそんなことはわかっていたから。攫われるときも誘拐犯に何度も聞いた。私でいいのかと。
「それでおじちゃんは随分と私を気の毒がってくれてね。一緒に生きていこうって言ってくれた。」
本当はとても気のいい、気の小さい人だった。
お金がなくてつい出来心で誘拐なんかして、でも掴んだのは親の関心の薄い役立たずの子供で。結局お荷物を背負い込んだだけだった。
でも行くところも帰るところもない私を家においてくれて、ご飯を食べさせてくれて、娘としていろんなところへ連れて行ってくれた。
私はまだ幼くてその状況がどんなものかわかっていなかったけど、多分自分ひとりでも生きていくことが大変で誘拐しようとまで思いつめた人がもう一人抱えこむなんてとても大変なことではなかったかと思う。だけど、誘拐犯の男の人は決して、私を放りだそうとはしなかった。何度か私に家に戻るかと聞いてくれたことすらあったが、その度に私は首を横に振った。
あの冷たい家には何でもあった。それなりの中流家庭的ではあったが、一人部屋ももらえたし、欲しいものは何でも手に入った。だが、家族団らんの記憶は今も昔も何一つなかった。それに比べれば、おじちゃんとの暮らしは何もなくて、時には食べるものがなくてひもじい思いもしたが、心は満たされていたように思う。
だが、そのおじちゃんとの同居生活は一月ほど続いて、唐突に終わりを告げた。
ある日、おじちゃんが私を乗せたバイクで事故を起して亡くなったからだ。
夏の暑い昼だった。私とおじちゃんは一緒に出かけた。前日に風邪を引いていたおじちゃんだったけど、ずっと前から約束していた植物園だからと、無理にでも連れて行ってくれた。バイクに乗る前に飲んでいた風邪薬に睡眠効果があって、それで朦朧としたおじちゃんがハンドルを誤っての事故だったらしい。
それからのことはあまり覚えていない。私が気付くとそこは白い病院の一室だった。
速度の出たバイクが電柱にぶつかった場合かなりの確立で乗員は死んでしまうらしいのだが、奇跡的に私は軽症だった。見つかったとき私はおじちゃんに抱きかかえられるように倒れていたと言うから、おそらくおじちゃんが最後の最後で私を庇ってくれたのだろう。
だが、私はいっそ庇われず、おじちゃんと一緒に死ねればよかったとベットの中で思った。
その事故で誘拐が発覚して親元に私は戻された。
それからは本当に思い出したくもない日々だった。
親は子供が誘拐されても行方不明の届けを出さなかったことをマスコミに書き立てられ、そのことで私を詰った。
父は怒鳴り散らした。
『お前のせいで私たちがどんな迷惑をこうむったか。』
母は詰りながら涙を流した。
『お前さえ、いなければ。産むんじゃなかった!』
そして二人は一緒に言ったのだ。
『何でお前は生きているんだ?』
なんだかその言葉を聞いていたら、ああ本当に生きていることの意味が本気でわからなくなった。
「一度ね。本当に自殺しようと考えて手首を傷つけたことはあったんだけど、痛くてやめちゃった。」
おじちゃんの言葉があったから。
私が料理をしようとして手を切ったとき絆創膏を貼ってくれながら「痛くなるようなことは無理にしなくていいから。」といってくれていた。
私はそれで無理に死ぬことを諦めた。
きっとあの時、私の世界は色をなくした。いや、本当に色と言うものがあったのだろうか。最早どんなものが色と呼べるものだったのか思い出すことも出来ない。目では認識できる。だが心で感じることが出来ない。いつも心は空虚だ。
無色透明。希薄な空気。息苦しくて窒息しそうだ。
私は水の中でもがくように生きていた。流れに流され、感じることもなく、楽しいと言われうことも苦しいといえることも何もなく。
だから楽しいことということがどういうことなのかわからなかった。苦しいことすら輪からなった。だからいつも人の真似をするようになった。
楽しいのだという顔を相手がしたら同じように楽しい表情を作った。
苦しいといったら苦しいのだと同調して答えた。
だからいつも誰かに自分の意見を聞かれたら、相手の意見に合わせた。反発するのも面倒だったし、どう反応していいのかわからなかった。何もかもどうでも良かったから。
自分の考えに沈む私を、アストラルはじっと何も言わずに見つめていた。
アップする順番間違えた(汗
すみません。